-10 姿なき声。

 ぼくは振り返った。

 突然、自分と彼女以外誰もいないと思っていたその空間で、第三者それ以外の声が背後から聞こえてきたのだ。

 驚いたぼくは直ぐ様、それも勢い良くバッと後ろを向いたのだけれども、そこで見たものに思わず顔をしかめた。


 そこには、一冊の本を広げた無人の書机が、椅子を無動作に引いたまま佇んでいた。


 気の、せい…?

 誰の姿もない空間を訝しげに見詰め、それから小さく首を傾げる。

 しかし、じっと見詰めていた先で突如誰も座っていない椅子がキィ…キィ…と軋む音を鳴らしながら、独りでにゆっくりと回り始めたのだ。

 ぼくは思わず目を丸くし、瞼を擦った。


「……しかし、まァ、俺が答えるのは息を吸って吐くよりも簡単な事だ。何せ、俺は“全て”を知ってンだからな。故にこそ、おいそれと無償タダで誰かしらに教えてやる訳にゃあいかねェ。何事も、双方にメリットがなければいけねェからな。」


 キィ、キィ。

 くる、くる。

 どこからともなく聞こえてくる声と共に、誰もいない椅子が緩やかに回っていく。

 まるで、そこに見えない誰かが座っているかのようだ。


 信じられないものを目にしたぼくは言葉を失い、ぽかんとそれを眺めていた。

 もしやこれは夢なのでは?

 そう思って目を擦って頬っぺたをつねっても、何一つとして意味をなさなかった。

 唖然とし眺めていると、軋む音を立てて回っていた椅子が書机を向いたところでピタリと止まった。

 かと思えば、今度は書机の上にあった本が独りでにページを捲り始めたのだ。


「だがしかし、丁度お前には俺の知りたい情報を抱えているらしい。ならば当然俺が求めるのはお前との“取引”だ。何、悪どい事はしないとも。俺は何処の誰に対しても対等フェアである事を望んでいる。例えそれが、貧困最下層のホームレスが相手でも、国のトップが相手であろうとも、その流儀を変えたりはしねェ。それは勿論、立場に限らず相手が何であろうとも、だ。例えばそう、それが只人であろうと──この世の創造主たる“神”であろうとも。」


 パタン。

 見えない誰かの言葉がそこで区切られると共に、机の上の本が音を立てて閉じられた。

 それから、キィ、と音を鳴らして机に向かっていた椅子がこちらを向く。

 どうやら、目に見えないそれはぼくを見ているらしい。

 どこからか視線を感じるかのような、得も言われぬ感覚に思わずぞわりと悪寒が背筋を走る。

 その気味の悪さからつい逃げ腰になってしまい、後退ってしまう。

 そんなぼくに、見えない誰かはこう言葉を続けるのだった。


「そして、俺と“取引”をする為に、お前は今一度名乗りを上げねばならない。この俺を前にして“誰でもない名無し”で在り続ける事は許さないからな。その次にはお前が聞きたい事、知りたい事は何だって答えてやろう。故にこそ、俺は先ずお前にこう問い掛けるだろう


 ──『Q.お前は誰だ?』」


 捲し立てるように、ぼくが何を言う前につらつらと言葉を重ねていた声がそこで再び区切られる。

 今度はぼくが答える番のようだ。

 嫌な沈黙が流れる中、ぼくの回答ただ一つを待ち望まれているその空気からは、まるで大勢の観客の前で自分一人がだだっ広いステージに立たされているかのような気分だ。

 思わずお腹も痛くなってしまう。


 しかし、そんな中でぼくは“とあるもの”に目を奪われてしまっていた。

 それは、あの見えない誰かの元にある本。


 象牙色アイボリーカラーの分厚い本だ。




『──あああアアッ……!!』




 誰かの悲鳴が頭の中で木霊する。

 悲痛な声が助けを求めている。

 不意に脳裏に過った、力尽きた誰かが倒れていくその風景は想い出と言うには映像他人事染みていた。


「(グリ、モア。)」


 あの本を切っ掛けに頭の中に蘇ってきたのは、先程に知り合ったばかりの人物のことだった。

 それは、どこかナイトくんに似ていて、大昔の王様で魔法の道具を作れたりしてとてもスゴい人なのに、ちょっぴり抜けているところもある、そんな不思議な人──“グリモア”だ。

 そして、彼のことを思い出したぼくは、あの本に見覚えがあることをも思い出したのだ。

 ……そう、グリモアの過去の記憶を観せてもらったぼくにはそれが何なのかわかってしまったのだ。




 あの時に観た、グリモアの身体から現れた、そして何者かに奪い去られた本。

 ぼくにはそれがどんなものなのかはわからなくても、とても大事なものだと言うことをどうしてだか知っていた。

 そして、それは紛れもなくあの書机に置かれた本と同じ──“象牙色アイボリーカラー”の本だったのだ。




 その時、ぼくの胸の内にごうっと燃え上がるような感情が沸き上がってきたのを感じた。

 全身の毛が逆立っていくかのような、無意識に作った握り拳につい力が入ってしまうような、今吐き出せば止めどなく溢れ出してしまいそうなものだった。


「(──アイツか。)」


 怯えの色が滲んでいた瞳に、途端にキッと鋭さが現れる。


「(アイツ、なのか……!!)」


 ぎり、と噛み締めた歯が鳴る。

 相手の正体に気付いてしまったぼくは、怒りでどうにかなってしまいそうだった。




「(アイツが、グリモアを騙して本を奪い取った犯人かッ……!!)」




 ──グリモア。

 ぼくの唯一の親友にとてもよく似ているあなた。

 あの時、あなたの過去を観せてもらってからと言うもの、ぼくはあなたのことを赤の他人、他人事だとは思えなくなっていた。


 グリモアの身体から現れたあの本が一体何なのか。

 どうしてグリモアから本を奪い取っていった人物が、今自分の目の前にいるのか。

 そんなの、ぼくにはこれっぽっちもわからない。

 けれど、そんなぼくにでも、これだけはわかると言えるものがある。

 これだけは確かだと思えるものがある。




 出会ったばかりでまだ何の関わりもないぼくに、そっと寄り添って優しくしてくれたあなた。

 亡き爺やを想って泣きそうになってしまうぼくに、何も言わずとも抱き締めてくれたあなた。


 臆病で狭量なぼくには、ただの他人にそう優しくなんてなれそうにない。

 だって、怖いんだ。

 今までずっと、爺やと祖父の三人きりでいた世界に、全く知りもしない他人を受け入れることも、何を考えているのかさっぱりわからない他人と関わることも。

 だから、顔を合わせた程度でよく知りもしない誰かに、それでも優しく出来るその気持ちがわからない。

 そんなぼくに優しくしてくれる人なんて、いるハズがない。

 いるハズがない──そう、思っていた。


 グリモアは、そんないるハズのない・・・・・・・人だった。

 ナイトくもそう、いるハズのない・・・・・・・ぼくに優しくしてくれる人だったのだ。




 だからぼくは、グリモアを受け入れることにしたのだ。

 だからぼくは、ナイトくんと友達になったのだ。

 知らない他人はやっぱり怖くて仕方がないけれど、でも、彼らなら大丈夫だろうと思ったんだ。




 だって、彼らは“良い人”なんだもの。

 だから、きっと、大丈夫。




 そんな彼らだからこそ──そんな、ぼくに良くしてくれた二人だからこそ。

 もう何も残っていないぼくでも、彼らに何か返せるものがあるのならば返してあげたい。

 何か力になれることがあるとするのならば、こんなぼくにでも出来ることがあるのならば、その時はもう赤の他人だなんて突き放さないで親身になった・・・・・・つもりで力になってあげたい。


 そうだ。

 ぼくは、どんなに酷い目にあわされても、決してぼくを見捨てないナイトくんだからこそ、そう思うようになっていた。

 一人孤独にあの空間に閉じ籠っているグリモアにだって、そう言う風に思うようになっていったのだ。


 そして──、




『オレの弟のアルト・・・・になって欲しい。今だけで良いから、キミが“アルトリウス”であることを受け入れて欲しいんだ。』




 頭の中を霞ませていた靄が晴れていく。

 記憶が蘇ってくる。

 それは、別れ間際にナイトくんに言われたこと。

 ナイトくんが口にした、ぼくへの願いだった。


「(……思い、出した。思い出したよ、ナイトくん。きみは、ぼくに『弟になってほしい』って言ってくれたんだ。受け入れてほしいって言っていたんだ。)」


 他でもないぼくの唯一の友達である彼からの願いに、あの時どうして素直に受け入れられなかったのだろう?

 記憶が朧気な今、その理由はまだ思い出せていない。

 何か大事なことがあったのだろうけれども……今のぼくなら、こう思ってしまうのだ。


 友人の願いを叶えてあげる以上に、大事なこと何てあるのだろうか──と。


「(だったらぼくは、それに応えなくちゃ。それがナイトくんの為になるのならば、ぼくはなんだって──。)」


 そしてぼくは、ナイトくんの願い通り“それ”を口にするのだ。


 


「ぼくは──。」




 かつて、あの頃にはあったハズのしがらみを忘却の内に逃れてしまい、何が大事だったのかも忘れ去り、軽々しくも、浅はかに、言われるがままに自分のものではない赤の他人の名前を名乗ってしまうのだった。




「ぼくの名前はアルト。ナイトくんの弟で、銀の鍵を持つ──“アルトリウス”だ。」




 それが、ぼくが初めて口にした名乗り口上。

 宣言するは自分が何者であるかを示す固有名称。

 

 ……ああ、やっぱりぼくはまた、間違えてしまうのだ。

 それが如何に重要で、重大な失敗だとは露知らずに。




 ──ぴしっ。




「……っ?」


 不意に、頭の中で微かな異音がした──気がした。

 それは何かが軋むような……と言うよりも、ヒビが入ったかのような音に思えるもの。

 一体何の音だろう?

 その次に、眩暈にも満たないようなほんの一瞬にチカッと目の前が眩んだような感覚を覚えた。

 思わず咄嗟に頭を押さえるぼく。

 けれども、それは本当に瞬きよりも短く、些細なものだった。

 別段続けて何かが起きるようなものでもないらしく、以降他に身体の異常が出てくることもなかった。

 それで直ぐに大して気にするようなものではないと判断したぼくは「なんだ、気のせいか」と、その違和感から目の前にいるらしいのに見えない相手へと意識を逸らすのだった。


「──そうか。」


 少しの間を置き、出所のわからない誰かの声がそう一言だけ溢す。

 それは今まで聞こえていた声よりも少し低いトーンで響いていた。

 何処か感情を抑えているかのような、もしくは落胆しているかのような声だった。


 なんだよ、人に名前を聞いてその態度は。

 自分は名乗りもしない癖に一方的に聞いておいて、一体何を考えているのやら。

 相手の反応に、その声音に、気分を悪くしたぼくは胸の内でそう憤った。


 胸がざわつく。

 目の前にグリモアを害した人物がいると思うだけで、やるせない気持ちと嫌悪感が湧いて起こる。

 視界にあの象牙色アイボリーカラーの本が映ると、あのグリモアの過去が脳裏をフラッシュバックして悲痛な悲鳴が耳鳴りのように頭の中で木霊する。


 それだけではない。

 残念そうだったとも取れるその声音を聞いた時、ぼくは苛立ちの思いを抱くと共に、不思議と妙ないたたまれなさと何かに対する申し訳なさを感じてしまったのだ。

 それが原因なのか、胸を締め付けられるような心地がぼくを苛み、落ち着かなかった。

 その理由は……やっぱりわからない。


 ぼくは眉を潜めた。

 グリモアに仇なした“敵”を前にしてどうしてそう思ってしまったのか、自身でもそれが心底理解出来ない。

 そうして苛立つ感情の赴くままに、相手が次の言葉を発するよりも先に吐き捨てるようにこう訊ねるのだった。


「その本を持っているってことは、お前がグリモアから本を奪ったヤツなのか?」


 すると声はこう応えた。


「それを聞いてどうする?」


 ひくり、ぼくの眉が小さく痙攣する。

 声は続けてこう言った。


「お前は俺の問い掛けに一つ答えた。ならば、俺はお前からの問いを一つ答えなければならない。そしてお前は俺に訊ねなければならない事……確かめなければならない事がある。」


 キィ。

 椅子が向こう側へと小さく後退する。



「その上で、だ。数の限られたこの質疑応答の場で、お前のその問いは他の何にも勝る重要な事なのか?」


 これは忠告だ──声はそう言った。

 ぼくはそれを聞くと、肩を竦めては頷き「そうだよ」と答えた。


「だってさ、それってつまり、またお前からの質問に答えたらもう一つ聞けるってことなんだろ? なら別に気にする程のことでもないだろ。ぼくが今聞きたいのは“お前が本を奪った犯人であるかどうか”だ。」


 話を逸らしてないで、ハッキリと答えろよ。

 そう言ってぼくは、恐らくそこに見えない誰かがいるのであろう場所をぎとりと睨み付けた。

 すると「そうか…」と小さく呟く声とそれに交じって吐息の音が微かに響いた。


「この本は俺が“他者から奪い取った”ものなのか……それがお前の聞きたい事だったな。」


 言葉が紡がれていくと同時に、視界の端で卓上に置かれていた本がコトンとささやかな音を立てて立て掛けられた。

 そこでようやくぼくの目に象牙色アイボリーカラーの大きな本がはっきりと視界に映される。

 それは、グリモアの過去で見た時よりずっと草臥れていた。

 もう随分と長い年月を経て尚もまだここにあるかのような姿だ。


 そして、声はこう続けられるのだった。


 


「良いだろう。お前が俺にそれを問い掛けるのであれば、俺は嘘偽りなく、真実のみを語るべきだからな。なればこそ、俺はそれにこう答えるべきだろう。




 ──“そうだyes”。」




 その答えを聞いた時、ぼくの中の奥底から燻るようにぶくぶくと泡を立ち込めさせていた感情がぶわりと激しさを増したのを感じた。

 それは怒りだ。

 敵とも言える相手が目の前にいるのだと証明された事への、憎しみを伴った激情だった。


 そして、ぼくはその激情を抱くと共にこう考えるのだ。




 やっぱり!

 ヤツはグリモアから本を奪った悪者なんだ!




「それはグリモアの大事なものなんだ、だから返してあげてよ!」


 答えを聞くや否や、ぼくはその誰かがいるらしい空間に向かってそう言った。

 だけども、声をかけたは良いものの返事がこなかったらどうしよう?

 何もいない空間は見ているだけでも「本当にそこに誰かいるのか?」と無性に胸の内に疑問と不安を抱かせてくる。

 そう思っているのも束の間、無人の空間から直ぐに答えは返ってきた。


「確かに、これはとある人物・・・・・より奪い取ったもの。幾ら奪い取ったとは言ってもだな、元の所有者と交わした“盟約”に則って正当に・・・手に入れたものだ。……まァ、多少は強引染みていた所もあったがな。……そこはご愛敬って奴だ。目を瞑ってくれると助かる。」


 何てことのない雑談のようにそう言っては、姿の見えない声だけの人物はからりと笑った。


「何にしたって、俺は既にこの本の所有権を得ているが故に今やこの本の正当なる持ち主は俺だと言う事になっている。の、だが……それを今更撤回しろと? それは出来ない話だな。」

「そんなのただの横暴じゃないか! 盟約だか何だか知らないけどさ、人から物を奪ったのならそれは悪いことに決まってる!」


 さも当然とも言うかのように声が拒否したことで、我慢ならなくなったぼくは吠えるように訴え叫んだ。


「大体、あんなことをしておいて何をいけしゃあしゃあと…お前はあの人を騙してその“盟約”とか言うのをして奪ったんだろ? そんなの、盗んだのと何も変わらないよ!」

「“騙した”だと? 人聞きの悪い事を言ってくれるなよ。俺は少しばかり唆した・・・だけに過ぎないさ。何せ、俺の誘いにその相手は自らの意思で乗ったんだ。故にこそ、双方同意の上であってこそたる“盟約”だ。何も無理矢理と言った訳でもないんだからな。」


 それを今更、誰に文句を言われる筋合いはない。

 ぼくの非難に、声は涼しげに屁理屈を並べ立ててはそう答える。

 明らかに微塵も自分が悪いと思っていない態度だ。

 何て腹立たしい。

 ぼくは握り拳に力を込めていった。


「……まァ? お前がこれを欲しがっていて、“命よりも大事な本を奪われた可哀想なグリモアの為”を建前に、俺から奪おうって言うのであればそれに応じてやらんでもないが。」


 やるせなさに歯噛みしているぼくに、声はそんな事を言い出した。


「何を変なことを……! ぼくはただ、それがグリモアにとっての大切なものだって知っているから、取り返してあげようってだけで……!」

「ほう! 大切なものだと知っているだと? ならば、この本が一体何なのかも知っているのか?」


 突然、そんな問い掛けがぼくに投げ掛けられる。

 ぼくは思わず口をつぐんでしまった。


 何故ならばら、その問い掛けにぼくは答えられなかったのだ。

 その本がグリモアにとって何よりも大事なものであることは知っている。

 しかしそれは、遠い昔に聞いたことを何となくに覚えていたかのような無意識さで、ぼんやり認識していた“だけ”でしかなかった。

 だからこそ、その本が一体何を意味するものなのかなんてこれっぽっちも知らないぼくには、それが本であること以外に知っていることなど何もないのであった。

 精々、それがただの本ではない・・・・と言うことを知っている程度でしかないのだから。


「……その反応からして、やはりこれが何か解っていないらしいな? まァその程度は大方想像通りだ。何もしょげるこたァない、始めからそうだろうと予想はついていたからな。」

「う……え、偉そうに好き勝手言いやがって……! 何様のつもりで──」

「故にこそ、だ。俺はお前にこう提案しよう!」


 意気揚々とした声が部屋に響く。

 何処か楽しげとも取れるその声は、ぼくにこんなことを宣ってきた。


「俺とお前で、ちょっとした“遊戯ゲーム”をしよう。それをお前が見事完遂クリアする事が出来たら、この本を元の持ち主に返してやる。何も、俺は只単にタダでは本をくれてはやらんと言っているだけに過ぎんだけの事。お前が条件さえこなせてしまえば、俺は素直にこの本を手放してやろう。」

「──!」


 それを聞いたぼくは思わず前のめりになった。

 願ってもみないチャンスだ。

 何がなんでも本を取り返したいと考えるぼくは、姿のない声が口にする言葉につい耳を傾けてしまう。


「ゲームって……どんな?」

「簡単なモンさ。お前には今から俺が指定する物を探して貰う──所謂“宝探し”だ。」


 “宝探し”──それならやったことのないぼくでも知っている。

 詰まるところ、それは至る箇所に隠された物を探すゲームだ。

 時に謎を解いたり、ミッションをこなさなければならなかったりと、攻略する側に対する妨害が待ち受けている事もあったりするらしいけれども、仲間がいれば協力し合って制覇クリアを目指すことだって出来ると言う、アレだ。


 宝を隠す側と探す側の二人以上が必要なゲームの為、ナイトくんと知り合う前には友達と言う友達がいなかったぼくにはてんで縁のない遊びだったものだ。

 それ故に、かつては誰かとそんな遊びをすることに憧れていた時期もあったのだが──ああいや、この話は今は関係のないことだ。

 考えるだけでも虚しくなってしまうし、話を元に戻そう。


「俺が指定する宝とは、ズバリ“本”だ。」

「本?」

「そうだ。しかも只の本じゃあない。それらは全て自らの意志を持ち、秘めたる力を宿し、自由気侭に生きている──そんな7つの“特別な本”達さ。それらを全て集めて、俺の元へ持って来れたらお前の勝ち。……どうだ? 悪い話じゃあないだろう?」


 それを聞いてぼくは悩ましげに小さく唸った。

 この小さな部屋にはパッと見ただけでもとても多くの本がある。

 その中で“意志がある”、“秘めたる力がある”、“生きている”、その3つの特徴を持つ7冊の本を探し出さねばならない、となると、本棚の本と言う本をひっくり返してでも探さねばならない程に、余りにも難しい話であった。

 と言うよりは、むしろ「そんな本が本当にあるのか?」と疑問甚だしく思ってしまうのが、実のところの本音であるくらいだ。


 高が本だと言うのに“意志がある”?

 所詮本だと言うのに“秘めたる力がある”?

 紙を重ねて綴じただけの本が“生きている”だって?


 ぼくに与えられた3つのヒントは、余りに不可解過ぎて良く解らないものであったのだ。

 これには頭を抱えたくなってしまうのも仕方がない。


 しかし、ヒントが頼りにならないものであったとしても、どうせこの部屋の中の何処かにあるのだろう。

 多少時間を掛けてでも探せば見付からないことはないだろう──そう考えると、ぼくは顎を撫でつつ返事をするのだった。


「確かに……それなら、その勝負ゲーム受けて立──、」


 その時、ぼくはハッとした。

 何だか話がうますぎる気がする。

 そう思ったぼくの頭が一瞬の内にぐるぐると思考を巡らせていき、そして一つの可能性を導き出した。


 もしかして、あの時のグリモアもこうやって騙されたんじゃ……!?


「や、やっぱり止める! そうやってぼくのことも騙して陥れようとしてるんだろ! そう上手くは乗ってやらないぞ!」


 慌ててそう言い直したその次の瞬間、声だけの人物は弾けるような笑い声を上げた。


「くっ──アッハハハハハッ! 何だ、もう乗ってくれないのか! 流石のお前も同じ轍は二度踏まないって事か! ハハハハ! 随分と成長したモンだなァ!?」


 からから。

 豪快に、爽快に、姿のない声はまるで腹でも抱えていそうな勢いで大笑い。

 思いもよらなかった反応を返されたぼくは思わず怯んでしまった

 しかし、余りにもケラケラと笑われてしまったものだから、ついムッとするのだった。


「う、うるさいな。笑うなよ! 何か文句があるなら……!」

「──だが、良いのか? これは確かに、グリモアにとって命よりも重大且つ大事なもの。それを取り返す事が、お前の目的なんだろう?」

「そんなのわかってるよ! だから本を早く取り返して、グリモアのところに戻らない、と──………うん?」


 文句を言おうと口を開くぼく。

 けれども、そこで姿のない声により図星をつかれてしまう。

 痛いところを突かれたぼくは自棄っぽくも言い返そうとするのだが……。

 そこでふと「あれ?」と疑問を感じたのだ。




 ここに来たぼくの目的って、そんなのだったっけ……?




「目的をすげ替えられているんだよ。記憶を失くしている事をつけ込まれて、お前はまんまとドツボに嵌まっているのさ。」

「え──?」


 その時、俯きかけていたぼくが顔を上げたその先で、書机の上の本がパッと開かれるのを見た。

 次の瞬間、何百、或いは千をも越えるかもしれない数の頁がバラララッと独りでに勢いよく捲られていった。

 それに伴い何処からともなく、びゅうびゅうと渦巻く風が吹き上がり始めたのである。


 突如豹変したその光景に驚いて目を丸くするぼく

 そこへまたあの声がぼくに語りかけてきた。


「全く、相も変わらず周りが良く見えていない奴め。漸く姿を見せたお前が此処へ訪れに来るのを、俺はずっと今か今かと待ち続けていたってのに……そんな体たらくでどうするんだ。」


 お前にはまだやって貰わないと困る事だってあるのによ。

 やれやれと溜め息交じりのぼやくような声が部屋の中を響く。

 その最中にも本の頁はどんどんと進められていく。

 やがて、今にも全てを薙ぎ払い拐っていってしまいそうな程に強まっていく風と同調するかの如く、激しく頁を捲っていくそれが徐々に淡くも眩い光を灯し始めた。


「……何にせよ、お前はいずれきっと自らこのゲームに身を投じる事になるだろう。“知りたがり”のお前の事だ。腹を空かせた蝶が花の香に誘われるが如く、何も知らないが故に知に飢えたお前は物を知れば知る程に、その先を求めて止まなくなってしまうのだから。」


 その輝きは、初めはぼんやりとしていた程度。

 けれども、それもまた徐々に強さを増していき、目が眩む程に。

 やがて、部屋中を煌々と照らす程の輝きとなったそれにいつしか目が耐えきれなくなっていく。

 ぼくは堪らず腕で顔を覆い、視界を隠してしまうのだった。


「故にこそ、何もないお前に俺が“試練旅の動機”をくれてやる。そしてこれは、進み往くには身が軽過ぎるお前にせめてもの俺からの餞別だ──。」


 そして燃え盛るような荒れた風の中、凍える程に輝く光に満ちた空間の主である誰かは、声高らかにしてぼくにこう言ったのだ。




「“赤き竜の書グラン・グリモワール”を探せ! そしてそれを今一度我が物にしろ! さすれば、それがお前の旅路の良き指針となるだろう──!」




 その声に呼応して、真っ白な光が全てを包み込んでいく。

 視界が眩んで何も見えなくなっていく。

 強く吹く風がぼくの身体を何処か遠くへと吹き飛ばしてしまいそうで、何とか耐え凌ごうとぼくは地を踏み締める足に力を込めて──。


「ちょっと待ってよ! 宝探しはここでするんじゃなかったの!?」


 ぼくは驚愕の声を上げるのだった。


「ハハハハハ! 誰も『此処でやる』だなんて一言も言っていないだろう? そうやって自分の都合の良いように物事を捉える所も相変わらずだな!」


 からから、愉快そうに笑う誰かの声。

 そしてその誰かは無慈悲にもぼくに、こう宣告するのだった。


勝負ゲームの舞台は星一つ分! つまり、お前が産まれ育った世界──そう! “箱庭”の中だ! それが長き旅路になろうとも、お前が生きてきた時間と比べれば些細なモンだろう! 精々、真っ当に地に足を着けて走り回るこったな!」


 笑い声と共に聞こえてくる声が次第に遠く感じ始める。

 目を開けていられないぼくには周りがどうなっているかなんてわからないのだけれども、それでもぼくには何となくわかることもあった。


 ぼくの身体が、ぼくの意識が、あの部屋から遠退いていっているのだ。

 もう用は済んだとばかりに、ぼくをあの場へ招き入れた誰かが退場を促しているのだ。

 随分と勝手な話だ。

 相手にとって、ぼくの用事など毛程も気に掛けてくれていないのだから。


「待ってよ! ぼくはまだ、お前に聞きたいことがまだ沢山──!」


 ぼくは叫んだ。

 吹き荒ぶ風に負けじと声を張り上げた。


 だって、その誰かは言ったのだ。

 ぼくが知りたいことを知っているのだと。

 そして言ったのだ。

 それをぼくに教えてくれるのだと。

 なのにぼくはまだ知らないことばかりで、その誰かは何も教えてくれていない。


「何が対等フェアだ! お前は聞くだけ聞いて結局何も教えてくれていないじゃないか! そう言って、逃れようとしているだけなんじゃないのかよ……!」


 ぼくは叫んだ。

 これでもかと言う程に不平不満を訴えた。

 聞こえる声が次第に遠くなっていくなるのと同時に、ぼくの意識もまた覚めているのか微睡んでいるのか曖昧となっていく。

 それでも言わずにはいられないのだと、思考が鈍くなっていく頭を必死に回して言葉を紡いで吐き出すのだった。


「ちくしょうっ……! 言うこともなすことも何もかもがメチャクチャだ! こんなの、あんまりだよっ……!!」


 意識が途切れていくその間際、最後に自棄っぽく吐いた言葉の後。

 完全にプツンと頭の中が暗転し、風の音も光の眩しさもが感じられなくなった頃。

 意識のないぼくに語り掛けてくる声を聞いた。




「そんな事はないさ。進み往く先には、お前が望むものは幾らでもある。」




 そしてその声はこう言って最後を締め括るのだった。




「お前の旅路は、嘗て失くしたものを取り戻す為のもの。……俺はもう十分に楽しんだんだ。だから次はお前の番なのさ──良き旅をGood Luck。」





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