第3話 初恋の人との再会
自分の屋敷に到着し、空いている客室に女性を運び寝台に寝かせた後、自らも私室に戻って室内用の楽な服に着替える。
その後再び女性を寝かせた部屋に戻ると、クライシスとメイドがベッドの傍に寄り添っていた。まだ女性は意識を取り戻していない。
部屋の天井に吊り下げられた明るい照明の下、顔についた汚れなど綺麗に拭かれた女性を見てソールは確信する。
(間違いない……ウィロー嬢だ)
サリーチェ・フォン・ゼクス・ウィロー。ソールが皇都の魔導学院に留学する前に通っていた、この都の貴族学校の生徒だった。
ふんわりした淡黄色のショートボブの後ろに瞳の色と同じ暗緑の大きなリボンを身に着けた小柄な姿はとても可愛らしく、愛らしい風貌の同級生の周りには常に男子が絶えなかった。
ソールも彼女のふとした仕草や表情に何度も心をときめかされていたが皇都に新しく建てられたヴァイセ魔導学院への編入が決まり、心の内にある淡い想いを誰にも打ち明ける事なく貴族学校を去る事になった。
魔導学院では貴族学校よりずっと専門的な学問や戦う為の武術を叩き込まれ、他領の貴族子息との交流に追われ――そんな中でも心の片隅でふと思い返しては(彼女は良い男と結ばれただろうか)とチクリと心傷ませる棘のような存在は、ソールにとってまさに初恋の女性だった。
そんな女性が何故今、暗い夜道に横たわり馬に踏まれるような状況に陥っているのか。さっぱり分からない。
しかしサリーチェのふんわりした金髪はすっかりバサバサで、目印だった暗緑のリボンもない。ふっくらとした頬は見る影もなく痩せこけている。目の下のクマも酷い。
明らかに『たまたま酔っ払って寝ていた』という状況でない、と思うソールに更に残酷な事実が友人の口から告げられる。
「ソール、彼女は馬に踏まれる前に性的な暴行を受けています。それも複数人に」
「何だと……!?」
「それも一度ではないようです。更に、媚薬や催淫剤……というには強力過ぎる、神経を侵す毒を飲まされています。意識朦朧として倒れていた所を馬に踏まれたようですが、その事がなくとも既に廃人に近い状態だったようです」
「何と……」
口に手を当てて押し黙るソールにクライシスは安心させるように続ける。
「幸いなことに神経毒を飲んでいた期間は短かったようで、怪我も神経面も治しきる事が出来ました。もし数節、数年という長い期間飲まされていたら純白の魔力と言えど厳しいものがあったでしょう……本当に良かったです」
改めて2人はベッドに横たわるサリーチェを見やる。やつれてはいるがその表情も寝息も健やかだ。ソールはサリーチェの凄惨な状態に心痛めつつも、後遺症はないという事実に安堵し、顔を緩ませる。
「……馬に腹を踏まれた時点でここの治癒師ではどうしようもなかったというのに、そんな所まで癒やしてくれるとは……本当に、君がいてくれて良かった。感謝してもしきれない……」
「お知り合いですか?」
「かつて学び舎を共にした仲だ……直接会話した事はないのだが、ずっと気にかかっていた」
サリーチェを見つめるソールの震える言葉と潤んだ瞳にクライシスは色々察した。
「そうでしたか……全ては神の思し召しなのでしょう。明日、私の魔力が回復次第改めてこの方の状態を確認します。大丈夫です、元気になりますよ」
「ん……うーん……」
寝返りを打ってソール達の方を向いたサリーチェが薄っすらと目を開いた。2年前に見たきりの暗緑の目に、ソールの心が疼く。
「あれ……ここ……何処……?」
「ペリドット邸の客室です。もう大丈夫ですよ。怪我も毒も癒やしたつもりですが、何処か変化はありませんか?」
クライシスの優しい呼びかけにサリーチェは身を起こし、半信半疑の表情で手をわきわきと動かし、足をバタバタさせる。
「あ……手とか足とか、ちゃんと動く……」
「良かった。強い治癒魔法を使ったので今日はゆっくり体を休めてください。明日また確認しに来ますから、違和感がある所があったら教えて下さいね」
きょとん、とした顔でサリーチェがクライシスを見つめる事、数秒――サリーチェの瞳からボロ、と涙がこぼれた。
「あ、ありがとうございます……公子様の寛大な御心に感謝します……!」
白い目と強い治癒力から公爵家の人間である事を察したのだろう、サリーチェは深く頭を下げ、切実に感謝の言葉を述べた。
「いえいえ、私は傷を治しただけですし、この場を提供してくれたのはソール侯です。礼ならば彼にも」
「あ………」
サリーチェはソールを見てギョッとした後、すぐに視線を逸らした。よく見れば手も震えている。
「あ、あ、ありがとうございます……」
(何だ? 違和感がすごい。この人は本当にあのウィロー嬢なのか?)
ソールの記憶にあるサリーチェ・フォン・ゼクス・ウィローはこんな慎ましやかで大人しい感じの女性ではなかった。
その可愛らしい容姿を全力で活かして貴族学校内であちこちの男子に声をかけては女子達に睨まれていた、明らかに玉の輿狙いで学校に通っているのが分かるぶりっ子女子であった。
そんな彼女がいくら酷い目にあっているからと言って玉の輿先として最も質の高い公爵家の子息であるクライシスにすり寄らない――助けてもらったという絶好の機会を生かして名乗る事もしないのは、ソールの目からすれば明らかに異常であった。
そして自分に対して媚びを売ってこない理由こそ何となく察せるものの、恐れられる理由にソールは全く心当たりがない。
しかしサリーチェがソールを恐れているのは突然震えだした手を見れば明らかだ。
何とも言い難い違和感でサリーチェを見つめるソールの圧を感じたのか、サリーチェは顔をうつむかせた。
「ソール、そんな眉を顰めて鋭い目で見つめてはこの方も怯えてしまいます。何があったのかは私も気になりますが酷い目にあった人に対して無理に聞きだそうとするのはよくないです。今日はもう遅いですし、どうかもう休ませてあげてください」
「あ、ああ。そうだな。ウィロー嬢、話は明日聞くからゆっくり体を休めてくれ」
クライシスの言葉に自分の眉間にシワが寄っている事に気づいたソールは我に返り、サリーチェの言葉を待たずに足早に退室する。
そのまま自室に入り、ベッドに横になる。いつもならば横になれば自然の眠気に包まれるのだが先程のサリーチェの様子が気にかかり、眠れない。
(……一体彼女に何があったんだ?)
諦めていた初恋が再び、彼の心のなかで燻りだした。
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