第44話 悪党達の明暗・1


 パクレットの一切の躊躇もない殺気に満ちた一撃に対し、ソールは小瓶を床に投げ捨てて空いた左手で防御盾シールドを張って受け止める。


 バチバチとけたたましい音と共に周囲の人間が慌てて距離を取る中、パクレットが剣を引いた隙にソールはサリーチェから距離を置いて抜刀し、パクレットに向けて剣を振るう。


「ぐっ……!」


 パクレットもソールの一振りをすんでの所でかわし、改めて剣を振り下ろす。剣と剣が重なる鍔迫り合いの中で、ソールは苦笑する。


「だから言ったのだ……証拠出す前に自白してくれればお前達が大切にしている者の名誉は守ると。この状況ではもう、

「貴様ぁ!!」


 ソールとパクレットの激しい剣闘が繰り広げられる。

 互いに武術――特に剣術にかけては多大な自信とそれを持つにふさわしい実力があり、実力者達の剣戟は周囲を見惚れさせる程の美しさがあった。


 しかし、このソールが断然有利な環境においてパクレットがいずれ負けるのは目に見えている。

 もはや、この状況から彼らが術はない。パクレットが捕まれば彼が殺害計画を自白する可能性がある。そうなれ全てお終いだ――


(ここから逃げだすなら、今しかない……!!)


 そう判断したヴァルヌスはしがみつくカリディアを思い切り突き飛ばした。

 そしてズボンのポケットに隠していた異国で使われる小型の発煙筒を取り出し、指先で火をつける。

 筒から勢いよく濃厚な黒煙が吹き出した所でそれを足元に落とした。


 野盗や魔物に遭遇した時に逃げ出す為の、魔法があまり使えない異国ならではの護身用に開発された道具である。

 スリジエも同じ様に発煙筒と、異国の爆竹に着火させて足元に散らばらせた。


 2人の工作によって辺り一帯は直ぐ様黒煙に包まれ、あちらこちらで悲鳴と轟音が鳴り響いた。


(全く、3人揃って行儀が悪いな……!)


 行儀も往生際も悪い彼らに舌打ちするソールだったが、それ以上に驚いていたのはパクレットだった。


「何だ……何が起きた!?」


 腕に自身にあるパクレットは2人がこういう物を持っていると思っていなかったのだろう、戸惑いの声を漏らす。

 彼が黒煙と爆発音に気を取られている隙にソールはパクレットの剣を払い落とし、左手でパクレットの顔面を掴んで強制睡眠スリープの魔法を叩き込んだ。

 

「ぐ……あっ……」


 抵抗も虚しく倒れ込んだパクレットの意識がない事を確認した後、ソールが黒煙を外に出そうとそよ風を起こす魔法を使おうとした時――黒煙は独りでに球状にまとまり、ある女性の右手におさまった。


「やぁソール! 何だかとっても楽しい事になってきたねぇ!」

「ダンジェ先生……お手数おかけしてすみません!」


 左手にステーキが2枚乗った皿を乗せた、黒マントに黒タイツに胸元空いた黒のレオタードの美魔女にソールが頭を下げると、彼女は全く気にしていないように笑い飛ばした。


「いいよいいよ! 早く誰かキレてくれないかなってワクワクしながら見てたんだ! それで、この騒ぎに乗じて4人くらい逃げたみたいだけど、どうする!? アタシ、暴れちゃっていいかな!?」


 ダンジェは招待状に書かれていた<有事の際には力をお貸し頂きたい>という展開を楽しみにしていたようだ。

 指を鳴らして何もない空間に大きな黒い槍を出現させた後、笑顔でソールに詰め寄る。


「ええ、できれば殺さずに動きを封じて頂ければ……って、4人……?」


 数が合わない。パクレットは足元に眠りこけている。予想より2人多い。令嬢達を連れて逃げたか――黒煙が晴れた中ソールが周囲を見回すと、デイジーとカリディアが少し離れた場に立ち尽くしているのを確認した。


 見当たらないのは、ヴァルヌス、スリジエ、セレジェイラ、そして――


「サリーチェ……?」


 サリーチェを含む4人の姿がこのホールから消えてしまっていた。


 サリーチェが逃げた男達を追いかけた――とは考えづらい。危ないと判断して自ら安全な場所に避難したのだろうか?

 それとも彼らが人質にしようと連れ去ったのか――ソールが視線を落とすと、先程持っていた媚薬の瓶が転がって絨毯にシミを作っていた。


 そこにザクリと薄緑色の剣が絨毯に突き刺さる。翠緑の魔力を帯びた剣はまるで絨毯を紙のように切り裂き、シミになった部分が綺麗に浮き上がり、指が鳴る音と共に媚薬が溢れた小瓶と共にその場から消えた。


 ソールが顔をあげると薄緑色の剣を持つ、翠緑のコートを羽織った男が冷めた視線でソールを見据える。


「すまないが、このむせ返るような甘い匂いはとても不快でね……根源ごと消させてもらったが問題あったかな?」

「アイドクレース公……」


 何処となく色気を醸し出す、整った顔立ちの男は20代後半だろうか? 緩やかな緑髪を後ろで縛る翠眼の青年はソールより身分の高い、公爵と呼ばれる人間の一人だ。


 この国の公爵は権力的にも、戦闘能力においても民の頂点に君臨する。


 ソールのような侯爵と違って公爵の場合、悪党に対して証拠を突きつけて追い詰めたり自白させたりする手間など必要なく、ただ公爵が気に入らないと思えばその場で処刑する事ができる。

 その行いに対して物申せる人間は基本的に皇族か他の公爵しかいない。そして実際に物申せばになりかねない。


 だからこそこの場にいた有力貴族達は皆、ソール達の断罪劇を途中から言葉を押し殺して見守っていたのである。公爵の不快や不興を買わない為に。


「……不快な思いをさせて申し訳ありません。ご配慮、痛み入りま」

「ソール、そんな堅苦しい事言ってる間に逃げられちまうよ! 後にしな!」


 ソールが胸に手を当てて一礼しようとすると、ダンジェが首根っこを掴んで引き戻した。その様子が面白かったのか、冷めた目で見ていた緑の公爵の表情が微かに緩む。


「そうだね、怪しげな液体については後で説明してもらうから先に事態を収拾しておいで。ボクも公爵の端くれとしてこの場を守る事くらいはしてあげるから」

「ありがとうございます……!」


 この状況を楽しんでいるらしい公爵2人とどよめく貴族達を背にソール達はホールの外へと駆け出した。





 黒煙の中で変化の術を使い、髪色を灰色に変えたヴァルヌスは息を整えながら早足でペリドット邸の外廊下を歩く。

 スリジエも同様に髪を金髪に変え、互いにジャケットを交換した。注視すれば上下があっていない、と不審に思う人間もいるだろうが注視しなければ然程違和感もない。


「だ……大丈夫かな……」

「もうそんな事言ってる場合じゃない。逃げたいならそんなビクビクするな」


 騎士や兵士達がバタバタとホールの方へと走る中、流れに逆らうように歩く。2人の目的は騎士達が守りを固めるだろう正門でも裏門でもない。


 馬車がたくさん止まった駐車場――多くの馬車の隙間を抜けて浮力魔法と跳躍魔法を使って外壁を飛び越える算段である。

 スリジエの魔力は髪が魔力の色に染まる位には強く、2つの魔法の知識もあった。


「ス、スリジエ……裏切るなよ? 俺が捕まったらお前もパクレットも終わる」

「……どの道、パクレットが捕まった以上終わるのは時間の問題だよ。ここを抜け出して、異国に渡るしか無い……お互い、ツテはあるだろ?」

「あ、ああ……」


 そう、逃げればまだ、生き延びる術がある――2人がそれを頼りに外廊下を歩き、馬車が見えてきた所でレースとフリルがふんだんに使われたドレスの貴婦人が2人の前にフワリと舞い降りた。


「セレジェイラ……」


 先程ホールでは言葉少なだった令嬢が今、瞳を潤ませ、悲しげな表情と声でスリジエ達に呼びかける。


「もう止めて、スリジエ……これ以上罪を重ねないで。今からでも謝ればソール様はきっと許してくださるわ」


 セレジェイラの穏やかな言葉は3貴族に似つかわしくない、酷く甘い考えだ――とヴァルヌスは思った。

 自分達がこれまで重ねてきた罪を謝られたからと許すような侯爵など、誰にも認められない。他人事だからというのもあるのだろうが、セレジェイラの言葉はあまりに楽観的すぎる。


 それはスリジエも分かっているようで、泣き笑いのような表情にかわり小さく首を横に振った。


「ごめんね、セレジェイラ……僕が君を幸せにしたかったのに、叶えられなくなっちゃった」

「いいえ、スリジエ……貴方がここに留まってくれれば、私は幸せになれるわ。きっとソール様も分かってくださる。だからお願い、ここに留まって……! 私が貴方を守るから……!」

「セレジェイラ……僕は君の負担になりたくない……だから、僕の事は忘れて、君は……」

「そんな事言わないで……私を幸せにできるのは貴方だけなのよ、スリジエ……!」


 ギュッと抱きしめるセレジェイラをスリジエは拒まなかった。そして彼もまたセレジェイラを抱きしめ返した時、ヴァルヌスが声を上げる。


「スリジエ……裏切るつもりか!? ペリドット家の馬車の前にウィロー嬢を置こうと提案したのも、ウィロー嬢を暗殺しようとしたのもお前なのに、一人だけ抜け抜けと女に助けられるつもりか……!?」

「……サリーチェ様は死んでおりませんわ。サリーチェ様が『処刑はやめて』と言ってくださればきっとソール様はスリジエを生かしておいてくださいます。ヴァルヌスも、ここに留まったら? 貴方の事も私の説得に応じて頂けた、と私からソール様に訴えかけてあげるわ」


 ――無理だ。


 貴族学校のお遊びならまだしも、それ以降の行いは被害者の言葉一つで軽くなるような罪じゃない。

 極悪非道の心無い所業を犯した人間を生かしておくデメリットは多々あっても、メリットは何一つない。


 何より――セレジェイラに抱きしめられているスリジエには見えなくても、ヴァルヌスには見えているのだ。


 セレジェイラの、この場に似つかわしくない程美しい満面の笑顔が。

 自分達が全ての犯人である事を知った上での、驚きも何もない嬉しそうな笑顔がヴァルヌスの心を竦ませた。


 歯を震わせるヴァルヌスの様子を見据えながら、セレジェイラはスリジエの耳元で、ヴァルヌスに聞こえる声で囁く。


「残念だわ……ねえ、スリジエ……貴方がヴァルヌスを捉えれば――」


 セレジェイラの言葉にゾクりと悪寒が走る。


(駄目だ。もうスリジエは役に立たない……!)


 ヴァルヌスは仲間がいなくなった事を悟ると、一目散に馬車が集う駐車場の方へ駆け出した。


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