-17 狭間に座す者とはぐれ者。

「大いなる……旧き支配者?」


 ナイトくんの口から告げられた仰々しく感じて止まないその単語に、ぼくは思わず言葉を繰り返す。

 彼がこくりと頷いた。


「そそー。簡単に言っちゃえば大昔の王様のコトだよ。……ま、今じゃすっかり落ちぶれちゃってるけどね。」


 そう言ってナイトくんはからりと笑った。

 何だか随分と軽い調子で言っているが……って言うか、王様って多分グリモアのコトだよね?


「(幾ら“元”って言っても、王様相手にそんなこと言って大丈夫なのかな……?)」


 なんて、そんなことをついつい考えてしまうぼく。

 思わず顔を引き釣らせ、当人に聞かれてやいないだろうかと心配になってしまうのだけれども……。


 しかし、よくよく考えてみるも先程までの出来事を思い返せば自分も人のコトを言えない立場である。

 幾ら何も知らなかったとは言え、ぼくだってグリモアに対して散々気安く物を言っていた。

 それでも無礼を咎めることもなく、それどころか特に何を気にすることもなく極自然に接してくれていた程であったくらいだ。

 そう考えてみればこの程度のことでとやかく言うような質であるとは思い難い。


「(確かに、昔王様だったって言うのはさっき聞いたばかりだけど……グリモアって思ってたよりスゴい人だったんだな……。)」


 ぼくの頭の中に浮かぶグリモアの人物像と言うのは、ぽやんとした様子の少々間の抜けた取っ付きやすい人柄だ。


 王様貴族様と言うには何処か俗っぽく、平民野蛮人と言うには如何にも品のある……そんな彼の人物像を思い起こしてみると、ナイトくんの口から告げられたその肩書きはどうにも納得出来そうで出来ないような、それでいて意外そうで当然とも言えるかのような……そんな曖昧な考えばかりがどうしても頭に過ってしまう。


 だとしても、これだけは明確だと断言出来ることがあるとすれば、それは彼がとても不思議な人物だと言うことくらいだろうか──何となくにそう思ってしまうぼくであった。


 ぼくがそんな物思いに耽っていると、それを知ってか知らないでか、ナイトくんは続けてこんなことを言った。


「そしてこのゼノンの間は、その王様の“在り方”を具現化した特殊な空間なんだ。だからココはあらゆるものが曖昧で、その上おかしくなって狂っているんだ。例えばそうだなー……間違いこそが正しいとされたり、正しいモノほど間違っていたり、とか………」


 そして彼は次の言葉を口にしたその時、ニコニコとした笑顔の目元に影を落としたのだった。




「ココの主人は“一人”しかいないハズなのに、その人物が“複数”いたり、みたいな──。」

「お喋りはそこまでだ、ナイト。」




 不意に、背後からそんな声を掛けられてぼくはびくりと肩を揺らす。

 思わずパッと振り返ってみれば、いつの間にいたのか、黒髪の彼がぼくの直ぐ後ろにて立っていた。

 ぼくはまた驚いてつい変な声を溢してしまった。


「今はそんな事を話している暇は無い事くらい、お前だって解っているだろう。何を呑気にしているんだ。」


 黒髪の彼はぼくに一瞥もくれないで、腕を組みつつナイトくんをじとりと睨み付ける。

 それから溜め息混じりな声音でそう言うと、ナイトくんが悪びれもしないでへらりと笑って後頭部に手を当ててこう言った。


「……えへへ、つい。だってしばらくアーサーに会えてなかったんだもん、ちょっとくらい許してよ。」


 そして掌を正面で合わせると眉を八の字に傾けて「ね?」と言って、甘えた顔で彼を上目遣いで見上げるのだった。


 それを端から見ていたぼくは、またもや彼は怒ってしまうのでは…と内心ヒヤヒヤとする。

 何故なら彼はいつだってナイトくんとぼくが仲良くすることを許さない。

 ナイトくんがぼくに近付こうとする度に恐ろしい顔で睨み付けてくる彼のことだから、きっと今回も無闇矢鱈に叱りつけては追っ払おうとするのだろう……そう思っていたぼく。


 しかし、どうやら今回はそうでもないらしい。

 黒髪の彼はしかめた顔でフンと鼻を鳴らしたかと思えば、こんなことを言うのだった。


「……で? 僕らを敢えてココに足を運ばせさせておいて、元より解り切っていた足止めを食らわせているんだ。当然、脱出の手段の一つや二つはちゃんと用意しているんだろうな?」

「そりゃあモチロン、ちゃあんと用意しているとも!」


 威圧的な言葉に臆することなく、元気良くそう言ってみせたナイトくん。

 くるりと背を向けて何やらごそごそし始めたかと思いきや、「じゃーん!」と景気の良い掛け声と共にぼくらの前へと何かを差し出した。




 それは──鈍く輝く光沢のある鍵だった。




「“銀の鍵”さ! コレさえあれば、何処に閉じ込められたっていつでも抜け出せちゃうんだから!」




 ナイトくんはそう言って、ふふんと自慢気に胸を張るのだった。




 輪っかの頭。

 真っ直ぐに伸びた一本の棒。

 その六角形の柱の先端には、一つ横向きに備え付けられている凹みも穴もない板のような出っ張り。

 パッと見ただけならありふれたアンティーク調の形状に近しい見た目に、ぼくと同じサイズのナイトくんの掌では片手で持つのがやっとと言った大きさ。


 一見何の変哲のないただの鍵。

 しかしそれは細部に目を向ければ忽ちにその異常さと異質さを滲み出してくるものであった。


 遠目から見れば滑らかな円だと認識していたその輪っかは、良く良く見てみるとそれは磨かれた宝石のように曇り無く至るところが角張っていた。

 更にはその複数ある面は、その一つ一つが四方八方を鏡写す鏡面体となってもいたのだ。

 あらゆる全てが幾つもの六角形を連ねて作り込まれていた。


 ……簡単な話、その鍵には何処を見ても曲線が全くもって存在しなかったのだ。 


 加えて、ナイトくんが口にしていた“銀の鍵”と言うその名称からして、それは恐らく銀細工なのだろう。

 ただ、それにしては表面があまりにもハッキリと周りを映しているものだから、一目見ただけならば銀細工と言うよりは鏡石で出来ているかのように思えてしまう。


 そしてその光沢を見せるつるりとした面は根絶丁寧に磨き上げられた鏡のようであっても、一度角度を変えつつ覗き見てみたならば、きっと誰もが驚く光景を目の当たりにするだろう。

 何もなかったかのように思えたそこには、酷く薄く細やかな線で描かれた無数の奇妙な草花の柄が浮かび上がってきたのである。


 とは言うものの、薄く削られて描かれたその模様は一ヶ所のみを目に映しただけならば、ただの形の崩れた不恰好なものであった。

 だと言うのに、一度その鍵の全体を見た時にぼくは再び酷く驚かされた。

 何故ならばそれはどんなに複雑な線とて一寸の狂いもなく、規則的な並びを繰り返し連ねてられていたのだから。


 一見しただけならば複雑怪奇で不恰好でしかなかった鍵の表面に描き刻まれたその模様は、ただの一瞥だけしか目を向けない者ならばきっとその価値を理解出来ないことだろう。

 しかし、まじまじと注意深く見る者ならば、それが恐ろしく精密な絵であることを知らしめてくる……それはそんな不思議な一品であったのだ。


 捻れた葉の群は波打って、うねる葉脈は事細かく。

 あらゆる隙間に線を這わせた混沌とする模様は、どの線とてそっくりそのまま同じパターンを四方八方へ繰り返し、鍵の至る面を埋め尽くしている。

 その寸分たりとも違わない恐ろしい程の精密さからは、工芸や美術に疎いぼくにもわかるくらいに、人の手で作られたものとは到底思えない非常に高い技術力を感じて止まなかった。


 それを理解した次の瞬間、ぼくの胸に抱いていたその鍵の印象がガラリと一変してしまう。

 今まで奇妙で不可解でしかなかったハズのものだったのに、いつしかそれがつい溜め息を溢してしまう程に美しい、至高の芸術品のように素晴らしいものなのだと感じて止まなくなってしまうのであった。




 思わず目を奪われてしまうその一品に、ぼくはうっとりとしながら眺めていた。

 ナイトくんの掌の上をずっと見ていても一向に飽きは来ず、それどころか、むしろもっと近くで良く見てみたいと思う程に心がそれに釘付けとなってしまって──。




「(──欲しい。)」




 ぼくは胸の中でそう思った。

 思ってしまったのだ。


「(欲しい。あれが欲しい。あれをもっと近くで見たい、あれを──“自分のもの”にしてしまいたい。)」


 そんな思考が頭の中を埋め付くす。

 思わず生唾を嚥下して、喉からごくりと音が鳴り響く。

 そして──、


「──おっと! ダメだよ、アーサー。コレはキミには渡せないんだから。」


 目の前でナイトくんが手を頭上へと持ち上げて、ぼくから鍵を遠ざける。

 どうしてそんな意地悪を……そう不平不満を口にしようとしたぼくだけども、そこでふと我に返った。


「(……あれ? ぼく、いつの間に手を伸ばして……?)」


 自身の前に伸ばしかけた手が、無意識にナイトくんへと向かっていたのだ。

 まるでナイトくんの掌にあるものを奪い取ろうとするかのように。


「ぼ、ぼくはただ、もう少し近くで見たかっただけで……。」

「そーお? それにしてはなーんか、顔が怖かったけどなー?」


 てっきり取られるかと思っちゃったくらいに、ね。

 ナイトくんはクスクスと笑いながらそう言った。

 そこへ黒髪の彼が何やら顔をしかめつつ、顎を引きながらにこんなことを口にした。


「お前……良くそれを手に入れられたな。どうやって“奴”から奪って・・・きたんだ?」


 腕を組んでは感心と呆れを交ぜたような声音でそう訊ねてきた彼に、ナイトくんはにぱりと笑うと元気良くこう返したのだった。




「そりゃあモチロン、弟から“盗んで”きたのさ!」

「「盗んできた……!?」」




 思いがけない彼の返答に、思わず二人分の声が重なる。

 驚愕の表情を浮かべるぼくと黒髪の彼を目の前にしても、それでもニコニコとした笑みを崩さないナイトくんは手にした“銀の鍵”を頬に当てつつ、さも何てことないかのようにこう言葉を続けるのであった。




「だって今、“あそこ”には厄介な番犬・・がいないんだもの。だったらもう、後はこっちのもんさ。」




 そうして彼は──グリムテール・ナイトメィア・ウェイトリー・・・・・・はにたりと笑みを作り変えていったのだ。

 口角を釣り上げ、唇に弧を作り、白い歯をちらりと覗かせて。

 それに目を細めて笑う様は、何処か不気味な気配を漂わせていた。





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