第20話 フェリクスの婚約者
メアリを連れて王都へと戻って来たフェリクスは、その足で父親の執務室へと赴いた。ひっくり返らんばかりに驚いた父を急かし、そのままノリス伯爵を呼び出してもらう。
「なっ、なっ、ななななな……!」
執務室へとやって来たノリス伯爵こと近衛騎士団副団長のディルクは、そこにいるはずのない三女メアリを前にして文字通り言葉を失っていた。いや、奇声だけはどうにか発しているが。
「ノリス伯爵。いえ、お義父様とお呼びすべきですかね。この度は良縁に巡り合えてとても感謝しています。ご要望通り、僕はメアリ嬢を婚約者として選ばせていただきました」
そんな絶賛取り乱し中のディルクの前で、いけしゃあしゃあと礼を述べるフェリクス。ディルクの背後で、父ウォーレスは額に手を当てて天を仰いでいた。
「なっ、ど、どうして……! フランカではなかったのか? いや、ナディネでもない、だと? どうして、どうしてよりにもよってメアリなんだ!!」
「どうして、とは? 三姉妹の中から選ぶようにとの王命でしたので」
ようやく人の言葉を取り戻したディルクは、大きな身体を震わせながらフェリクスに詰め寄った。筋骨隆々な彼が目の前に迫っているというのに、フェリクスは一切の動揺を見せない。
それどころかどこまでも冷静に、いつも通りの笑みを浮かべて言葉を返している。
「だぁっ! くそっ! こんなことなら上二人に限定すべきだったっ!! あまりにも勝手な申し出だからと、選択肢は多いに越したことはなかろうと陛下がおっしゃるから……!」
どうやら、陛下も少々無理を言ってしまった自覚が少しはあったらしい。そこで考えた恩情というものが、せめて候補者を一人でも多くする、というものだったようだ。見当違いも甚だしい配慮である。
いや、感謝すべきなのだろう。それも心から。
今となってはフェリクスにとって、妻はメアリ以外に考えられないのだから。
(こんなにも物分かりが良く、こちらの事情も察して受け入れてくれる女性はそういないだろう。それに、彼女なら嫉妬や恨みによるトラブルがあってもうまく立ち回れる。面倒なご令嬢たちの相手には苦労させてしまうかもしれないが)
もちろん、それは恋情ではない。自分にとって都合のいい存在、という意味だ。
「ま、待て。メアリは……メアリはそれでいいのかっ!? こんな顔が良いだけの腹黒を夫にしてもいいのかぁっ!?」
取り繕うということを知らないのかとフェリクスは呆れてしまう。王城内で働く者の間で自分がそう思われていることは知っているし隠してもいないが、あまりにもド直球に貶し過ぎである。
娘を持つ父親は皆こうなってしまうのだろうか。フェリクスは微笑みを維持しながらも冷たい眼差しをディルクに向けていた。
「はい。もちろんです」
一方、話題を振られたメアリは相変わらずのほんわかぶりを発揮していた。泣きそうな顔のディルクの前で、ニコニコ微笑みながらフェリクスの腕に自分の腕を絡ませている。
だが、それだけではない。
「フェリクス様を愛してしまったので、私」
「っ!?」
そのままこてん、とフェリクスの腕に頭を寄りかからせたかと思うと、しれっと嘘を吐いてみせたのだ。
突然の言動に、フェリクスの心臓がこれまでで一番ドキリと音を鳴らした。予定にないアドリブだったからか、性質の悪い嘘だと思ったのか。
(こ、心にもないことをこの娘は……!)
なぜか顔も熱くなっていく。これまでの人生で感じたことのない感情に、フェリクスは内心で大いに慌てた。無論、表には出さない。だが、見る人によっては耳が少しだけ赤くなっていることに気付くかもしれない。
「そ、そ、そんなぁぁぁ! メアリぃぃぃっ!!」
「……はぁ、私の執務室で大騒ぎするのはやめてもらえますか、ディルク副団長。約束は約束ですからね。陛下に報告しにいかなくては」
「い、い、いやだぁぁぁぁぁ!!」
「ああ、もう……」
本気で泣き始めてしまったディルクは、膝から崩れ落ちた。ウォーレスは恨みがまし気にフェリクスを睨んで来るが、そんな目を向けられる筋合いはない。
ツンと澄ました態度で父の視線を無視していると、ウォーレスは諦めたように大きなため息を吐く。
そして、目の前で泣き崩れるディルクをどうにか回収してもらうべく、ウォーレスは部屋の外にいる騎士に何やら指示を出し始めた。
「フェリクス様」
「……なんでしょう、メアリ」
そんな混沌とした空間で、メアリは小声でフェリクスを呼ぶ。横目で彼女を見たフェリクスは、再びドキッとしてしまった。
なぜならメアリがチロッと舌を出し、悪戯が成功した子どものように愛らしく笑っていたからだ。
「実は私、頭が良いわけではないのですよ。特別な知識もない、平凡な小娘でしかありません。でも、もう婚約者の変更は出来ませんからね?」
恐らく、彼女にとってはこの言葉こそが最大級のネタばらしだったのかもしれない。だが、当然フェリクスがメアリをそんな風に評価しているはずはなかった。
「まさか、貴女は自分が平凡だと思っているのですか? あれだけの計画で僕を落としておいて?」
「? はい。誰にでも出来ることしかしていませんし」
フェリクスはなんとも言えない顔になった。無自覚ほど恐ろしいものはないと実感したのだ。
「ご安心ください。君は賢いですよ。僕が出会ったどの女性よりもね。まったく、末恐ろしいものです」
「賢くなんてありません。あまり買い被らないでもらえます?」
褒めたつもりだったのだが、メアリは不満げに頬を膨らませている。こうして見ると、年相応で頭の悪そうな令嬢にしか見えないのだが、フェリクスはもう騙されない。
ちなみに、言った言葉は冗談でもなんでもなく、全て本音だ。しかしこうも目の前でほんわかとした雰囲気を醸し出されると、認めるのが少し悔しい気持ちもあった。
(頑固ですねぇ。良く言えば芯の通った女性、でしょうか)
今後は他のご令嬢たちからの洗礼を受けたりするのかもしれない。フェリクスを良く思わない者からの嫌がらせも油断はならないだろう。
「貴女の方こそ、やっぱり無理でしたとは言わないでくださいよ? 僕の妻となるからには覚悟をしていただかなくては。……まぁ、手助けはして差し上げますよ」
「ええ、わかっています。出来るか出来ないかは関係ありませんものね。頼りにしています、旦那様」
嫌味を放ったはずなのに、逆にしてやられた気がする。フェリクスはなぜか速くなった心音を咳払いで誤魔化し、長旅で疲れているであろうメアリを休ませるため部屋の外へとエスコートした。
メアリへの気持ちの変化には、まだフェリクス自身も気付いていないようである。
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これにて完結となります。お読みいただきありがとうございます!
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最後までお付き合いいただきありがとうございました!(*´∀`*)
また、タイトルを
『腹黒次期宰相フェリクス・シュミットはほんわか令嬢の策に嵌まる』
に変更しまして、2024/10/4に1巻発売です!
阿井りいあ
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