第40話 2つの罪・1
「どっ……どういう事だ……!?」
ヴァルヌスは驚きの声を上げると真っ先にスリジエを睨んだ。スリジエは表情こそ崩さないもののその目は確かに驚愕の感情を宿している。
「スリジエ! ウィロー嬢はお前が」
『パクレット!』
パクレットが反射的に零しそうになった所を即座に念話で制し、パクレットの口をつぐませる。
今ここで迂闊な言葉を言えば、3人の首が飛びかねない――男達に張り詰めた緊張が漂う中、ソールは彼らの姿を視界に捉えた。
そっとサリーチェに耳打ちし、2人揃って彼らの元に歩み寄る。
「やあ、久しぶりだなセレジェイラ、カリディア嬢も」
「お久しぶりです、ソール様」
先程目があっておきながら礼をスルーした事などなかったかのようにセレジェイラは再びカーテシーをして微笑みあう中、カリディアがヴァルヌスの袖を引いて発言を促す。
「あ、あの……ソール様、すみません、その、ウィロー嬢は亡くなられた、のでは……?」
「うふふ……実はあたし、この館の客室にいる時に暗殺者に襲われて死にかけちゃったから、今日まで誰にも気づかれない場所に匿ってもらってたのぉ!」
「そ……そうだったんですか」
サリーチェのフフン、と言いそうな満面の笑顔にヴァルヌスは戸惑う。しかし、今は戸惑いをそのまま顔に出せる状況ではない。
何せ力も、地位も、知識もないサリーチェと違ってそれら全てが揃ったソールが直ぐ傍にいるのだ。
その上、ここは貴族学校ではない――サリーチェに悪印象を抱いている者ばかりの、怒り狂う愚者を小馬鹿にできた小さな箱庭ではない。
各領地の有力貴族が何の前情報もなしに自分達のやり取りに耳を傾けている中で迂闊に発言すれば、表情を偽らなければ全てが剥がれ落ちるような不安が彼らを襲った。
表情こそ取り繕っているものの、誰も声を発しない――奇妙な沈黙を打ち破ったのはデイジーだった。
「……申し訳ありませんソール様、私、ソール様がウィロー嬢を想っているとも知らずに、酷い事を……!」
何とも言えない緊張感が張り詰めた中、頭を下げて謝罪したデイジーにソールは微笑みを返す。
「デイジー嬢、私に謝る必要はない。ただサリーチェには謝って欲しいな……君が高位貴族として冷静に物事を見極める事ができていればサリーチェは貴族学校で踏み台令嬢と罵られ傷つく事はなかったのだから」
「なっ……それは違います! ソール様の想い人を悪く言ってしまったのは申し訳ありませんが、この方が勝手な思い込みで行事を乱したり物を盗んだり壊したり散々学校の風紀を乱していたのは事実です……! 彼女には謝りたくありません……!」
「勝手な思い込みをしているのは君もだろう?」
「え」
微笑みが消え、冷めた眼で自分を見据えるソールにデイジーは言葉を詰まらせる。
「君は彼女が何故行事を乱したか、冷静に考えてみた事はあるのか? 剣術大会の事は私情もあるだろうから冷静に考えられないのは分かる。しかし、他の行事は? サリーチェが物を盗んだり壊したりした証拠は? 同級生に聞き取った時はそういう噂を聞いただけで見た事はないと言っていたが、君自身はサリーチェが人の物を盗み、細工しているところを見た事があるのか?」
「そ、それは……」
「高位貴族の、まして後継ぎとなる者が個人の感情だけで善悪を判断するのは実によろしくないと思わないか?」
淡々と、諭すように語るソールにデイジーは狼狽える。
冷静に考えれば――サリーチェは普段から素行が悪く、自分の忠告も聞かなかった。それは事実だ。
だけど証拠や理由を考えた事があるのかと言われたら――決定的な場面を知っている訳では無い。
デイジーが完全に沈黙してしまった中、か細くも懸命な声が響く。
「そ、ソール様……ウィロー嬢はわ……私のハンカチに死ねと記したハンカチを渡してきましたわ……! デイジー嬢を叱らないでください……!」
公の場で滅多に発言しないカリディア嬢に自領の貴族が驚いたのか、一部で小さなどよめきが起こる中、ソールはカリディアの方に視線を移した。
「ああ……それはサリーチェから聞いた。落ちていたハンカチに記名がしてあったから君に渡しに行ったら、お礼を言われた後に君の友人達から難癖をつけられたと……だがカリディア嬢、何故ハンカチを渡してきただけのサリーチェが犯人扱いされたのだ? ブリアードの方言で死ねと書かれていたみたいだと聞いたが、君はサリーチェが書いている瞬間を目撃していたのか?」
「そ、それは見ていませんけれど……でも、そんなハンカチを平然と渡してきた事は証拠になりますでしょう!?」
「ねえカリディア様……あたし前も言ったけど、ブリアード王国の方言なんて知らないのよ。それなのに何であたしが犯人にされちゃってるの? お陰でそれ以降物がなくなったり壊されたりすると全部あたしのせいになるの、ずっと、ずーっと納得いかなかったんだけど」
サリーチェの圧のある言葉に怯んだカリディアがヴァルヌスの袖をグイグイと引く。
「……君が渡してきたハンカチに酷い落書きがされていたのは事実だ。元々君は素行がとても悪い事で有名だし、俺もカリディアも他に怪しい人物に心当たりがない。カリディアは人から恨まれるような事をしていないと俺は知っている」
ヴァルヌスの言葉にカリディアは頬を染めてギュッと腕に絡みつく。
「それに……落書きされている物を平然と渡せるものかな? 普通はそんな風に書かれた物を渡す時、少しは気まずそうにするよ。ハンカチを渡す所僕も見てたけど、ウィロー嬢はニヤニヤしながら渡してきたよ。傷つけと言わんばかりにね」
ヴァルヌスとスリジエの言葉にザワザワと困惑のどよめきが広がる。
顔立ちの整った若人に上手に語られれば、すんなり騙される人間は少なくない――貴族学校の時のように。
サリーチェが当時の事を思い出しながら、ソールの腕にしがみつく。そこに微かな震えがあるのをソールは感じた。
サリーチェはずっとこうして虐げられてきたのだ。こうして何も知らない人間の敵意と何もかも知っている人間の悪意に晒されて、翻弄されてきたのだ。
だが、今は違う。今はもうサリーチェは一人ではない。サリーチェが腕にしがみつかなくとも――支えたいと願う男がそこにいる。
「サリーチェ……そんなにしがみつかなくても大丈夫だ」
「え、あ……ごめんなさ」
「しがみつかなくても、私は君から離れたりしない」
ソールはサリーチェの手をそっと優しく解いて肩をしっかりと抱いた後、ヴァルヌスとスリジエを睨み、重い口を開く。
「勝手な思い込みで彼女を犯人と決めつけるのは、もうやめてもらおうか」
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