第20話 前侯爵代理の確信
ソールが執務室に鍵をかけて閉じこもる中、ノックし続ける者達がいた。
「坊っちゃま! 一体サリーチェ様に何があったのですか!? ここを開けてくださいませ……!!」
自身に充てがわれた私室にて、鍵付きの日記帳に本日聞き取ったソールの性癖について要点を書き記していた
「ソール君、ウィロー嬢に何かあったのなら治癒師が必要だろう……!? 私だけでも入れてくれないか……!?」
ビルケの隣で呼びかけるのは
仕事を終えて眠りにつこうとしていた所に騎士が現れ、弟の一大事を聞いた妻から『貴方も治癒師でしょ!! 行ってきて!!』と半ば無理矢理部屋を追い出された。
クライシスのお陰で一命を取り留めてから一週間――大分体調が戻ってきたメイプルとは違い、バールドはクライシスが来るまでずっと治癒師の一人として魔力が尽きるまでメイプルの延命に尽力し、尽きた後は公務、回復したらまた治癒師に混ざって――そんな過酷な日々の疲れはまだまだ抜けきれていない。
それでも、愛する妻が自分を部屋から追い出すまでに回復している事が嬉しい――バールドは淡色の魔力持ちにふさわしい、心優しい壮年であった。
そして2人の周囲で夜回りの騎士や兵士、残業していた文官達や館お抱えの治癒師達がザワついている中、執務室の扉が微かに開かれた。
その隙間から重苦しい表情のソールが姿を表す。
「……サリーチェが、死んだ」
館の主の震えるような呟きにその場がシン、と静まり返る。
「私が部屋に入った時にはまだ命があったんだ……何が起きたのか分からない……暗殺、の可能性もあるが外傷がない以上、持病か何か抱えていたのかもしれない……」
「坊っちゃま……」
その場にいる者の誰もが主の心境を慮った。
この数日、館を騒がせる令嬢に最も気を払い、丁寧に接してきた主の態度は他の者の目から見ても慕情を感じさせるものであった。
これまで婚約者を決めず、浮いた噂の一つも無かった主の慕情が最悪の形で失われた事に対して、励ましの言葉をかけられる者はいない。
重苦しい沈黙の中を破るのも、主しかいなかった。
「……取り乱してすまない。義兄上とビルケ以外、皆持ち場に戻って欲しい」
バールドとビルケが執務室に入り鍵がかかる音が響いた後、その場にいた騎士や兵士達は恐る恐るといった様子で皆散り散りにその場を去っていく。
生きていれば「人騒がせな」と陰口を叩く者もいただろうが、死んだとあっては誰も、何も言えなかった。
「ソール君……一体どういう事だい?」
バールドは執務室に入るなり違和感を覚えた。自分がいた頃程ではないとは言え所々散らかった部屋の中、あるべきものがない。
「ウィロー嬢が亡くなったのなら、ここには彼女の、その……亡骸があるはずだが……」
あまり使いたくない単語を躊躇いつつ紡ぐバールドの言う通り、サリーチェの姿が何処にもない。
数節前まで自分が使っていた威厳ある両棚机の下も確認したが、女性の姿は無かった。
戸惑うバールドの傍でビルケは細い目を少し見開き、本棚の傍にいるソールを見据える。
「……坊っちゃま、謀られましたな?」
「ああ……ビルケ、お前のお陰でこの手段を使えた。感謝する」
「ど……どういう事だい?」
戸惑うバールドの眼の前で、ソールは本棚の仕掛けを作動させた。
音を立てずに滑らかにスライドした本棚があった場所には、ポッカリと通路が続いている。
「ほ……本棚の裏にこんな隠し部屋が……!?」
「侯爵たる者、いついかなる時も生き延びる為の秘策を持っているもの……バールド様にも周知されているものと思っておりましたが、メイプル様から聞いておりませんでしたか……」
「あ、ああ……まあ、僕は侯爵代理だから教えられないのも仕方ない。それより、何でビルケは知っているんだい?」
「それは……話せば長くなりますが」
「ビルケ」
一族の恥部を晒さぬように、という念を込めてソールは首を小さく横にふる。
長年使える老執事は己の手当たり次第に懺悔したい気持ちより、主の意思を尊重した。
「……長年勤めていると色々あるのですよ、バールド様」
「そうか……思わせぶりな態度がかなり気になるけれど、この位はスルーしないとこの領の侯爵代理は務まらないからね……」
この領で侯爵として生きるには何が大事なのか――急速に胃を痛める侯爵代理生活で痛感したらしいバールドはそれ以上何も言わなかった。
「ビルケ、お前はここに残って執務室に誰か来た時に適当……いや、簡潔に『ソール様は只今誰ともお会いになりません』とだけ言ってくれ。それで戻らないようなら呼びに来てくれ」
「かしこまりました」
ビルケを執務室において薄暗い通路を歩くとそう離れていない場所に作られた小部屋に辿り着く。
ドアの前でソールがコンコンコン、と規則正しく3回ノックした後、
「ソールだ」
そう言ってドアを開くやいなや、死んだはずの女性の声が響く。
「ねぇ! ここ、ベッドの下にでっかい羽根いっぱい落ちてるんだけど……!?」
「ウィロー嬢……!?」
ソールの後ろに立っていたバールドは動揺しつつ、サリーチェが握る、大人の腕ほどの大きさもある鳥の羽根数本に目を引かれる。
「おや、その羽根……鳥の羽にしてはかなり大きな物だが一体」
「義兄上」
バールドの関心を遮るようにソールが呼びかける。なるほど、どうやら触れてはならない事らしい、とバールドは察した。
「……すまない、今はそれどころじゃなかったね。なるほど、ウィロー嬢を死んだと思わせて油断させる事にしたのか……」
「はい。最初は下衆な貴族の非道な遊びなどすぐに明らかにできるだろうと思っていたのですが、向こうにかなり頭の回る者がいるようで……その上ここに侵入して強力な毒で殺害しようとする者まで現れたとあっては、サリーチェを死んだ事にしないと身動きが取れないと判断しました」
ソールもこの部屋の事を知ったのは今日、というのは先程のビルケとの会話から察する事ができる。
今日の今日で早速活用するその度胸と頭の回転の速さにバールドは感心した。
そして、一人の為に主の心痛を慮り心痛める数百の臣下達すらも欺こうとする方法は常人には到底真似出来ない。
常人であれば数百の人達を欺く事への呵責に苛まれ、真相が明かされた時の臣下達の不信や反発を恐れ、女性を見殺しにするか性善説を信じて自分の負担とリスクが軽い方法を選択する。
メイプルはよく『ソールならきっとこのペリドット領を上手く統治してくれるわ』と言っていた。意志の強い有能な青年だという事は以前から知っていたが、今はっきり、ソールが名領主になれる逸材だとバールドも確信した。
この領地で性善説は通用しない。
時として人を騙す事も厭わない狡猾さと、何があっても一度決めた事は貫き通すような強い意志を持つ人間だからこそ、異国に付け入る隙を与えず自領の我の強い貴族達を制し、領土を平和へと導く事が出来る。
そして――もし自分がまだ侯爵代理だったら、この面倒事に対して自分もかなりの負担を背負わなければならなかっただろう。
本当に、侯爵代理から解放されて良かった――とバールドは心のど真ん中で安堵した。
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