番外編 踏み台令嬢の妹・2
<引き裂かれた愛>と題されたそれは、一国の王子と異国の踊り子との恋物語だった。
王子は他に兄弟がおらず、親や信頼のおける家臣達の愛と信頼を一身に受けて健やかに、優秀に育った。
ある日、王子は魔物討伐の際に立ち寄った辺境の街で軽やかな舞いを踊る異国の踊り子に出会い、一目惚れする。
翼が生えているのかと思うほど美しく舞う踊り子に王子は率直に愛を打ち明け、城に招き入れた。
だが身分差を看過できない家臣達や、自身の娘と王子の婚約を目論んでいた貴族達、異国の踊り子の血が王家に混ざる事を良しと思わぬ民達が一斉に反対した。
踊り子の煌めく栗色の髪や鮮やかな藤黄の瞳の美しさ、
ただただ冷淡な視線が王子と踊り子に向けられる。親である王と王妃も、親友も王子達に複雑な視線を向けていた。
このままでは彼女と引き裂かれてしまう。彼女を失いたくない。
だが、愛する家族や民も、これまで積み上げてきた信頼も失いたくない――
追い詰められた王子は強引に城の隠し部屋に踊り子を監禁してしまう。
一体これからどうなるのか――すっかり小説の世界に引き込まれていた私を現実に引き戻したのは、荒々しく開かれたドアの音だった。
驚いて振り返るとお姉ちゃんが顔を真赤にして、泣きながらクローゼットからトランクを取り出し、あれこれ私物を詰め込みだした。
「何よ、皆してあたしの事馬鹿にしてぇ……!! もうこんな学校に用はないわ!! 出てってやる!!」
「お、お姉ちゃん、とりあえず落ち着いて……!? 何も今から出ていかなくても明日の昼の馬車で帰」
「うるさい! あたしもう一秒でもこんな所にいたくないの!!」
お姉ちゃんは乱雑に私物を詰め込むなり部屋を飛び出してしまった――ドレス着のままで。
まあ、うちが用意できるドレスなんて大したものじゃないからあれで馬車に乗ってもそこまで悪目立ちしない。
それにお姉ちゃんは卒業だから出て行くのは当たり前だし――追いかけて引き止める程の気力はなく。
お姉ちゃんが残していった服や私物は明日私がまとめて持って帰れば良いか――と再び本を手にとって物語の世界に入り込んだ。
――踊り子を狭い空間に押し込めた事に王子は罪悪感を抱いていた。しかしそれより何倍も甘い、とてつもなく甘美な幸せに酔いしれた。
そして周囲は踊り子がいなくなったと喜び、再び王子を尊敬の目で見るようになる。
誰の邪魔も入らず、誰にも迷惑もかけず、二人の時を過ごせる――何を失う事もなく、全てを手に入れる事が出来た王子はこれまでにも増して国に尽くす。
その中で王子は踊り子との二人きりの時間を何より大切にしていた。
しかし、そんな生活を続けて数節。辺境で魔物が暴れ、王子が討伐に出て再び城に戻ってきた時――隠し部屋から踊り子の姿が消えていた。
(えっ、ここで終わるの……!?)
読みやすい文体と丁寧な猫写に読み終えてしまった時にはもう21時を回っていた。
優秀で見目麗しい王子の美しくも狂気的で背徳的な愛や、愛に生きるか王として生きるかの葛藤が痛いほど心に刺さり、夕食を食べ損ねた事なんて気にならないくらい熱中してしまった。
(……あ、そう言えばプラムさん、これ続き物だって言ってたっけ)
これは早く続きが読みたい――でも明日から長期休みだ。プラムさんって明日、図書室にいるかな?
プラムさんが私の感想を待ってる。早く感想伝えたい。駄目元で家に帰る前に図書室に寄ってみよう。もしかしたら2冊目も貸してもらえるかも知れないし――
ワクワクとドキドキが同居して忙しない私の気持ちに思いっきり冷水が浴びせかけられたのは、その直後だった。
ノック音がしてドアを開けると、寮母さんが立っていた。食事が乗せられたトレーを持っている。
「リウシュ嬢……今日夕食を食べましたか? 一食分残っていたから、もしかしたらと思って」
「あ、いえ……ごめんなさい……!」
ご飯、今まで食べ損なった事無かったけど、こうやって確認が入るんだ――申し訳無くて平謝りすると、
「いいのよ……あんな事が起きたら恥ずかしくて食堂に来れないわよね。あんなお姉さんを持って、本当お気の毒ね……」
「……え?」
「あら、さっきお姉さんが出ていった時に聞いてないの? 実はね……」
寮母さんはお姉ちゃんが卒業パーティーでやらかして糾弾された事を教えてくれた。
これまで学校で散々迷惑をかけてきたお姉ちゃんだけど、皆大人だから表立って問い詰めようとする人はいなかった。
でも、卒業パーティーで前々から嫌がらせしてるらしい人のドレスをワインで汚した事を発端にこれまでの行いを厳しく追求されたらしい。
それを語る寮母さんの眼差しには敵意も悪意も無い。ただ純粋に私を心配――哀れんでいる。
嘲笑されるよりずっとマシだけど――本の感想を書く気持ちが大きく削がれていく。
(……こんな気持ちで無理やり感想書いても仕方ないよね。とりあえず今日はもう寝ちゃおう)
全くもう、お姉ちゃんってば最後まで迷惑なんだから――
そんな、楽観的な自分の判断を後悔したのは翌朝。
朝食を食べに食堂に降りた私は一斉に嫌な視線と嘲笑を向けられる。
「あの子は関係ないのだからお止めなさい」と何処かで小さく嗜める声も聞こえては来たけど、私の傍に来て、表立って庇ってくれる人なんて一人もいなくて。
今までにない位多くの人の視線とヒソヒソ声に、足が震える。皆が私を見ている。踏み台令嬢の妹として。散々周りに迷惑をかけて、騒がせてきた女の妹として。
お姉ちゃんはもういない。でも、私は後2年、あの学校で、この寮で過ごさなきゃいけなくて――
そう思ったら、もう、駄目だった。
食堂に背を向けて部屋に戻り、最低限の私物だけまとめてイサ・アルパイン行きの馬車に乗って実家に帰り、お父様に泣きついた。
「お姉ちゃんの存在が恥ずかしくて、私、もう、学校行きたくない……!!」
私の突然の訴えにお母様はお姉ちゃんのやらかしに気を失い、お父様は激怒した。
そして一足早く帰ってきたお姉ちゃんを呼び出して状況を確認した後、激しい言い争いになって――お父様はお姉ちゃんを館から追い出した。
でも、お姉ちゃんと縁が切れたからって『お姉ちゃんと縁が切れたし、学校に通おう!』なんて気持ちに到底なれるはずがない。
だって、お姉ちゃんがいなくなっても私は踏み台令嬢の妹である事に変わりない――あのヒソヒソと耳障りな雑音と嘲笑や哀れみの視線を向けられる場所に戻りたくなかったから。
お父さんに退学したいって言っても「休み明けには噂も消えてる」と聞いてもらえず。
その上、卒業パーティーの一件が新聞に載ってこの街にも一気にお姉ちゃんの悪評が広まって、学校どころか外に出る事すら億劫になってしまった。
この街の人は皆お姉ちゃんがどういう人間か知ってる人ばかりだから笑い者、というよりは同情的な視線が多いんだけど――でも恥晒し、と言いたげな冷たい視線も混ざってる。
外に出たり学校の事を考えると億劫どころかキリキリと胃が痛むようになって、部屋から出られなくなってしまった。
(あ……本、返さないと……)
プラムさんから借りた本の事を思い出したのは、長期休みが終わりに近づいた頃。
貸し出し票はまだ作ってないって言ってたけど、寮の机の上にずっと置きっぱなしなのはどう考えても不味い。
もう一回「退学したい」ってお父様に訴えると「噂が落ち着くまで休学しなさい」と却下される。
分かってる。お父様は私を心配してくれてる――同時に私が良い家に嫁げる機会を失う事を恐れてる。
この街じゃお姉ちゃんの性格が知れ渡ってるしその上悪評も広まって、とてもじゃないけど私の縁談は望めない。まして良い縁談なんてとても望めない。
それは私も物凄く分かってたから、それ以上強く言えなかった。
仕方なく学校に休学届と、本の事を綴った手紙を送った。
そして長期休みが明けても自分の家から一歩も出られず、無気力に過ごしていたある日――プラムさんから1通の手紙と、数冊の本が届いた。
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