-5 何だかちょっと残念な…。
あれから少し経った頃、ぼくは足元を眺めながら困っていた。
「……うーん……。」
小さく響く呻き声、床で大の字に広がる無防備な四肢。
魘されているのか、眠りながらに顔をしかめながら寝苦しそうに頭が揺れる。
「……じゃない……むにゃ………わたしは……そんな………。」
「………おーい、グリモアー?」
むにゃむにゃ。
ごにょごにょ。
訳のわからないことを口走りながら、一向に目を覚ます気配のないグリモアを──もう何度試したかわからないくらいで意味がないことを既に察しているものの──どうにか起こそうと試みるぼく。
頬をつついて、身体を揺さぶって……。
「ううん……?」
そこでようやくめぼしい反応が見られた。
眉を寄せた瞼がぴくりと震える。
小さな呻く声が溢れ、億劫そうに持ち上がった手が顔を覆う。
まだ覚めきっていないらしい目が細めたまま眩しげに瞬いた。
「んん………あれ……? 私は、なんで……こんなところで寝て……?」
ゆっくりとした動作で上半身だけ起こしたグリモアが、眠気を拭いきれないとろんとした瞼を擦りつつそう呟く。
伸ばしっぱなしな波打つ長い髪は倒れた際により乱れたらしく、跳ねる毛の量も増えていたり、中には普段は後ろへと流れる髪が顔の前を垂れて形の良い鼻先の横で揺れていた。
「あ、やっと起きたんだね、グリ、モ……ア……。」
ようやく目を覚ましたグリモアに、ぼくは気を引こうと手に触れる。
耳の聞こえない彼だから、声をかけたって気付くハズがないのだ。
だからこそ言葉を伝えるには先ず自分の存在に気付いて貰おうと思い至ったぼくなのだが、寝惚けた彼がゆっくりとこちらへと視線を向けてくるその様を見て、思わず言葉を飲み込んだ。
乱れた淡色の長髪が頬を伝う。
寝惚け眼はアンニュイっぽく瞼を伏せて、細くしか開いていない瞳がこちらを向く様は、まるで流し目の如く色っぽい。
その顔面が元より恐ろしく良いだけあって、気怠げで脱力感のある雰囲気を醸し出しているグリモアは普段にも増して美しく感じた。
そんな彼に見とれてしまっていたぼくは、何か口にしようとしていたハズなのに何を言おうとしていたのかポッカリ忘れてしまっていた。
ポカンと開いた口をそのままに、グリモアの容姿にすっかり心を奪われ呆けていると、
「お前は……。」
やや間を置いて、ぼくを見詰めてグリモアがポツリと声を溢す。
その声にハッとしたぼくはそこでようやく我に返ると、何をボケッとしているのかとぶるりと頭を振り、気を紛らわせるべく自らの頬をぺしんと思い切りに叩いた。
小気味の良い音が辺りに響く。
一瞬頬に走った痛みと衝撃を感じた瞬間、頭の中がスッとしていく感覚を覚える。
そして真っ更な気持ちに切り替えたぼくは改めてグリモアへと向き直すと、話を続けるべく口を開いた。
「グリモア。あなたね、いつの間にかここで倒れてたんだよ。」
「倒、れて……?」
どうやらグリモアの意識はまだハッキリとはしていないらしい。
ぽやんとした表情を浮かべてぼくを見詰めているけれども、その視線は焦点が定まっていないらしい。
目を合わせているハズなのに視線が合っていないように思えた。
試しに目の前で掌を振ってみる。
ひらりひらりと横に振り様子を見てみれば、やはりぼうっとしたままで反応が薄い。
これではダメだ、ちゃんと起きてくれなくては。
「仕方がないなぁ。」
ぼくは息を吐いた。
グリモアには起きて貰わないと、他の誰でもなくぼく自身が困るのだ。
何せ、黒髪の彼は先程会話をして以来離れた場所でずっと沈黙。
放っておいて欲しいと言わんばかりにぼくから目を背け、一人静かに項垂れてしまっていて如何にも声をかけづらいのである。
始めは何か怒らせるようなことをしてしまったのかと戦々恐々としていたぼくであったのだが、どちらかと言えば落ち込んでいるようだと気付いてからは、今度は何だか罪悪感のようなものを感じてしまうようになり、その気まずさから居心地悪くていてもたってもいられなくなったのである。
その矢先に、グリモアがいつの間にか床に寝転がってグースカ寝ているところを発見したのだ。
幾ら彼女がいたって、こんな状態の黒髪の彼と二人きりになんていられない。
そしてぼくはグリモアに逃げ場を求めるように、今すぐ叩き起こそうと心に決めたのである。
「グリモアー?」
呼び掛けるだけでは意味のないグリモアに、今度は身体を揺するのではなく頬を軽く叩きながら名前を呼んでみることにした。
ぺちぺちと小さな音を立てて痛くない程度に微睡む頬を叩いていると、しはらくしてその表情がくしゃりと歪んだ。
「ん………ああ……悪い、ね………ふう………何だか、急に気が遠くなってしまって………。」
段々と意識がはっきりしてしたのか、欠伸を噛み締めては息を吐いたグリモアは寝起きだからかふやけた口調でそう言った。
今にも閉じそうな目尻には少量の涙が浮かび上がり、持ち上げた指先が寝惚け眼を擦る。
その最中にもまた欠伸を溢してはまだ眠そうにしていたが、指先を膝の上まで降ろしていくと、そこでようやくグリモアの顔が前を向く。
やや微睡みが残っているものの、しっかりと開かれ始めた目がようやくこちらの視線と合わさった。
その口元にはいつもの微笑みが口角に現れている。
いつの間にか眠っていたグリモアだったが、どうやら身体のどこかに異常が来して倒れていたワケではなさそうなくらいには平常通りのようだ。
そう思って安堵したぼくは、ようやく目覚めてくれたグリモアはにかんで笑みを返す……の、だが……。
「───。」
ひくり。
目の前で、グリモアの微笑みがぎこちなく引き釣ったような気がした。
合わさったと思っていた視線は、変わらない方角でも何処か別のところへと向けられて、どうとその一点を凝視しているらしい。
どうしたんだろう?
首を傾げたぼくは、その視線の向く先を目でなぞってみるのだが……。
「んに?」
ぼくの後ろには彼女しかいない。
触手をぐねぐねとうねらせながら、何てことのないようにぼくらの様子を眺めているだけである。
彼女がどうかしたのだろうか?
そう考えて再び視線を戻してみれば、グリモアはパクパクと口を開閉させながら彼女を指差して固まってしまい、挙げ句の果てにはガタガタ震えるようにまでなっていって──、
──ばたーんっ!
「ぎゃーっ!? グリモアが倒れたーー!?」
折角取り戻した意識をプツンと手放して、グリモアは再び床に転がってしまったのであった。
*****
「グリモア、ねぇグリモアってば! 目を覚まして!」
「う………うう………。」
「グーリーモーアー!」
「ううん……──ハッ! わ、私はいつから眠って……!?」
あれからぐったりと項垂れた身体を揺すり続けてしばらく。
奮闘した甲斐あってかグリモアは直ぐ目を覚ました。
起きた直後で状況がわからないとばかりに額に手を当てて、グリモアはそんなことを呟いていた。
目覚めたグリモア一時は安堵したものの、ぼくは直ぐに腕を組んで唇を尖らせると放心するグリモアにこう言った。。
「もう、びっくりしたよ。グリモアってば、ネコさんを見て突然ぶっ倒れちゃうんだもん。何かあったのかと思ってスッゴく心配したんだから!」
如何にも怒っている風に口にすれば、グリモアは眉の両端を下げて「ああ、すまないね」と申し訳なさげにへらりと笑う。
そんな彼に頬を膨らませてじとりとした眼差しを向けていたぼく。
しかし、心配したのは本当でも、実際に怒っているワケではない。
本気の本気でスッゴく心配したのだ。
一体何が起きたのかとひやひやとした気持ちで起こしたら、存外何てこと無さそうだったのである。
それに何だかムッとしてしまったぼくは「心配かけやがって!」とちょびっとばかし当たってしまったのだった。
……我ながら、心が狭いなぁ。
けれども、これは流石に言い過ぎたのではないかと、一瞬気を迷わせてしまう。
けれどもグリモアはそんなぼくに一切非難の言葉を吐くことはなく、嫌な顔をするどころか、頬を掻いて本当に申し訳なさそうに俯いてしまったのだ。
その様子には流石のぼくもいよいよ罰が悪くなってしまい、慌てて「良いよ、ぼくは大丈夫だから!」と笑みを顔に張り付けて言葉を付け足した。
まずい、やり過ぎちゃったかな?
作り笑いを浮かべたぼくは焦りから額に冷や汗を浮かべる。
だがそんなぼくを見たグリモアは、安心したように表情を和らげるのだった。
……良かった、気を悪くはしていないみたいだ。
ぼくは胸の内で密かに安堵の息を溢した。
「……でも、本当に一体どうしちゃったの? 急に倒れちゃうんだもん。何かあったんでしょう?」
「ん? ああ、何だか急に気が遠くなってしまったみたいで……。」
今までの空気を誤魔化すようにぼくが口にした質問に、グリモアが首を捻ってそう答える。
どうやら気を失う前の記憶が曖昧らしく、何度と首を傾げながら「ううんと、何だったかな…?」と顎を撫でつつ唸り出した。
「何だか、とても恐ろしいものを見たような気が……? うーん……なんだったかな……こう、
「恐ろしいもの? そんなもの、あったっけ?」
俯いて頭を捻りうんうんと考え込み始めたグリモアに、首を傾げたぼくはそう言い上を見上げた。
あれからすっかりグリモアに飽きてしまっていた彼女は、今ではぼくの後ろで暇してくねくねと触手を揺らしている。
ぼくが相手をしてあげていないのもあって、手持ち無沙汰で退屈そうだった。
だがぼくからの視線に気が付くや否や、彼女はするりと触手を伸ばしてきたかと思ったら肩に凭れ掛かるようにしてぴっとりとくっついてきた
どうやら彼女は今甘えたい気分のようである。
肩に這わせた触手が顔の方へ近付いてきたかと思うと、頬にややひんやりとした柔らかな感触がふにふにと押し付けられ、それがすりすりと擦り付けられる。
こちらとしては撫でられているようでも、彼女としては甘えているだけなのだろうが……その仕草に堪らなくなったぼくはついきゅっと顔に力を込てしまうのだった。
くそう……こうもいじらしく甘えられてしまったら、放っておけるハズがないだろう……!
耐えかねたぼくはグリモアと会話を続けているのを装いつつ、隠れて彼女の触手を撫で愛でることにした。
「ううーん、思い出そうとすると頭が痛む………頭が思い出そうとするのを拒否しているみたいだ。一体私は何、を──」
そうこうしている内に、幾ら考えても仕方がないと考えてかグリモアがようやく顔を持ち上げる。
その時顔の前に垂れかかる乱れ髪が邪魔だったようで、額を撫でるように掻き上げながらぼくへと視線を向けたグリモアだったのだが……次の瞬間、またも彼はやびしりと凍り付いた。
絶句。
ぼくを見て……いや、
しばしそのまま固まっていたのだが、ぼくが声を掛けようと口を開き掛けたその瞬間──、
「ぎゃあああああーーーーーッッ!!!?」
──グリモアの口から凄まじい絶叫が上がったのだった。
*****
「ええーっと、どうしたもんかなぁ……?」
何とも言えない状況に、困り果てたぼくはそんなことを呟く。
あれから飛ぶように逃げ出してしまったグリモアは少し離れた物陰に隠れてしまい、目尻に一杯の涙を浮かべてプルプルと震えている。
ぼくの傍には相変わらず彼女が触手をゆらゆらと揺らめかせているのだが、その一挙一動を見たグリモアはその都度びくりと跳ねたり悲鳴を上げたりしているのであった。
どうもグリモアは彼女に対し、酷く怯えているらしい。
「グリモアー? 大丈夫だよー、出ておいでー?」
ぼくが近付こうとしてもびくうっと震え上がってまた泣き喚き始めてしまいそうなので、その場でしゃがみこんで彼を呼ぶ。
何せ、ぼくが羽織っているローブの中から彼女の触手は伸びているのだ。
彼女に怯えているのなら仕方がない。
だがしかし、グリモアはプルプルと震えるばかりで中々出ては来てくれない。
物陰から涙に鼻水にとグショグショになった情けない顔がこちらの様子を伺っているのがちらちらと見えているだけである。
「ねぇグリモア、大丈夫だってば。怖くないよー? この子、良い子だもん。グリモアにだって悪いことしないよ。」
だからそんなに怯えなくったって大丈夫だよー。
グリモアを刺激しないように、子供をあやすような口調でぼくは何度も声をかける。
耳が聞こえないグリモアだけれども、視線がこちらに向いていれば伝わるハズだ。
何だか滑稽な光景ではあるけれども、ここは根気よく続けるしかない。
すると恐る恐るとした様子ではあるものの、グリモアが物陰から出てき始めた。
だがその眼差しからはまだ疑心の色が見える。
それでも声をかけ続けていれば、彼女が優しくて人に危害を与えるような子ではないことをぼくが教えて上げれば、きっとグリモアもいずれ怯えなくなってくれるハズである。
そう確信してぼくは彼に安心して貰えるよう笑みを浮かべると、手招き続けていった。
「んにー?」
そんなぼくらを彼女は少し離れて不思議そうに眺めている。
余りグリモアを刺激するワケにはいかないので、ぼくから彼女に大人しくして貰うよう言っておいたのだ。
「しーっ……あと少しで出てきてくれそうだから、もうちょっとだけ、そこで待っててね。」
近付きかけていた彼女に、ぼくは掌で口許を隠しつつそう小声で声をかけた。
案の定、彼女の挙動にびくりと一際大きく震えたグリモアが物陰の奥へと隠れていってしまう。
その様子に彼女はやはり不思議そうにきょとんとしていたのだけれども、ぼくの言葉を聞くと心得たとばかりに「にゃるらー…」と小さく鳴き声を上げたのだった。
聞き分けが良くて大変よろしい。
ぼくは大人しくしてくれている彼女に微笑みかけると、今度はグリモアの方へと向き直すのだった。
グリモアはまだ怯えて物陰の裏にいる。
「ほら、グリモア、こっちへおいで? 大丈夫、怖くないよー。」
声を掛け続けていると、思っていた通りグリモアはまた少し、また少しと次第に物陰から出てきてくれる。
ぐすんぐすんと鼻を啜って、涙に濡れた頬を袖で拭い、ついでに垂れた鼻水を拭っていく様からは、彼が昔王様だったことやぼくよりもうんと年を取っている人なのだと言うことを忘れてしまいそうなくらいに子供染みている。
……と言うか、最早威厳何てものはもうすっかりないくらいには憐れで情けない姿だったものだから、つい……こう、子供扱いするようなあやし方をしてしまっていたのだが……。
「(グリモアがそう言うので怒るような人じゃなくて、本当に良かったなぁ……。)」
そう染々とぼくは胸の中で息を吐いた。
ようやく物陰から這い出てきてくれたグリモアは、床にへたり込んだまままだぐすぐすと鼻を鳴らしているが……そろそろ近付いても良さそうだ。
ぼくは彼を怖がらせないようにゆっくりとした歩みで近寄っていくと、彼の傍にしゃがみこみその顔を覗き込んだ。
黙って澄ましていれば絶世の美人と言って差し支えなかったグリモアの顔。
それは今や、見る影もない。
涙に揺れる瞳は宝石のように綺麗なままではあるものの、色白であった頬は泣き腫らしてほんのり朱に染まり、これでも泣き堪えているのかきつく固く縛った唇は白く血の気を失せている。
鼻の下には啜っても拭ってもまだ収まらないらしく、鼻水が垂れて唇を濡らしている。
それを見たぼくはつい一瞬眉を潜めてしまったけれども、仕方がないので拭ってやろうとズボンのポケットをまさぐった。
「にゃーる。」
すると頭上から、顔の横に真っ白な布が垂れ下がってきた。 見上げてみると、そこには彼女がどこから出したのかハンカチーフを持っていた。
空になっているズボンのポケットから考えるに、どうやら先んじて彼女が出してくれたらしい。
ぼくは微笑み掛けて「ありがとう」と言えば、彼女は嬉しそうに「ぷきゅぅ」と鳴いた。
「ほら、グリモア。鼻水拭いてあげるから、顔上げて?」
彼女からハンカチーフを受け取ると、グリモアにそう声を掛けて顔を上げさせた。
彼女が近付いたせいか、またブルブルと身体が小刻みに震え出してはいたものの、幸い逃げ出すまではいかなかったのでそれには一安心。
だが、折角の美形面がいつまでも情けないままでは、何だか見ているこっちがいたたまれない気持ちになってしまう。
ぼくはまごつく彼の頬を掴むと、半ば無理矢理にぐいっと持ち上げグショグショの顔を拭き上げていった。
「………はい、終わったよ。」
そう言って顔からハンカチーフを離していくと、そこからスッキリとした美形のキョトン面がぼくの視界に映り込む。
長い睫毛を揺らしてしばたたいてその奥から、ぱっちりと開かれた宝石の瞳がこちらを向いていた。
こうして間近で見ていると、やはり彼の顔の造形が素晴らしく整っていることが良くわかる。
女だろうが男だろうが性別なんて関係無く、人を惹き付けてしまうであろうその顔には魔性的な魅力がある。
ぼくだって例外なく、つい見入ってしまいそうなくらいにとても魅力的であるのだ。
先程までの情けない泣きっ面さえ見ていなければ、きっとこのまま気が済むまで愛でて眺めていたに違いないと、グリモアの顔を眺めていたぼくはそう思わずにはいられなかった。
………先程の泣きっ面さえ、見ていなければ。
「ほら、綺麗にしてあげたんだから、いつまでもメソメソしていないで。昔王様やってたんでしょう? ならしゃきっとする、しゃきっと!」
そう言って掴んでいた頬から手を離して、その直後ぼくはグリモアの頬を軽く叩いたのだった。
べちん! と小気味良い音が空間に響く。
頬を叩かれた彼は痛がる様子もなく、ただぱちくりと数度瞬きを繰り返すばかりで、しばし泣きもしないで呆けたまま固まっていた。
どうも何をされたかわかっていないらしい。
と言うか、今のは流石に馴れ馴れし過ぎたかな……?
今のがおよそ王様相手にするような行為ではないことくらい、ぼくとしても勿論自覚はある。
けれども、無意識の内に妙に感じて止まない親近感と「グリモアなら何でも許してくれるだろう」と言う身勝手な信頼感が、グリモアに対するぼくの距離感を狂わせてしまう。
だって、彼と一緒にいると、ずっと共に過ごしてきた仲のような“当たり易さ”があるのだもの。
つい、自重を忘れて無遠慮に振る舞ってしまう。
そうしてぼくが自分の行いに反省している最中にも、グリモアはまだポカンと口を開いたまま固まっていた。
しかし、そのキョトン面もやがて下を向いていったかと思うと素直にこくりと頭を上下に小さく揺らしたのである。
やはり、グリモアは気を悪くはしていないようだ。
それには胸を撫で下ろす気持ちになってしまうぼく。
だけれども、再びこちらに向けられたその顔に形の良い薄紅の唇が口角を上げていったのを見て、思わず息を飲んだ。
そこには何処か嬉しそうにも思える、頬が緩むようなふにゃりとした笑みが無邪気にぼくへと向けられていたのだ。
まさかそんな表情を向けられるとは思ってもみなかったぼくはつい、そっぽを向いて唇を尖らせてしまうのだった。
何だか、調子が狂うなぁ。
家族以外で緊張感も近寄りがたさも感じられないのは、人ではないネコさんを覗けばグリモアくらいだろう。
彼もまた人ではないと聞いてはいるものの、彼の言動の一つ一つが人間染みていて余り実感が湧いてこない。
それにこうして時折垣間見るその様子から、どうしても幼さを感じて止まないというのもあった。
ナイトくんの子供っぽさとはまた違う、どこか子供が背伸びをして大人ぶっているようなそんな感覚だ。
全然そんなことはないと言うのに、そう振る舞っては自分にも他人にもそう思い込ませようとしているみたいな……言葉を変えれば“無理をしている”とでも言い現せれそうな、そんなものである。
ぼくはそれを感じる度に、何故だか背中がむず痒いような心地を覚えてしまうのだ。
だから頭の中で「この人は元王様で、ぼくよりもずっと年上なんだから」と自分に言い聞かせると、ぶるりと首を左右に回して余計な考えを振るい払うのだった。
「んむー…。」
そんなことを考え耽っていると、後ろから不服そうな声が聞こえてきた。
ぼくの後ろを見たグリモアもまた「ひっ…!?」と悲鳴を上げては顔を強張らせ、ブルブルと震え始めてしまうのだった。
取り敢えずぼくはグリモアが逃げ出さないように手を掴み、くるりと振り返る。
そこには如何にも不機嫌そうな彼女の姿が。
「ちょっとだけ待ってて」と言われて大人しく待っていたのに、いつまで経っても許可が降りなくて退屈していたのだろう。
ぼくにハンカチーフを手渡した後にも慎ましく後方へと身を引き待機をしていたと言うのに……。
だからなのだろうか、触手がうねうねと蠢く様は何処か不穏な気配を漂わせていた。
……簡単に言えば、彼女はむすくれていたのである。
「ごめんね、お待たせ。もう良いよ。」
そんな様子に苦笑しつつ、ぼくは今度は彼女の方を手招きした。
すると途端にぱっと明るむ彼女を取り巻く雰囲気、対して青ざめたグリモアがすがるようにぼくの腕に飛び付いた。
グリモアは口をぱくぱくとさせながら首を横に振り、無言でぼくに訴え掛けてくる。
でもぼくはそんなグリモアの手を優しく引き剥がしていくと、その手を握り締めて宥めるように彼にこう言うのだった。
「大丈夫だって。大人しいし、優しいし、あの子は何も怖いことないよ。」
諭すように、言い聞かせるように。
ぼくはグリモアに優しく囁き掛ける。
だが、それでもグリモアはまだ不安そうだ。
再び目尻に涙を溜め込んで「そんな筈は…っ!」と必死な様子で首を横に振っている。
全く、一体彼女の何がそんなに怖いのやら。
グリモアのびびりようには、流石のぼくも呆れてしまう。
「ああもう、しつこいなぁ。怖くないって言ってるでしょ。だってあの子、ただの“ネコ”だよ? 」
「違うっそうじゃな──えっネコ!?!?」
ぼくの言うことに逐一否定してばかりのグリモアだったのだが、突如驚愕の声を響かせた。
思わず耳を塞いでしまうくらいに煩い声だ。
ぼくは耳に押し当てていた掌を下ろすと、何をおかしなことを言っているのかと怪訝な顔をした。
「そうだよ? だってほら、ふわふわで、可愛くて、甘え上手で……それから“にゃー”って鳴くんだもの。どう考えたってネコでしょう? ──ね、ネコさん。」
そう言ってぼくの背中を這い擦り寄ってきたネコさんに声をかければ、ネコさんはさも当然のように「にゃーる」と複数の音を重ねた鳴き声を上げるのだった。
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