第12話、夢の世界……?(1)

「ここは……どこ?」

 僕は高嶺さんが呼んだ救急隊に搬送されて、それで……そこからの記憶が無い。あたりを見渡すと、何もない真っ暗な空間に12個のドアが立っている。おかしい、ドアが全て、単体で立っている。それも等間隔で、時計みたいだ。


カーン……。


 鐘の音が聞こえる。地面からぽわっと、何かが光る。

「時計の針……?」

それは、時計の針のように見えた。しかし、時針でも分針でも秒針でもない。ただ一本の道だった。針は1時の方向を指し、「進め」と示しているように見えた。

「なんとなくだけど、ここは高嶺さんもアカネも助けに来てくれそうにないな……」

「何か起きるまでに、【貞力】を溜めて……あれ?」

 僕はいつものように妄想で【貞力】を溜めようとした。しかし、思考が上手く定まらない。えっちな妄想ならいくらでもできるはずなのに、今日に限ってはできない。それにもかかわらず、膨大な【貞力】が下腹部に溜まっていくのを感じた。

「えっちな妄想をしてないのに……なんで?」

「でも、【貞力】が使えるなら問題無いかな。……進もう」

 

チク、タク、チク、タク……。


 僕は進む。まっすぐ進む。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は開ける。迷わず開ける。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は入る。足を踏み入れる。


チク……タク……。


「───ここは……?」

 そこに広がっていた光景に、僕は既視感を覚える。ここは、この前アカネとクレープを食べた公園? 明らかに見覚えのある遊具がある。滑り台、ブランコ、鉄棒、ジャングルジム……やっぱりそうだ。ここは近所にある公園に違いない。なぜドアを開けたらここに繋がっていたのだろう。僕はさっき入ってきたドアを見る。

「あれ……?」

 そこにはもう、ドアは無かった。

「……仕方が無いから、とりあえずベンチにでも座るか」

 何故だか分からない。何故だか分からないが、無性にベンチに座りたくなった。そして僕はベンチに腰掛けると、うとうとと、眠りについてしまったのだ。

「……ねぇ」

 声が聞こえる。かわいらしい声、女の子の声だ。甲高い声、小さい子供の声だ。

「……ねぇ、おきてってば」

「むー……なに?」

 僕は寝ぼけた目を擦ってベンチから降りようとする。

……降りようとする?

「わーっ!! あぶない!!」


ドサッ!!


「いてて……」

 ベンチが高すぎる。一体どうして、こんな高いんだ。いや、違う……。僕は自分の手を見た。

「……小さい」

「ち、ちいさい!? さっちゃんにくらべたらわたしのほうがおっきいんだもん!!」

「ちょっ、いたいいたい、やめて……」

 目の前に居た女の子が僕の頭をぽかぽかと殴る。普段ならあまり痛くないはずの弱い打撃だが、その攻撃に対して思わず屈んで防御姿勢を取ってしまう。

「ご、ゴメンって……」

「ふーん、わかればいいのよ、わかれば!!」

 目の前の女の子に許してもらったところで、僕は改めて彼女の姿を見た。

 小学校低学年くらいだろうか、それとも就学前か……とにかく、背の低い女の子がそこに立っていた。背の低いと言っても、今の僕より少し高いくらいだったが……。  フリルの付いた可愛らしいワンピースをふりふりとさせていて、子供なりのオシャレという感じだった。僕がじっくりと観察していると、彼女は幼い笑顔をこちらに向けてきた。その笑顔を見て、心臓をきゅっと掴まれたような感覚に襲われた。

(ボ、ボクはロリコンなんかじゃないぞ……)

「えへへー、さっちゃん。どう? これママにかってもらったんだー!! かわいいでしょー!!」

「え、あ、うん。か、可愛いね!」

(さっちゃん……? ボクのことか……?)

「き、きみは……?」

「……? さっちゃん、どうしたの? やっぱりいたい?」

「う、うん。さっき頭打っちゃって、名前思い出せないんだ」

 僕はとっさに嘘をついた。頭なんて打っていなかったが、記憶喪失の振りをすれば彼女の名前を聞き出せると思ったんだ。

「……たいへん!? わたしのなまえおぼえてないなんて!! わたしのなまえはね───」


ザザーッ!!


 空間にノイズが走る。世界が回転し、反転し、暗転する。飲み込まれる。落ちていく。落ちていく。落ちていく……。


「ここは……どこ?」

 僕の身体はいつの間にか小さくなっていて、そこに居た女の子の名前を聞こうとした。それで……そこからの記憶が無い。あたりを見渡すと、何もない真っ暗な空間に12個のドアが立っている。おかしい、ドアが全て、単体で立っている。それも等間隔で、時計みたいだ。


カーン……。


 鐘の音が聞こえる。地面からぽわっと、何かが光る。

「時計の針……?」

 それは、時計の針のように見えた。しかし、時針でも分針でも秒針でもない。ただ一本の道だった。針は2時の方向を指し、「進め」と示しているように見えた。


「行こう」

 何故だかは分からないが、僕の脚は自然とそちらに向かっていった。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は進む。まっすぐ進む。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は開ける。迷わず開ける。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は入る。足を踏み入れる。


チク……タク……。


「───あれ、ここって……?」

 ここは、僕の家だ、僕の家のはずだ。何故か、そんな気がした。僕が一人暮らしをしている学校近くのマンションとは明らかに違う一軒家なのに……。外見からして、僕みたいな安いマンションを借りている学生には手に入らないはずの家なのに……。 僕の右手には、見たことのない……いや、知っている感覚の鍵が握られていた。

「ボクは……この鍵を、この家を……知っている?」

 ドアに鍵を差し込み、開ける。すると、見知らぬはずの男女の声が聞こえてきた。

「「おかえりー」」

「た、ただいま……」

(おかえり……? 誰の声だろ? 女の人と男の人……どっちも聞いたことないはずなのに、どこか懐かしい気がする)

 僕は玄関で靴を脱いで、家に上がった。

「父さん……? 母さん……?」

「ん? どうしたんだ。そんなお化けを見るような顔をして」

「あら、酷い顔よ? 疲れてるんなら早くお風呂入って寝なさい。ご飯できてるわよ」

 分からなかった。目の前に居る二人が誰なのか、分からなかった。でも、でも……とても懐かしい気持ちになって、涙が流れそうになった。思い出せないけど、多分この二人は僕の両親だ。何故忘れていたんだろう。何故僕は今一人なんだろう。

(でも……今はそんなことどうでもいいや、お腹空いたな)

 僕は夕飯を食べた。トンカツとご飯と味噌汁とサラダ、定食みたいだった。こんなおいしいトンカツは初めてだ。懐かしい。こんなおいしいごはんは初めてだ。懐かしい。こんなおいしい味噌汁は初めてだ。懐かしい。こんなおいしいサラダは初めてだ。懐かしい。こんな楽しい食卓は初めてだ。懐かしい。

 会話が弾む。口から勝手に言葉が出る。今日の学校のこと、クラブ活動のこと、全部僕の記憶にないことなのに、何もかもが懐かしい。

 お腹を満たして、宙を仰ぐ。からからと皿を濯ぐ音を聞きながら、僕は瞳を閉じた。


ザザーッ!!


 空間にノイズが走る。世界が回転し、反転し、暗転する。飲み込まれる。落ちていく。落ちていく。落ちていく……。


「ここは……どこ?」

 僕は父親と母親に会って、一緒にご飯を食べて、お腹いっぱいになって眠った。それで……そこからの記憶が無い。あたりを見渡すと、何もない真っ暗な空間に12個のドアが立っている。おかしい、ドアが全て、単体で立っている。それも等間隔で、時計みたいだ。


カーン……。


 鐘の音が聞こえる。地面からぽわっと、何かが光る。

「時計の針……?」

 それは、時計の針のように見えた。しかし、時針でも分針でも秒針でもない。ただ一本の道だった。針は3時の方向を指し、「進め」と示しているように見えた。



「……行かなきゃ」

 何故だかは分からないが、僕の脚は自然とそちらに向かっていった。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は進む。まっすぐ進む。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は開ける。迷わず開ける。


チク、タク、チク、タク……。


 僕は入る。足を踏み入れる。


チク……タク……。


───熱い。何かが燃えている。いや、何もかもが燃えている。目に入る全てが燃えている。何もかもが燃えて塵になる。火事や事故ではない。もっと禍々しい何かが起きている。

「ボクの、家が……」

 僕の家だけではない。周囲の全ては火に包まれていて、その劫火はこの街全てを覆っているだろう。或いは、それ以上の被害を起こしているかもしれない。この世のものとは思えない火柱が、成層圏を突き抜けていく。一つ、また一つと、全ての存在が消滅していく。物質は塵へ、塵は虚無へと還っていく。

 逃げ惑う人など居ない。逃げ惑う鳥など居ない。逃げ惑う動物など居ない。ここには、全ての生物が居ない。全ての生命はすでに、焼き尽くされていた。

「父さんは……母さんは……?」

 燃え落ちる自宅を見て狼狽していると、また知らないはずの記憶が、忘れていた記憶が、流れ込んでくる。それらは、大した思い出ではなかったが、何故か僕はそれを「幸せだった」と思った。欠落していた僕の一部が、そこにあった。

 大きな火柱が立つ。成層圏へと消えていく。僕の家があったはずの場所にも、それは訪れた。ひと際大きな炎が全てを飲み込むと、そこにはもう、何も無かった。たった一人の少女を除いて。

「───ちゃん!?」

 僕はその少女に声をかける。名前を呼んで……名前……?

「さっちゃん……さっちゃん……!!」

 少女は僕の声に気づかない。あの時の女の子、少し大きくなったけど、僕より小さい女の子。僕の友達で、───で、何度も遊んでくれたあの女の子。何度も、何度も、何度も声をかけるが、届かない。少女は腕に何か抱いているように見えたが、僕にはそれが何なのか分からなかった。分かりたくもなかった。

 僕は耐えがたい苦しみと、心地よい抱擁の中で、瞳を閉じた。


ザザーッ!!


空間にノイズが走る。世界が回転し、反転し、暗転する。飲み込まれる。落ちていく。落ちていく。落ちていく……。

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