第46話 踏み台令嬢、逃げ出す(※サリーチェ視点)


 ソールがパクレットと戦ってる時、チャンスだって思った。


 逃げるなら、今しかないって。


 ソールの心配なんてするはずない。ソールがパクレットなんかに負けるはずない。だからパクレットがソールの気を引いてるうちに逃げ出さなきゃって駆け出した。


 ドレスが動きやすかった事もあってスムーズにホールから逃げ出せた――のはいいんだけど、ここに来てからずっと客室か秘密の部屋にいたからこの館の事全然分からなくて、道に迷ってしまった。


 お金持ちの家って何でこんなに大きいのかしら? これじゃ自分の部屋に行くのも一苦労だわ。本当に、こんな館の主の奥様になんかならなくて良かった!

 客室だけでも豪華なのに、こんな広い館――どう考えてもあたしには荷が重すぎるもん!デザート付きの美味しい食事には結構、未練あるけど。


 でも、これ以上ここにいても辛いだけだし。これでいいの。これで良かったのよ。まだ逃げ出せてないけど。


(……これだけ大きな館なんだもの。お客さんを迎える正門とは別に、使用人が出入りする裏口が何箇所かあるはずだわ)


 空が大分暗いからよくわからないけど、とにかく壁まで行ってそこから壁を伝って歩けばそのうち正門か裏口に辿り着くはず。そう思って外に一歩踏み出した。


(ここから出た後、ドレスに付いてる宝石売って、そのお金で乗合馬車使ってペリドット領から逃げ出して……)


 歩きながらこれからの事を考える。異国人がいるのはこの領だけだし、異国人に指示してたあいつらが捕らえられれば、もうあたしの命を狙う人はいなくなるし――


(……あいつの剣を防御盾シールドで受け止めたソール、カッコ良かったなぁ)


 それに、あたしの肩をギュッと抱いた時。あの時のソールは余裕綽々のすまし顔じゃなくて、しっかり真っ直ぐあいつら見てて――凄く、素敵だった。


 そんなソールの姿が演技だとは思えない。でもあたし、パクレットやヴァルヌスみたいな奴の演技すら見抜けなかったんだもん。

 ソールはあいつらより凄いから、上手く演技ができて当然だわ。


(……お陰でいい夢見れた。お姫様の気分になれたわ)


 だから慰謝料はこのドレスと身につけてる装飾品だけで許してあげよう――って思って駐車場を抜けようとしたら、何でか分かんないけどヴァルヌスいるし。ソールの声も聞こえてくるし。


 うわぁ最悪……と思ってヴァルヌスに気づかれないようにソロソロとそこから逃げだして、ソールにも見つからないようにまた全力で走ってその場を離れた。

 何か物音したけど、ソールと目が合うの怖いから振り返らなかった。


 大分遠回りしちゃったけど何とか外壁まで辿り着いて、壁を伝って歩く。

 何だかチラチラと駐車場の御者達がこっち見てくるけど、もう細かい事気にしてる場合じゃないわ。

 別に話しかけてくる訳でもないから、あたしを探してるって感じじゃないみたいだし。


 そんな事考えながら歩いてると、少し離れた場所で兵士達が2人、立ってるのが見えた。やった、多分あそこが裏口だわ。後はあそこから抜け出せば――


(……と、その前に。これは流石に置いていかなきゃ)


 バタバタしすぎて大事な事を忘れてたあたしはリボンのバレッタを外す。

 ソールの色の婚約リボンなんて売ったら、悪用されちゃうかもしれない。


 だからって、これを持ち続けるのも辛い。だからって、投げ捨てるのも、知らずに誰かに踏まれるのもなんか嫌で、そっと壁際に置いておく。


(後は、「ソールがここから逃げろって言ってたから」って言えば兵士達も通してくれ……)


「……やはりここから逃げ出したかったのだな、サリーチェ」

「ひっっ!?」


 再び歩こうとした時に背後からの突然の声に驚いて、足を捻ってバランスを崩す。転ぶ――と思った所で視界に黄緑色がよぎって、あたしは頭を地面にぶつけずに済んだ。


「すまない、驚かせるつもりはなかった」


 頭の上で響く声が誰のものか分かった瞬間、頭が熱くなる。

 慌ててソールを押しのけて後ずさりながら壁際まで逃げて距離を取った。


「……あっ、ああああたし、逃げ出そうとか、別に、思ってないしぃ!! 危ないから怖くて逃げてきただけだもん……!!」

「そうか……では、パクレット達は捕らえたから戻ってきてくれるか?」


 ソールが手を差し出してきたけど、その手を取りたくなかった。


 ソールもそれ以上言葉を紡がなくて、どの位時間がだっただろう? 片足がズキズキと痛みはじめた頃、ソールが口を開いた。


「……首謀者達を捕まえる事は出来たが、まだ君を襲った人間は捕まっていない。ただ、相手が異国人だからな……捕まえるには数節、数年単位の時間がかかるだろう。だから、私はこれ以上君を束縛する事が出来ない」


 差し出した手を下げるソールに、あたしは何も言えなかった。


 逃がしてくれるの? 逃がしちゃうの? 両方の言葉が喉に出かかって。どっちの言葉に声になってくれない。

 足の痛みに苛立ちながら、早く去ってくれないかなってじっと俯いているうちにソールの言葉が続いた。


「ただ……何故逃げるのか、教えてもらってもいいか? 私は君に好かれようと努力してきたつもりだし、君も私に好意を抱いていたはずだ。何が駄目だったのか教えて欲しい」


 ああ、最悪――そんな事、言いたくなかったのに。


 あたしが足捻った事知ったら、絶対ソールは治療しようとするから早く立ち去ってほしいのに。

 この状況じゃあたしが言わない限りソールもずっと立ち去ってくれない。


「……ソールが……の事……かに、してる、から」

「すまない、よく聞こえなかった」

「……だから、ソールが、あたしの事物すっごく馬鹿にしてるから……!!」


 一度吐き出した声は、止まらない。昨日聞いてからずっと心の奥に抑えつけていた感情が溢れ出る。


「あいつらも、あたしも……!! ソールは自分より頭悪い奴みんな馬鹿にしてる……!! あいつらはいいけど、あたしは馬鹿にされたくないの!! 貴方の手の平でいいように扱われたくないの!! いらなくなった途端に突き飛ばされたくないの!!」


 さっきのセレジェイラ嬢みたいに冷静に言いたいのに。あの場にいた誰よりみっともない声が宙に漂う。周りの御者達や兵士達の視線も感じる。

 そんな中でもソールは表情を変えずに冷静そのもので――何だか悔しくなってくる。


「サリーチェ……私は君を馬鹿になどしていないし、突き飛ばすつもりなどない」

「嘘!! 愛すべきお馬鹿さんとか力も学もない人間だとか言ってたじゃない!! 自信満々で人を見下す小者の振る舞いだとか、私がエスコートすれば彼女は物凄く調子に乗ってくれそうだとか、最低な事言ってたじゃない!!」


 あたしの叫びにソールは驚いたように表情を歪めた。一度も見た事がない戸惑いの表情に少しだけ心が傷んだけど、でも、それ以上に傷ついてるあたしの心は叫ぶのを止めてくれない。


「お望み通り、最高に調子に乗ってあげたわ!! 馬鹿が自分の立場もわきまえずに乗ってる姿、とっても良かったでしょ!! あたしも言いたい事言えてスッキリしたわ!!」


 お腹の中に溜まってた物が全部――ではないけど殆ど言えて、皆があたしの言葉を聞いてくれて――デイジー嬢に泣かれちゃったのはビックリしたけど、謝ってもらえたし。悪い人ばっかりじゃなかったんだなぁって思った。


 だから、今この場で、多くの人が見てる前で、ソールの嫌な部分なんて言いたくなかった。言っちゃったけど。でも、ソールが言えって言ったんだもん。

 

「本当に……あたしさっきまで、そんなに悪い気分じゃなかったのよ。だから……だから、この気分で別れたかったの! 貴方には、良い男でいてほしいから。貴方の嫌な顔なんて見たくなかったから……!! 貴方にまで突き飛ばされたらあたし……心が……」


 心が、死んじゃいそうだから――途中で声が掠れて、何処まで届いたのか分からない。

 溢れる涙で視界が緩んだけど、ソールが深く頭を下げたのが分かった。


「……すまなかった。私は、君が望む男になれば何の問題もないだろうと、本当に大切な事を君に言えずにいた……その結果君の心を深く傷つけてしまったのは完全に私の落ち度だ。ただ……許されるならば最後に君よりずっと愚かな男の、自分勝手な懺悔を聞いて言ってくれないか? 君が聞いた私の言葉の……本意、を聞いて欲しい」


 あんな誤解のしようもない酷い言葉、本意とか意味分かんないけど――そんな風に言われたら、聞かない訳にはいかない。


「……分かった」


 腕を組んで聞く姿勢に入ると、ソールはしばらく沈黙した後、一つ息を吸った。


「私は……私は、君の……な所が大好きだったんだ」


 大好きって言葉にちょっと胸がドキッとしたけど、意図的に小声で呟いたらしい肝心な所が聞こえなかったせいであたしの頭は(?)でいっぱいになった。


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