第19話 暗殺の阻止と防止


 サリーチェを抱えたままソールは客室を出て、駆け出した。

 既にサリーチェの意識は無く、青白い顔にただ虚ろに開いた目が痛々しく震えている。


 サリーチェの頭を支える左手から治癒ヒールをかけ続けながら彼女の胸元に淡い黄緑色の魔法陣――診察魔法ベラートの陣を浮かばせる。


(サリーチェの全身を何かの毒が巡っている……それも半刻とかけずに人の命を奪うような、猛毒が……!)


 状況を理解したソールは診察魔法を解き、治癒ヒールだけをかけ続ける。

 ソールの魔力は淡色とは言い難く治癒効果は治癒師に比べて微々たる物だが、それでも少しでも症状が、苦しみが和らぐ事を強く願いながらかけ続けて、走る。


「サリーチェ……!!」


 もしソールが私室へ戻る途中、デザートの時間を見計らってアイスクリームを運んできたメイドとすれ違わなかったら――


 自分がいないと食べられないのでは? と気にかけたソールが『私が運ぶ』と自らの手で部屋に持っていかなければ――サリーチェはあのまま部屋の中で十数分と経たずに事切れていただろう。


(まさか、この館に侵入してまでサリーチェを暗殺しようとするとは……!)


 ソールは自分の判断を悔いる。外に出したらまた狙われるかもしれない――とは思っていたが、まさかこの館の中にまで侵入してこないだろうと油断していた。

 

 サリーチェを抱いて通路を駆ける中、騎士や兵士達とすれ違い「何事ですか!?」と呼びかけられるが、ソールは一切目を向けずに走り続けた後、誰もいない執務室へと駆け込み、即座に鍵をかける。


 サリーチェが馬に踏まれたのは不可抗力だが、今回の件は自分にも落ち度がある――ソールが歯を噛み締めながら彼女をソファに寝かせると、すぐ傍のコート掛けにかかった自分のコートのポケットを探る。


 再び現れたソールの右手には、以前、観光を終えた馬車の中でクライシスから半ば押し付けられるように託された純白の魔晶石が握られていた。


(本当に、彼にはどう恩を返せばいいのかわからないな……)


 友が望んだ使い方ではない事にソールは微かに罪悪感を感じたが、それを使う事に一切躊躇はしなかった。

 ソールは二人を包むほどの音を遮断する黄緑色の障壁を張った後、サリーチェの横に跪いた。

 そして彼女の首元に手を当てると、魔晶石から純白の魔力を放出する。


浄化ライニゲン……!!」


 魔物討伐をする者なら誰しも心得ている、己の身にかかった魔物の体液の毒性を中和する魔法――ではあるが、その効力は術者の魔力の色、あるいは持っている魔力量によって大きく変わる。

 ソール自身の魔力は治癒系の魔法の適性はそれほど高くない為、短時間で人の命を奪えるような猛毒は中和できない。


 しかし今彼の手にあるのは、最も治癒の力が強い純白の魔力である。


「……ん、あ……」


 サリーチェが微かな声を上げるやいなや、目をギュッと瞑った。身を丸めて、眉間にシワが寄るほどギューっと瞑った後、少しずつ目を開く。


「あ、あ……あたし……」

「サリーチェ……!!」


 上半身を起こしたものの、まだ視界がよく定まっていない様子のサリーチェを、ソールはきつく抱きしめた。


「良かった……! 君を失うと思うと、心が張り裂けそうだった……! 君みたいな素晴らしい女性には、もう二度と会えないだろうと……!」

「そ……ソール」

「本当に申し訳ない……! 君を狙って館にまで侵入してくると思っていなかったんだ、本当に……これは私の落ち度だ、いくらでも責めてくれて構わない……!!」


 先程の必死な顔に続いて、深く詫びるソールの姿にサリーチェの胸が高鳴る。

 そして色んな男達に何度も感じてきた物よりもうちょっと強い、頭に勢いよく血が上るような感覚が、彼女の顔を赤く染めさせる。


「あ、あの、ソール……あの……ちょっと」

「ああ……すまない、力を込めすぎてしまったな。毒が消えたばかりで体調もまだ万全じゃないだろうに」


 サリーチェの戸惑う様子にソールは我に返ったように彼女から離れた。


「と、戸惑っただけで別に、離れろって言った訳じゃ……」


 と口をモゴモゴさせているサリーチェをよそに、ソールは窓のカーテンを全て閉じた後、再びサリーチェの傍に寄り添って黄緑色の防音障壁を張る。

 そして力強くサリーチェの手を握る。体温が少しずつ戻ってくるのを感じるかのように。


「サリーチェ……死にかけた所悪いんだが、何が起きたか簡潔に話せるか?」


 ソールの真剣な眼差しにサリーチェは脈が収まらないのを感じつつ、言葉を紡ぎ出す。


「う……え、えっと、その……茶髪で、真っ赤な口紅のメイドが、汗臭い兵士のシーツは淑女に失礼だから交換させてくださいって、部屋に入ってきて……」


(犯人はメイドに扮装……言い訳も用意している辺り計画的犯行か……?)


「口紅の色気に入らないし、ソファに座りたかったんだけど、椅子を引かれちゃったし、テーブルクロスにジュースのシミがあって嫌だなぁって思ったんだけど、しょうがないなって思って座ったら、首の後ろ、赤と青と黒の気持ち悪い蛇に咬まれて、こ、声、出なくなって……」


(赤と青と黒の気持ち悪い蛇……? 何処かで見た気がするな……後で図鑑を確認するか)


「そのメイドは何も言わないまま、部屋出てって……あ、何でかその人、勢いよくドア開けて、閉める時は静かに閉めてって……」


(勢いよく開けた方が人がいた時に取り繕えるからな……侵入に手慣れてる内に度胸もある人間だな……)


 ソールはサリーチェの言葉から要点だけを抽出して組み合わせた後、欲しい情報を問いかけた。


「メイドはどんな顔だった? 声は? 魔力の色は?」

「分かんない……俯いてるから目、よく見えなかったし……どっちかって言うと口紅しか見てなかったし……目が見えないからっていちいち相手の魔力調べないし……声は……別に、普通の声……」


 この世界の人の魔力の色は人それぞれ異なり、それは目の色に反映される。


(俯いてるのは目をよく見えないようにさせる為、と考えると真っ赤な口紅も相手の目を引き付けて顔を覚えさせない為だろうな……ここまで用心深い暗殺者なら、魔力を濁す護符位は身に付けているか……)


 サリーチェの話から浮かび上がる犯人が相当な手練である事を悟ったソールの心に、重い物がのしかかる。


(そいつがまたサリーチェを襲いに来た時、守りきれるか……?)


 貴族学校で何があったのか、は大体把握できたものの、何故サリーチェがあの場所にいたのか――その確証になるものをソールはまだ掴めていない。


 そんな中でサリーチェの命を狙う輩が侵入した。元々この館にいるスパイなのか侵入者なのかも分からない。


(この状況でサリーチェの警備を固めた所で、それだけの手練ならばそれなりの手を使ってくる。それならば……)


「あ、あの、ソール、様……何で、手、握ってるの?」

「……突然の事でな、私も動揺している。できればもう少しだけ手を繋がせてほしい」


 そう呟くソールにギュッと手を握られ、サリーチェは心が物凄く高鳴るのを感じながら、心地いいような、でもソワソワするような、何とも言い難い衝動に駆られる。


「で、でも……早くしないとあのメイド、逃げちゃうかも……」

「……君の話を聞く限り、相当な手慣れた人間だ。もうとっくにかつらを取って口紅を拭って遠くに逃げたかここに溶け込んでるかのどちらかだ」

「そ、そんな……じゃあ私、また、命狙われちゃうじゃない……!! こんな事してないで早く捕まえてよぉ……!!」


 手を解こうとするサリーチェの手を、より一層強く握る。

 悔しい事に、今のソールには真正面から侵入者やスパイから守りきれるだけの力はない――だが。


「……大丈夫だ。君が襲われる事はもう無い」

「えっ?」


 この領地の人間は、人の隙を突くのが上手い人間が多い。


 そんな厄介な人間達や異国人を相手に長年領主の立場を守り続けるペリドット家の人間達も当然、相手の隙を突いて活路を見出す事に長けている。


「襲われるのは、君が生きているからだ。死ねばもう襲われる心配がなくなる」

「な、何言ってるの……?」


 ポツリと呟くように言ったソールにサリーチェは驚愕の視線を向ける。そんなサリーチェにソールは自信を持った眼差しで微笑む。


「せっかく向こうが自然死に見せかけるような殺り方できてくれたんだ……奴らの思い通り、死んだ事にしてしまえばいい」


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