番外編 踏み台令嬢の妹・3
お姉ちゃんの話は当然プラムさんの耳にも入ってるはず。
プラムさんは人を貶めたりするような人じゃない。絶対私が傷つくような言葉は書かれてない、と思う。
(だから、逆に『噂なんて気にしないで戻ってきて欲しい』なんて書かれてるかも……)
もし、そんな綺麗事が書かれていたら――不安に震える手で恐る恐る開いた手紙には、プラムさんの丁寧で読みやすい文字が綴られていた。
<リウシュ嬢、君が学校に来れない気持ちは痛いほど分かる。君やサリーチェ嬢の噂する人達を見かけてはやめるよう呼びかけているが、一向に収まる気配がなく……この状況で君に戻って来てほしいとは言えない>
想像していた言葉とは真逆の言葉にどっと肩の力が抜ける。
綺麗事を言わずに正直に現状を伝えた上でこう言ってくれるプラムさんの誠実さと優しさが胸にじんわりと染み渡っていく。
<それでも僕は君が学校に戻ってこれるよう、できる限りの事をするつもりだ。だから今はただただ心身を休めてほしい。いつか、噂が落ち着いて君とまた本の話ができる日が来るのを待ってるから>
温かい言葉に涙が込み上げてくる。駄目、ちゃんと全部読んでからにしなきゃ。
ハンカチで涙を拭って、改めて手紙に向き合う。
<休学中の気休めになればと思い、書物庫で見つけた本の中で君が好みそうな本を送る。卒業パーティーの日に渡した本も読んだかどうか分からないから一緒に。学長に許可をもらってるから返却期限は気にしないで。読める時に読んで欲しい>
チラ、と本に目を向けるとかなり読み応えがありそうな厚い本が5冊――その中に<引き裂かれた愛>もあった。
(そうだ、本の感想、伝えなきゃいけなかったのに……!)
感想も書かずにそのまま返したから読んでないと思われちゃったみたいだ。
状況が状況だっただけにプラムさんは気にしてないみたいだけど――
(今すぐ手紙を出したいけど……せっかく他の本も送ってくれたんだから全部読み終えてから、の方が良いよね!)
心の暗闇の中に差した暖かい光が徐々に広がっていくような感覚を覚えながら、送られてきた本を手にとってみる。
身寄りのない女性が高位貴族の男性に助けられて幸せになる物語は優しく私を空想の世界に引き込んでくれた。
そうして私はプラムさんが送ってくれた他の本も1日かけて1冊ずつ読んで――そこからまた数日かけて、心配してくれたお礼や送られてきた本の感想を便箋に綴った。
本を読んでいる間も、プラムさんに失礼がないよう一生懸命文章考えてる間も、楽しかった。
まだ前みたいにウキウキ、ワクワクって感じにはなれないけど――少しずつ元気が戻ってきてるのを感じる。
(……またプラムさんに助けられちゃった)
図書室で私を守ってくれた時と、今と――
(……もしかしてプラムさん、私の事、好き……なのかな?)
そんな考えが過ぎると何だか凄く気恥ずかしくなって激しく首を横に振る。
(駄目駄目、プラムさんは優しいから! 私の事を心から心配してくれてるだけ……!)
そう思っても、自意識過剰な胸がソワソワしてどうにも落ち着かず。
変な事を書いてないか何度も推敲した手紙を送られてきた本に添えてプラムさんに送ってから、数日後――
「ねえ、あなた……この令嬢、サリーチェじゃないかしら?」
朝食の際にお母様が新聞をお父様に差し出した新聞には<
今巷で噂になってる令嬢――引き籠もってる私には巷の噂なんて全く来ないけど、姉妹の勘ってやつかな――私もお姉ちゃんだ、って思った。
まさか領主様の家の馬に踏まれるなんて、一体何やらかしたんだろう?
お父様は既にその新聞に目を通していたらしく、一つ重い溜息をついて肩を竦めた。
「……名前が載ってない。サリーチェじゃないかもしれないだろう? 仮にサリーチェだとしても、もう勘当したのだ。うちは関係ない」
「そんな……! もしあの子だったら、あの子、随分と酷い目にあって……!!」
「……新聞にはダンビュライト公爵家の子息に癒やされたと書いてあるだろう?」
「体が癒えてるから問題ない、なんて話ではありません……! 家を追い出されて辱めを受けたあの子の心はきっと今、深く傷ついているはずです……せめて一目、会いに」
会いに行きましょう――そう言いかけたお母様の訴えはお父様の厳しい表情に遮られる。
「……会ってどうする? 戻って来いと家に連れ帰るのか? それともうちでは面倒見きれません、と侯爵家に放置して戻ってくるのか?」
「そ、それは……」
お父様が厳しい態度になるのは分かる。会いに行って、本当にお姉ちゃんだったら――何かしら動かないといけない。
この領地を治めるペリドット家に頭を下げて、お姉ちゃんを引き取る――そんな光景を想像した途端、食事の手が止まる。
そんな私を見たお父様は今度は一つ長い溜息をついて、お母様に視線を戻した。
「……私達の子はサリーチェだけではない。私達はともかく、リウシュとサウセまで不幸にする事は出来ない」
お父様の言葉に押し黙ったお母様と目が合う。悲しげな表情を浮かべられて耐えかねて私は視線をそらしてしまった。
私は――お母様みたいにお姉ちゃんを心から心配する事が出来ないから。
「……恐らくサリーチェも私達の所に帰りたくないとゴネているだろう。もしお前の言う通りその令嬢がサリーチェならば、そのうち領主様から何か言ってくる。こちらが動くのはその時で良い」
お父様から淡々と宥められるお母様の、フォークを持つ手が震えているのを見て、胸がギュッと押し潰されるような気持ちになる。
だけど、私はお父様の言葉に安心してしまった。もうお姉ちゃんに関わりたくなかった。
食事を終えたお父様とお母様と弟が食堂から離れた後、テーブルに残された新聞を手にとる。
令嬢が馬に踏まれる、なんてゴシップ的な見出しの癖に、記事はその令嬢が複数人に暴行を受けたり毒を盛られた形跡がある事が書かれていて、民に注意を促す重い内容だった。
辱め――確かに、普通の令嬢なら心、身体、名誉の全てに置いて大きな傷がつく。だからお母様があんなに辛そうな顔をしていたんだと納得した。
でも私は何ていうか、現実味がないと言うか――お姉ちゃんが傷ついてシクシク泣いてる姿が今いち想像できない。
これまで何回も男の人に愛想尽かされても愚痴ったり怒ったりばっかりだったし。
だからペリドット邸でも『何で私がこんな目に合わなきゃいけないのよ!?』って怒鳴り散らかしてるんだろうなと思うと、ペリドット家に対して酷く申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
辱められたお姉ちゃんを心配できないなんて、最低な妹だと思う。でも、今お姉ちゃんにここに戻ってきてほしくない。
(最低なお姉ちゃんだもん。私だって最低な妹になるわよ……)
そんな私達家族の心境を表すかのように数日どんよりとした空から雨が降りしきる中、プラムさんからまた手紙と本が数冊届いた。
<選んだ本、気に入ってくれて良かった。僕も君と本の話をするのは楽しい>
私が書いた感想に対するプラムさんの丁寧な感想も添えられていて、読んでいくうちに段々心の靄が薄れていく。
お父様もお母様も弟も私を心配して、労ってくれるのは分かるけれど、そこにはお姉ちゃんの影がある。
お姉ちゃん抜きで接してくれるのは――本当に私の癒やしになってくれるのはプラムさんだけだ。
<また君が気に入りそうな本を送る。君の日常の癒やしになれば嬉しい>
送られてきた本を見ると一冊目同様、焦げ茶色の革表紙に黄緑色の銀箔で箔押しされている
(えっと、一冊目の<引き裂かれた愛>は王子と踊り子が出会って、周りの反対から王子は踊り子を城の隠し部屋に連れて行って……しばらくは幸せに過ごしてたんだけど踊り子が姿を消したところで終わったんだよね)
次のタイトルは<禁断の愛>――これもかなり悲恋物な感じがするけど、暗い気分より読みたい気持ちが勝り、恐る恐る本を開いた。
踊り子が消え、王子は錯乱した。隠し部屋は王族にのみ知らされている秘密の部屋だからだ。
王子はまず自身の両親である王と王妃に詰め寄った。王は認めた。
しかし年老いて床に伏せる事が多くなった王が全てを一人で行うとは考えづらく、隠し部屋から踊り子を連れ出した共犯者が他にいるのは明らかであった。
しかし、父王は全て自分が行ったのだ、と頑なに共犯者の名を明かさなかった。そしてそのまま、亡くなった。
誰が連れ出したのか――疑心暗鬼になった王子は家族も家臣も友を信じる事が出来ず、ひたすら荒れ狂い、踊り子を探す為に城を空ける事が多くなった。
そんな中、王妃までもが亡くなる。
直接の死因は流行り病にかかった事が原因ではあったが、王子の横暴に対する心労が元々体の強い方ではない王妃の寿命を一層縮めたのは明らかだった。
いつも自分を希望の眼差しで見つめてくれた両親が死の間際に映したのは、自分の最も醜い姿――
気高く優しい両親が光のない瞳を力なく閉ざし、涙を零す不幸な最後を迎えた事で王子はようやく己の行いを悔い改め、せめて自分の役目を果たそうと王位を継ぐ。
王子は家臣も友も誰一人信じられない中で<王>となった。
しかし、かつての熱意はもはやなく。ただ国を生き長らえさせる為に虚ろな頭を働かせ、あてがわれた女性を娶って息子と娘を成し、国と兄妹の成長を虚ろな眼で見守っていた。
神童、天才と唄われていた王子が無気力な王と成り果てた、ある日――王は荒れ狂って踊り子を探し求めていた頃に知り合った異国の商人から、踊り子が死んだ事を聞かされた。
王は商人の言葉を信じなかった。しかし商人は踊り子の遺髪を持っていた。その髪の毛は紛れもなく王が愛した踊り子の物だった。
そして、異国の商人は『自分なら踊り子を生き返らせる事も可能だ』と告げてきた。
死んだ者の体を復元し、天に上がった魂を呼び戻せる、蘇生術。
神に選ばれた者が、神に許された者に対してのみ使えるという、誰も見た事がない神秘の術はお伽噺の中にしか記されていない。
王は知っていた。<人>が人を生き返らせる事など出来ない事を。
だが――王は気づいていた。眼の前の商人が、人の面を被った<悪魔>である事に。
人が人を生き返らせる事は出来ない――では、悪魔ならどうだろうか?
王は、踏み入ってはならない領域に足を踏み入れようとしていた。
(ど、どうなっちゃうんだろう……!?)
まるで自分がそうだったかのような綿密な心理描写にどんどん引き込まれて、一冊目と同様一気に読み終えてしまった。
(確か、三冊あるって言ってたよね……三冊目は!?)
三冊目も送られてきてないかな――と他の本も確認したけど、作家名が
(うう……手紙に三冊目読みたいって書かなきゃ……!)
送られてきた本をどんどんと読んでいく。<禁断の愛>以外の本はやっぱり全部ハッピーエンドのお話だった。
辛い目にあった少女が同じように心に傷を持っている少年と出会って一緒に未来へと歩みだす本や、濡れ衣を着せられた女性が頼りになる男性に支えられて自分でも気づいていなかった才能を開花させる本は私を励ましてくれた。
辛い目にあった女性が、幸せになる物語――それは私にもそうなって欲しい、とプラムさんが願ってるような気がして。
でも、それを直接聞くのは恥ずかしくて――
そんな風に――辱められた姉を思いやる事もせず、部屋に籠もって恋に浮かれながらただただ物語の世界に没頭していたバチが当たったのかも知れない。
また本の感想を手紙に綴ってプラムさんに送った数日後――新聞にお姉ちゃんの訃報が載った。
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