最終話 鉄人と唄われた侯爵
悪党達の処刑から、半年後――ソールとサリーチェの結婚式の日は天も祝福しているかのような晴天に恵まれた。
お騒がせなカップルの結婚式を一目見ようと各都市の民や貴族、観光貴族や招待客でイサ・アマヴェル中が賑わう。
元々ソールはこれまで品行方正で文武両道で人当たりも良い、完璧な貴公子として通してきた。
その上ソールの性癖は『生きている人間』に向けられるものだったのも幸いだった。
友人や主がちょっとばかり異様な性癖を持っていても、こちらに害がなければ縁を切ろうと思ったり毛嫌いしたりはしないものである。
周囲の貴族も民も、ドン引きし、幻滅した者も少なくないが(表沙汰には出来ないけどそういう人に言いづらい性癖ってあるよね)と思い当たる人間も少なくないのだろう。
心の底から彼らを軽蔑するような者達は極々僅かであった。
そして、結婚式の舞台となるペリドット邸の廊下――主役の一人であるソールは深緑を基調にした色の正装に身を包み、老執事を背にサリーチェの部屋へと向かっていた。
この世界の結婚式は『自分はこの色の持ち主を好ましく思っています』という意を込めて相手の魔力の色の衣装を身にまとう風習がある。
愛しい人が自分の魔力の色の服やドレスを纏う――それはこの世界の人間にとって何者にも代えがたい喜びであった。
ましてそれが結婚式の衣装ともあれば尚更である。
ソールは逸る気持ちを抑えながら勢いよくサリーチェの部屋のドアを開ける。
そして、黄緑を基調にしたリボンやフリルをふんだんにあしらった、ふんわりと可愛らしいウェディングドレスを身に纏うサリーチェを見て嬉しそうに頬をあげた。
「サリーチェはいつも可愛らしいが、今日はまた一段と美しいな」
好きな男が自分の魔力の色の見事に飾り立てられた正装に身を包んで、うっとりとした顔で微笑みかける姿に、サリーチェも顔を真赤にする。
(やだ……あたしの夫、いつにも増してカッコいいんだけど……!?)
サリーチェとソールがまじまじと見つめ合い、観察する中で、サリーチェは違和感を覚える。
違和感の原因はソールの、深緑系の色でまとめられた正装の胸ポケット。
そこから少し見えるのは、黄緑色の――サリーチェが切り刻んでマットレスに挟んだ守護刺繍のハンカチであった。
「なっ……なんでそのハンカチ持ってるのよ……!?」
「私も君ほどではないが布を繕う事位できる。せっかくサリーチェが想いを込めて縫ってくれたのに、もったいないだろう?」
ソールが笑顔でハンカチを広げてみせるとパッチワークのように綺麗に繕われている。
無造作に切り裂かれた結果、幸いにも四隅を彩る刺繍部分にそこまで重ならずに済んだのだ。
もし刺繍までボロボロになっていたらソールも諦めていたかもしれない。一流の針子に頼んで直してもらっても何の意味もないからだ。
ハンカチを器用に畳んで胸ポケットに仕舞うソールに今度はサリーチェの傍にいたパルマが疑問を呈する。
「ソール様、胸元には何も付けないのですか?」
「ああ、サリーチェが持っている守護刺繍のジャボをつけようと思ってな」
「なっ……なんでそんな事まで知ってるのよ……!?」
思い当たるフシがあったサリーチェがキッとパルマを睨むとパルマはふいっとそっぽを向く。半年間の付き合いでパルマもスルー能力を大分上げたようだ。
ちなみに彼女の特別手当も『サリーチェ様の扱い方、私も大体分かってきましたから』と彼女自身の進言で金貨1枚と銀貨5枚に下がっている。
「サリーチェが守護刺繍用の生地と刺繍糸を欲しがっていると聞けば、縫い直してくれるのだと思うだろう?」
守護刺繍のハンカチが貰えず残念そうに去っていったソールを見送った後、サリーチェは守護刺繍用の生地と刺繍糸が欲しい、とパルマに伝えた。
そしてパルマがビルケに申請し、ビルケがソールに報告したのである。
そこまでお見通しとあっては、サリーチェも観念するしかない。
「……驚かせたかったのに」
「すまない。驚く準備をして待っていたんだがいつまで経ってもくれないからな。結婚式で身につけたかったんだ」
「きょ、今日の色には合わないんじゃない……?」
「全然構わない。君の魔力の色に包まれる中で君がくれた物を身につける幸せをくれないか?」
そして、悦に浸る君の笑顔を見せて欲しい――とまで言うとサリーチェが可愛くとはいえ怒り出すのでそこまでは言わず、甘い言葉を紡ぐに留めた。
サリーチェはもう、と呆れのため息を付いてパルマに守護刺繍を持ってこさせる。
この半年間、ソールに気づかれないように暇を見てはサリーチェが一生懸命刺した守護刺繍――黄緑色の生地に深緑の花と鳥と蔦が全面的に施された見事な刺繍を刺したジャボを身につけると、ソールは嬉しそうに微笑む。
サリーチェはもちろん、パルマの消えたはずの情熱が再燃しそうなほど耽美な笑顔を見せた後、ソールは「それでは、また後で」と颯爽と去っていく。
「ちょっとぉ! 今貴方、ソールに見惚れたでしょ!? 駄目だからね! ソールはあたしのなんだから!!」
「は? 何も言ってないじゃない」
「ねぇ、ソール程じゃないけど、ここ、他にも結構良い男いるじゃない? 気になる男がいたら誰でも紹介してあげるからそっち行ってよぉ! ソールはあたしのなんだからぁ!!」
「分かってるから! 二回も言わないでくれる!? 貴方も今日から本当に侯爵夫人になるんだからその言葉遣い何とかしなさいよ!」
部屋の中でぎゃあぎゃあと騒ぐ二人の喧騒にソールはくつくつと笑いながら、一足先にホールの方へと歩いていった。
ホールと中庭で多くの貴族達に祝福された二人は
サリーチェはただ純粋に楽しんだが、ソールはそんなサリーチェに幸せを感じつつ、周囲の視線を注意深く観察する。
祝福の大半は純粋な物であったが、式まで盛大なお騒がせ夫婦が果たして何年持つか――そんな下賤な視線を向ける者も少なくなかった。
(望む所だ)
ニヤニヤとした視線に微笑み返すソールが名領主としての才覚を発揮したのは結婚式から一節もたたずに開かれた、皇族公侯爵が一同に介する14会合と呼ばれる会合からであった。
年に一度、皇都で開かれるその会合でソールはサリーチェを攫った闇業者を捕まえる為にブリアード王国への干渉を願い出た。
出席者の半数以上がソールの襲爵パーティーに参加しており、大体の事情を把握している。
その辺の平民や下級貴族が襲われても「しかし」と言えるが、流石に異国に面した領地の侯爵夫人が被害者となると「しかし」とは言いづらいものである。
眼の前に被害者の夫である侯爵がいるのなら尚更だ。『お前の妻が異国人に嬲られても知ったことか』と内心思っていてもけして口には出せない。
まして会合に参加している公侯爵の半数が女性、という状況の中でそんな事を言えば例え公爵と言えど命の危険がある。
様々な要素がプラスに働き、ソールは見事に皇族公爵全員から「やってよし」と許可を得る事が出来た。
その状況を利用してソールは今回の件が異国と交流があるのが交易貴族だけだった事から、皇国が他国に関して極力不干渉を貫こうとするからこのような事態になってしまったのだと説明し、ペリドット領に接する3つの異国に最低限の干渉をさせてほしいと皇家や公侯爵達に訴えかけた。
『今回は自分だったからこそ解決できたが、異国の事はもっと知られておくべきである』と強調し、ウィペット王国、ブリアード王国、ペキニーズ連合国の問題点をそれぞれ明かした上で『皇国にとって都合が悪い部分を異国と衝突する事無く正して貰う為にも、こちらから関わりを持つ事を許してほしい』と説得し――了承を得られたのはやはり、襲爵パーティーのインパクトが強すぎたからであろう。
恥すらも糧に変える若侯爵の説得は多くの公侯爵の関心を引いた。
皇国側の許可を得たソールがまず赴いたのは性商売を全面禁止しているブリアード王国である。
サリーチェを連れて王国に赴いたソールは、出張娼婦の存在とそれによって起こった事件について女王に詳細に報告した。
ついでにソールは年若く可愛らしい女王に「男の性がどういうものであるか」を照れる事無く、真面目な顔で淡々と説明した。
地位と実力がある美男がもっともらしく言う――それだけでかなりの説得力があるものである。
女王は自分の政策で事件が起きた罪悪感もあり、闇業者の摘発に協力する事と全面禁止の撤廃をソールに約束した。
ブリアード王国の男達はソールに大いに感謝し、固い絆が結ばれた。
ペキニーズ連合国についてはいくつもの独立した州が合わさった国、という事もあって国交は難しいと判断し、いつ問題ごとが起きても迅速な対処ができるようにあの蛇使いや旅芸人を使って連合国の情勢や危険な生物や風習を積極的に調べる事にした。
そして――性に寛容なウィペット王国だが、寛容であれば誰も悪さをしないかと言ったらそうでもなく、強力で中毒性の高い媚薬の扱いに困り始めていた時に媚薬を悪用した犯罪が皇国で起きた事を知った王国は、これを理由に取り締まりに強化をいれはじめたという。
ちなみにサリーチェを苦しめた強力な媚薬はそれを作り出していた食人植物が何者かに本体も種も尽く切り刻まれ、蜜を取る事ができなくなった事からソールが干渉する前に生産は完全に止まっていた。
ソールはマテリアルサーチを持ってウィペット王国に趣き、残りの媚薬の摘発に協力する。
以降、年に一度、ウィペット王国に赴いては所持を禁じられている物や生き物の摘発に協力していく事になる。
デイジーはウィペット王国に詳しい文官としてソールに同行している内にウィペット王国の貴族と慎ましやかな愛を育み、数年後、ウィペット王国でささやかな式をあげた。
地味な式にサリーチェが「もっと派手にあげればいいのに」不満をあげると「派手な舞台はもう懲り懲りです」とデイジーは苦笑いした。
こうしてソールは少しずつでも確実に功績を積み上げていった。一筋縄ではいかない貴族や異国人を前に、押し際と引き際を冷静に見極め、確実に利を得ていく。
誓約呪術や契約呪術も功を奏した。ギリギリを狙われると困る場でそれを持ち出す事でペリドット領の貴族のピリピリ感も緩和されていく。
こう綴るととても順調なふうに事が進んでいる印象を受けるが、多少強引とも言える彼のやり方に反発する貴族も少なくはなく、あらゆる場所で暗殺を何度も謀られ、異国の地で窮地に陥いる事も多々あった。
しかし、彼は見事に生き延びて帰還して見せるのだ。それはもう、不死鳥のごとく。
もう助からないだろう――というような状況ですら見事に生還してみせる侯爵と、謀った者達の哀れな末路を前に、野心を抱く貴族達は徐々に彼に逆らう事を諦めていく。
最も、野心を抱く貴族達の半数は事を起こす前にキルシュバオム家の女伯爵によって懐柔されているのだが。
一時は深く傷つき部屋に籠もっていたカリディアもデイジーの必死の励ましで立ち直った。他領の貴族に嫁ぐ前にサリーチェに深々と謝ったカリディアをサリーチェは秒で許したという。
そして、襲爵パーティーで性癖を晒した若侯爵の恥がいつしか天才の偉業と唄われ始め、ペリドット領の貴族達がパーティーで想いを告げたり求婚するのが定番になりだした頃――壮年のソールは鉄人侯と呼ばれるようになっていた。
何事にも動じない心と、愛する者と地を頑なに守る愛。どんな危地からも生還する強さと、敵対する者達への冷たさと鋭さ、そして滅多なことでは歪まない彼のすまし顔を称した呼び名は皇国中に広がり、いつしか有能な侯爵達を表す際、彼に倣った呼ばれ方をするようになる。
そんな鉄人侯の傍らには常に騒がしい夫人がおり、彼の功績に傷をつけてしまう事もしばしばあった。
それでも彼は彼女を手放す事はせず、館に軟禁する事もせず夫人だけを一途に愛し続けた。夫人との間には3人の子に恵まれ、晩年の彼は子ども達の前でこう漏らした。
「サリーチェより先に死ぬ訳にはいかない。ペリドット家が滅んでしまうからな」
そう言いながら年老いてなお自由奔放な彼女を見つめる彼の眼差しは、鉄人という強固な呼び名からはとても想像できないほど暖かく、穏やかなものであったという。
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以降、サリーチェの妹に視点を当てた番外編が続きます。
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