第37話 前侯爵の確信


 ソールの襲爵パーティーの日――イサ・アマヴェルは朝から多くの人や馬車で賑わっていた。

 パーティーが始まるのは夕方からだが異国の文化溢れるこの地を軽く観光したいと考える貴族達は多く、ペリドット邸や高級宿ホテルの馬車を停める場所が段々と埋まり、大通りにはいつも以上に多くの貴族達が護衛や従者を連れて行き交っている。


――所変わって、ペリドット邸の執務室の隠し部屋。


「……ごめんなさいね、こんな所で」


 サリーチェの腰に巻きつけたコルセットに紐を通しながらソールより色素が薄い黄緑色の髪と目を持つ女性――メイプル前女侯爵が穏やかな声で謝る。


 ソールより10歳上の女性は優しげではあるもののかつてこの領を取り仕切っただけの威厳も放っている。

 おまけにソールと姉弟、という事もありソールの面影を感じてサリーチェはまともに目を合わせられない。


「昨日の夜からあまり食事を取っていないようだけれど、大丈夫? ソールが心配していたわ」

「だ……大丈夫です」

「パーティーには軽食もあるから、お腹が空いたら遠慮なくお食べなさい。コルセットも少しゆるくしておくわね」

「……ありがとう、ございます」


 借りてきた猫のように大人しいサリーチェにメイプルは拍子抜けしつつ、コルセットの紐を通し終える。


 サリーチェの騒ぎっぷりは同じ館で安静にしているメイプルの耳にもしっかり届いていた。

 彼女が貴族学校の貴族達に様々な意図で利用された事や、彼女を貶めた貴族達がペリドット家の名誉をも貶めようと目論んでいた事、暗殺の事なども全てソールから聞かされてている。


(イサ・ケイオスの3貴族は皆曲者揃い。権力はともかく交易で蓄えた財力はペリドット家より僅かに劣るだけ。そんな家相手に揉め事は避けたいんだけど……)


 ただ、己の私欲の為に一人を徹底的に貶めるような残忍な性格の者達が3貴族の一員になったら、かなり面倒な事になりそうだ。

 3貴族の今の当主が引退して彼らが権力を持つようになった時、改めてペリドット家に歯向かったり良からぬ事を企むようになるだろう。

 それはサリーチェをペリドット家の馬車で殺させようとした事からも目に見えている。


 潰すなら彼らが正式に3貴族の一員にする前――というソールの判断は適切である。今なら3貴族は婚約者だけを切り捨てればいいのだから。


 男の将来性や人間性を気に入って受け入れたとしてもソールによって彼らの本性が晒されペリドット家の反感を買っていると分かれば令嬢達はともかく、彼女達の親は全力で男を突き放すだろう。

 ロクでもない人間との縁談が潰せて良かったとペリドット家が感謝される可能性すらある。


(どちらかと言えば、他領の貴族達の反応の方が怖いわ……あの子、『公侯爵達に事が起きても見守って頂けるよう招待状に記載した』って言っていたけれど……公爵相手にそんな手紙よく送れるわね……私にはそんな恐れ多い事出来ない)


 メイプルは改めて弟と自分の器の大きさの違いを痛感する。


 幼い頃からソールは怒りの感情を見せない、大らかな性格だった。

 学問も武術も礼法も全てそつなくこなし、周りをよく見ている――それらはメイプル自身も備えている資質であったが、メイプルは行動力と鋼のような精神を持っていなかった。


 彼女は侯爵時代、貴族達の表情を裏を読みながら神経を削り、何事も起きませんようにと毎日願いながら伴侶や臣下に支えられて、眼の前のトラブルに対処するのが精一杯で、その裏で蠢くものには見て見ぬふりをしてきた。


 そんなメイプルにとって悪党を確実に吊るし上げる為なら一人で街にも出る、自分の晴れの舞台を断罪の場にする事もいとわない、上の者に丁寧な言葉とは言え『ちょっと揉め事起こすけど黙って見守ってろ』と言えるソールは酷く眩しい存在であった。


 だからこそ、ちょっと危うい面があるのが心配なのだが弟は自分よりずっと強い。その危うさも自分の力で乗り越えるだろう。

 そして自分が手も足も出せなかった事柄にもソールは立ち向かってくれるとメイプルは確信した。


(……私は私の出来る事をしてあげなきゃね)


 自分に出来なかった事を弟に託すのだから、自分は弟に託された役目を果たさなければ。


『サリーチェの様子がどうもおかしい。食欲も元気もない……本人は有力貴族達が集まるパーティーを前に緊張しているのだと言っていたが……姉上、サリーチェがもし悩みを抱えているようであれば相談に乗ってあげてほしい』


 怒りや悲しみの感情を滅多に表に出さない弟が気にかける女性――あれこれ声をかけてみても淡々とした返事でどうしたものかと思いつつ、メイプルはサリーチェにペチコートを渡した後、執務室まで持ってきてあるドレスを取りに行く。



「メイプル……本当にパーティーに出なくて良いのかい?」


 執務室で都の様子を眺めていたバールドが愛する妻の足音に気づいて振り返る。


「ソールには悪いけれど、私はもう胃が持たないわ……これからソールが一騒動起こすって言うなら尚更。私は後方支援に徹させてもらうわ」

「メイプルがそう言うなら、僕も…………は駄目だよね、分かってるよ。ソール君がする事、ちゃんと見届けてくるよ」

「ありがとうバールド、愛してるわ」


 …………の間にバールドがメイプルからおっそろしい目で睨まれたのは言うまでもないが、その後の愛の言葉で癒やされるバールドは治癒師にふさわしい相当なお人好しである。


 互いの頬に軽いキスを交わしあった後、メイプルは黄緑のスレンダーラインの艷やかな生地に薄黄緑のレースやスパンコール、小さな緑宝石が施されたドレスを手に、隠し部屋へと戻っていった。



 部屋に入ってドレスを見せると、サリーチェの目が輝く。


「どうかしら? 私が襲爵パーティーの時に着ていたドレスだから可愛らしい貴方には合わないかも知れないけれど……」

「……そ、そんな事無いですぅ! えっと、すっごく綺麗で、キラキラしてるし高そうだし、動きやすそうだしで何よりです……!! ここの胸の宝石とか、高く売れそうだし……!! 素敵なドレス、ありがとうございます……!!」


 弟同様身長が高めでスラッとした体型のメイプルの為に作られたドレスを加工した物なのでサリーチェが気に入るかどうか心配だったが、サリーチェの表情が緩んでいる事にホッとする。


 千切ったら高く売れそうとか、何だか物騒な事を言っている事をメイプルはスルーした。

 礼節がなっていない娘なのだから褒めが下品になるのは仕方がない、と解釈したのである。


「じゃあこれを着て、後はメイクとヘアセットね。私一人だけでやるから大分時間かかっちゃうと思うけど」

「ペリドット家の人って何でも出来るんですね……」


 感心したように自分を見つめるサリーチェにメイプルは苦笑する。


 一週間ほど前、ソールから『サリーチェを襲爵パーティーに出したいから姉上にサリーチェのヘアセットとメイクを頼みたい』と言われてから侍女を相手に練習した。


 これまで何十回もドレスを身に纏い、髪を整えて、化粧を施してもらった立場だから大体の手順は分かっていただけにさほど難しい事ではなかったが、長年侯爵を務めた女性に対してメイドの真似事をしろとは無茶な話ではあった。


 姉にそんな無茶振りしてくるほど弟はこの令嬢に入れ込んでいるのだ。

 これまで数多くの縁談を袖にして浮いた噂一つ聞かなかった弟の姿を思い返すメイプルにサリーチェがボソボソと問いかける。


「あの、メイプル様……もしあいつら……いえ、彼らが来ないって事になったらソール、どうするつもりなんでしょうか……?」

「大丈夫よ。あの子、貴方が暗殺されかける前に伯爵達に令嬢達と彼らを連れてきてもらえるように招待状に書いたらしいから。欠席の連絡も来ていないし、間違いなく来ると思うわ」


 襲爵パーティーは皇国中から有力貴族が集まる。彼らとの交友を広げるには最上の場だ。

 もし仮に体調不良で寝込んだとしても大枚はたいて治癒師を呼んで強引に治療してもらう位に襲爵パーティーは招待を受けた貴族にとって重要な場なのである。余程の事が起きない限り欠席する事はない。


「そ、そうですか……それなら、良いんですけど……」


 サリーチェのホッとしたような呟きは静かに宙に溶けて消えた。


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