第41話 2つの罪・2


 ソールの言葉が彼らの方に傾いていた空気を変える。周囲の有力貴族達がソール達と3貴族の若人達を見据える中、ソールは言葉を続けた。


「お前達はまるでサリーチェがハンカチに落書きされている事を知っていた体で話しているが、表面に名前が刺繍されている畳まれたハンカチを広げる必要が何処にある? 私がサリーチェの立場でも彼女と同じ様にハンカチを広げたりはしない……名前が刺繍されたポーチを開けてわざわざ中身を確認するようなものだからな」


 ソールの最もな発言にどよめきがピタりと止まる。

 人がハンカチを拾う時、誰の物かを確かめる為に広げる事はあっても、記名がされている部分が見えていればそれ以上広げる必要はない。


「それに……落とし主に一言お礼を言われたい、と思うのは人として至極当然な感情だと思わないか? 私も落とし物を届ける時は御礼の言葉があるものだろうと微笑んで渡す。ニヤニヤしながら渡す者がいても何らおかしい事ではない……何かしら御礼の品がもらえると思っていたなら尚更な」

「ちょっ……ま、まあ、ちょっとは思ったけど! ちょっとだし! 別にもらえなかったからって怒る程、あたし心狭くないから!!」

「この場でこんな素直に浅ましい感情を吐露してしまう人間がわざわざ異国の方言を使って人を追い込んだりするだろうか?」

「そうよ! あたし、ブリアードの方言なんて知らないって言ったのに!」


 ソールの言葉とこれまでのサリーチェの態度を含め、周囲の貴族達が(確かに……)と納得する中、切り出したのはスリジエだった。


「そう思われるのが全て計算ずくだとしたら?」

「計算ずく?」

「そ、そうだ! 彼女は貴族学校で色んな男を落とした悪女として有名なんだ。馬鹿なフリする事なんて簡単なんだ! ブリアード王国の方言なら自分はそんな方言なんて知らない、で通せると思って書いたんじゃないのか!?」

「その可能性はない。サリーチェは犯人ではないと断言できる」

「何故そう言い切れる!?」


 スリジエの淡々とした言葉にヴァルヌスが便乗すると、ソールは一つ息をついて語りだした。


「異国語辞典は我が家が異国人と交渉する機会の多いイサ・ケイオスの交易貴族達だけに発行している。本屋はおろか学校の図書室にもない」

「な……何だって!? たかが異国の言葉を記しただけの本に何故、そんな……」

「異国人が国の方言で罵ってきても、その言葉の意味を知らない者は『異国人が何か意味不明な事を言ってきた』と気味悪がる程度にしか思わないが、言葉の意味を知っている者は当然激高する……そんなトラブルを引き起こす元凶となりえる物を我が家が流通させるはずないだろう?」


 ソールの説明に3人が言葉を詰まらせる。

 彼らにとって自分の家に当たり前に存在する異国語辞典が実は流通が制限されている希少な物、という事は盲点であった。


「そもそも使う言葉も文字もほぼ同じなのだ。異国特有の言語や悪口を綴った辞書など無くても誰も困らない……交易する上で円滑なコミュニケーションを取ったり、相手から下に見られていないかを冷静に見極めなければならない交易貴族以外はな」


 国境都市内で異国人との諍いが発生した場合は異国人を即刻国境都市から追い出せばいいだけの話だが、領内で諍いと起こされると国境都市まで輸送しなければならない。

 その輸送費を負担しなければならないペリドット家からしたら、たまったものではない。


「お前達は異国語辞典が貴族学校の図書室やその辺の書店に存在すると勝手に思い込んで語っていたようだが、私からしてみればブリアード王国の方言を綴りまで正確に書ける人間など、イサ・ケイオスで直接ブリアード王国と交易している家の者の仕業にしか考えられない」

「で、では、私の、自作自演だと仰るのですか……!?」


 カリディアが悲痛な声を上げるとソールは冷めた目で彼女を見据えた。


「いいや……私は君が犯人だと言っていない。ただ、サリーチェにはそんな悪戯は不可能だと言ってるのだ。サリーチェのせいにしたければ変に悪知恵を働かせず普通に『死ね』と綴るべきだったな? こちらとしては、犯人が無駄に自分の知能を誇示したがる人間で助かったが」


 ソールは言いながらチラ、とヴァルヌスを見据える。

 何の感情も感じない眼差しにヴァルヌスの額に嫌な汗が滲み始めた所でソールはカリディアに視線を戻した。


「イサ・ケイオスの誉れ高い3貴族の令嬢達にこんな事は言いたくないが……この件は本来、君達が調べて真犯人を突き止めるべき案件だった。異国の独特の言語が領民達に広まればトラブルが多発するから皇国も異国も統制しあっている……と3貴族の人間であれば幼い頃から教えられているだろう? 私が少し考えただけでサリーチェを容疑者から除外できるというのに、貴族学校の生徒達は皆サリーチェが犯人のように扱った……これは、君達の管理能力を問われても仕方ない事だ」


 デイジーもカリディアもセレジェイラも思う所があるのか、ソールから視線をそらし、俯いている。


「君達のせいで私の代の貴族学校の生徒達は怪しい存在が一人しかいなければその者を犯人だと思いこんで吊るし上げる馬鹿しかいない……あるいは、気に入らない人間なら吊るし上げて良いと思う人間しかいない、という実に不名誉なレッテルを貼られる事になってしまった……そして、大半の人間がサリーチェを犯人だと思い込んだ結果、図に乗った真犯人達による被害が続出し、それら全てがサリーチェのせいにされた……この地を治める侯爵として、この情けない状況を実に残念に思う。特にカリディア嬢、君がサリーチェを犯人だと」

「わっ、私は……死ねと書かれた事がただただショックで、けしてウィロー嬢を犯人だと決めつけた訳では……!」


 ソールの言葉を遮り、ふるふると震えて涙を称えるカリディア嬢だが、この場で彼女に同情の視線を向ける者はいない――ただ、一人を除いて。


「そうよソール……あたし、カリディア嬢から犯人だって言われた訳じゃないの」


 サリーチェがソールから離れて、カリディア嬢に向き合う。

 おどおどするカリディアが(助けてくれるの?)と潤む目に光を宿したが、そんなカリディアを見てサリーチェはニチャアと笑った。


「あたし、誤解で誰かが追い詰められる姿って見てられないからハッキリ言うけど、カリディア嬢は周りからボロクソに罵られるあたしを庇う事も周りを諫める事もしないで、ちょっと離れた場所でヴァルヌスに支えられてスンスン泣いてただけよねぇ?」

「そっ、そんな言い方酷いっ……! 私、すごく傷ついたのに……!」


 ビクりと怯えるカリディアに対してサリーチェは大袈裟にいやみったらしい声を上げる。


「えー、そんな事言うならあたしだって貴方が一切庇ってくれなかったせいで皆あたしが犯人だと思いこんじゃって、すっごく傷ついたんだけどぉ? それとも何? ソールが言う通り、カリディア嬢もあたしが犯人だって思いこんでたから、痛い目見れば良いと思ってわざと放置してたって事ぉ!?」

「ち、ちが……」

「そうよねぇ、貴方はあたしのような下級貴族と違って誉れ高い三貴族の伯爵令嬢だもの、そんな陰湿な事しないわよねぇ? そんな、気に入らない人間を貶めるのに友達とか男使うなんて卑怯な真似しないわよねぇ! じゃあやっぱり、あたしが冤罪ふっかけられてるのに自分の事だけ考えて男の胸借りて泣いてただけなんじゃない!」


 サリーチェの怒声に場がシンと静まり返る。

 この状況を傍から見たらサリーチェが完全に悪役なのだが、そこには令嬢達の態度を差し引いてもサリーチェに大きな分があった。


 彼らの話を聞いていた各国の有力貴族達は、今明らかに3貴族の令嬢と婚約者達に呆れと軽蔑の眼差しを向けている。


 サリーチェがあまり頭のよろしくない令嬢なのは、これまでの言動を見ていれば容易に察せられる。

 それに引き換え彼らは貴族学校という狭い箱庭で馬鹿な女をよってたかって犯人扱いした上に、今この場でも何とか無理やり女を犯人に仕立て上げたいと言わんばかりの言動を続けている。


 周囲から悪感情を向けられている事を察し怯え震えるカリディアと相反して、自分に同情的な視線が向けられているサリーチェは調子に乗り始めた。


「この場にいる各領の貴族様! あたし、この領地で男達を次々と踏み台にしている<踏み台令嬢>って嫌なあだ名つけられて馬鹿にされてたんです! でも、実際はイサ・アマヴェルの貴族学校の男達は皆あたしに粉をかけてきて、あたしが本気になった後でみーんなあたしを突き放したんです! あたしは好きになって、フラレての繰り返し……! あたしも貞操観念緩かったので自業自得なんですけど、エッチして一週間以内に突き放してくる奴とか、あたしを悪者にして笑い者にしてくる奴とか……ああ、剣術大会で女に告白するのを盛り上げる為に近寄ってくるやつもいたわねぇ!?」


 標的を改めて見つけた悪女のようにサリーチェが自信に満ちた瞳でデイジーを見据える。


「ねぇデイジー嬢……ヒーローに横恋慕する令嬢をヒロインの前でこき下ろしてヒロインに剣を捧げるヒーローって、恋愛小説でよくある話なの、知ってた?」


 煽るサリーチェの言葉に対してデイジーがポカンと口を開ける。

 その隣にいるパクレットの手が腰に携えた剣に伸ばされたのをソールも、スリジエも、ヴァルヌスも注視した。


 男性陣に緊迫した空気が漂う中、サリーチェは尚もデイジーに絡み続ける。


「デイジー嬢、ヒロインになれて嬉しかったぁ? あたしも、皆に嫌われてる中で優しくしてくれた男に心許した途端に突き放されて悲劇のヒロインになったけど、全然楽しくなかった……誰もあたしが言ってる事信じてくれなくて、物凄く惨めだったわ……! ソールが助けてくれるまで、あたしは悪女だと罵られるか、ロクでもない男に『俺は君が悪女じゃないって分かってるよ』って甘い言葉はかれて利用されるかばっかりで、誰も助けてくれなかった!!」


 滑らかに紡がれるサリーチェの言葉にデイジーは唖然として、声にならない言葉が微かに口から漏れる。


「誤解しないでくれ、デイジー……! この女がある事ない事過剰に話す癖があるのはデイジーも分かっているだろう!?」


 剣ではなくデイジーの肩の方に手を伸ばし、彼女に向かって訴えかけるパクレットからソールは視線をそらし、改めてサリーチェの肩を抱いて彼らと一定の距離を取る。

 スリジエとヴァルヌスはパクレットが抜刀しなかった事に安堵すると同時に、ソールの企みを察する。


 ソールはサリーチェに強い好意を抱いている。

 だからサリーチェがソールに全てを話し、ソールがそれを信じたならここでサリーチェを玩具にした自分達を糾弾し返そうとしている――


 この様子だと、こちらがこの場を逃げ出そうとすれば即座に捕まえる準備もできているようだ。


 下衆なお遊びを明かされる事は痛いが、こうして公の場でサリーチェを好きにさせている様子を見ると殺害計画までは知られていない。


 それなら――この状況をどう乗り切るか。ヴァルヌスとスリジエがそちらの方に思考を切り替えた、その時。


「ねえ、デイジー嬢……貴方があたしの事嫌ってるのは知ってるし、あたしも結構態度悪かったと思うし、嫌われても仕方ない人間だと思ってる。でも……性格悪くて、馬鹿で、嫌いな人間が言ってる言葉は一切信じない……なんて、おかしな話だと思わない?」


 そう訴えかけるサリーチェの目は潤んで、今にも零れ落ちそうだった。その声は怒りよりも哀愁が漂い始めていた。


 デイジーが自分の想い出を穢したサリーチェの耳障りな叫びを思い返せば、それはもはや男に裏切られた女の悲鳴にしか聞こえなかった。


「……ごめんなさい……」


 掠れるような声で謝罪したデイジーの目から、ポロポロと涙が零れ落ちた。


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