第32話 彼女の死を嘆く者
サリーチェの訃報が乗ってから連日、ペリドット邸の執務室に意外な人物が訪れた。
まず当日の昼過ぎ、ビルケと共に現れたのはメイドのパルマだった。少し目元が腫れていて少し前まで泣いていたのが分かる。
涙声でソールに説明しようとするパルマを見かねたビルケが代弁し、ソールが事情を把握した頃には彼女の声は落ち着いていた。
「なるほど、不審者が……パルマ、その事は誰かに伝えたか?」
「しょ、食堂だったので、その場で新しい人が来たんですよね? って聞きました……で、でも、皆知らない感じで、怖くなって、勘違いだったかもって……」
「そうか……教えてくれてありがとう、パルマ。しかし今、サリーチェが暗殺されたかもしれない、という話が浮上したら皆に不安を与える。君が見た不審者が暗殺者だった場合、館にやすやすと侵入された挙げ句に殺された事になるからな。その不審者の事は内密に調査するが、誰かからその件について聞かれたら『やっぱり勘違いだった』と誤魔化してほしい」
「わ、わかりました……」
パルマが一礼した後、扉の方に振り返る際にソファの近くに置かれた棺が目に入った。蓋が閉じられた棺はまだ釘打ちされていない。
「あの、サリーチェの葬儀はいつ頃……」
「……それは私の一存で決める事ではない。近日中にサリーチェの親が遺体を引き取りに来るかもしれないからな」
「そうですか……あの、ソール様、こんな事頼むのは非常識で無礼な事だと分かっているんですが、最後にサリーチェの顔を見させてもらってもよろしいでしょうか? あまりにも突然の事で、私……」
パルマの願いにソールは首を横に振ると、パルマの目がまた涙で潤む。
ソールの中で(サリーチェが本当に死んだのかを確認したいのだろうか?)という疑念が生じたが、パルマが続けた言葉でその疑念は薄れていく。
「私……サリーチェの事、本当に苦手で、嫌いだったんです。いちいち突っかかってくるし、私が勉強してるのも馬鹿にしてくるし、彼氏自慢してくるし……ただ、あそこまで心折れてる姿を見てると、ちょっと調子狂うっていうか……」
涙声で独り言のように紡ぎながら、下唇をギュッと噛みしめる。パルマの歪んだ表情からは悲しさ、悔しさ、虚しさ、自己嫌悪――複雑な感情が感じ取れる。
「いなくなってほしい、って思った事もあるけど、まさか、こんな事になるなんて……何だか、心にぽっかり穴が空いた感じで……だから、最後に……」
もし本当にサリーチェが棺の中に収まっていたなら、ソールは対面させるのを許可していただろう。
だが実際――その棺の中にサリーチェは入っていないので絶対に開ける訳にはいかないのである。
「……君の気持ちは分かる。だが私はもうサリーチェに何の悪口も聞かせたくないんだ。今の君は彼女に一切の憎しみをぶつけないようには見えない。私の勝手ですまないが許して欲しい」
「……はい、こちらこそ申し訳ありません……」
ソールは少々厳しい言い方になってしまった事を自覚しつつ、執務室を出ていくパルマの背を見送り、一つ息をついた。
「致し方ない事とは言え、善人を騙すのはどうも心が痛むな……」
パルマの様子を見ていれば彼女がスパイじゃないという事は分かる。
しかし事情を明かした後、パルマが誰かに情報を聞き出される可能性も否定できない。
悪い人じゃないから、という理由だけでペラペラ機密情報を話すような人間はどんな土地の領主にもなれない。
「ですがソール様……これで内部の人間の犯行でない事が明らかになりましたな」
心痛める領主を気遣ってビルケが前向きな言葉を返すと、ソールは椅子の背もたれに寄りかかって天井を見上げる。
「そうだな……サリーチェはここに来てから毎日何かしら騒いでいた。この館にいる者ならサリーチェがいる部屋は聞かなくても分かる」
「ええ。しかし……死毒蛇を盗んだその日のうちに暗殺に使った点から見ても、敵は相当手強い女ですな……ペキニーズの生物を扱う割にはペキニーズ連合国の者ではないようですし、一体何処の者なのか……」
暗殺者が死毒蛇の特性を知っている事、そして死毒蛇を持った蛇使いがイサ・アマヴェルにいる事を知らなければこの暗殺は成立しない。
蛇使いと別れた後もソールは大通りを見て回った。そこにはあの蛇使い以外にも蛇を使った芸をしている者が2人ほどいたが、どちらも死毒蛇を持っていなかった。
(サリーチェが保護されたと新聞に乗ってから一週間も経ってない中で実行された、1日で凶器を調達し犯行も当日中に済ませて逃げおおせる日帰り暗殺、しかも犯行場所はペリドット邸……)
これは本当に女の、暗殺者の仕事なのだろうか――? ソールの思考に大きな疑問が浮かぶものの、それに対する答えが出ないまま1日が過ぎた。
そして、次の日の午後――その男は一人でペリドット邸を訪れた。
「む、娘の遺体を引き取りに参りました……」
くすんだ金髪にサリーチェとよく似た暗い緑の目とチョビ髭が印象的な冴えない中年は緊張した様子でソールの前に立つ。
冴えない印象を受けるのは酷い猫背のせいか、ソファに座るソールの傍に置かれた棺を前に酷く下がった眉のせいか――どちらにせよこれまで何も反応してこなかった男に対し、ソールは冷ややかな視線を向けた。
「ウィロー男爵……貴方はサリーチェを勘当したのではなかったか? これまでこちらで保護している時もそちらから一切連絡が無かった。嫌々引き取りに来られたのならば即刻お帰り頂きたい」
ソールの冷めた言葉にウィロー男爵は目を丸くし、より一層背を正して声を張り上げた。
「い、いえ……けして嫌々ではありません! お、お恥ずかしい話ですが、我が家はけして裕福な家ではなく……汚名を被り、何処の嫁にもいけなくなった娘を引取り、一生養い続ける程の財力はなかったのです……!!」
「養う金は無いが弔う位の金と情はあるから引き取りに来た、と……まさか死ぬまで放置するつもりだったとは。ウィロー家は随分と親子関係が希薄なのだな」
若侯爵の辛辣な言い方に男爵は下げていた両拳をグッと握る。そして苦虫を噛み潰したような顔で呻くように言葉を吐き出した。
「お言葉ですが、ソール様……私の子どもはサリーチェだけではありません……あの子の妹は姉の噂のせいで追い詰められて学校を休学しておりますし、いずれ学校に通う事になる弟もその様子を見て怯えています……! こんな状況で更生するかどうかも分からない悪名高い娘を連れ戻せば、いずれ我が家は確実に崩壊する……! 私とて娘に情がなかった訳ではありません。ですが私は親として、家族皆を不幸にする訳にはいかなかったのです……!!」
サリーチェの2歳下の妹が現在休学している事はソールも把握していた。その理由が姉の噂であろう事も容易に推測できた。
「……その事情を手紙に綴って私に送る事も出来なかったのか?」
「貴方が娘を想っていると分かっていたならともかく、保護して頂いたという事しか分からない中、辺境の男爵ごときが侯爵相手にそんな恥知らずな手紙を送る事ができるとお思いですか……!?」
男爵の怒りが滲み出る言葉はソールの心にチクリと刺さった。男爵はソールの僅かな顔の歪みに気づかず言葉を続ける。
「……あの子は幼い頃から自分が一番で、自分に向けられた言葉を都合よく受け取り、吹聴する悪癖があり……何度注意しても変わらなかった。親の手元を離れた学校生活も順調に過ごしているのか思いきや、踏み台令嬢とふざけた悪名を轟かせ、その事が
視線を伏せて語る男爵の語調や震える拳からサリーチェを育ててきた苦労が伺える。ただ可愛いだけの子ではなかったのは間違いない。
傍から見て切り捨てられるのも仕方ない酷い娘である。しかし――悲痛に顔を歪ませたウィロー男爵は膝をつき、両の手と頭を絨毯に付けた。
「ソール様がおっしゃった通り、私はあの子を養う金はありませんが弔う位の金と情があるから引き取りに来ました! 酷い目にあっていた事も知りながら勘当を理由に放置していたのも事実です! その事について罵倒されたいのでしたらどうぞいくらでも罵っていただいて構いません……! ですが、どうか娘の亡骸はお返しいただきたい……! 妻もサリーチェが亡くなったショックで寝込んでおります。どうかあの子を家で弔い、イサ・アルパインの墓地に埋葬する事をお許し頂きたい……!!」
声と体を震わせる男爵の姿は、まさに大切な者を失って心取り乱す人間の姿であった。
その姿を見て温かな気持ちがこみ上げたソールも男爵の前で片膝をつき、そっとウィロー男爵の肩を叩いた。
「ウィロー男爵……顔を上げてほしい。貴方に一つ、頼みたい事がある」
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