黄緑侯爵と踏み台令嬢~若侯爵は踏み台にされたヒドインを助けたい~
紺名 音子
第1話 黄緑色の新侯爵
「ソール、今日はとても楽しかったです」
淡い照明が灯る馬車の中、銀髪と純白の目を持つ美青年が向かいに座る黄緑色の髪と目を持つ美丈夫――ソールに嬉しそうに声をかけた。
「……楽しんでもらえたなら何よりだ、クライシス」
黄緑を基調にした貴族服と肩にペリースをまとうソールは友人が喜んでくれた事に対して安堵の声を返した後、僅かに眉をひそめる。
「しかし……本当に大丈夫なのか? 姉の危篤でここに戻って来た私と違って、君の場合は後で色々とお叱りを受けるのでは……」
「ソール、その事は本当に気にしないでください。叱られるのが怖かったら私は今ここにいませんよ」
事の発端は一週間ほど前――このレオンベルガー皇国の東南に位置するペリドット領を治めるメイプル女侯爵の難産から始まった。
通常より大分時間がかかった出産は子こそ無事に生まれたものの母体の状態が良くなく、領内の治癒師達が集まってもただ命を繋ぎ止める事しかできない中、せめて皇都の魔導学院に留学中のソールを姉の死に目に会わせてやりたいと願った家臣がソールに手紙を送った。
翌日には魔導学院の卒業式とパーティーが控えていたが、姉の危篤には変えられない――手紙を読んだソールはすぐ様ペリドット領に戻ろうと最低限の荷物を持って学院の寮を出た所で、偶然学友のクライシスと鉢合った。
先生達に伝えてもらおうとソールがクライシスに事情を話すと『私も行きます』と彼は半ば無理矢理ソールに同行した。
そこから魔馬を走らせペリドット領の主都イサ・アマヴェルにある侯爵邸に到着し、クライシスがメイプル女侯爵を治療して一命を取り留めたのが昨日の事である。
「私は友の家族の命を助ける事が出来た……そして今日、友と一緒にこの都を観光する事が出来た。この喜楽に比べたら父上にちょっと叱られる事くらい、なんてことありませんよ」
クライシスは窓の向こうの流れ行く町並みを眺めながら穏やかな言葉を紡ぐ。その姿には女侯爵を助けたという
「……姉上を助けてくれた礼がしたいと言って『では皇都に帰る前に1日だけ観光していきたい』と返されるとは思わなかった。君は本当に欲がないな。その純白の魔力の通り、一切の穢れがない」
この世界特有の言い回しにクライシスは困ったように微笑んだ。
この世界、ル・ティベルは殆どの生物がそれぞれ色の付いた魔力を持っている。魔力の色は性格や相性などに留まらず、魔法の得手不得手にも大きく影響している。
例えば人の体を癒やし、病魔を追い出す治癒魔法は淡色の魔力を持つ者が得意としており、魔力の色が白に近ければ近いほど治癒力が強いという特徴を持つ。
ペリドットの主都にも淡色の魔力を持つ熟練の治癒師達がいたが、それでもメイプル女侯爵のような死がすぐそこに迫った重体の人間を快方に向かわせる事は出来なかった。
せいぜい症状や痛みを緩やかにし、死までの道を留まらせる事しか出来なかったのである。
この世界において、迫り来る死を打ち消せる程癒やしの力に満ちた魔力は一切の彩が混ざらない<純白>の魔力だけ。
ソールの目の前にいる白を基調にした慎ましやかな司祭服を纏う美青年はル・ティベルにおいて唯一、純白の魔力を持つ公爵家の跡継ぎなのである。
しかし当人は公爵家という立場や魔力の色に驕らない、腰が低く心優しい人間であった。
「ソール……私はこれから先、他領をのんびり見て回れる機会などないだろうと思ったからこうして観光案内をお願いしたんです。私は結構欲張りですよ?」
「そうなのか? とてもそんな風には見えないが」
「そんな風には見えなくても、そうなんですよ。ペリドット領は異国の民との交流が盛んとは聞いていましたが、いざ実際来てみると見慣れない物も多くあって、凄く新鮮で……生まれて初めて立ち食いもしてしまいましたし、今日は物凄い贅沢をしてしまいました……!」
クライシスは少し興奮したようにやや早口で喋り、両手を組んで目を輝かせた。
その姿に日中も異国の独特な舞を踊る踊り子や異国の楽器を使う弾き手、蛇使いなどの芸を子どものように無邪気な顔で見つめていたクライシスを思い出し、ソールは苦笑いする。
(……異国と交流がある分、異質なものが紛れ込んでトラブルも多いがな)
本当に友が観光を楽しみ、喜んでくれたのは何よりだが、ソールはこれから先の事を考えるとクライシスのように笑顔を浮かべる事は出来なかった。
嬉しそうな友に苦笑いを悟られぬよう、ソールも窓の方に顔を向ける。21時を過ぎた裏街道は星明かりや並ぶ民家の窓から漏れる光があっても大分薄暗い。
(館に着くまで後30分、といった所か……)
夕食は途中で立ち寄った異国料理店で済ませた。館に戻れば後は湯浴みをして寝るだけだ。
昨日、ソールは意識を取り戻した姉と目が合うなり言われてしまったのだ。
『約束通り、明日から貴方が侯爵だからね?』と――
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