第30話 国境都市の3令嬢
「ソールさまはどのような女性が好みなのですか? 私、がんばってソールさまの好みの女性になりますので教えてください」
自身の8歳の誕生日を祝うパーティー。大人達がそれぞれ話に花を咲かせる中、ソールは7、8人の年が近い令嬢達に囲まれ、デイジーの真っ直ぐな問いかけに言葉を詰まらせた。
ソールが生まれた歳にイサ・ケイオスの3貴族にそれぞれ令嬢が生まれたのは偶然か、意図的か――どちらにせよ令嬢達は幼い頃からソールを最有力の婚約者候補だと認識していた。
ペリドット領で最も重要な都市は主都ではなく国境都市であり、ペリドット家の次に権力を持つのがイサ・ケイオスの3貴族であり――ペリドット家は3大貴族の1つと代々何かしらの繋がりを持っていたからである。
ソールとメイプルの父の代は3大貴族ともに娘に恵まれなかった為、代わりにソールの叔母が3貴族の猛烈なアプローチを受け、キルシュバオム家に嫁いでいる。
だからこそプラトリーナ家の幼い少女は家族から次代の侯爵の心を射止めるように言われているのだろう。
その眼差しは慕情というより(未来の伴侶にふさわしい人間にならなければ!)という使命に満ちた力強い眼差しだった。
「えっと……まだ好み、ってよく分からないな……でも僕、デイジーの事嫌いじゃないよ。だから君は君らしくあればいいんじゃないかな」
微笑みながら無難な言葉でかわすソールに周囲の令嬢の何人かは頬を染める。しかしデイジーには効かなかった。
「ソールさま、嫌いじゃない、という言葉は<好きじゃないけど嫌いでもない>、ショウキョクテキなケースで使われる言葉なのだそうです。私は例えセイリャクケッコンと言えど夫婦となるからにはソール様に好かれたいと思っているのですが、どうすればソールさまは私に好意を持ち、前向きにコンヤクを検討して頂けるのでしょう?」
ソールはけして『嫌いじゃない』という言葉を消極的な意味で使った訳ではなかった。
この場において女性に対して『好き』という言葉を放つ事がどれだけリスクのある事かパーティー前に姉からしつこく教えられた為、好きという単語を使えなかったのである。
『――ソール、貴方はいつか侯爵になるの。そんな貴方が軽い気持ちでも『好き』って言おうものならその子は貴方のお気に入りとして見られて、色々面倒な事になるわ。貴方も、その子もね。だからその子の事を考えるとドキドキする位好きで、何があっても守りたい、一生傍に居たいって思う子以外には好きって言っちゃ駄目よ――』と。
嫌いじゃないという言葉が消極的に捉えられてしまうのなら、一体どう言えばいいのか――とソールが悩んでいる間にデイジーは言葉を重ねる。
「それとも、すでにソールさまはすでに心に決めた人がいるのでしょうか? もしそうであれば努力する方向を変えなくてはなりません。いるのならば教えてください」
力強い目で淡々と詰め寄ってくるデイジーに(この子をお嫁さんにしたら疲れるだろうなぁ)と、ソールは子どもながらに思った。
詰問から逃がれたいあまりに視線をズラすと、デイジーの隣で俯いて口元に手を当ててまともにソールと目を合わさないカリディア嬢が視界に入った。
「カリディア嬢、どうしましたか?」
「あ、あの……その……」
「……体調が悪いのでしたら、休憩室で少し横になった方が」
「いっいえ……! 体調は悪くないのです……!」
体調が悪くないなら何なのだろう――男に話したくない事なのだろうか? と考えたソールが令嬢達の向こうで待機しているメイドを呼ぼうとすると、頭の中に声が響いた。
『ソールさま、カリディア嬢は椅子に座りたいのです』
同じ年でありながらこの場にいる誰より麗しい容姿に美しい声で他人を慮るセレジェイラの言葉にソールは改めて周囲を見回すと、確かに何人か少し辛そうな表情をしている。
椅子に座りたいなら少し離れた所にテーブル席も用意されているのだから座ればいいのに――ソールは思ったが、そんなソールの心境を察したのかセレジェイラの念話が続く。
『ソールさま。彼女達には座るという選択肢がないのです』
誕生日パーティーでも無い限り次期侯爵と会える機会は滅多にない――これを機に接触を図りたい令嬢達の事情をソールは察する。そして、セレジェイラが言いたい事も。
その後ソールはメイドに言付けて人数分の椅子を用意してもらい、皆座って語りあった。
パーティーが終わった後、館に一泊する予定の3貴族の当主達と令嬢はそれぞれ用意された客室へと案内されていく。
大広間から出ていこうとする列の中でセレジェイラはソールに振り返り、改めて念話を送った。
『……ソールさまは本当に今、想う人はいないのですか?』
『うん。嘘はつきたくないからね』
子どものうちから念話を教えるとロクな事にならないので念話を習うのは12歳から、と決まっているのだがソールもセレジェイラも地頭が良い為、大人が使っているのを見ている内に独学で覚えていた。
『そうなのですか……私はソールさまと結婚し、添い遂げるつもりで生きておりましたから、ショックですわ。ソールさまもわたくしの事、好きだと思っておりましたから……』
ポロポロと涙をこぼし悲哀を表す美しい少女をソールは冷静に念話を続ける。
『セレジェイラ、僕にドキドキした事ってある?』
『ドキドキ、でございますか……?』
『姉上が言ってたんだけど、好きな人を見ると心がドキドキするらしいよ。相手から冷たくされたり悲しまれたりすると心がズキッと痛むんだって。僕は女の人を見てドキッとする事はあるけど、まだドキドキした事はないんだ』
何を言ってるのか、よくわからない――といった様子のセレジェイラの涙はピタリと止まっていた。
(懐かしい夢を見たな……)
カーテンの隙間から差し込む日差しを眺めながらゆっくりと身を起こす。
あのパーティーの数年後にデイジーの兄とセレジェイラの弟が事故で亡くなり、デイジーやセレジェイラは後継ぎとして婿を取る立場になってしまった為、ソールの婚約者候補から外れてしまう事になった。
カリディア嬢についても『侯爵夫人ともなると招待や視察で頻繁に別都市や他領に赴く事は免れません。カリディア嬢には荷が重いのでは』とカリディアの「体」の弱さを全面的に押し出して心から心配する体で断った。
カリディアを溺愛していた親兄弟達は確かに、と引き下がった。
3貴族の令嬢との婚約話が無くなったタイミングでソールは貴族学校に入学し、1年の時を経て魔導学院に編入して残りの学生生活を過ごした後、現在に至る。
(しかし、こうして思い返してみてもセレジェイラがサリーチェに悲しげな視線を向けていた理由が分からないな……もし私がサリーチェに想いを寄せている事に彼女が気づいていたとしても……)
そこまで考えた所で執務室にノック音が響く。一旦考えるのを止めて扉を開くと、バールドが食事を乗せたワゴンと新聞を持って立っていた。
時間を確認すると8時。夢を見るのは久々だと思っていたが随分と寝入ってしまっていたようだと軽く身だしなみを整える。
サリーチェに食事を持っていく前に新聞を確認すると<踏み台令嬢の最後の恋、運命に引き裂かれる>と、サリーチェが亡くなった事が一面に記載されていた。
昨日の午後、サリーチェが死んだ事を聞きつけたらしい
死んだ、という偽りの情報を広めるには新聞社を使うのが一番手っ取り早く、過激な見出しになる事は予想の範囲内であった。
しかし前回、予想外の書き方をされてしまった為、今回も油断はできない――ソールは真剣に記事を読み進めていく。
<一昨日の夜、これまで紙面を騒がせていた踏み台令嬢ことサリーチェ・フォン・ゼクス・ウィロー嬢(18)が亡くなった。バールド前侯爵代理の証言によるとメイドが気づいてソール侯が駆けつけた時には既に事切れていたとの事で死因は不明。外傷はなく、暴行事件による多大なストレス及び、彼女自身が何かしらの持病を抱えていた物と推測される>
実際はクライシスのように無償で治療してしまう事も多いのだが、そんな事が知られればダンビュライト家に連日連夜病人が詰めかけてしまい、彼らの魔力もけして無尽蔵という訳ではないので色々困る状況になってしまう。
その為、表面上『個人の持病は治療しない』という方針を掲げており、ペリドット領の民の中でこの記事に対して(ダンビュライトの公子に治してもらったんじゃないの?)と疑問を抱く者はいない。
読み進める限り特に問題はない――とソールが油断したのもつかの間、最後は次のような言葉で締め括られていた。
<悲しみのあまりソール侯は閉じこもり、取材に応じてもらえなかった。以前の取材でもソール侯はウィロー嬢の名を明かすのは止めてほしいと言っていた事からソール侯はウィロー嬢に強い慕情を抱いていたと思われる。執事や従者達からもソール侯がウィロー嬢をとても大切に扱っていたという証言を得られた。あらゆる男達と浮名を流し、本紙を騒がせ、最後に若侯爵の心を奪った悪女の最後は実にあっけないものであった。若侯爵が一日も早く失恋から立ち直ってくれる事をペリドットの民として心から祈る>
「……1日執務室に閉じこもっただけだというのに凄い書きようだな」
「ああ……ビルケが君とサリーチェちゃんとの婚姻が民に受け入れられるように君がどれだけサリーチェちゃんを愛していたか、大分盛って伝えてたからね……」
バールドの言葉に一瞬固まり、ややぎこちなくバールドに視線を移す。
「義兄上……ビルケから何か聞きましたか?」
「……何を?」
きょとんとした表情で問い返され、ソールはひとまずホッとした。
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