第36話 踏み台令嬢、裏切られる?・3(※サリーチェ視点)


 今執務室には2人しか居ないっぽいけど、もうノックをする気にもなれなかった。

 代わりに本棚をドンっと思いっきり蹴り飛ばしてやりたい衝動に駆られながら、グッと堪える。

 

「愛すべきお馬鹿さん……でございますか?」


 ビルケさんの不思議そうな呟きの後、ギシッと椅子が軋むような音が聞こえる。


「ああそうだ。サリーチェは自信満々で人を見下す小者の振る舞いも良いが、良いも悪いも考えている事が顔に出ていて非常に分かりやすい。相手の裏を読む必要なく接する事が出来て凄く楽なんだ」


 何よその言い方――まるであたしの事を全く裏がない馬鹿みたいに。あたしの事、馬鹿にしてるの?

 ああ、馬鹿にしてるから『お馬鹿さん』なんて言い方するのよね。


「どうにもこの領の人間は狡猾な人間が多いからな……表情は微笑んでいても心の中で何を考えているのか分かったもんじゃない。そういう貴族達と上手くやっていくのが私に課せられた使命なのは分かっているが、流石に力も学もない人間を散々利用した挙げ句に私の馬車に撥ねさせ、襲爵早々名誉を貶めようとした奴らは見過ごせない」


 力も学もない人間――あたしの事、そう思ってたんだ。確かに、あたしは辺境の男爵の娘で、勉強もロクにしてなかったから、力も、学もないけど。


(ソールは私も、あいつらも……皆の事馬鹿にしてるんだ)


 ゾワッと悪寒が走って、血の気が引く。ドキドキしていた心臓が完全に止まったのかと思うほど胸が静まり返る。


「彼らが襲爵パーティーで尻尾を出してくれればよいのですが……」

「その点は問題ない。暴行事件も糾弾も、真実を知ったサリーチェは豪華なパーティー会場で私の横にいる優越感に浸りながらあいつらに感情をぶちまけてくれるだろう。彼らにもプライドがあるからな。他領の貴族達の前で恥をかかされれば少なくとも一人は絶対にボロを出す」


 ああ、ソールはあたしを利用してあいつらから証拠を得ようとしてるんだ。だから――わざわざあたしを助けて、手厚く看護して、心折れてた私を再び元気にして――


(……ソールは、あたしの為じゃなくて、自分に喧嘩売ってきた奴らに反撃する為に、あたしを)


 怒りが込み上げてくるけれど、それ以上にズキズキと心が痛む。痛んで、涙が、ボロボロとこぼれ落ちて止まらない。


「ただ、彼らも相当頭が回る奴がいるからな。サリーチェが言い負かされる可能性も低くない……その時には」


 もう聞きたくない――聞きたくない。


 こんな所で泣き声あげたくなくて――今の言葉を聞いていた事をソールに気づかれたくなくて、急いで部屋へと戻った。




「あああああああああっ!! 何よ、何よ、何よぉぉぉっ!!!」


 小部屋に戻ってくるなり、ベッドに飛び込んで柔らかい枕に顔を埋めて涙を流す。


 悔しい――物凄く、悔しい。


「酷いっ!! やっぱりあたしを騙してたんじゃない!! 愛すべきお馬鹿さんって何よ!! あいつらは馬鹿で、私は自分にとって都合の良い馬鹿って事でしょ!?」


 あたしより上の貴族達に良いように扱われて、でもその上の貴族ならマシかもって思ったら、あたし達丸ごと馬鹿にしてる嫌な奴だったなんて。


 もう、本当に誰も信じられない。誰も、誰も、誰も――頭が沸騰しそうになる中、疑問だけが普通の温度で頭をよぎる。


(待って……ソールがあいつらに反撃する為にあたしを口説いたんなら、反撃が終わったパーティーの後、あたし、どうなるの?)


 あたし、利用価値が無くなったら、突き放されてるの?

 これまでの男達みたいに、ソールもあたしを捨てるの?


 この館に運び込まれた時は、(北領に行って良い男見つけて穏やかスローライフしてやるわ!)なんて思ってたけど。今突き放されたら正直、辛い。


 今の私には本当にもう誰もいない。ソールは今は都合の良い事言ってるけどあいつら断罪した後は私なんて用無しだろうし。

 お父様だって喜んでる割には帰ってこられたら困るって言うし。


「本当に……酷い……!!」


 馬鹿にするんなら、捨てるんなら、私の言葉を、涙を、受け止めないでほしかった。優しくしないでほしかった。


 あたしが死にかけた時に、あんな必死な顔で抱きしめないでほしかった。あたしと話す時に楽しそうな顔しないでほしかった。

 パーティーも、ドレスも。そんな大袈裟な事しないでほしかった。

 あたしの家族まで騙さないてほしかった。


 そんな事されたら、好きになっちゃうに決まってるじゃない。

 こんな事されたら、何処に行ってももう誰も信じられないじゃない。


 ソールになら、少し位騙されても良いと思ってたけど――こんなやり方ってないわ。酷い――酷すぎる。


「あいつらが嫌いだから排除するのに協力してほしいって、素直に言いなさいよぉ……!! 正直に言ってくれたら、婚約者のフリだってなんだってしてあげたのに……!!」


 思いっきり叫んだ言葉は、小部屋の中に虚しく響いた。


「あああああ!! もう!! もう嫌!! 最悪!!」


 馬鹿あたしを利用しようとするあいつらやソールも。天井を見上げて涙ボロボロ零して泣きわめく自分も、全部嫌。



 もう何も考えるのが嫌で、しばらく声を上げてわんわん泣いた。泣いてるうちに少しずつ、少しずつ頭の温度が下がっていく。


 これだけ泣いてるのに誰も気づいてくれない、気にしてくれないんだなぁ、なんてちょっと冷めた思考も混ざってくる頃には大分冷静になってきた。熱が下がった代わりに頭痛がやってきたけど。


(馬鹿にされたのは悔しいけど……ソールの企みや館追い出されるかもって事も事前に分かったのはラッキーだわ)


 ソールはあいつらが嫌いで、あたしを利用してあいつらを排除しようとしてる。


 あたしだって、あたしを貶めたあいつらを排除してほしい。じゃないとまた殺されちゃうかも知れないし。あたしにはあいつらを排除できる力もない。だからこれに関してはソールに協力してあげよう。

 

 ソールもあいつらみたく痛い目見て欲しい、って思うけど――悔しいけど、納得いかないけど、助けてもらったのは事実だし、騙されたのは凄く不快だけど色々良くしてもらったし――それに、仕返ししたくてもソールに何かするのは難しそう。


 侯爵様に逆らったら辺境の男爵が勘当した娘にすぎないあたしの首なんて簡単に飛んじゃうだろうし。

 公爵家のクライシス様に泣きついてもきっとソールの味方するだろうし。

 だから、ソールへの仕返しも諦める。


 でも、あいつらへの仕返しが終わった後でソールからお役御免と言わんばかりに突き放されるのは絶対嫌。貴族の中で晒し上げられるのも二度とごめん。


(あたしを婚約者として紹介して、取り乱したあいつらを吊るし上げるまではあたしはソールの婚約者……あたしが危ないのはあいつらが捕まった後なのよね)


 だから、そうなる前にソールの前から姿を消したい――突き放される前にいなくなれば、少なくともソールの酷い顔も貴族達の嘲笑も見なくて済む。


(って事は、あいつらとソールが言い合ってる間に逃げるしかないのよね……)


 あいつらは私がある事ある事言っても嘘や思い違いで済ませてきたけど、ソールにそれが通用するとは思えない。偉い人もいっぱいいるし。

 と言ってもあいつらが大人しく罪認めて捕まるとも思えない。あたしの時みたいに上手く周りを味方にしようとしてくるかもしれないし、暴れるかも知れない。


(あ、その時何か起きたら混乱に乗じてあたしもこっそり逃げる……とか?)


 でも、あいつらが大人しく罪認めて捕まったら――? その時はお腹痛くなってきたから、ってトイレに駆け込むのもありかも。

 お腹痛いって言ってる女を自分の都合でその場に留めさせる男なんて、まともな女性貴族から見たら最低だと思うし。ソールも頭良いからそこは上手くいきそう。


 いざ、逃げようと思い立つとぽんぽんアイデアが思いつく。何よ、あたしだって本気になれば結構いい事考えるじゃない。

 感情が全部表に出るとか分かりやすいとか言ってるけど、馬鹿にしないでよね!


 うん、ソールだって散々馬鹿にしてた女が突然いなくなるのは悔しいだろうし。

 <盛大に婚約者として紹介した令嬢にその日のうちに逃げられた若侯爵>だ、って大恥かけばいいのよ!


 (……まあ、ある事ない事言って誤魔化すんだろうけど)


 思い返してみれば力も学もないあたしに、ソールみたいな頭良くて何でも持ってる男が本気で惚れるはずないじゃない。そりゃあたしは可愛いけど、流石にペリドット領の中で一番可愛いとは思ってないし。傷物だし。皆にそれ知られてるし。


 そんなあたしを、王子様が好きになるはずないじゃない。


 怒りと悲しみを抱えて、夢の世界に逃げるようにあたしは眠りについた。


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