第19話 メアリの仕掛


 ふいに、フェリクスがフッと声を出して笑う。メアリは首を傾げてその様子を窺っていた。


「食事の時、僕だけ野菜が多めだったのも、朝食時にカーテンを閉めるよう伝えたのも、貴女だったのですね? メアリ嬢」


 突然変わった話題ではあったが、メアリはすぐに得心がいったようだった。

 フェリクスがやっと気・・・・付いてくれた・・・・・・ことを察したのだろう。


「そういえばナディネ嬢と出かけた時、食堂にやたらと体格の良い職人が来たのですよね。確かあの店の看板娘は、貴女の親友だとか」


 フェリクスは思い出し笑いをしているのか、終始どこか楽しそうだ。その様子にメアリは少しだけバツが悪そうに苦笑する。


 これは完全に、自分がそう仕向けたことがバレている、と。


「メアリ嬢が作った焼き菓子……大変美味しかったですね。思わず香りに誘われてしまいましたよ。まるで、僕がリビングルームにいたことを知っていたかのようなタイミングでした。自惚れですかね?」


 その通りだった。あの時は思っていた以上にうまく事が運んで、自分でも驚いたほどだ。

 予想外にも褒められることとなって、メアリ自身も動揺する羽目にはなったのだが。


 基本的にメアリが仕掛けたあれこれは、うまくいってもいかなくても良いものばかりだった。

 不発に終わったこともある。例えば書庫に彼の好みそうな本をこれみよがしに並べてみたり、フェリクスがよく向かう庭で本を読んで待ってみたり。


 たくさん仕掛けたメアリの「誘い」に、いくつかフェリクスが綺麗にハマってくれただけだったのだ。


「貴女の意図までは、残念ながら僕にはわかりません。メアリ嬢、それらの行動はただの偶然ですか?」

「……フェリクス様は、どう思いますか」


 質問を質問で返されるのは褒められたことではないが、フェリクスに気を悪くした様子は見られない。それどころか、本当に楽しそうに見える。

 それは作り笑いなんかではないとメアリは思う。


「何か裏があると思っています。気を悪くしましたか?」

「……ふふっ、いいえ」


 それにつられてしまったのかもしれない。メアリもついに噴き出して笑う。


 今こそ、ネタばらしをする時なのだろう。ただ、もしここで怒らせてしまえば全てが水の泡だ。彼がメアリを婚約者に選ぶことはなくなってしまう。


 だが、ここでいつまでも隠し続けるという選択肢はなかった。なぜなら、メアリはずっとこの時を待っていたのだから。


「裏がありました。正直に話しても?」

「ええ、ぜひ」


 メアリも口元に笑みを浮かべ、挑戦的な目でフェリクスを見上げた。その視線を流し目で見返したフェリクスは、スッと手を出して話を促す。


「私は、姉様たちが最も幸せになれる道を進んでほしいと思っています」

「家族思いなのですね。ですが、誰を選んでも、誰かが我慢しなくてはならない。ですよね?」

「そうですね。フェリクス様が婚約者を選ばなくてはならない時点で、最善はないかもしれません」


 メアリは一度そこで言葉を切ると、深く息を吐き出してからフェリクスの正面に立つ。目の前で見上げたフェリクスは思っていた以上に背が高く感じた。


 それと。柔らかく細められた眼鏡の奥の緑の瞳が、なんだかとても綺麗に見えた。 


「フェリクス様。私を婚約者として選ぶ気はありませんか?」


 ニコニコと微笑みながら告げたメアリの言葉は、暫しフェリクスの脳内を駆け巡ったようだった。


 それから数秒後、ついに耐え切れないといった様子でフェリクスは大声を上げて笑い出す。こんな彼の様子は初めてだ。

 畑が続く誰もいない道で、彼の笑い声が風に乗る。なんだかメアリも楽しい気持ちになってしまった。


「これは、やられましたね。どうやら僕は、知らない間に貴女に売り込まれていたようだ」


 額に手を当てて笑うフェリクスは、ようやくそんな言葉を告げた。メアリもクスクス笑いながら、さらにネタばらしをしていく。


「はい。そして、貴方がこうして気付いてくれるのをずっと待っていました」

「そうでしたか。まんまと策略にハマりましたね。僕としたことが、迂闊でした」


 苦笑を浮かべるフェリクスであったが、やはり気を悪くした様子はない。今の彼は、取り繕った顔ではなく素の表情を見せているようにメアリの目には映った。


 そしてそれは間違いではない。この時フェリクスはまさしく、心から愉快だと感じていたのだから。してやられたという悔しさも感じてはおらず、それがまた不思議だと奇妙な感情を抱いていた。


「とはいえ、貴女は僕に惚れているわけではないでしょう? むしろ、あまりそういった感情に興味がないのではないですか?」

「ええ、おっしゃる通りです。ですが少なくとも、好ましいとは思っています。それで十分では?」

「同感です。僕も、貴女を好ましいと思っていますよ」


 メアリとフェリクスは目を合わせると、再び噴き出して笑い合う。澄み渡る晴れ空が、なんだか彼らの心を表しているかのようだ。


 それから少しして、フェリクスは姿勢を正した。メアリも何かを察して背筋を伸ばす。


「参りましたよ、メアリ嬢。……いえ、メアリ」


 その場に片膝をつき、フェリクスはメアリの手を取った。もう片方の手を自身の胸に当て、フェリクスは彼女の青い瞳を見上げてくる。


 その様子はまるで物語に出てくる王子様のようだ。周囲が畑だというのにロマンチックな雰囲気になってしまうのは、フェリクスの整った容姿の力だろう。


「どうか、僕の妻になっていただけませんか?」


 彼の目と言葉に嘘はない。どうやら思惑通り、メアリはこの次期宰相様の妻となるようだ。

 ロマンチックな雰囲気まではわかっていないが、返事の仕方はきちんと心得ている。


「はい。どうぞよろしくお願いいたします」


 ふわりと笑って返事をすると、フェリクスは立ち上がってありがとうございます、と微笑み返してくれる。その笑みがいつも通りの胡散臭いものに戻っていたのが、メアリは別に気にならない。


 その姿こそが、腹黒眼鏡の次期宰相様なのだから。


「これで、少しは目にもの見せられると思いますよ。私の父に」

「? どういうことです?」


 来た道を戻るべく歩きながら、メアリは得意げに告げた。疑問を口にするフェリクスを横目で見ながら、メアリはニヤリと蠱惑的に笑む。


「だって、お父様は私を溺愛していますから。厄介な案件を持ち込んだ仕返しとしてはこれ以上にない上出来な結果だと思います」


 悪びれもなく告げるメアリに、フェリクスはまたしても大笑いをさせられることとなったのである。

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