第2話 馬が踏んだのは


 ソールの父親、先々代のペリドット侯爵はソールが10歳の時に亡くなった。

 そしてソールの10歳上の姉、メイプルが継ぐ事になったのだが爵位を継ぐ際「私は貴方が学校を卒業するまでの繋ぎだからね」とソールに宣告していた。


 そして昨日、魔導学院を卒業した事で正式に姉から侯爵の座を託されたソールは少々気が重かった。


 もちろん姉と無言の対面を果たした後に継ぐ事になるよりは大分心に余裕はあるが、生きているのなら姉に付いて侯爵としての公務などをしっかり学ぶ期間が1、2年欲しかった――とソールは思う。


 それはけして甘えや我儘ではない。ペリドット領は3つの異なる国と接しており、領内のみ異国人の入国や交易を認められている事から皇国内で最も統治が難しい土地と言われている。

 同じ国内ですら領地によってかなり文化も風習も違うというのに、国が違うともなればその差は更に顕著となる。それがゴチャゴチャに混ざり合うのだ。当然衝突も多くなる。


 その上、異国では有りだが国内では禁止されてるような物や文化をこっそり持ち込まれたりする事も多い。

 異国人のトラブル対処及び密輸品や違法行為の取り締まりなど、事件を領内で防ぎ、解決する事が3つの異国に面したペリドット領――ソールが継ぐ事になった領の主な役割である。


(父上や姉上の姿を見て侯爵の務めというものがどういう物かはざっくりと分かってはいるが、研修期間が欲しい)


 ソールがそう思うのは、至極当然の事であった。


 更に厄介な事に、このレオンベルガー皇国には「他国への侵略及び干渉、及び異国人の殺生はがない限り固く禁ずる」という嫌な法律がある。

 そして余程の事も『皇帝及び皇太子、そして皇国貴族の頂点に位置する6つの公爵家の当主達が「やってよし」と言わなければ駄目』という非常にきつい縛りがある。


 お偉い方々が8人もいれば大抵誰かがゴネる。公爵家の力は拮抗しており、皆、忖度などしない。それぞれが自分の気分で可不可を出す。

 『他国との関係が悪化するのはちょっと』『いくら何でも殺すのはちょっと』と綺麗事を吐く者はまだマシな方で中には『あの公爵と同意見になりたくない』などという、なんそれ!? と言いたくなる理由で反対する者も普通にいる。

 権力者達が集まる会議において『全員賛同』というハードルは、とてつもなく高い。


 幸い皇国は絶大な戦力を持っている為、他国が大軍を率いて侵略してくるという心配は無いに等しく、国境に設置された交易都市での交易や異国人の領内漫遊を許している皇国にこれ以上の待遇を求めてくる国はいない。


 ペリドット家に求められるのは国と国の仲介、というよりは何処の国にもいる悪い事をする輩の対処である。

 変な物を横流しする奴とか、人さらいとか、他領に侵入しようとする奴とか。そんな異国人の犯罪者をペリドット領は捕らえて国に返す事しか出来ない。


 分かりやすく言えばペリドット領は『他国との交流で賑わってはいるんだけどその分トラブルも多いし、しかも悪い事する奴もいっぱいいるのに殺さずに追放しろ、国と国とでモメると面倒臭いから他国に文句言うなって言われててマジ泣きそう』という、統治する側からしたら実に嫌な環境なのである。


 ソールは父と姉が月日と共にやつれていった姿を見ている。見ているからこそ、見習い期間もなしに引き継がせるなんて、と思う。

 しかし、治療されたのにも関わらずすっかりやつれ切った姉の姿を見て「私の為に後1年、頑張ってください」とは言えなかった。


(姉上も限界だったのだろう……産後の不良は公務のストレスが原因の可能性もある、と言っていたしな……)


 ありがたい事に公爵家の後継ぎであるクライシスが「ソールに明日の観光案内をお願いしたい」と言ってくれたお陰で今日は『公爵令息をもてなす侯爵の仕事』の傍ら、こうして心の準備をする猶予が与えられた。


「……ソール。こうして気軽に会えるのはこれが最後だと思いますので、これを受け取ってもらえますか?」


 クライシスの言葉に我に返ったソールの前に白い石が差し出された。


 大人の手のひらの半分位を占める大きさのそれは魔晶石と呼ばれるもので、元々透明だが魔力を込めて染める事ができるのが特徴だ。

 一点の濁りもないその白い石が純白の魔力で染めた物である事をソールはすぐに理解する。


「これは……いいのか? 公爵家の、特に君の家の魔力は特に貴重だ。気軽に他人に渡して良いものでは……」


 先程述べた通り純白の魔力は回復魔法を使うにあたって最も適し、優れた魔力である。通常の治療ヒールも白と淡黄緑では2倍、3倍も違う。


 そんなとても希少な魔力が込められた魔晶石には何の術も刻まれていない。石に込められた魔力を媒体に様々な魔法が使える状態である。


 この石を使って病に冒された大富豪を治療して大金をせしめるだけならまだしも、高値で売り飛ばしたり、買った者が非人道的な研究などに使ったり――パッと見ただけでも悪用する方法がいくつも思いついてしまうだけに、ソールは出した手を引っ込めようとしたがクライシスの両手に包まれ、強引に握らされる。


「ソール、私は貴方がこれを悪用するような人間ではない事を知っています。貴方のお姉さんのように、貴方にも突然命の危機が訪れるかもしれない……この地にトラブルが多いのなら尚更です。どうかこの石をお守りとして持っていてください」


 学友の笑顔にソールは少し胸が傷んだ。姉を助けてもらっただけでもありがたいのに、こんな物まで貰って――ソールが白い石を受け取り、コートのポケットに収めた瞬間、馬車がガタンと激しく揺れて、止まった。


「どうした!?」


 ソールはすぐに体制を立て直し、己の身を守る半透明の淡い黄緑色の光の障壁――防御壁プロテクトに身を包んだ上で馬車のドアを開けて御者に呼びかける。


「そ、ソール様、すみません……!! 道に人が倒れていて、馬が思いきり踏んでしまったようで……!」

「即死か?」

「い、いえ! ですが腹を踏んでしまったようなので時間の問題かと……!!」

「落ち着いてください。まだ息はあるのですね? それなら私が治します」


 戸惑う御者を宥めるように言い聞かせた後、クライシスが先に馬車を降り、続いてソールも降りた。

 助かるにしろ助からないにしろ自分の馬車が人を踏んだのであれば身元を確認し、責任を取らねばならない。


 民家の窓から漏れる灯りに照らされた馬の足元には確かに人が倒れ込んでいる。後ろ姿ではあるが身に付けている衣服や細い脚から女性だと分かった。


「大丈夫ですよ、今、治療しますからね」


 この状況に臆する事無くクライシスは女性に近づき、優しい声で呼びかけた。次の瞬間、女性を中心に周囲が力強い白の光に照らされる。


「これは……」


 クライシスが驚いたように呟き、言葉を失う。酔っ払いが道に寝そべって運悪く踏まれるのはけして珍しい事ではない。

 だが、女性が身に着けている衣服は誰かに引き千切られたかのように不自然に破れている。


「ソール、すみませんがこの娘を一晩貴方の館で休ませてもらえませんか?」

「わかっている。すぐ馬車に乗せよう」


 クライシスが治療にあたっている間に、ソールは左肩にかけていたペリースを外し女性の体にかけ、抱き上げる。女性は意識を失っているようで、何の抵抗もなく持ち上がった。


 そして顔を近づけた所で、その女性がソールの知っているとある女性によく似ている事に気づく。


(……この娘、もしかして……?)


 ソールは自分の中に浮かび上がった可能性に逸る気持ちを抑え、ペリドット邸へと再び馬車を走らせた。


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