9 一つに二つ。

あの人爺サマの言った通りじゃねェか。あんま調子乗ってっといつか痛い目を見ンぞって。つーのによォ……キッヒヒヒ、尻尾巻いて敵前逃亡とか!』


 無様ったらありゃしねェなあ!

 げらげら、げたげた。

 声はそんな傷口に塩を塗るような言葉を吐き、そして声を上げて盛大に笑い出す。

 それだけでも癪に障ると言うのに、虫の羽音のような不快な異音まで発して頭の中で騒いでいるものだからその不快感と言うのは実に凄まじい。

 頭痛に、耳鳴りに、馬鹿にされている事に、重ねて痛いところまで突かれてしまっては思わず“それ”は──“グリム”は涙が込み上がりそうになってしまう顔をくしゃりと歪めた。

 しかし、今泣けば相手は殊更自分をからかって遊んでくるだろう。

 それが目に見えているものだからグッと堪えて拳を握ると、虚空を睨み付けながら声を低くしてこう言い放った。


「うるさい、黙れ“エインセル”! それ以上その喧しい口を開こうってのなら、今すぐ引っ張り出して噛み殺してやるぞ!」


 そして湧き起こる苛立ちから「グルルルッ」と喉から唸り声を響かせた。

 人にあるまじき威嚇の声を上げて、グリムは“エインセル”と呼んだ姿の見えない──否、見せない・・・・相手にそう脅し文句を吐き突ける。

 すると散々ゲタゲタと笑っていた声はぴたりと止んだ。

 次に聞こえてくるのは、不快な異音は静めて喧しさを抑えつつも、笑いを堪えているらしくくつくつと喉を鳴らしてはまだ小馬鹿にしているのが見え透いた声だった。


『おお怖い怖い、おェに噛み付かれちゃあ俺もひとたまりもねェからな。……仕方がない。ここは大人しくしてやんよ。』


 そう言うと、エインセルは次に奇妙な言葉を頭の中で響かせた。

 グリムがそれを聞いた時、それはとても奇妙な音だと感じた。

 声にして言い表そうにもそれは、複数の複雑な言葉を発したと同時に早口で口にした、みたいな、何とも形容しがたい凝縮した音だったのだ。

 聞き取ろうにも言葉の一欠片すら判別がつかない、最早ただのノイズとしか思えない音が頭の中を過るように響くと、次の瞬間、グリムの周りで異変が起き始めた。


 ふわり、足元に降り積もった塵が風もないのに吹き上がる。

 くるりくるり、円を描くように無い風に塵が舞う。

 それらは一筋の螺旋を描いていくと、そのまま上昇し自分の周りを巡り始めたのだった。

 それを目にしたグリムは驚くような素振りは一切見せなかった。

 寧ろそれが至極当然かのように、最早見慣れたもの見上げるように無感情のまま顔を差し出す。

 すると、舞い上がった塵達はグリムの顔の方へと向かっていった。

 粒の一つ一つが積み重なっていく。

 それらは誘われるようにして元あった場所へ、半崩壊した顔面の外殻へと戻っていった。


 ぱちん、ぱちん。

 微かに音が響く。

 さながらパズルのピースを嵌めるように、崩れた顔が修復されていく。

 暫くすると粒の螺旋は尾から消えていき、風のささめきも直に止んでいく。

 痛みはないが堪えるように閉ざしていた瞼を持ち上げていけば、正面の鏡が視界に映り込んだ。


 そこに映っていたのは、一見化け物とは程遠いかの少年と良く似た姿だ。

 肌は黒子一つなく色白で、触れてみれば柔らかく滑らかでほんのり温かい。

 触れた手で頬からこめかみへ撫でるように髪を掻き上げていけば、今度は柔らかな糸の束のようにさらさらとした感触が指の間を抜けていった。

 グリムは思わずホッと胸を撫で下ろした。

 しかし、ふと顔を逸らした時、反対の頬にまだ穴が有ることに気が付いた。

 それを見た時、ひくりと眉がぎこちなく震えた。


「………まだ戻ってないんだけど。」

『仕方ねェだろ、魔力切れだ。』


 不満を口にするグリムに即座にそんな答えが返ってくる。

 これ以上は無理、とエインセルが断言するやトイレに盛大な舌打ちが鳴り響いた。


「チッ、使つっかえねー。」

『おェなあ! やって貰っといて何つー言い種だ。そこは感謝するべきだろーが!』

「あの人なら完全に治せるじゃん、半端にしか出来ないならお前は無能だろ。」

『いやいやいや、不足があっても完璧に直せちまうあの人がそもそもおかしいんだって! 普通はパーツが足りないと直しきれないモンなんだよ、足りないモンを魔力で補おうとすれば物凄ぇ持ってかれるからさ……それをあの人、自分一人で補っちまえるんだぜ? あの人の方が異常なんだって!』

「へー、ふーん、あっそ。そういうのどうでも良いから。」


 はーあ……。

 あからさまな溜め息の音が響く。

 頭の中では不満の声がぶうぶうとぶつくさ言っている。

 グリムはそれを軽く流しつつ肩を竦めると、徐にポケットに手を突っ込んでごそごそとまさぐった

 何か、この忌々しい穴を隠せるものはないだろうか。

 そう思って探してみるのだが、特に良いものは見付からない。

 はてさて、一体どうしたものか。

 これから何処かへ何かしらを探しに出掛けても良いのだが、余りこの顔を晒したままに動き回るのはよろしくない。

 が、丁度今は深夜、殆どの者は眠りに着いている頃だ。

 おかげで今なら出歩いていてもそうそう誰かと鉢合わせるような事はないだろう。

 気を付けて動けばさしてどうと言う事もないのであろうが……。


「(めんどくさいなぁ……。)」


 何分、グリムは自ら苦労をしたくない性分だった。

 楽を出来るのならばそれに頼りきり、自分に利がないのであれば基本動かない。

 その上グリムが面倒に感じる事で、真っ先に浮かぶのが何よりも“考えること”なのである。


 一々細かい事で思考を巡らし策を練るなど、グリムにとっては特に億劫なことこの上無いものだった。

 嫌悪する相手への嫌がらせならば嬉々としてするだろう。

 しかし、人一倍感情的になりやすいグリムは元来直球的かつ衝動的な人物。

 気に入らなければ直ぐ手を出すし、苛立つくらいならば怒り出すのも早い。

 嫌悪する相手と対面したならば、距離を置くよりも真っ先にその首を狙いに掛かるだろう。

 そんな人物だと言うのに苦手な分野で策略を練り態々遠回しに行動するのは、それを見られたくない人物がいるからだ。

 その人物の前では猫を被り、無害ぶっては媚びを売り、誰よりも一番に気に入られようとしては邪魔なものを影で排除。

 そうでなければ我慢をする必要などないも同然なのであった。


 故にこそ、自分の姑息で陰険なところをその人物に知られる事は何としても避けたい。

 知られてしまうかもしれない可能性が少しでもあるのならば動きたくない。

 しかしこのまま動けずにいる訳にもいかず、どうしたものかと「うーん…」と唸る。

 そうして苦手ながらも一人頭を抱え悶々と考え込んでいると、漸くこちらに聞く耳がない事を察し文句を言うのを止めたエインセルが呆れたようにこう言った。


『ったく………おい、後ろのポケット。』

「んー? ………あ、あった。」


 言われて、ズボンの背面にあるポケットへと手を伸ばしてみる。

 するとそこにはタイミング良く絆創膏が入っていた。

 ラッキー、良いもんめっけ。

 丁度良いじゃんとばかりにそれを手にする。

 そうして頬に残った穴を隠すべく、ぺたりと貼り付けるのだった。


「……これでよし、と。」


 鏡へと顔を向けて右へ左へと首を回す。

 絆創膏で穴を隠した顔は何の変哲もなく普通である。


「うんうん、これで大丈夫だね。」


 確認し、満足そうに鼻で息を吐いて満足そうに頷く。

 それから「さて、部屋に戻るか」と意気込んで、今度は部屋に居座るあの“不定形ヘドロ女”にこれからどう仕返してやろうか考える。


「(アーサーが起きる前に一泡吹かせて………いや、アイツが出てこれない日中の人前でアーサーを一人占めしよう。そしたらアイツは見てるだけしか出来ないし邪魔も出来ない。きっとものスッゴ~く悔しがるに違いないぞう──。)」

『なーあーグリムぅ。』


 どうとっちめようか、何をすれば嫌がらせになるか、にまにまと意地の悪い笑みを浮かべつつ企み謀るその最中。

 そこに横槍を入れるように自分を呼ぶ声が聞こえてくる。

 思わずうんざりとした顔を浮かべてしまうグリム。


「……何だよ?」


 取り敢えず、聞くだけ話は聞いてやろう。

 そうは思っても口を衝くのはやる気が微塵も感じられない声音。

 嫌々ながらも訊ねてみると、エインセルは、


『腹が減った。』


 と、あっけらかんと答えたのだった。

 思わず「はあ?」と怪訝な顔を浮かべてしまう。


『魔力使い果たしたから腹が減ってしゃーねェんだよう。…なあなあ、外行こうぜ、外~飯食いにさあ。』

「嫌だよめんどくさい、ひとりで行けば良いじゃん。」


 オレを巻き込もうとしないでよ。

 そうしてグリムは尚も突き放すように、不満をぶつけるようにこう言葉を返した。


「勝手に宿の外に出るなってあの人から言われてるだろ? オレやだよ。バレたら目茶苦茶怒られるに決まってるし。」

『えー、良いじゃねェか少しくらい。』

「あの人さあ、キレたらめんどくさいんだもん。直ぐに怒るし、ぐちぐちうるさいし、直ぐ根に持つし………。」

『自己紹介か?』

「は? 殴られたいの?」

『ナンデモナイデス。』

「……大体さぁ、いつもあの人にくっついてる癖に、何で今に限ってオレの所に──、」


 そこまで疑問を口にしたグリムだったが、それを途中で途切れさせた。

 ほんの少しの沈黙が流れ、グリムの向ける視線は考え込むように何もない場所へ。

 少々の思考の果て、やがて合点がいくと「…ああ、そう言うことか」と小さくぼやき、一人納得しては肩を竦めて息を吐いた。


「(“連れていけなかった”のか。)」

『?』

「んや、何でもない。……とにかく、オレにとっては行くだけ無駄だから嫌。行く用事だってないし、付き合ったところでオレには何の得もないんだしぃ。」


 だから行かなーい。

 そう答えると、頭の奥からブーイングが聞こえてきた。


『冷てー奴! ちょっとくらい良いだろ~? 何もしなけりゃバレねーって。』

「やーだー。しつこいなぁもう! 朝まで待てないのかよ?」

『腹減った腹減った腹減っ──』

「だからうっさいってば! …あーもーっイライラするぅ!」


 そしてグリムは呻き声を上げると、抱えた頭をがしがしと掻きむしった。

 エインセルのこの余りのしつこさに、元より短気なグリムはもう我慢の限界だ。

 何度言っても同じ事を連呼し続ける諦めの悪い彼に、限界を迎えたグリムは当たり散らすように声を上げるのだった。


「いい加減に──!」


 その時だった。




 ──……………うに、………では………。




 声が聞こえた。

 人の声だった。


「───。」


 いつもならば気にも止めずに聞き流す事なのに、その音を耳にしたこの時だけは自棄に鮮明に聞こえたような気がした。

 その声には聞き覚えがあったのだ。

 唐突に黙りこくってしまったグリムの頭に、エインセルの戸惑う声が静かに響いた。


『グリム?』

「(廊下………ううん、違うな。外だ。)」


 外から聞こえてくる。

 エインセルからの呼び掛けには反応せぬまま、声が聞こえてきた方向からそう判断したグリムは視線を向けかけた廊下から背後にあった窓の方へと振り返る。


 トイレの最奥、突き当たり。

 そこには外部に通ずる窓が一つ。

 換気の為だろう、それはほんの僅かに隙間を作り中途半端に開いている。

 そこからは微かに隙間風が吹き込んできては、か細くぴーぴーと笛を奏でていた。


 グリムはゆっくりと足を進めた。

 真っ直ぐ、コツコツと足音を立てながら、窓に向かって。

 ひくり、鼻腔を擽る感覚に妙な香りを感じ取る。

 外から吹き込んでくる風からのようだ。

 顔をしかめつつも口元を腕で覆い隠すと、やがて辿り着いて足を止めたその場所で、徐に伸ばした手を窓へと近付けていった。


「──ええ、ええ。もうお陰様で。この度はとても良く繁盛させて頂きました。」


 外から聞こえるのは男の人の声だ。

 窓の側にまで来たからだろう、先程よりもハッキリと声が聞こえてくる。

 誰かと誰かが話しているのだろうか?

 聞こえてくるのは一人分の声のみではあるのだが、その話を続けている者の声にはやはり確かに覚えがあるものだった。

 その聞き覚えのある声は何処か弾むような声音でこんなことを話していた。


「特に例のアレ・・・・。アレが実に好評でございました。高値で買い付ける者がおりまして、それが火付けとなって次の入荷はいつかと言う声が殺到する程に……。」


 くふ、くふふ、くふふふ。

 余程嬉しいことがあったのだろう。

 喋り続ける男の言葉には、端々で堪えきれないらしい笑いが零れていた。


「ええ、ええ。それはもう。馬鹿みたいな額ですよ。まさか、言い値で購入するだなんて、流石の私も予想だにしていませんでしたし。お陰様で私の懐はホックホク。全く、“田舎者”様々ですよ。世間知らずとは末恐ろしい………四方や、ただの香水・・・・・を高額で買うだなんて!」


 音を立てぬよう窓を押し開き、踵を上げて覗き込む。

 ようやく外の様子を伺えるくらいに開けられたその隙間からは、宿屋の裏手にある薄暗い空間だ。

 そこにいたのは──、


「(アイツだ。)」


 薄暗闇の中、一人分の人影。

 話している相手の方は物陰に隠れてしまって姿は見えないが、そこにいる声の主の姿を見てグリムは確信した。

 

『アイツって、確か……。』


 続いてエインセルが呟いた。


『昼間の商人、だよな?』


 グリムはこくりと頷いた。


 そう、その人物とは昼間出会った顔見知りの者だったのだ。

 顔見知りとは言ってもグリムとエインセルにはその姿を遠巻きに眺めていただけ、直接話したことがある訳ではない。

 ただそれでも、ただの通りすがりに対面しただけの知らぬ間柄とは言ってもグリムにとっては忘れ難い相手でもあった。

 何せその人物とは、グリムとエインセルの同行者──彼らが「あの人」と呼んでいる“アサト”と言う人物、それからその庇護下にいる少年“アーサー”と関わり合った者だからだ。

 ……まあ確かに、それだけでは彼ら二人の関心を得るには物足りないだろう。

 しかしその人物はあろうことか、グリムが傾倒しきっている相手でもある“アーサー”を泣かせた者でもあったのだ。

 故にこそ、高がそこらにいる有象無象の一人だとしてもグリムとエインセル達の記憶に残されるに十分である人物となっていたのだった。


『……うっわ顔怖ッ! マジギレじゃん……頼むからまた外殻ガワを壊したりはしてくれんなよ? もう俺にゃ、直すだけの魔力も──』

「ねーえ、エインセル?」


 魔力も残ってない……。

 そう言おうとした矢先、グリムの口からはいつもと違った声音が響いてきた。

 ……いや、どちらかと言うとそれは“いつもの”声音なのかもしれない。

 何せそれは、あの“アーサー”と言う少年と一緒の時に出す声音だったからだ。

 その甘えるような、トーンを高くした子供らしい高い声を投げ掛けられたエインセルからは『うげ』と心底嫌そうな声が溢れる。

 それもそうだろう。

 何故なら、いつもは自分に当たりの強いグリムがその猫なで声を発する時には、決まって良からぬ事を考えているサインなのだから。


『………おう、何だよ?』


 こうなってしまえば、エインセルひとりではグリムを止められない。

 ハッキリ言って降参だ。

 後であの人、アサトに叱られる羽目になろうと関係無い。

 寧ろ迂闊に楯突いて止めようとして、こっちが半殺しにされてしまうリスクの方こそ絶対に避けねばならないのだから。

 グリムとエインセル、力関係はグリムが圧倒的であるが故、エインセルは逆らうことが許されない。


 はてさて、これから自分は何を“お願い”されてしまうのだろうか?

 決してグリムの目前へと出て痛い目に遇わされてしまわぬように身を潜めたままのエインセルは遠くを見るような諦めの境地に浸りつつ、次の言葉を待つのだった。


 にっこり、口角を滑らかに吊り上げて。

 ふっと、鮮やかな青の瞳を細めて。

 傷一つとしてない色白な掌を重ね合わせると緩やかに指を絡め、こてんと傾ける頭、頬を手の甲にそっと凭れさせる。

 そして蕩けるような甘い声音を響かせて、まるでものをねだるようにこう囁くのだった。


「オレもねぇ、外で遊びたくなっちゃった。──ねえエインセル。久しぶりに“狩りごっこ”、したくなぁい?」


 ハイハイ、わかりましたよっと。

 グリムから何をお願いされようが、エインセルはそう答えるつもりだった。

 すんなり受けて機嫌を取るのと、拒否して激昂させて痛い目に遇うのと、それは天秤にかけるよりずっと早い経験則からの判断が自身にそうさせるからである。

 これから一人暴走するであろうグリムを止めるには、やはりアサトの手が必要になってくるだろう。

 故にこそエインセルはこれからどうやってアサトへとこのSOS緊急事態を報せるべきか、グリムからの言葉を待ちつつ密かに頭を悩ませていた……筈だった。


 だがしかし、その考えは一気に崩れ去ってしまった。

 グリムが口にした“狩りごっこ”と言う言葉を聞いたその瞬間、エインセルの頭からはご機嫌取りの億劫さも、後始末に対する面倒臭さも、何もかもが抜け落ちていったのだ。

 代わりに胸の内に湧き起こってくるのは、甘美な誘いに高揚していく心。

 エインセルはそのグリムからの誘いにすっかり食い付いてしまったのである。


『……する! やるよ、“狩りごっこ”! 俺もしたい!』


 咄嗟に、衝動的に、そして前のめりがちに、エインセルは応えた。

 その声音からは彼が喜んでその誘いに乗ろうとしているのが良くわかるもの。

 今この場で彼の姿が見えていたならば、きっとその目は期待に満ちて輝いていた事だろう。

 そんなエインセルの反応に、グリムは蠱惑的な笑みを満足そうなものへと変えていった。


「ふふふふ。お前ならそう言ってくれると思ったよ。久しぶりだけど腕は鈍っていないよな?」

『キヒヒヒッ、何を言うか! お前ェがその気になんのを、俺はずっと待ってたんだぜ?』

「マジかよ、キッモ。どんだけ欲求不満なんだか。」

『お前ェの方がよっぽどだろ。毎日毎日、万年発情期ヨロシク尾っぽ振り撒くってるクセによォ。』


 にやにや、にまにま、くすくすくす。

 楽しみを見付けた二人が笑みを溢す。


 はてさて、一体これからどうしてくれようか。

 はてさて、一体どうやって追い詰めてくれようか。

 狙う獲物は“兎”が一匹。


「~♪」


 静寂が包む宵闇の中、クスクスと笑う無邪気な幼声と微かに響く鼻唄の音。


『さっきとは打って変わってご機嫌だなァ? グリム。』


 そんなんじゃ獲物が逃げちまうぞ?

 そんな頭の奥から聞こえてくる声に、ふふんと鼻を鳴らして得意気に答える。


「別に、ちょっと気分がノって来ただけだし。逃げられたところで逃がさなければ何も問題ないよ。」

『キッヒヒヒ! それもそうだなァ!』


 ゲタゲタゲタッ。

 不快な音が笑い声を上げる。

 心底愉快そうでご機嫌な彼に、グリムは「それにさ、」と言葉を続けていく。


「お前と一緒なら、絶対に逃がすことはないだろ?」


 そんな言葉と共に得意気にニィッと笑みを見せる。

 すると一瞬だけあの不快な笑い声が止んで、それから少しの間を置いて、


『それもそうか。』


 と、静かに声が返ってきたのだった。

 それは何処か腑に落ちたかのような声音で、当然の事をうっかり忘れてたった今思い出したかのよう。

 そんなエインセルの一人言みたいな声を聞き、グリムはやれやれと一つ息を吐く。

 やがてくるりと踵を返したかと思うと、踵を鳴らして歩き始めるのだった。




 ──寒けりゃ外出ろ まさかり持って

   木を薙ぎ倒して 火をくべ 燃やせ

   腹が減りゃ外出て 獲物を狙え

   追い詰め 捕らえて シチューにしちゃえ──




『……何だか、俺達にぴったりな歌だな。一体何の歌なんだ?』


 こつこつ、トイレを出て廊下を歩いていく最中。

 きしきし、笑いながらエインセルは言う。


「……大昔の唄だよ。オレ達が生まれるよりも、ずっとずっと昔の。」


 口ずさむのを止めたグリムは言う。

 カツ、カツ、と足音がリズムを奏でるのを聞きながら、懐かしむように目を細めたグリムはこうも言葉を続けていく。


「いつか離れ離れになる前の、仲が良かった頃・・・・・・・の双子のね──。」


 そしてすうっと息を吸うと、続きを歌い始めるのだった。




 ──つまらない雪景色キャンパスに色を塗れ

   白い大地 鮮やかに 赤色 パッと華やかに

   兎も 鳥も 猪だって 皆私達には敵わない

   誘い 手の内 罠の中

   最後はすとんと 一刀両断

   頭と胴 綺麗に真っ二つ


   二人一緒なら 何だって乗り越えられる

   私達 いつだって 二人でやっと一人分

   だから 繋いだ手 もう離さないで

   私達 いつまでも 欠けてはならない二つで一つ


   このままずっと 一緒にいられたら

   このままずっと 一緒にいられたら





「──このままずっと、一緒にいられたら……。」


 静寂に、ささやかな歌をそっと乗せて。

 月夜の下、薄暗闇にそっと身を潜めて。

 ひっそり宿を抜け出して、建物の裏手へ足を進める。


 やがて見えてくるのは無防備な後ろ姿。

 狙いを定めて忍び寄り、気付かぬ内にと獲物へ近付いていく。


『……前言撤回だ。俺達にゃ似合わねェや、その歌。』


 息を潜めて獲物へと歩み寄っていくグリムに、音のない声を響かすエインセルが不服そうに言う。


『俺達には欠けているものがある。お前ェは考える頭で、俺は丈夫な身体。』


 ジジジジッ……。

 耳元ではなく頭の奥で、虫が羽根をはためく音が聞こえる。

 それはやはり耳障りではあるものの、いつもの嫌がらせとはやや違う音の響きに思えた。


『短慮なお前は誰かに指揮して貰わねェと、後先考えねェで力任せに猪突猛進。虚弱な俺は誰かの身体に寄生しとかねェと、身体も力も弱すぎて生き永らえる事すら儘ならねェ。……なら、俺達が互いを補えるように一つになれたら?』


 ふと、グリムの足が止まる。

 エインセルの話にくしゃりと顔を歪めては、苦々しげに唇を噛み締めた。


「(でも、それは、)」

『……でもよ、俺達にはそれが出来ない。どうしようもない程に相性の良い筈の俺達は、どうにもならない程に相性が悪いんだ。だから、どうしたって代わりになる別の誰かを求めちまう……二つを一つに? ハッ、無理な話だな。』


 そうだ、と思わず頷きたくなるグリム。

 代わりに握り締めた拳に力が入る。


 だからグリムは求めるものに、“エインセル”ではなく“アーサー”を求めた。

 かつて自分が得られなかったものに、自身が欠けたピースには彼と言う存在が必要だと思ったからだ。


 だからエインセルは求めるものに、“グリム”ではない“別の何か”を求めた。

 それはとてもありふれたもの。

 だけどまだしっくりとくるピースが見付からない彼は未だ根なし草のまま、この先もずっと探し続けねばならないのだろう。


「(少なくともオレ達・・・は。)」


 それでも二人は別の道を選んだのだ。

 それが二人にとって別離の道だとしても。

 寧ろこれで良かったんだ、とすら思っているくらいだ。

 後悔はしていない。


 だって二人は同じ時に、同じ場所で産まれただけでしかないのだ。

 各々が確固たる一つの存在なのだと、それだけは確かに理解していた。


「ねえ、エインセル。」

『なんだ、グリムテール?』


 月明かりを避けるように暗闇から潜み寄り、目を付けた憐れな犠牲者を嗤いながらニッと笑みを浮かべて。

 産まれてより別たれた彼らは、その存在を示し合うように互いに互いだけの名を呼び合った。


「いー感じの指示ナビゲート、ヨロシクね。」

『キッヒヒ! そいじゃお前ェも、俺が死なねェように庇ってくれよな。』

「えー。」

『えーって……ちょちょ、頼むぜ? 見捨てられるのだけはマジで勘弁だ! 俺は貧弱だぞ? ペシッと来たらコロッと逝っちまうぜ!?』

「どーしよっかなぁ。」

『そんなぁっ……なぁ頼むって、グーリームーぅ!』

「…ふふふっ! エインセルがオレのこと、ちゃあんと“お兄さま”って呼んでくれたら、良いよ。」

『は? 違ーし、俺の方が兄だろ。』

「あ?」

『キレんのが早ェって! だってお前ェよ………って、あっあーっ! グリム! グリムっバレてる! 獲物逃げてる!』

「えっうそ!? …ちょっともう、エインセル! お前のせいだぞー!」

『はぁ!? いやいやいやっ今のはどう考えたってお前ェが大声出したせい…。』

「お前後で覚えとけよ!」

『り、理不尽!』


 ダダダダッ……。


 にわかに慌ただしくなる夜。

 誰かの悲鳴と子供の笑い声が静寂に綻びを作り出していく。

 しかし、それも真夜中だけの出来事。

 朝になれば皆、もしやあれは夢だったのだろうかと首を傾げるだけ。

 朝の目覚めから昼にかけて、次第にふっと忘れていくだろう。


 そうしてそんな些細な出来事は、結局最後には誰にも知られる事もなく、影でひっそり幕を降ろされていくのであった。


 極一部の人物の間でだけ、そっと残されたままに。




 これは似ても似つかぬ彼ら、歪な産まれの双子きょうだいの幕間。

 “エインセルとグリムテール”の幕間。

 とある童話に出てくる兄妹に何処か似た名を持つ彼らは、人の腹から産まれながらただの人の子として存在する事の叶わなかった、異形の子供達であった。





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