第9話 癖の強い新聞記者
ビルケが新聞記者を応接間を兼ねた執務室に招き入れると、新聞記者は物珍しそうに部屋を見回した後、ソールに向かって礼をした。
「アイアン新聞社ペリドット支部で記者をしていまス、トゥリバンでス。この度は取材を受け入れて頂き、誠にありがとうございまス」
キャスケット帽を降ろして礼をする黒髪にギョロッとした翠眼が印象的な
「すみませ。一節前までイサ・ケイオスに赴任していたので異国人の喋りがちょっとうつってしまいまし。職業病で。不快でしたら申し訳ありませ」
「気にしないで普通に喋ってくれ。無理に切られる方が気になる」
ペリドットの南方にある交易都市イサ・ケイオスは3つの異国に面しており、それぞれの国と交易している。
同じ大陸に存在する国同士、使う言語こそ同じであるが癖のある喋り方や国独自の単語があり、イサ・ケイオスに住むと異国人と会話する機会が増え、影響を受けてしまう者も少なくない。
「では遠慮なク。まずは昨晩、ペリドット家の馬車が人を踏んだ件からお聞きしてもよろしいですカ?」
小さな冊子とペンを取り出し、襲爵の祝いの言葉より先に昨夜の件を聞く記者の振る舞いは侯爵に対して大分失礼な行為なのだが、そんな事に愚痴愚痴言っているようではこの領の統治はやってられない。
ソールは新聞記者の非礼を一切気にする事なく質問に応じる。
「ああ、確かに踏んだ。元々道に倒れていたからな。しかしたまたま馬車に友人のクライシス公子が同乗していてな。踏んだ女性の怪我は全て治してくれた」
「クライシス……ダンビュライトの公子がですカ? 凄い偶然もあるものですネ。女性の名前を教えてもらえますカ?」
「サリーチェ・フォン・ゼクス・ウィローだ」
「踏み台令嬢ですカ!? 探していたんですヨ!」
名前を聞いた瞬間、記者のギョロ目が更に大きく見開き、キラキラと輝きだす。
「親に勘当された後行方不明……との事だが、何か知っている事があれば教えて欲しい」
「そこまでご存知なら話が早イ。僕、卒業パーティーの一件を聞きつけてこれは面白い、とイサ・アルパインまで追いかけたんですヨ。ウィロー家から追い出されてトボトボ歩く姿は気の毒でしたネ。声をかけると『見せもんじゃないから!!』と一喝されて酒場に入っていきましタ」
「酒場……中に入ったのか?」
「はイ。ですが先に記者だと明かしていたのが不味かったですネ。彼女に叫ばれて客の食事を邪魔するなと酒場のマスターに追い出されましタ」
令嬢が酒場に? という違和感は、記者から逃げる為に咄嗟に酒場に避難したのだと考える事で一応消える。
「しょうがないので一旦宿に戻って変装して、再び酒場に入った時にはいなくなってましタ。そこから行方が掴めなかったんでス」
「……マスターからは何か聞けたのか?」
「酒を飲みながら事情を説明すると教えてくれましタ。後から入ってきた体格の良い男とウィロー嬢が意気投合し、デロデロに酔った彼女を連れていったそうでス。マントで体を覆い前髪で目を隠していたそうで、この国の人間か異国人かもわかりませン。ちなみに髪は黒色でス」
「……前髪で目を隠すとなると、素性を知られたくない人間なのは間違いないな」
「髪色は魔法やカツラでいくらでも誤魔化せますが、目は全てを告げますからネ。マスターもその辺不審に思ったから僕に話してくれたんでス。しかし……ウィロー嬢は悪運の強い方ですネェ」
「そうだな、卒業パーティーで恥かかされ、親に勘当され、悪い男に捕まって襲われ毒を飲まされた挙げ句に、馬に踏まれて……悪運続きで可哀想になる」
ソールはそのまま返したつもりだが、記者はきょとんとした表情になり、不思議な沈黙が漂う。
「……あ、すみませン。そう言えば悪運は単純に『運が悪い』って意味もありましたネ」
「それ以外に意味があるのか?」
「えエ。ブリアード王国では悪者の運の事を悪運と言うそうでス。男達を散々乗り換えてきた彼女は悪女でしょウ? 何処かで死んだり廃人になっててもおかしくないような目にあっていながら、純白の魔力でピンピン元通リ。悪運強すぎでス」
美貌と知性で男達を虜にし戦争を引き起こすような悪女に比べると、サリーチェはどうしようもない小者のように思えるが、それでも一応は悪女か――と考えながらソールはコートの内ポケットにしまった方言メモをを開き、悪運という言葉と意味を書き留める。
こんな風に同じ「悪運」という言葉でも使う国によって意味が変わり、トラブルや諍いを生む事も多々あるので、ペリドット家は日々異国の言葉を取り入れるのに余念がない。
「……ちなみに君が宿から再び酒場に戻るまでにかかった時間は?」
「約1時間でス」
「1時間以内にデロデロに酔って酒場を出たと?」
「そうでス……この件、何処まで載せていいですカ?」
ソールが感じた疑問は記者も感じていたようで、記者は小さく頷いた後に小声で囁いた。
サリーチェが極度に酒に弱い体質である可能性が否定できない以上、まだ薬を盛られて連れて行かれた、とまで断定するには早い。
しかしこれがもし事件であった場合、第二の被害者が出かねないので民に警戒心を与え、自衛してもらう必要がある。
「そうだな……こちらの馬車が女性を踏んだ事、ダンビュライト家の公子が同乗していて治療済みである事、元々被害者がその場に倒れ込んでいたという事を書いてくれ。集団で襲われた形跡があるという事と、神経毒を飲まされている事もな」
わざわざ辱められている事まで記載する必要はない。女性がそういう状態で倒れ込んでいたという情報だけで察する人間は察する。
「分かりましタ。……名前、公開していいですカ?<踏み台令嬢、馬に踏まれる!> と、ドーンと一面飾りたいのですガ」
「駄目だ。これは事故ではなく、事件の可能性が高い。二次被害を防ぐ為に今は民に警戒心だけ持っていてもらいたいし、私は彼女を笑い者にするつもりはない。名前は公開するな」
「そうですカ……残念ですが事件ともなれば仕方ありませんネ」
「踏み台令嬢という名称も使うなよ?」
「ちッ……あっ、そう言えば襲爵パーティーはいつ行われる予定ですカ?」
唐突に話題を切り替えられる前にハッキリとした舌打ちがソールの耳にも聞こえたが、記者の生意気な態度一つであれこれ言っているようではペリドット領の領主は務まらない。
爵位を継いだことを祝う襲爵パーティーは自領内の貴族達及び他領の貴族達も集まる。
ともなるとその日は都が馬車で混み合うのだが、新聞で前もってに周知しておく事で混乱を大分防ぐ事ができる。
「今節末の休息日……3週間後辺りを考えている」
「分かりましタ。それも明日の記事に載せておきますネ! 後、襲爵にあたっての意気込みも――」
その後、姉の体調やダンビュライトの公子についてもあれこれと聞かれ、トゥリバンが去った頃には10時を過ぎていた。
サリーチェの所に行って遅めの朝食を取ろう、とソールが執務室のドアを開けると、丁度ビルケがノックしようとしていた所だったらしく、互いに驚いたもののすぐに表情を正した。
「ソール様、プラトリーナ家のデイジー嬢が襲爵のご挨拶に、と婚約者の方と共にお越しになられました」
「……分かった。入ってもらってくれ」
ソールの朝食が、またちょっと遠のいた。
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