第27話 怒りも悲しみも溶かして
正直に「君は馬鹿な娼婦だと言われていたんだよ」だなどと、どれだけ綺麗に取り繕っても最悪の台詞を言えるはずがない。
暗い顔で、罵った奴らに怒りを込めて吐き出せば一見様になっているように見えるがサリーチェが『貴方さっきあたしの事馬鹿だって思ったから馬鹿だって言われてないか聞いたんでしょう!?』と気づいて問いだたされると返す言葉に困る。
(サリーチェの実に尊く素晴らしい自尊心をこれ以上傷つけるような事があってはならない……!)
彼女の、身の程を知らずキャッキャとはしゃぐ愛らしさを取り戻す上でこの問い掛けの答えは絶対に間違えてはならない――緊張の中、ソールの中であらゆる思考が高速で駆け巡る。
「……ブリアード王国で使われる相手を下に見る悪口だ。その異国人はブリアード人と見て間違いない。誘拐と強姦も最初から君を狙った計画的な犯行だという事もよく分かった」
「何で?」
ソールが10秒で出した無難かつ簡潔な言葉とサリーチェが食いつきそうな言葉を続けて放つと、サリーチェがしっかり後の言葉に食いついた。
ソールは窮地を乗り越えた事に安堵しつつ言葉を続ける。
「イサ・ケイオスは国境という事もあって特殊な都市でな。交易の為に異国の馬車が都市内に入る事は認めているが、都市を通過してペリドット領内に入る事は認めていない。逆に皇国の馬車もイサ・ケイオスを超えて異国に行く事を禁じられている」
複数の国を合わせても足りないくらい広大な国土を持つ皇国は多くの異国の物資が輸入される事を良しとしない。
その為皇家や公侯爵家、あるいはそれらの家に認められたごく一部の家の馬車のみ外門を通過する事が認められているが、ほんの一摘みの例外である。
「不正な出入りを防ぐ為にイサ・ケイオスに入る馬車は全て馬車の後方に国と所有者を示す番号が刻印されている。国境側の外門とペリドット側の内門を守る警備隊が馬車の往来の際に必ず馬車の後方を確認しているから、番号の刻印がされていない馬車はそもそもイサ・ケイオスに入れない」
「えっと……つまり、皇国の馬車は異国に、異国の馬車は皇国に入ってこれないような仕組みになってるって事?」
「ああ。だから番号を見れば何処の家が所有している馬車か特定できる仕様なんだが……」
「ふーん……」
思い返すように天井を見上げるサリーチェに(もしサリーチェがその馬車の番号を見て覚えていれば――)と、花びらより薄く淡い期待を寄せて見据えるが数秒後、期待は音も立てずに崩れる。
「悪いけど、全然記憶にないわ……」
「気にする事はない。肝心なのは今の話で君がイサ・ケイオス内で馬車を乗り継いでブリアード王国にさらわれた事と、この誘拐についてこちら側の貴族が関わっている可能性が高い、という事の2つだ」
「あ、そっか、皇国の馬車と異国の馬車を乗り継げるのってイサ・ケイオス内だけって事になるのね……! ねえ、関わってる貴族って、もしかして……」
「ああ……卒業パーティーで君を糾弾した貴族達の中にいる。特にパクレットが関わっているのは間違いない。恐らく動機は君を弄んだ事の口封じ……トドメにわざわざペリドット家の馬に踏ませて翌日私の顔を見に来た辺り、どうも私に対して私怨があるようだ」
恐らくはデイジー嬢の婚約者候補だった自分に対抗意識を燃やしていたのではないか、とソールは考えていたがサリーチェが思い出したように別の可能性を示す。
「そう言えばあいつ……貴方がいない剣術大会なんて何の張り合いもないとか言ってたわ。貴方の事、いつもすまし顔でいけ好かなかったって言いながら、貴方がいない事を残念がってて……貴方の事好きなのか嫌いなのかよく分からなかったわ」
「……そうか、確かに彼は剣術においては抜きん出ていたからな。貴族学校では私くらいしかまともに戦える相手がいなくてつまらなかったのだろう」
自分がいない剣術大会で優勝した事に満足できなかった分、自分の婚約者候補であったデイジー嬢を射止めた事で優越感に浸っていたのだろう――そんな、マウントを取りたがる者の浅ましさはソールはけして嫌いではなかった。
そのまま悦に浸っているのも良し、打ち負かされて悔しさをバネに這い上がってくるのも良し――だが、こういった卑怯な手段に出るのはよろしくない。
ついでに彼は戦闘における瞬間的な判断能力に長けていても計略や戦略に関しての頭脳は然程よろしくない。
そんな彼が貴族学校でサリーチェを上手に追い詰めたり殺害計画を一人で企てられるとは思い難い――間違いなく頭の切れる協力者がいる。
「……パルマから聞いた範囲での推測ではあるが、彼と仲が良い男の中で卒業パーティーで君を糾弾したらしいヴァルヌス卿やスリジエ卿が怪しいかと思っている」
自分達の非道をただ闇に葬るだけならわざわざ人目につきやすい場所でサリーチェを殺す必要はない。
なのに最後にわざわざペリドット家の馬車にトドメをささせようとした辺り、侯爵家――及び侯爵に対して私怨がある人間の行いだという事は容易に推測できる。
新侯爵になった途端人身事故が起きるというのは非常に縁起も悪く、もしクライシスがいなければ襲爵早々に泥をかぶり、ソール自身も初恋の人を失う事になりかねなかった。
つまり、サリーチェを始末しようとしていた貴族達はサリーチェへの殺意、及び次自分に悪意を抱いている人間達の集まり――ソールの思考はそこまで行き着き、既に当てはまりそうな人間を洗い出していた。
3人は皆イサ・ケイオスに居を構える貴族の子息であり、その都市を統率している3貴族の令嬢の心を貴族学校で射止めて婚約に至っているという共通点もある。
そしてソールは3人から悪意を抱かれる心当たりがあった。だからほぼ確信にちかいものを持って発言したのだが、サリーチェからは意外な言葉が返ってきた。
「……スリジエって誰だっけ?」
「キルシュバオム家のセレジェイラの婚約者と言った方が分かりやすいか? 髪と目はくすんだ黄緑色で、背は君より少し高い位の中性的な青年だ」
「あー……! あの、女装させたらあたしより美少女になりそうな、あの……! でもヴァルヌスはともかくあたし、そいつと一切関わってないけど……」
(……スリジエ卿はサリーチェを利用しなかったのか?)
ソールは改めて貴族学校時代の事を思い返す。言われてみれば自分が学校を去る前に既にスリジエとセレジェイラは良い関係を築いていたと思う。
常にスリジエがセレジェイラに寄り添い、セレジェイラもスリジエに対し慈愛に満ちた温かな視線を向けていた。
(ヴァルヌス卿の計画にしては隙がなさすぎるからスリジエ卿が計画したと踏んだんだが……他の可能性も考えた方が良いか)
「あ、でも、セレジェイラ繋がりであたしを嫌ってそうな感じはあるかも……」
「……セレジェイラに何かしたのか?」
ソールはかつて自分の婚約者候補であった少し癖のある黄緑の髪と目を持つ美しい令嬢の姿を思い返す。
イサ・ケイオスの三貴族、中央区を取り仕切るキルシュバオム伯爵家の一人娘はソールの従姉妹でもあった。
「何もしてないわよ! ただ、向こうがあたしの事悲しげな顔で見てくるの! 最初はあたしを哀れんでるのかなと思ったけど、一切庇ってくれる訳でもないし。それならこっち見ないでくれればいいのに、あたし見かける度にずーっと悲しげな顔してるらしくて、何度あの子の取り巻きの男女から何度『セレジェイラ様に何かしたんでしょ!?』『いい加減にしなさいよ!!』って身に覚えのない事で罵られて本ッ当最悪だったわ……!!」
常に微笑みを絶やさず、周りへの配慮も欠かさない才色兼備の伯爵令嬢は少し眉を
何もしなくとも周りが配慮し、良かれと思って動く――そんな彼女の圧倒的なカリスマがサリーチェにとって最悪の方向に作用したようで、サリーチェはブチブチとセレジェイラへの不満をぶちまけた。
「そう言えば聞いてよ! ヴァルヌスの婚約者のカリディアだってあんな儚げで大人しそうな顔してるくせに、ものすっごく性格悪いんだから!!」
「カリディア嬢が?」
「そうよ! 丁度1年前くらいかな、貴族学校の廊下にハンカチ落ちてて、丁度表面にユーグランスって家名書いてあって、持ち主分かってるのに放置もちょっとねって思って渡しに行ったんだけど……」
サリーチェが話題が変えたのに合わせてソールもセレジェイラを思い返すのをやめ、カリディアの記憶を引っ張り出す。
サリーチェの言う通り、儚げて大人しい風貌の通り引っ込み思案で内気な、色んな面で幼さを感じる美少女だった。
「その場ではお礼言われたけど、その後そのハンカチ広げたらブリアードの方言で『死ね』って書かれてたらしくて、それが何でかあたしが書いた事になっててさぁ! あたし知らない! ブリアードの方言なんて知らない! って言っても、誰も聞いてくれなくて……!! そこから人の物が失くなったり壊れたりしたら全部あたしのせいにされて……!! あれは絶対カリディア嬢の自作自演だわ!」
叫びが部屋いっぱいに響き渡る中、ソールは冷静にサリーチェの訴えを解析する。
(いや、もしカリディア嬢が自作自演するなら普通に表記するはずだ……サリーチェに伝わらず、カリディア嬢に伝わるように誰かが意図的にブリアードの方言を書いて落とした可能性が高い)
その状況だと例えサリーチェがハンカチを拾わなくても、真犯人が拾ってカリディアに渡し、彼女がショックを受けた後で『そう言えばハンカチの傍にサリーチェがいた』と密告して同じ状況に追い込んでいただろう。
サリーチェが馬鹿だからこうなっているのは明らかだが、恐らく馬鹿でなくても同じような状況に追い込まれていた――頭のいい者達が凡人1人を徹底的に甚振り弄ぶやり方にソールは腸が煮えくり返るような怒りと嫌悪感を抱く中、サリーチェの訴えは続く。
「それで、本当は卒業パーティー出るつもりなかったんだけど、ヴァルヌスから『カリディアはちょっと思い込みが強い所あるから』って……卒業パーティーで謝ればきっと誤解も解けるだろうし、あたしがカリディアの誤解であれこれ言われてるのは彼女の婚約者としても辛いし仲介してあげるから、って言われて……しぶしぶ出てヴァルヌスの所に行ったらカリディアにぶつかっちゃって、持ってたジュース零しちゃって……」
サリーチェの震える口から紡ぎ出される言葉にソールは昨日の夕食の際のやり取りを思い返す。
『何であたしが誰かとぶつかって持ってたジュースで人の服を汚してしまって周りから責められた時と同じ気持ちにさせられなきゃいけないのよぉ……!!』
その時の事なのだろう。少し赤くなってしまった目が再び潤みだす。一度吐き出した程度で全てがスッキリするほど、サリーチェが受けた傷は軽くはないのだ。
「前に自分が同じ目にあった時、みんなあたしを嘲笑ってたのに、その時は皆カリディアの味方で……ヴァルヌスが『いい加減にしてくれ!』って怒って、糾弾が始まったの……後ろから押された、なんてあたしの言葉、誰も信じてくれなくて……」
「……サリーチェ」
ソールの呼びかけにサリーチェはハッとしたように顔を上げる。袖で目をこすった後、作り出した笑顔は吹っ切れたようにも見えたが、酷く痛々しく見えた。
「あー……ごめんなさい、何か、また涙出てきそう…………あの、もう一回、胸借りていい?」
「許可を取らなくていい。君の中にある怒りや悲しみが全て流れ出るまで、何度でも貸そう」
ソールはサリーチェの目元に溜まる涙をそっと拭った後、静かに抱き寄せた。
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