-13 ひらめきはいつも危険と隣り合わせ。

「にー。にー。にー。」


 複数の声が入り交じったような、奇妙な声が聞こえる。

 抑揚のない平淡な音色に聞こえるその声は、どうやらご機嫌に鼻歌らしきものを口ずさんでいるらしい。

 足のない流動体の身体をずりっずりっと引き摺りながら、その頭上でうねる触手達が跳ねるように伸び縮みさせている姿を見れば、きっと誰もがその子がルンルン気分でさながらスキップでもしているかのように進んでいることが見てわかることだろう。


 そして、その後ろで彼女──多分だけど、その子は女の子なんだと思う──の触手に腕を引かれる形で後を付いていっているぼくはと言うと、ぐったりと疲労感たっぷりな表情を浮かべて、項垂れながら重たい足取りにて進んでいるのであった。

 彼女の鼻歌と重なって、こつん、こつんとぼくの足音が辺りに響く。


「(つ、疲れたぁぁ……ネコさんのご機嫌を取るだけで、物凄く時間が掛かってしまった……!)」


 思わず大きな溜め息が口から零れてしまう。


「(それに………歩き始めてからどのくらい経っただろうか? もうかれこれ二時間以上は歩いている気がするぞ……。)」


 そう思うとぼくは疲労困憊の顔を前へと向け、周りを見渡した。

 しかし、どこに目を向けようったって、見渡す限り白、白、白。

 どれだけ進んでも一向に景色は変わらない。

 これでは進んでいるのかどうかすら曖昧だ。

 本当にこのまま進んでいって、ぼくの目的地とやらに辿り着くのだろうか?


 いよいよその真っ白な景色にうんざりとするようになってきたぼくは、せめてこの先には何か変わったものがあったら良いのに……と、ネコさんの背後から身体を傾けて覗き込むようにして、先を見てみようと目を凝らしてみた。

 そこでぼくが目にしたものは──何もない。


「(……まだ先は長いみたいだ…。)」


 左右後方だけでなく、前方にまで今までと変わりない白い景色がどこまでも続いているようだ。

 それを知ったぼくは酷く落胆し肩を竦めた。


 しかし──、

 

「………おや?」


 俯きかけた頭をパッと持ち上げる。

 それからもう一度キョロキョロと周りを見渡してみた。


「今、何か聞こえたような…?」

「にぅー?」


 ぼくはピタリと立ち止まり、耳を澄ませてみる。

 突然その場に立ち止まりじっとして動かなくなったぼくを、ネコさんが不思議そうに見下ろしていた。


「………やっぱり。何か聞こえる。」


 少々の間、聞き耳を立てることに集中するべく目を閉じては耳の後ろに掌を当てていたぼくは、やがて確信すると共にそう呟いた。

 気のせいかと思っていたそれはどうやら随分と遠くから聞こえているものらしく、耳の良いぼくでも集中しなくては聞き取れない程に、小さく微かな音だった。


「何だろう? この音………水?」


 その音を聞いたぼくがイメージしたものは、凪いだ水面に一滴ずつ雫を落としていくかのようなもの。

 響いたり、静まったり、近付いたり、遠退いたりを繰り返しており、それでいて絶えず鳴り響き続けているのであった。

 どうやらそれは、前方から聞こえてくるものらしい。


『ウタ、きこえる?』


 りん、と鈴の鳴る音がして、ネコさんがぼくに話し掛けてくる。


「うた?」

『ウタ。やっかい、な、もの、しずめる。コモリウタ。』


 そう言うとネコさんは再び前を進み始めた。

 手を繋いだままのぼくもまた、手を引かれる形で歩き出していく。


「厄介なものって? どうして子守唄なの?」


 何となくにそんなことを聞いてみる。

 ネコさんは「んにー」と一つ鳴き声を上げたかと思えば、あの鈴の鳴る音で途切れ途切れながらも意味が明瞭な言葉を返してくれた。


『やっかい、な、もの、は、やっかい。だから、ねんね。あんぜん。』

「えーっと……つまりその厄介なものって言うのは、起きてると危ない……ってこと? だから寝かせておくに限る……と?」

『そー。』

「ふーん……じゃあこっちに向かうのは良くなさそうだね。あまり近付かない方が良いのなら、遠回りするっきゃないかなぁ。」


 ネコさんの話を聞いてそう呟くぼく。

 向かう先に良くないものがあると言うのならば、それは避けるに越したことはない。

 だからこそぼくは、安全に先を行くにしても遠回りをするにはどう行くべきかと周りを見渡し、そして足を進める方角を変えようと踏み出そうとして──腕を引かれて身体がつんのめってしまった。


「うわっ!? って、ちょっ……な、何……!?」

「にゃるふるるぅ。るるる……。」


 転けそうになるぼくの身体を伸びてきた触手が支え受け止める。

 お陰で無事怪我もなく立ち直すことは出来たのだけれども、ネコさんがずりずりと身体を引き摺り進もうとする方角を見て、ぼくは慌てて声を掛けた。


「ネコさん、ネコさんストップ! そっちはダメだって!」

「んにー? にるる、ふぐるぅ。」


 声を張り上げては足に力を込め、何とかその場に踏み留まろうとするぼく。

 しかし、その身体を腕や背中を包む触手達は容易くぼくを引き摺りずんずんと前進する。

 その力はぼくが全力で抵抗しようが無意味な程にとても強く、如何に踏ん張ろうともぼくの身体は彼女の触手によってどんどんと引っ張られていってしまうのであった。


 ……そう、ネコさんが再び進み始めたのは子守唄とやらが聞こえてくる方、危ないものがいると思わしき方角だったのだ。


「そっちは危ないってたった今話してたじゃんんんっ…!!」


 ぼくの必死の訴えは虚しく、ご機嫌なネコさんの手(触手)によってズルズル、ズルズルと真っ白の空間を突き進んでいくことになるのであった。






 歌が聞こえる。

 すきま風の笛のような、雫で打つ水面の太鼓のような、耳に心地の良い音楽が奥から流れてくる。

 それは飽きを知らないかのように絶え間無く、止まることを考えていないかのように常に、淡々と延々と奏で続けられていた。


「(不思議だな……身体の奥にまで響く程にとても大きな音なのに、聞いていて全然耳が痛くならない。)」


 ぼくはその音楽に聞き入りながらふとそんなことを思う。

 何せ、その音楽は遠くにまで届く程のものであっても、その音楽がよりはっきりと聞こえる程に近付いていっても、けたたましさを微塵も感じさせないのだ。

 寧ろ、とても耳に心地の良い音に聞こえてならないくらいであった。

 このまま目を閉じたらとても心地の良い眠りに身を委ねることが出来そうだ……そう、思ってしまう程だった。


 そしてぼくは思うのだ。

 なるほど、子守唄か──と。

 始めは奇妙不可解にしか思えなかったその話は、今ならば不思議と納得出来てしまうようになっていたぼくであった。


 しかし、その子守唄がより良く聞こえてくるようになるにつれ、ぼくの不安はより募っていく。

 それもそうだろう。

 ついさっきに、子守唄が聞こえてくるその場所には何やらとてもおっかないものが眠っている、と話に聞いたからである。


「ねぇ、ネコさん。今からでもきっと遅くないよ、他の道を行こう?」


 ぼくはネコさんの手をくいくいっと引きながらそう言った。

 しかし、それでもやっぱりネコさんは足を止めない。

 「ふんぐるるうるうぃ……」と、水の中で泡を吹いているかのような鳴き声を上げて、振り返りもしない。


 ……そう言えば、“ネコ”はご機嫌な時にはゴロゴロと喉を鳴らすのだっけ?

 この音はそれなのかなぁ?

 ……なんて考えつつ、ぼくはネコさんに要望を聞き入れて貰えず途方に暮れるのだった。

 思わず溜め息まで吐いてしまう。


「はぁ~あ、この先何も起きないと良いんだけど……。」


 深く息を吐いてぼそりと独り言を溢したぼくは、肩を落とすと共にがっくしと俯いた。


「………ん?」


 その時、偶々足元へと視線を向けたぼくの目に何かが映り込んだ。


「んー……? 何だろう、あれ……?」


 右も左も、前も後ろも、上や下だって何もなくて真っ白な空間の中、ポツンとあったその小さな何か。

 白以外何もないと思っていたのに、ここに来て初めて異物を見付けたのだ。

 ぼくはそれがつい気になってしまい、それを目を凝らしてをじっと見詰めてみた。


 てくてく、トコトコ。

 歩き続ける足がぼくの観察しようとする視界に邪魔をする。

 もっと良く見てみようと思っても、リズム良く視界に入るぼくの爪先がそれを隠してしまうので、どうにか立ち止まれやしないだろうかと足を止めようとしてみる。

 しかし、ぼくの腕を引くネコさんの力はやっぱり強い。

 …ならば仕方がない。

 立ち止まることを断念したぼくは、歩きながらも目を細めたり、出来る限り頭を下げてみたりと、試行錯誤しながらも観察を続行することにした。


「(あとちょっとで見えそうなんだけど……。)」


 首を傾け、足を避け、おぼつかない足取りになりながらぼくはそれをじっと見詰める。

 同じ白に同化しつつも空間の白とはまた別個であるらしいそれには、白以外にも赤色何かがチラチラと見える。

 でもやっぱり小さすぎて良く見えない。


「うーん、何か確めようにも遠すぎる・・・・んだよな。もうちょっと近くで見ることが出来たら……。」


 自分の視力では無理があると理解したぼくはもどかしさに頭を掻いてぽつりと呟く。

 そして──、




「………うん? “遠い”?」




 ──自分の発言に違和感を感じてしまった。




「あれ……? なんでぼく、足元にあるハズのものが“遠い”だなんて思って……?」


 ぼくは戸惑った。

 それは確かに足元にあってぼくの目にも確かに映っているものだ。

 そこには当然何の不思議もない。


 しかし………それにしても、だ。


 ぼくは今、立ち止まれなくって歩き続けている。

 そしてそれは進めば進む程に足元の下に隠れて見えなくなっている……が、もう片足を踏み出す頃にはまた見えているのだ。


 それは動いているのか?

 ……いいや、それはずっと停止している。

 ずっと見ていたぼくの目にも、それがぴくりと動く姿は見ていない。


 ならば、それは何故──ぼくの足元にずっといる?


 視線が泳ぐ。

 背中に冷たいものが走る。

 今までずっと気が付かなかったと言うのに、今になって嫌に思考が回り、理解をしようとしてしまう。

 ぼくは全身から血の気が引いていくのを感じた。


「(ぼくは………ぼくは、一体………。)」


 頭の中で警報が鳴る。

 危険が直ぐ傍にあるのだと、本能がぼくに報せてくれていた。


 知りたくなかった。

 気付きたくなかった。

 理解してしまうのが恐ろしくて堪らない。




 なのに──ぼくの頭が“それ”に気が付いてしまった。




「──ぼくは今、“何処”を歩いているの?」




 前も後ろも、右も左も、上や下だって真っ白な“何もない”空間。

 ぼくはそこで、今まで何を踏みしめて歩いてきたのか?




 答えは簡単。

 ──そこには“”もない。




「──ッ!?」


 不意に、身体がフワッと宙に浮く感覚を覚えた。

 それは突然の出来事だった。

 浮遊感を感じたと同時に、ぼくの視界が急速に上へと流れていった。

 いきなりそんなことが起きたものだから、ぼくは何が起きたのかが直ぐにはわからなかった。

 ……しかし、それもすぐにぼくは理解することとなる。


 ぐんッと腕が突っぱねる感覚に思わず小さく悲鳴を上げてしまったぼくは、肩が千切れそうな痛みを堪えながら、ゆっくりと、恐る恐るに上を見上げた。


「にゃるらー。」


 そこには、何もない床を踏み締めてぼくを見下ろすネコさんの姿があったのだ。


 ぼくは今、突如床が抜けたかのように下へと落下しかけていた。

 それも、ネコさんの触手に掴まれた右腕だけが、足の踏み場のないぼくの、唯一の支えとなって。


「うわあああああっ!??!」


 自分の状況を理解してしまった途端、ぼくの胸の中にゾッとするような恐怖が湧き上がり、悲鳴を上げた。

 それはあっという間にぼくの心を埋め尽くし、支配し、混乱と共にパニックを引き起こす。

 そうなってしまえば当然冷静になんていていられず、落ちそうである恐怖に苛まれてネコさんの触手にしがみつこうとぼくは闇雲に手や足をばたつかせるのだった。


「お、落ちッ!? 落ちるううッ!!! 助けてええッ!!!」

「にぅー。」


 騒ぎ暴れるぼくの頭上でネコさんの抑揚のない鳴き声が響く。

 それは普段のぼくならば“困っている”ように感じられるものであったのだが、如何せん今のぼくはそれどころではない。

 自分のことで手一杯……と言うよりは、無我夢中になって助けを求めてばかりいた。


『たすける。まて、て。』

「落ちるッ! 落ちちゃううッッ!! うわああんっ!! 助けてようっ、怖いよおおっ!!」


 りんと鳴る音がぼくを落ち着かせようと語りかけてくるけれども、我を失い助けを求めてばかりの耳には届かず。

 伸びる何本もの触手がぼくを支えようと、掴もうと近付いてくるも、ワケもわからず手足をばたつかせるぼくはそれが上手く手に取れない。


「うるるるぅ……。」


 やがて、じたばたもがくばかりのぼくを手繰り寄せての救出は難しいと、ネコさんは判断したのだろう。

 もどかしげに泡立つ鳴き声で低く唸った彼女は、ぼくに近付けていた右腕を掴んでいる触手以外を引き上げていった。

 そして身体から伸びている触手を上に向かって靡かせていったかと思えば──。


 ふるふるふるっ。


 それは身体全体を揺すり始めたのだ。




 てけり・り。

 不思議な鈴の音で彼女は何かを話している。




『なにもない──なにもない──すすむみちのないここに、あしはやくたたず──』




 てけり・り。

 それは他者に言い聞かせているものなのか、それとも自身を納得させる為の理由付けなのか。

 聞き手のいない鈴の音色は自問自答を重ねていく。




『なにもない──なにもないならここはなにか──なにもないならここは“きょ”か──ここが“きょ”であるならばここは“くう”か──』




 こぼり。

 波打つ触手の群れから泡が立つ。

 触手が揺れて宙を打つ度に小さな粒が発生し、ぷくぷく、ぶくぶくと頭上に向かって浮かび上がっていく。


 その様はまるで、ここが水の中であるかのような光景だ。




『ならばここはそら──そらにながるるかわのなか──しろくかがやくやみがつつむほしたちのつどい──あまのかわのみずのなか──』




 てけり・り。

 鈴の音が反響する。




『ならば──ならばみずのなかをたゆたうわたしはなんなのだろうか──あしのないわたしは──あしのいらないみずのなかのわたしは──』




 びちょん。


 どこからか水の跳ねる音が響く。

 うねり渦巻く身体が解けていって、小さな山のような丘みたいだった身体が崩れていく。

 その最中にも波打つ触手は徐々に徐々にと長さを増していっていた。

 そしてそれは見えない何かの流れに添って、ゆらり、ゆらりと揺らめいる。


 ──その姿はまるで水中でヒレを揺すって泳ぐ生き物のようだった。




『わたしは、きっと──“さかな”だ。』





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