番外編 踏み台令嬢の妹・1
授業が終わり図書室に向かう道すがら、すれ違う生徒達の半分位が私を怪訝な目で見据えてくる。
「ほら、あの子が例の……」
「まあ……お気の毒に……」
嫌な視線を向けられる度――通り過ぎた人達から憐れみや侮蔑の言葉が聞こえてくる度、心に陰りが差し、軽やかだったはずの足が急に重くなる。
でも、こんな所で立ち止まって落ち込んだって良い事なんて、何一つ無い――強引に心を切り替えて私は図書室へと向かった。
私――リウシュ・フォン・ゼクス・ウィローの存在は、私が貴族学校に入学する前から知られていた。
<踏み台令嬢>――サリーチェ・フォン・ゼクス・ウィローの妹として。
お姉ちゃんが長期休みで家に帰ってくる時、最初の一年は学校の事色々教えてくれたのに翌年から『家にいる時は学校の事考えたくない』って嫌がられて聞けなくなった。
多分クラスメイトが皆、自分勝手で我儘なお姉ちゃんに愛想尽かしたんだろうな――って思ってたから、まさかお姉ちゃんがここで男を取っ替え引っ替えするふしだらな女として有名になってるだなんて全然知らなかった。
そして私は<踏み台令嬢の妹>として入学してすぐ上級生からさっきみたいな哀れみや侮蔑の視線を向けられたり、ヒソヒソされたり、姉をどうにかしろと説教されたり。
そんな光景を見て同級生達は私を『近寄らないほうがいい人物』と認定したらしく、私は入学早々友達を得る機会を失ってしまった。
くすんだ金髪を三つ編みにした碧眼の女生徒なんて、珍しくも何とも無いのに――お姉ちゃんのせいで。
もちろん、お姉ちゃんに何でこんな事になってるのかすぐに問い質した。だけど、
「全部あたしがモテる事を妬んだ人達の嫌がらせ、デタラメよ! この事、もしお父様にチクったら貴方が7年前に私のアイスクリーム食べた事とか、5年前に木登りしてたら枝にスカートが引っかかってパンツ丸出しで木にぶら下がった事とか、ここで全部言いふらすから!」
って脅されて、お姉ちゃんがあちらこちらの男子に泣きついて粉かけ続けるのを諦観する事しかできなかった。
そもそも、お父様やお母様が散々言い聞かせても聞かないお姉ちゃんが私が怒った所で反省する訳がない。
私にはお姉ちゃんをどうする事も出来ない。お父様にチクったら恥を暴露される。それなら、周りからの干渉をどうにかするしかない――私は全力で考えた。
結果、上級生から何か言われる度に『私もあんな姉を持って恥ずかしいんです。でも私の言う事なんて何一つ聞いてくれないんです。ごめんなさい』と泣きそうな顔で返し続けて約1年――今では私に直接何か言ってくる人はいなくなった。
さっきみたいにすれ違いざまに嫌な視線を向けられたり、未だに横に並んで歩いてくれる友達が一人もできないのは寂しいけど――
(……いいもん。今の私には、図書室があるから)
通い慣れた図書室の入り口――その向こうに男性の姿が見えて足が再び軽くなる。
口角を上げて、笑顔を意識して、一つ深呼吸をした後図書室に入る。
図書室は良い。故郷じゃ読めないような本がたくさん収められているし、席が区切られている場所に座れば誰も私に気づかない。
それに何より静寂が求められるこの場所で、いちいち私を貶めてくるような人は滅多に来ない。それに――
「プラムさん、こんにちは」
「こんにちは、リウシュ嬢」
入り口から少し離れたカウンターで書き物をしている司書さん――プラムさんに話しかけると、彼は顔を上げて優しい笑顔を向けてくれた。
これが私の今日初めてのまともな会話。この挨拶だけでも私、今日ちゃんと授業に出てよかったって思う。
プラムさんとの出会いは、入学して早々に居場所を失った私が図書室に逃げ込んで物語の世界に入り込んでた時。
私の方を見ながらヒソヒソ笑い合う人達の声に現実に引き戻された時、注意してくれた人。
この人に出会ってから私の学校生活に小さな花が咲いた。
ヒソヒソする人達に注意してくれた時点ですごく良い人だなって思ったけど、それ以降も図書室で目が合うと笑顔で会釈してくれて。
勇気出して話しかけてみたら読む本の好みも殆ど一致していて、ちょっとずつ会話を重ねていくうちに私達は好きな本を紹介し合ったりちょっと身の上話ができるくらいに仲良くなれた、と思う。
プラムさんのフルネームはプラム・フォン・ゼクス・フリュニエ――北領とここの境にある都市<イサ・カインド>の男爵家の次男。
親戚のツテを頼って今年からここで働いている、らしい。
見た目が物凄く良い――って訳じゃないんだけど、優しい性格が滲み出た穏やかな顔立ちに栗色の髪と薄茶色の目が綺麗な、4つ年上の素敵な司書さん。
今の私は授業が終わった後、すぐにここに来てプラムさんとちょっとした会話を楽しんだ後、寮の夕食の時間になるまで本を読み耽る事を糧に生きてる。
早く来た甲斐があって今、図書室には私とプラムさんしかいない。
もう少し何かプラムさんと会話できないかな――とカウンターを見ると、見慣れない焦げ茶色の革表紙の本が置いてあった。
「それ……新しく入った本ですか?」
「ああ、この本は昨日、書物庫を整理した時に見つけたんだ。これがなかなか面白くて」
「<引き裂かれた愛>……プラムさんが悲恋物を読むの意外ですね」
黄緑色に煌めく文字で綴られた、あからさまに悲恋っぽいタイトルに素直な気持ちを吐露する。
プラムさんは以前『恋愛ものは登場人物皆が幸せになってほしい』って言っていたから。
「ああ……確かにそうだね。どちらかと言うとタイトルより気になったのはこっちの方なんだ」
プラムさんは少し恥ずかしそうにタイトルの下を指差す。<
この国では『本名で過激な事を書けば迫害されかねない』とか『身バレするの恥ずかしい、でも多くの人に読んで欲しい!』といった理由で作家が偽名や匿名を名乗る事が認められてる。
「これだけ立派な装丁なのに匿名なのが気になってね……ちょっと読んでみたら一気に引き込まれてしまった」
確かに――手にとってしっかり見てみると表紙も裏表紙も厚いこげ茶色の革表紙で覆われてて、タイトルも作家名も焼き印じゃなく黄緑色の銀箔で刻印されてる。
不特定多数の人が触れる図書室の本棚より、高貴な家の本棚が似合いそうだ。
「良かったらリウシュ嬢も読んでみてくれないかな? これを読んだ君の感想を聞いてみたい」
「わ、分かりました! えっと、貸し出し票は……」
「いや、どうやらこの本は3冊の本で構成された続き物らしくてね。まだ続きの2冊に目を通せてないから貸し出し表を作ってないんだ。けど……君に早く読んでほしくて」
そっか。新しい本を図書室に入れる前に変な事書かれてないか確認するのも司書の仕事だもんね――って、
(私に、早く、読んでほしくて……!?)
ドクンと胸が大きく高鳴った後、忙しなく脈打つ。
プラムさんが私の事を意識してくれてるのが凄く嬉しくて、口元がニヤけそうになるのを抑えて本を受け取った。
大分厚い本は図書室が開いてる時間で読み切れそうにないし、このニヤけ顔を見られたらと思うと気が気じゃない。
名残惜しいけど今日は早々に寮に戻って、一気に読み込む事に決めた。
寮の部屋――最悪な事に寮費を少しでも節約したいお父さんのせいでお姉ちゃんと相部屋で、学校より心休まらない場所なんだけど――今日は別だ。
(何故なら今日は卒業パーティー……お姉ちゃんが戻ってくるのは夜! この本をゆっくり読む時間がある……!)
ちなみに下級生は自由参加のパーティーだ。出る気もなければ着ていくドレスもない私は全く関係ない!
一秒でも早くこの本のページをめくりたい――はやる気持ちを抑えて部屋のドアを開けると、下着姿のお姉ちゃんが腕を組んで待ち構えていた。
「リウシュ、遅い!」
私が声を上げるより先にお姉ちゃんの怒声を浴びる。
「お、お姉ちゃん……何でここにいるの?」
「は!? あたし一週間前に『ドレスの着付けの申し込み、忘れてたから卒業パーティーの日、ドレス着るの手伝ってね』って言ったじゃない! 聞いてなかったのぉ!? そんなだから――」
「あー……ごめんごめん、今手伝うから」
お姉ちゃんの言葉は愚痴や不満ばっかりだから大半聞き流してる。それで今みたいな問題が起きたら自分が悪くても悪くなくてもさっさと謝るに限る。
「全くもう……! でももう時間がないからあれこれ言わないけどちゃんとしなさいよね! ほら、コルセットとドレスはそこにあるから、さっさと手伝って!」
私が本当に悪いと思ってるかどうかは関係ない。お姉ちゃんは謝らせたという事実で満足する。それが分かってから少し楽になった。
でも扱いを間違えたらすぐに噛み付いてくる。その上、自分が悪い時は話題をそらして絶対謝らない。お姉ちゃんと接する時の気分はまるで猛獣使いだ。
(さっさとドレス着させて送り出そ……)
プラムさんから借りた本を机に置き、着付けを手伝う。
コルセットの紐通すの面倒臭いなぁ――早く本読みたいなぁ――って考えながらお姉ちゃんに巻き付けたコルセットを固定していると、
「リウシュ……あたし今好きな人がいるの。今度こそ間違いないわ」
「ふーん」
「あたしの悪評なんて私の事をよく思わない女や性格の悪い男達が言いふらしてるだけ、って本当に良い男は分かってるの……!」
お姉ちゃんは可愛い。お世辞抜きに。外見だけは可愛い。お母さん譲りのフワッとした明るい金髪とぱっちり開いた深緑の目も本当綺麗で、羨ましい。
だから騒ぎを起こして泣いてるお姉ちゃんに「可哀想だ」「君だけが悪い訳じゃない」って言ってくれる男達がいるのは分からないでもない。
でも、ちょっとでも優しくしたらつけあがるのがお姉ちゃんだ。お姉ちゃんは「こっちからフッたのよ」と言い張ってるけど、愛想尽かされて捨てられてるんだろう。
そういえば、お姉ちゃんに愛想尽かして剣術大会で別の令嬢に愛を誓った男の人もいたっけ。
あの時は本当、お姉ちゃんも私自身もまとめて穴の中に埋めてしまいたくなるくらい恥ずかしかった。
あれでお姉ちゃんも懲りてくれればいいのに――何故か懲りない。
「これまで性格の悪い男達に騙されてきたけど、今度こそ間違いないわ! ヴァルヌスはファーストダンス、あたしと踊ってくれるって約束してくれたし!」
どうせそのヴァルヌスって人にもフラレれるんだろうな――と思いながらお姉ちゃんにドレスを着せて、髪を梳かしてお気に入りの深緑のリボンをつけてあげるとお姉ちゃんは上機嫌で出ていった。
(長かった……)
この一年間、何度自分自身の恥とお姉ちゃんの悪評による風評被害を秤にかけてた事か。
その度にとにかく一年、一年耐えればいなくなるんだから――とお父様に伝えるのをグッと堪えてきた。
それも今日まで。お姉ちゃんが卒業する――お姉ちゃんさえいなくなれば私の学校生活も、少しは平和になるはず。
少なくとも一人部屋になったら夜は静かに過ごす事が出来る。心休まる場所が増えるだけでも大分気が軽くなる。
(さて、と……お姉ちゃんはパーティー終わるまで帰って来ないだろうし、プラムさんから借りた本読もっと!)
プラムさんが私に少しでも早く読んでほしいと思って渡してくれた本――今日絶対読み切らなきゃ!
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