第39話 ユーグランス家の愛娘と婚約者


 ヴァルヌスはペリドット邸のホールに入るやいなや、豪華な空間とそこを彩る華やかな貴族達の姿に感動していた。

 それぞれの領地の衣装なのだろう、見慣れないスタイルのドレスや貴族服は異国とはまた違った情緒があり、それら全てけして下位貴族には無い高貴かつ威厳のあるオーラに包まれていた。


 貴族学校の卒業パーティーも華やかではあったが、出席者が殆どこの領の学生達だったという事もあり、国中の有力貴族の当主一同が会するこのパーティーと比べるととてもちっぽけな物に思えてくる。

 各領地の重鎮達が一同に介するこのパーティーの主役がソールだと思うと、ヴァルヌスは胃が酷くムカついてくる感じを覚えた。


「ヴァルヌス君、どうしたんだい?」


 穏やかな印象を受ける白髭を蓄えた細身の老貴族が呆然と立ち尽くすヴァルヌスに声をかけた。

 ユーグランス家の当主、ノワイエ伯爵――ヴァルヌスにとって義父にあたる。


「あ、すみません……こんなに国中の貴族が集まるパーティーには縁がなかったので、感動してました」

「ああ……君の家は侯爵家のパーティーに呼ばれるような家じゃないからなぁ。驚きもするだろう」


 自分の言葉を鼻で笑った義理の父親にヴァルヌスはぎゅっと拳を握りしめる。

 ヴァルヌスはけして貧乏な家に生まれた訳ではない。貴族学校の生徒達――ペリドット領の貴族の中では中の中、至って平凡な交易貴族である。

 ペリドット領の上の上に位置し、皇国全体でも有力貴族として数えられるユーグランス家からしてみれば弱小貴族だというだけだ。


「数十年に一度の襲爵パーティー、本来であれば息子夫婦を連れてくる予定だったがソール侯の意向を汲んで君とカリディアを連れてきたんだ。この機会をけして無駄にする事がないように、しっかりこの場でというものを学んでくれたまえ」


 ノワイエ伯の語調は冷たさを隠しもしていない。


 ヴァルヌスはユーグランス邸で暮らすようになってから日々自分に課せられた仕事を必死にこなしているというのに、未だに自分を認めない義父も義兄に不満をいだいていた。

 その上カリディアがあれこれと自分に対する不満や心配を親兄弟に相談するから心休まる一時がない。


 『ヴァルヌス様が元気がなくて心配なのです……』と可愛い娘に言われ続ければ『しっかりしろ、娘を心配させるな』と言いたくもなるだろう。それに加えて愛する娘、愛する妹の関心を奪う婿に対するイビりも感じる。


 嫁姑間の険悪な話はチラホラと耳に入るが、婿舅小舅間の険悪な話を聞いた事がない

 ヴァルヌスはまさか自分がこんな状況に置かれるとは思っていなかった。

 そしてそんなヴァルヌスをカリディアは純粋に心配して家族に相談する、悪循環に陥っていた。


「ところでヴァルヌス君……もう少し服を上手く着こなせぬものか?貴族学校ではそんな事も教えられなかったのか?」


 話が終わって一安心していた所に今度は着こなしについてのダメ出しが始まる。


 (誰か、助けてくれ――)とヴァルヌスが半ば投げやりに思った願いを神が聞き入れたのか、婿舅の冷たい空気に割って入る人間がいた。

 少し前までこの領を統治していたバールド前侯爵代理である。


「ノワイエ伯爵、お久しぶりです」

「おお、バールド殿。そなたもようやく肩の荷が下りたのう」

「そうですね……と言いたい所なんですが、まだまだ下ろせない荷がありまして……ブリアード王国も関っている件ですので是非貴方様のお力もお借りしたい。パーティーに来て頂いた矢先に大変申し訳ないのですが、応接間の方まで来て頂けますか?」

「……ふむ、これまで滅多に我らの行動を阻害しなかったそなたが言うのであれば重要な話なのだろうな。よかろう」


 バールドの言葉にノワイエが眉を顰め、数秒考え込んだものの抵抗すること無く了承し、ヴァルヌスの方を向いた。


「ヴァルヌス君、儂が離れている間カリディアの事を頼んだぞ。馬車の中でも言ったが、国中の貴族達が集まるこのパーティーは貴重な情報交換の場……浮かれている場合ではないのだ。周囲との交流も怠るなよ」


 ノワイエ伯はそう言い残し、バールドと共にホールを後にする。

 残されたヴァルヌスは安堵のため息を付いた後、馬車の中で口煩く言われていたお得意様を探そうと辺りを見回しているとクイッと袖を引かれた。


「あの……ヴァルヌス様、あちらにデイジー様がいらっしゃいますわ」

「ああ、そうだね……行きたいのかい?」


 ヴァルヌスの問いかけにカリディアはコクンと頷いた。


 カリディアはフワフワと可愛らしく大人しい印象を受ける外見と同様、大人しい人間で自己主張する事が少ない。言わずとも周りがあれこれしてくれる――いわゆる溺愛されている為に自己主張しなければならない機会が殆どないのである。


 それ故に自分の言葉で何かが決まる事を嫌い、相手に言わせるように仕向ける傾向がある。そして言わせられなかった時に怒りだす事はないがメソメソして周りに相談し、周りから言ってもらおうとするからタチが悪い。


 そんな事を思いながらヴァルヌスはカリディアを連れてデイジー達の所に向かった。



「お久しぶりです、デイジー様、パクレット様」

「ああ、カリディア嬢。お久しぶりです」


 カリディア嬢のカーテシーに礼で応えるパクレット。その腰には長剣が下がっているが、この場でそれを気にする者はいない。


 この国では『丸腰の状態で出て魔術に長けた者が攻撃してきたら魔術の心得がない者は為す術もない』という理由からパーティーの際も装飾品かつ護身用として帯刀が許されてるからだ。

 

 パクレット以外にも剣を下げている貴族は何人もおり、ヴァルヌスも長剣ではないが腰に防御用の短剣パリーイングダガーを差している。筋力がない者にとっては長剣より護身用の為に作られた短刀の方が断然扱いやすい。


 ヴァルヌスがパクレットの体格を少し羨ましく思っていると、カリディアがまたヴァルヌスの袖を引き、チラチラとデイジーの方を見やる。

 その意図を組んでヴァルヌスがデイジーに話しかけ――る前にパクレットに問いかける。


「デイジー嬢、何かあったのか? 少々落ち込んでるように見えるが……」

「ああ……3週間前、ソール侯がペリドット領に戻ってきた時に私とデイジーで挨拶に行った話をしただろう? その時ウィロー嬢の悪口を言ってしまった、ずっと落ち込んでいるんだ。デイジーは事実を言っただけだから心配しなくて良いと言っているのだがな……」


 ソールの想い人だと知らずにあれこれ言ってしまった――と新聞で見てからずっと落ち込んでいるデイジーは今この場でも元気なさげに俯いている。


「デイジー様、ウィロー嬢は私のハンカチを汚したりパーティーでも私のドレスを汚したりした方です……そんな方を良く言う方が難しいですわ! そ、ソール様がデイジー様に冷たくするようであれば、私からも説明いたします……!」


 カリディアは卒業パーティーで自分を守ってくれたデイジーが心を痛めている姿に心を打たれて必死に励ます中、デイジーに全く興味がないヴァルヌスは周囲を見回すと、こちらに向かってくるスリジエ達と目があった。


 普段微笑んでいるカップルがどちらも微笑んでいない――ヴァルヌスにとってはこっちの方が重要だった。


「スリジエ……何かあったのか?」

「ソールがセレジェイラを無視した」

「スリジエ……そんな言い方をしないで? ソール様は気づいてなかったのかも知れないわ」


 ヴァルヌスが問いかけるとスリジエは素っ気なく応え、セレジェイラが困ったようにヴァルヌスに微笑み、話題を変えようとする。


「ヴァルヌス、ノワイエ伯はどちらに?」

「重要な話があるとかでバールド前侯爵代理に連れて行かれたよ」

「あら、ノワイエ様も?」

「も……という事はケラスィア伯爵も?」

「ええ、少し前にバールド様に呼ばれてホールを離れられたわ。デイジー達も……マルガリータ女伯の姿が見えないけれど」

「ああ、マルガリータ様もここに入ってすぐにバールド様に呼ばれた」


 6人の間に不穏な雰囲気が漂う。イサ・ケイオスの3貴族の伯爵がパーティーが始まって早々、揃って前侯爵代理に呼ばれたとなると只事ではない。


「この絶好の交流の場でお母様達を別室に連れて行くなんて……セレジェイラ、何か心当たりはある?」

「いいえ……私は何も知らないわ」


 ただならぬ状況に顔を上げたデイジーにセレジェイラもカリディアも首を横に振る。

 ユーグランス家の仕事についてはカリディアよりはヴァルヌスの方が分かっているか、とデイジーが視線をズラすと、ヴァルヌスは僅かに眉を顰めていた。


 何か心当たりがあるのか――デイジーが口を開いたその時、ホールの一部分が大きくどよめいた。


 その場にいた6人が一斉にそちらの方に視線を移すと、そこには見惚れるほどに美しい正装に身を包んだソールと、対になった煌びやかなドレスを纏う小柄な女性の姿があった。


 その女性の顔を確認した時、6人は思わず自分の目を疑う。


 そこにいるのはトレードマークの大きなリボンの色こそ違うが、ふわふわと柔らかい金髪に、深緑の眼をした可愛らしい女性――死んだはずの人間、サリーチェに間違いなかった。


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