第4話 踏み台令嬢


 翌朝、ダンビュライト公爵が自らペリドット邸にクライシスを迎えに来た。

 クライシスと同じ癖のない銀髪の、腰の低い穏やかな壮年の男はソール達のもてなしを丁重に断ると早々に息子を連れて皇都へと戻っていった。


 彼らを見送った後ソールが執務室に入ると、これまた茶髪に薄黄緑の目をした骨が浮き出るほどに痩せこけた壮年の男――バールドが私物を片付けていた。


 バールドはメイプル前女侯爵の夫であり、ソールの義兄にあたる。

 メイプルが妊娠期間中、バールドが彼女が負うべき公務を代行していたのだがそれも一昨日まで。今日からはソールがこの執務室の主となる。


「ああ、ソール君……すまないね、ちゃんと整頓した状態で君に引き渡したかったんだが……」


 バールドは眉を下げて辺りを見回す。これまで片付ける余裕が殆どなかったのだろう、まだ机には山のように異国の本や図鑑が乱雑に積まれている。

 次から次へともちこまれるトラブルの対処に加えてこの数日は愛妻の難産と危篤でバタバタとしていたのだから無理もない。


「義兄上……侯爵代理の任、お疲れ様でした。本当にありがとうございました」


 ソールはバールドの前に立つと深く頭を下げた。

 バールドの姿はソールが去年見た時に比べてすっかりやつれている。サリーチェもそうだったが、けして領内で危ないダイエットが流行っている訳ではない。


 バールドのやつれはペリドット領という至極厄介な領の責任を背負った心労の結果である。

 

「ついにこの日が来たんだね……僕は1年も持ちそうになかったが、きっと君ならやり遂げられるよ……僕もメイプルも、これからは半力でサポートさせてもらう」


 全力で、と言わないあたり本当に疲れている様子が伺える。それもそのはず。ペリドット領は異国人トラブルの件もそうだが領民達の気質にもちょっと難がある。


 ここの領民は貴族も民も基本的には真面目なのだが、ちょっと自分勝手と言うか、小狡い人間が多い。不正ではないが不適切な行いをする人間がチラホラいる。

 侯爵は異国と問題を起こさず、領内でも問題事が起きないように小狡い者達の腹の探りながら仲裁し、統治していかなければならない。


 その為、この地を統治する者は周囲を黙らせられる程に腕っぷしも意思も強い人間か、あるいはどれだけ罵倒されても何が起きようと一切気にせず傷つかない、スルー能力の高い人間でなければ徐々に心身が削られていく――それがペリドット領の侯爵の運命さだめである。


(根が優しく繊細な面がある姉上も義兄上も、余程苦労したのだろう……)


 侯爵の器、とは言い難い2人の苦労を想像しながらソールも本の整理を手伝う。



 ペリドット邸の執務室は応接間も兼ねており大分広く、窓からは主都の街並みや中庭が一望できる。

 そして侯爵が使う大きな机と豪華な椅子の後ろの壁には大きな本棚が3つ並んでおり、ペリドット領に隣接している3つの異国――ウィペット王国、ペキニーズ連合国、ブリアード王国に関する書物がそれぞれ収められている。


 異国トラブルにあたる度に取り出した辞書や書物を開きっぱなしにした結果、執務室が本や最新の情報をまとめた資料などであっという間に散らかってしまうのだ。


「義兄上、今引き継がなければならない案件はありますか?」

「ああ、5つばかり気になる物があって……文官達に説明するように伝えてはいるが、先に要点と資料の場所を伝えておこうか」

 

 本を片付けながら口頭で案件を引き継いでいると、ソールは接待用のローテーブルに置かれた封書ほどの小さな冊子を見つける。


「これはどの棚に入れれば?」

「ああ、それは私が書き留めていた方言メモだ。まだ白紙部分も多いしソール君にあげるよ」


 パラパラと確認してみるとメモは確かに半分ほど白紙だった。ソールがコートの内ポケットに方言メモをしまった所でノック音が響く。


 入るように促すとペリドット家に仕えて長い、白髪の老執事ビルケが姿を表しソールに向けて一礼した後怪訝な顔で問いかけた。


「坊っちゃま……あの令嬢をどうなさるおつもりですか?」


 本来であればソールは当主となったので『坊っちゃま』という言い方はふさわしくないのだが、そんな細かい事を逐一注意していてはペリドット家の当主はやっていられない。ソールが気になったのは別の所にあった。


「ウィロー嬢の事を知っているのか?」


 ボロボロの服に痩せた体は到底『令嬢』と言い表せるものではない。だが『娘』や『女性』と言わずに令嬢と言い切った老執事は何か知っているに違いない、とソールは確信して問いかける。


「私は面識はありませんが、先日入った見習いメイドの一人が彼女の同級生だったそうです。それとウィロー嬢の存在は少し前から館の中でも噂になっておりましたので……」

「噂……? その噂とやらを教えてくれ。私は何故彼女があんな酷い状態になってしまっているのか知りたいんだ」


 侯爵が座る肘掛け椅子に腰掛けて両肘を付いたソールの催促に老執事はコホン、と咳払いをして語りだした。


「3週間ほど前に貴族学校で生徒が一堂に会する卒業パーティーがあったそうで……そこで複数人の貴族子息達が彼女を糾弾した、という話です」

「糾弾……? 晴れの舞台に複数人でレディを糾弾するとは穏やかじゃないな」

「学校内で3年間、数々の男達に媚を売って渡り歩き、女生徒達に嫌がらせしたり学校の行事で暴れたりなどして学校の秩序を著しく乱した罪、らしいです」


(おかしいな、私の記憶では彼女は確かに男に愛想振りまいていたが裕福な男爵家の令息と交際を始めて以降は女生徒に惚気けるついでにマウントを取って悦に浸るだけの小者だったはずだが……)


 黙り込んだソールに老執事は言葉を続ける。


「男を踏み台にして次から次へと違う男に乗り換えるので、影で踏み台令嬢と言われていたようです」

「踏み台令嬢」


 ソールは老執事の言葉を繰り返しながら、あんまりな名称であると思うと同時に違和感を覚える。


「……踏み台とは踏まれる側に使う言葉ではないか? その言い方はまるでウィロー嬢が踏み台にされているような印象を受けるのだが」


 ソールが言う通り、踏み台とは高い所にある物を取る際に使う脚立や足場を示す言葉である。踏み台令嬢と聞くと令嬢が丸まって誰かの足に踏まれる姿を連想してしまう。


「確かに……男をぴょこぴょこと乗り換える女性ならば階段令嬢や跳躍令嬢など、他に言いようがありそうなものだ」


 本を棚に戻しながら2人のやり取りを聞いていたバールドが同意する。


 踏み台よりはそちらの方がまだ上品な印象を受けるが、どうにも階段から突き落とされた令嬢の姿が連想されるし跳躍は踏まれた男が潰れそうだな、とソールは思った。


「しかし、メイドが言うには男女共にそのあだ名でウィロー嬢を蔑んでいたと。新聞もそのあだ名で取り沙汰されていましたし、かなり厄介な令嬢である事は間違い無さそうです」

「……どうにも違和感が残るが、まあいい。それで、糾弾された後は?」

「ドレス姿で泣きながらパーティー会場を去ったそうです。翌日イサ・アルパイン行きの待合馬車に乗って帰り、実家に帰った際に父親から『数々の家の男を誑かして迷惑をかけて家の名誉を貶めて、お前はウィロー家の恥だ、出ていけ!』と勘当されて以降消息不明、と2週間程前の新聞に載ってそれきりでした」


 老執事が言い終えると、ソールは。老執事の言葉を心の内で反芻し、昨日の夜の出来事を重ねた後一つ息をついた。


「……そうか。その後どこかにさらわれて散々暴行を受けた後、薬を飲まされてここの街道に捨て置かれていた所を私の馬車の馬が踏んだ、という訳か……」


 いくらサリーチェが数々の男達を誑かし女の敵として認定されたとは言え、その扱いは一連の事件に一切関わっていないソールからしたら同情を禁じえない状況である。


 しかもクライシスがいなければ彼女にトドメを刺したのはソールだった訳であり、非常に迷惑な話である。

 サリーチェが痛めつけられた事に対してもだが、そういう意味でもソールは彼女を貶めた人間に強い怒りの念を抱いた。絶対に犯人を捕まえなければならない。


 そこにどんな理由があろうとも、婦女子を集団で強姦し薬漬けにした挙げ句トドメを侯爵家に刺させようとするなど到底許される行いではない。

 

(手当たり次第に美人を捕まえての無差別な犯行か、あるいは彼女に対する私怨か……いや、いくら憎い女と言えど卒業パーティーでそんな大恥をかいてる姿を見れば溜飲も下がるだろうし、親に勘当までされている……そんな中でなお追い打ちをかける人間がいるとは考えづらいが……)


 しかし、いないとも言い切れない。あらゆる可能性がソールの頭を巡る。


(まあいい。この辺りはウィロー嬢に聞けばハッキリする)


 部屋の片付けを終えたら会いに行こう、と椅子から立ち上がると、今度は激しいノック音が聞こえた。

 入るように促すとバタバタとメイドが血相を変えて飛び込んでくる。


「ソール様! 大変です、昨日運ばれてきた方が出て行くと騒いで……!!」


 息を切らすメイドの様子に只事じゃない事を察し、1つ息をついた後ソールはサリーチェの元へと向かった。


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