新たな力 2/2
数時間経って外が若干の明るみを呈してきた頃、俺は師匠のノートの一割くらいを解読し終えていた。
特にノートに挟まっていた人型に切られた紙については、なんとなく使い方がわかった。
だが。
「嘘くせー」
俺は手に持った人型の紙を見つめながら呟いた。
人型の紙の使い方について、俺は半信半疑どころかほとんど嘘だと考えている。
なぜなら、その人型の紙に命を吹き込むと、人に似た何かが出現するというのだ。ちなみにその人型の紙はヨリシロという名があるらしい。
「人に似た何かってなんだよ」
って感想を抱くのは当然だろ。あと、命を吹き込むってなんなんだ。
「まさか息を吹きかけるってわけじゃないよな」
俺の心の中で呆れや失望が混ざり合っていた。
しかし徹夜で研究していたこともあり、疲労感と徒労感が大きかったからか、ヨリシロに向かってため息混じりに息を吹きかけてみた。
「フッ」
ポンッ。
「わっ」
一瞬ヨリシロが爆発した、かのように思えた。目の前が真っ白になったのだ。
しかし持っていた指や手には熱さなどない。
いや、というか持っていたはずのヨリシロがなくなっている。
息を吹きかけた勢いで落としたか?
と思って目の前の机の上や床の方を見ていると、前の方から、
「ふぁ〜。眠いなあ」
と声が聞こえた。
——俺の声で。
「え?」
驚いて視線を上げる。
するとそこには、半透明の俺が立っていた。
半透明の俺は徐々に色濃くなっていき、やがて完全に俺の姿かたちになった。着ている服も今俺が着ているものとと同じだ。
「え? え? なんだこれ」
目の前にいる自分を見て動揺する俺。
誰だって動揺するだろ、こんなもの。
「あー肩凝った」
目の前の俺は首を回し、骨をボキボキと鳴らした。
まるで俺みたいだ。
なんて考えている場合か。
「なんなんだお前は?」
「俺はベルクだ」
「……いや、ベルクは俺だが」
「じゃあ同じだな」
「同じなわけ——」
ないだろ、と言いかけて、俺はハッとした。
ヨリシロに息を吹きかけた結果、こいつが出てきたのだ。
ということは、こいつが『人に似た何か』ということなのか。
まあ確かに、あくびをして首をぽりぽり掻いている目の前の俺は、俺に似た何かと言えなくもない。
もしそうならば。
師匠のノートを解読した結果は、ヨリシロというのは命を宿したものの命令を聞くというものだった。
ならば一つ命令してみよう。
「おい、この部屋の片付けをしろ」
「お前がやれよ」
「……」
あっれー。
おかしいな。俺の解読が間違っていなければ、命令を聞くはずなんだが。
俺は師匠のノートを確認する。ヨリシロについて書かれているページはほとんど絵だけで構成されているから、解読ミスをしていてもおかしくはない。
しかし何度見ても、何度解読しても結果は同じだった。
「腹減ったなー」
目の前の俺は気怠そうに言いながら、床に寝転んだ。頭の後ろで腕を組んで仰向けで寝始めるヨリシロの俺。
なんか、さすがにうざくなってきた。俺って人から見たらこんなのなのか?
いや、さすがにこれはない。俺はこんな怠け者じゃない。
「こいつを消す方法……」
ノートのページをめくってうざい方の俺を消す方法を確認する。しかしどこにもそれらしきことは載っていない。
まさか、消えないのか?
ずっとこのまま?
いやいやいや、それはいくらなんでもまずいだろ。
自分と同じ姿の奴がもう一人いるなんてややこしすぎるし、なんと言ってもうざすぎる。
くそっ、早くなんとかしないと。
ぐーすかと寝てる奴を睨みつけながら、頭を掻き毟っていると。
ガチャリ。
扉が開く音がした。
思わず俺は机の陰に隠れる。
「おはようござ——、ちょ、ちょっと、ベルクさん! どこで寝てるんですか!」
セーネの声だ。
この時まで気づいていなかったが、窓から差し込む光がかなり強くなっている。つまり出勤の時間になっていたのだ。
「よう」
俺の声だが、俺の発した声ではない。ヨリシロの返事だ。
俺は机の陰から頭を出して、様子を見た。
あれ? 俺はなんで隠れてるんだ?
別にやましいことをしているわけじゃないのに。
「よう、じゃないですよ。長官になったんですから、床なんかで寝ないで下さい」
「長官じゃなかったらいいのか?」
「バカなこと言ってないで起きてください」
「やれやれ」
めんどくさそうにヨロヨロと立ち上がるヨリシロ。セーネは腰に両手を当てて、困った顔でヨリシロを見ていた。
どのタイミングで出ていけばいいか分からない俺は、二人の様子を観察しながらも、頭の中でヨリシロを消す方法を模索していた。
「腹減ったなあ」
立ち上がったヨリシロが呟く。
「パンで良ければ私のをあげますよ。食べますか?」
セーネが背負っていた鞄を下ろした。
紙がパンを食うのか疑問だが、それを言うなら紙が喋るのも疑問か。
と、そのときだった。
俺の目の前で衝撃的な事件が起こった。
「セーネ、好きだ」
「ふぇっ⁉︎」
——⁉︎
俺は目を疑った。
ヨリシロが急にセーネに愛の告白をしやがった。
さらに、
「んんっ⁉︎」
ヨリシロがセーネに口付けをした。
しかも意味不明だが彼女の胸を揉んでいる。
セーネは目を丸くしてヨリシロの手を引き剥がそうとしている。
「何してんだ!」
見かねた俺は机の陰から出て二人の元へ駆け寄り、ヨリシロの頭にげんこつを落とした。
かなり手応えはあった。のだが、ヨリシロはふにゃふにゃと崩れ落ちたあと、パッと消えて人型の紙だけが床に残った。頭の部分がひしゃげている。
「んえっ? ベルクさん? あれ?」
涙目のセーネが俺を見て驚愕していた。
「すまんセーネ。今のは俺じゃないんだ。見た目は俺だが」
俺は床に落ちた紙を拾い上げる。
「え? ベルクさん……じゃない……?」
「信じられないかもしれないけど、師匠の占術ノートの通りにやってみたらもう一人俺が出てきたんだ」
自分がこんな説明を受けても、信じられるわけがないが、しかしこれ以外に説明のしようがない。
突然、セーネがふにゃふにゃっと全身から力が抜けたかのように崩れ落ちた。
思わずセーネを支える。彼女のうるうるした目が俺の胸を締め付けた。
「本当にすまん」
「い、いえ……。ちょっとびっくりしただけです」
「立てそうか?」
「それが……足に力が入らなくて……」
「そうか。じゃあしばらくこうしてるか」
いつ誰が部屋に入って来てもおかしくないが、この状況を見ただけで変な勘違いをする奴はいないだろうし、ちょっと説明すれば分かってくれるはずだ。
しばらくセーネを支えていると、彼女が落ち着いていくのが目に見えて分かった。
二人で無言のまま時が過ぎるのをただ待っていたが、ふと、セーネが俺を見上げて訊いてきた。
「ベルクさん、結婚……するんですか?」
「結婚? ああ昨日のあれか。しないよ。ちょっと占ったら『先生』って呼ばれるようになっただけさ。ダンジョン攻略にも誘われたけど、断ったし」
言うと、セーネがジト目になった。
「また女性をナンパして占いをしてたんですか。いつか刺されますよ」
「別にナンパしたわけじゃないって。というかナンパなんて一回もしたことないぞ」
「何言ってるんですか。私が占術庁に入ったのはベルクさんがナンパしてきたからですよ。もう忘れたんですか」
セーネはため息をついてから、俺の肩を杖代わりにして「よっ」と立ち上がった。
「もう大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃありません」
「え?」
立ち上がったセーネの顔が近づいてくる。
最近こんなシーンを何度か見た記憶がある。
この後、何が起こるのか容易に想像がついた。
「ちゅっ」
セーネの小さな唇が俺の唇に一瞬だけくっついた。
またキスだ。今度のキスはかなりかわいいキス。チューと呼んだ方が相応しいかもしれない。
チューをしたセーネはくるっと半回転して背中を俺に向けた。
「これは仕返しです」
ヨリシロのキスの仕返しらしい。あいつは俺じゃなくて紙なんだけど。
と心の中でツッコミを入れつつ、ヨリシロに少し感謝していた。
可愛い女の子にキスをされるなんて、人生で何回あってもいい。
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