第22話 縮まった距離


 晴天の光が厚いカーテンの隙間から朝を告げる。その微かな日差しと遠くに響く鳥の囀りに起こされたソールはソファから身を起こすと、パン、と自分の手で両頬を叩いた。

 痛くとも眠気を飛ばし意識をハッキリさせるにはこれが一番手っ取り早い。


 サリーチェが眠った後、ソールは執務室に戻りソファの上で一夜を過ごした。


(昨日は……大分恥ずかしい真似をしてしまったな)


 痛みが眠気とともに引いていく中、昨夜の出来事を振り返る。

 サリーチェが襲われ、すんでのところで友から貰った魔晶石で助ける事が出来た。


 助かった事が嬉しくて咄嗟に抱きしめ、彼女から差し出された手には口づけをしてしまうという、実に紳士らしからぬ暴挙をしでかしてしまった事に自分でも戸惑いを覚える。


(本当に、恋は知性を奪うとはよく言ったものだ……彼女が死ぬと思ったら理性が感情に押しつぶされて……まるで爆弾を抱えているようだ)


 曲者が多く住む広大な領土を治める侯爵として常に紳士として非の打ち所のない人間でいなければならないソールにとって、いつ爆発するか分からない爆弾はゾッとさせられるものがあった。


 だが、けして悪い気持ちではない。感情を素直に出し、それを受け入れてもらえた喜びは恥ずかしさの分を差し引いても有り余るほど残っている。


(それに……彼女の警戒心も大分解けたようだ)


 女性が抱擁や口づけを拒絶しない――それはけして『信頼の表れ』とは限らない。必要とあれば嫌いな相手や警戒している相手からの抱擁や口づけも笑顔で受け入れる者もいる。ソールもそういう人間の一人であった。


 しかしサリーチェは違う。快も不快を素直に表し、隠そうとしても滲み出る。

 警戒心バリバリで懐疑心の塊だった彼女がソールの少々過激なスキンシップに対して罵声を浴びせかけてこなかった――それは少なくとも、そういう事をしても良いと思っている程度には信頼されていると思って良いのだろう。


(……警戒も解けて、サリーチェの安全も保証された。後は時期が来るまで彼女を保護し、何とか犯人の手がかり……証拠を掴めれば)


 貴族学校の卒業パーティー、サリーチェを襲った人間達、この館で彼女を襲ったメイド風暗殺者――全てが繋がっているのは間違いない。

 その繋がりを示す証拠を掴めれば芋づる式に吊るし上げる事ができるのだが、証拠どころか身動きが取れない。


 貴族学校の生徒に聴取に当たれば首謀者達にも知られる可能性が高い。襲撃には関わっていなさそうなデイジー嬢に内密に連絡を取るのも不安がよぎる。

 主の前でイチャつく態度は心許ないし、下手すれば彼女自身に危険が及ぶ。


(赤と青と黒の気持ち悪い蛇……)


 サリーチェの言葉を頼りに皇国内の生物図鑑と異国の資料を確認してみるも、該当する蛇は見つからない。


 ただ、確かにソールはその色合いの蛇を見た覚えがあるのだ。それも古い記憶ではない。ここ最近、蛇を見た記憶といえば――


『ソール、あれを見てください! 魔力を使っていないのに蛇が動いたり止まったり……あの蛇使いはどんな技術を使っているのでしょう……!?』


 そう言った友人が指差した先で――黒をベースにした体に赤の水玉模様が青く縁取られた実に毒々しい色合いの蛇を蛇使いが華麗に操っていた。


(そうだ、クライシスに主都を案内している時に見かけた蛇使いの蛇……!!)


 生物図鑑は各地を探索する生物学者によって記された物だが、異国の資料に関しては必要に迫られた時でない限りいちいち記録しない為、生物に関する資料は3国分合わせても2センチに満たない厚さだった。


(これからはイサ・ケイオスを通過する生き物は全てどういう類の物か詳細に記させる必要があるな……!)


 目に強い光が宿ったソールは早足で一度自室に戻り、クローゼットからシンプルなシャツとズボン、フードマントを取り出してしっかり部屋に鍵をかけた後、執務室に戻る。

 そして一見旅人と思うような姿に着替えた頃、老執事が朝食を乗せたワゴンを押して入ってきた。


「おはようございます、坊っちゃま。指示通り食事は気持ち多めに、デザートも添えております」

「ああ、ありがとうビルケ。私はサリーチェに朝食を届けた後、隠し通路を通って街へ出る。昼は直接サリーチェの所まで運んでくれ」

「お出かけに……その間客人が来られた際はどうすればよろしいですか?」

「その辺りの対応は昨日義兄上に頼んである。ただ、義兄上だけでは心許ない。客人が来た時はビルケもついていてくれ」

「かしこまりました。お気をつけて」


 髪を無造作に乱した主の旅人の服装に動じずビルケが頭を下げる中、ソールはワゴンを押してサリーチェの元へと向かった。



 小部屋には窓がなく、カンテラの灯りがぼんやりと部屋を照らす。既にサリーチェは起きており、テーブルに座って朝食が並べられるのを眺めていた。


「……ソールの分は?」


 自分に向けて並べられた一人分の食事を前に、サリーチェはきょとんとした顔で尋ねる。


「私はこれから街に出るから食事もそこで済ませてくる。だから今日の食事は君が全部食べればいい。これまでのように食事を選ばせられないのは申し訳ないが」

「わ、私だって流石にこんな状況で我儘言ったりしないわよ……! でも、街かぁ……ねえ、あたしもついてっちゃ駄目? ここ、窓がなくて辛気臭いのよね。死んだ事になってるなら襲われる心配も無さそうだし」


 我儘言ったりしないと言った口で続けざまに我儘を言うサリーチェにソールはとても優しい眼差しを向けた後、首を小さく横に降った。


「すまないが、街に行くのは君に噛みついた蛇を確認する為だ。危ないから連れて行く事は出来ない。万が一見つかったらまた暗殺者を差し向けられる可能性もあるからな」 

「えっ、蛇を確認するって……そ、そんなの、危ないじゃない!! わざわざソールが確認しに行かなくても」

「何処にスパイがいるか分からない以上、館の騎士や兵士を使う訳にはいかない。手がかりを消される前に手に入れたい。夜には戻る」

「あっ、ちょっ……ちょっと待って!」


 食事を並べ終えたソールが部屋を出ていくのを引き止めるようにサリーチェが声を上げて立ち上がる。

 そして言おうかどうか悩んだ末に、グッ、と覚悟を決めたように口を結んだ後、ボソボソと言葉を紡ぎ出した。


「あ……あの、私……よく覚えてないから、全然アテにならないかもしれないけど、何とか犯人の事思い出してみるから、だから、そんな危険な事、しないでよぉ……!」


 サリーチェは顔を少し俯かせながら上目遣いでソールを見つめる。言葉からも表情からもソールを心から心配しているのが感じ取れた。


「サリーチェ……私の事は心配いらない。そうやすやすと毒蛇に急所を噛まれるような事にはならない」

「何で? 私が思い出せば犯人の手がかりになるかもしれないじゃない! あの蛇、咬まれたらすぐビリビリって体が動かなくなって、まばたきも出来なくなって辛いんだから……!」


 心配するサリーチェのいじらしさにギュッと抱きしめたい衝動を紳士の精神で堪える。

 少し警戒を解いてくれたから、心配してくれているからと言ってどんどん踏み込むのはサリーチェを騙し嘲笑ってきた下衆な貴族達と変わらない。


「君が私に辛い思いをしてほしくないと思っているように、私ももうこれ以上君に辛い思いをしてほしくないんだ」

「え……」


 サリーチェが行方不明になっていた頃の事を思い出し、有力な情報が得られれば捜査は大いに進展する。だがソールには気がかりな事があった。


「貴族学校の嫌な出来事をハッキリ覚えている君が卒業パーティー後の事をよく思い出せないのはきっと……思い出したくない位悍ましい記憶だからだろう」


 第三者から見ればサリーチェは彼女自身が思っているよりずっと酷い目に合わされている。サリーチェを大切に想っている者からしたら尚更、その客観的事実は心に刺さる。


 例え相手がどんな悪人だとしても、人としての尊厳を踏み躙るような生き地獄を味あわせるのは悪魔の所業である。

 その悪魔から幸運にも逃れる事ができ、その記憶も朧気になっている大切な女性にこれ以上の苦痛を味あわせたくない――ソールの真っ直ぐな気持ちはサリーチェの心臓を大きく高鳴らせた。


「……そ、そ、そうやって気を使ってくれるのは、嬉しい、けど……でも、私は思い出したいの! こんな所でずっと過ごさなきゃいけない方が嫌だし……! そ、そう私は1日でも早くここから出る為に思い出したいのっ!!」

「……分かった。だが、思いだすのは私が戻ってきてからにして欲しい。君が苦しんでいる時に傍にいられないのはもう嫌だからな」


 困ったように微笑んだソールが部屋から出ていった後、サリーチェの体はヘナヘナと椅子に沈んだ。


 朝食のまだ湯気が立つほどに温かいスープよりも、サリーチェの真っ赤な顔は熱くなっていた。


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