第26話 彼女をさらったのは


「あ、あ、貴方のそれって天然なの……!? 傷ついた女には皆こんな風に優しくしてるの!?」

「まさか。その気のない女性にこんな事を言ったら誤解されるだろう? 勿論、失礼がないように振る舞うが、私がここまで優しくするのは君だけだ、サリーチェ」


 聞けば聞くほど心の奥が熱くなるような言葉が返ってきて、サリーチェは沸騰しそうな頭を少しでも冷まそうと無言でアイスクリームにパクつく。

 それでも胸の高鳴りは止まず、これ以上ソールの率直な愛の言葉を聞いていたら心臓が持たない――サリーチェはアイスクリームを食べ終えた後に何を言えば良いのか悩んだ末、今朝のやりとりを思い出す。


「そ……ソールは、私が親から勘当された所までは知ってるのよね!?」

「ああ。正確には新聞記者から君が勘当された後、酒場に逃げ込んだ所までは聞いている。記者は酒場の店主に追い出されて1時間後に変装して戻って来たら君がいなかったと言っていたが……」


 ソールがちゃんと話題を変えてくれた事にホッとしつつ、サリーチェは当時の事を思い出してポツポツと言葉を紡ぎ出した。


「うん……記者を追い払ってもらってから、お店に入ったからには何か頼まなきゃと思って。お腹も空いてたし、メニュー表に結構美味しそうな物が並んでて……きのこのバターソテーと、チキンフライと揚げ芋頼んだ所で『酒場に来て酒を頼まないのか? 奢ってやるから飲んでみろよ』って、マント羽織った男に絡まれて……」

「その男に見覚えは?」

「ううん、初対面……あいつ多分、異国人だと思う。前髪で隠れてて色合いはよく見えなかったけど、混色眼なのは分かったから」


(混色眼……この言い方だと肌の色は私達とあまり変わらないみたいだな……)


「それで……まあタダならと思って色々食べてお酒も飲んでたら気持ちいいのと気持ち悪いのとで頭グラグラして……気づいたら、馬車に乗ってて……」

「……馬車?」

「うん……朝だったか夜だったかは分からないんだけど、一度だけ馬車を降りて、乗り換えて……で、気づいたらここみたいに窓のない部屋の大きなベッドに寝かされてたの。そこで裸の男達が何か言いながら近づいてくるから足で蹴っ飛ばしたり噛みついたりしてたら顎掴まれて、さっきの甘い匂いがする液体を一口? 少なくとも1滴とか滴で示すような量じゃない位飲まされて……それから視界がグニャグニャして、どの位経ったのかも分からない内にまた、多分、馬車に乗せられて……気づいたら路上で突き飛ばされて、倒れて、馬に踏まれてた感じ」


 言葉を挟めない程悲惨な話を紡がれ、ソールはこみ上げてくる怒りと悔しさを胸に抑えきれず、ギリ、と歯を噛みしめる。


「そ……そんな顔しないでよぉ! よく覚えてないのにそんな顔されたら、あたし本当に酷い目に合わされたんだなって思っちゃうから!」


 サリーチェ自身は本当に覚えておらず、ソールの目が潤むのを見て慌てて両手を横に振るが、そんな彼女の手をソールはぎゅっと握りしめた。


「べ、別に私、本当に穢されたとか、そういうので落ち込んでないからぁ……! そうやってギュッって握るのやめてよぉ! 何かよく分かんないけど、涙出てきちゃうじゃない……!」

「サリーチェ、泣きたいなら思う存分泣けばいい……私の胸で良ければいくらでも貸そう」


 ソールはサリーチェの前に跪き、真剣な声で訴えるとサリーチェは少し戸惑った末におずおずと、臆病なハムスターのようにソールの胸から少し下の位置に頭を寄せる。

 途端抑えていた涙がボロリと落ちて、自然とか細い声が漏れた。


 薄暗い部屋に嗚咽が響く中、ソールは無言でサリーチェの背中に手を添える。

 貴族学校でも魔導学院でも授業では傷心の女性を励ます言葉など習わなかった。ただサリーチェの場合、サリーチェが嫌がらなければ正解である事をソールは知っている。


 溶けたアイスクリームが冷たさを失う位までそうしていると、サリーチェは握られてない手でドンッとソールの胸を叩いた。


「あたしが……あたしが一体何したって言うのよぉ……!!」


 その怒りはソールに対してのものじゃない事は握っている方の手が一切抵抗していない事から察せられた。


「皆に騙されてっ……笑い者にされて……!! 男だって、女だって、誰もあたしの言葉信じてくれなかったっ……!! そりゃあ、あたしだって自分が性格良いだなんて思ってないけど! 性格が良くない自覚あるけど……!! そんなの、皆同じじゃない……!!」

「……そうだな」


 続けてドン、ドン、と叩かれるもサリーチェの全力の叩きは肉体的には大した痛みはなかった。

 ただ、今サリーチェが抱く苦しみや悲しみから守る事が出来なかった事実とサリーチェの悲痛な声がソールの心に深く刺さった。


 それでも諦めや悲しみを過ぎて、素直な怒りを吐き出してくれるになった事に安堵しながらサリーチェの怒りを受け止める。


「そうよぉ! 皆性格悪いくせに良い子ぶって! 何であたしだけこんな目に合わなきゃいけないのよぉ……!!」

「本当に、守ってやれなくてすまなかった……サリー」

「本当そうよぉ! 好きなら好きってすぐ言ってくれれば良かったのよぉ……! 後、サリーって呼ばないでよぉ……!! これまでの男達、皆私の事サリーって呼びだすと変な事になっちゃうから、それ、もう、別れの合図みたいで嫌なのぉ……!! 貴方にだけは絶対サリーって呼ばれたくないぃ……!!」


 ソールはつい自然と溢れてしまった愛称を酷く理不尽な理由で一生禁じられた事に納得がいかなかったが、今はサリーチェの中の怒りを吐き出せる事の方が大事だと判断して言及せず、十数分ほど泣き叫ばせた後――サリーチェは喉が渇いたのかティーカップにレモネードを注いで飲み干した。


 酸味のある飲み物で少し平静を取り戻したのか、フイッと顔をそらす。


「そ……そういう訳だから、は、犯人、絶対見つけてよねっ!」

「ああ。もう少し時間はかかるだろうが必ず見つけ出して裁きを受けさせる」


 誘拐に婦女暴行、殺人未遂に暗殺未遂――これらの罪を合わせると首謀者の死刑は固い。

 愛称呼びを禁じられた私怨も含めて絶対に公の場で犯人達を吊し上げた上で裁きを受けさせようとソールは固く決意した。


 だが、その為には確実な証拠を手に入れていかなければならない。誰がどう繋がっていたのかを証明できなければ裁けないのである。


「サリーチェ……マントの男が何処の国の人間か分かるか?」

「んー……分かんない。ペキニーズの人みたいに肌の色が濃かったり語尾に特徴があれば私にも分かったんだけど……」

「国の名前や家名らしき言葉は言ってなかったか?」

「うーん……男達は何かぼそぼそ喋ってたけど……ピンとくる言葉は言われなかった。意識が朦朧としだしてからはよく分からないし……」


(聞いている限り攫ったのも嬲ったのもペキニーズ連合国の人間ではない……ウィペット王国の媚薬を使っている……となるとウィペット王国の人間と考えるべきか……?)


 しかしペキニーズの旅芸人がウィペットの媚薬を持っていた事を考えると確証に欠ける――悩んだ末にソールはサリーチェに問いかける。


「サリーチェ……その男達からボーボ、あるいはユシェンダと言われなかったか?」

「え……あ、うん……確かにユシェンダとかユシェンダシャンフって何度も言われた……!」


 思い返して数秒でサリーチェが目を輝かせて断言する。


 ユシェンダとはブリアード王国及びペキニーズ連合国の北方で『馬鹿』という意味の方言で、ウィペット王国では馬鹿はボーボと呼ばれる。


(ウィペット王国ではない事は分かったが、シャンフとは一体……?)


 聞き慣れない言葉に違和感を覚えたソールは後で執務室に戻ったら辞典を調べようと思い至るが、その前に義兄バールドからもらった方言メモに書いてないだろうか――と考え、冊子を取り出してパラパラとめくる。

 何枚かめくった末にバールドの丁寧な字で綴られた単語の中にそれはあった。


 <シャンフ……ブリアード王国、隠語、闇業者が仲介する出張娼婦>


 異国人達が何処の国の人間か、はこれで特定できた。そしてこれを書いた義兄から書き記すに至った経緯を聞けば何か掴めるかもしれない――と思った所で新たな問題が立ち塞がった。


「ねえねえ、ユシェンダシャンフってどういう意味なの!?」


 想い人に面と向かって『君は馬鹿な娼婦だと罵られていたんだよ』と言わなければならない問題を切り抜ける為にソールはあらゆる思考を巡らせた。


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