-18 王の間とパラドックス。

「飲み物を持ってくるから、少し待っていなさい。」


 そう言ってグリモアはぼくの頭を撫でると、この丸く広い部屋から一本だけ伸びている廊下へとスタスタ歩いていった。


 残されたのはぼくと黒髪の彼だけ。

 二人分の息遣い以外何もない、静か極まりないその空間でぼくはただただ呆然としながら、グリモアが去った方をじっと見詰めていた。


「(“ついさっき”……? “初めて出会った”時のこと……?)」


 頭が混乱する。

 さっきの話を何度思い返したところで、どうにもぼくとグリモアの間に何処か食い違いがあるような、そんな妙な違和感が拭いきれない。


「(そんなもの、ぼくは一切観ていないぞ。ぼくが観たのはグリモアの“大昔の記憶”だ。あれがぼくとグリモアが初めて出会った時の記憶なワケがない……。)」


 ずきり、不意に頭に痛みが走る。

 ぼくは小さく呻くと、痛む頭を押さえるように顔を手で覆った。

 幸い痛みが走ったのは一瞬だけで、それも取るに足らないものだった。


 先程に比べ、少しずつではあるものの身体の不調も落ち着いてきた気がする。

 まだ頭が重く感じるような怠さは残っているが、それでも身動いだらくらりとしてしまう感覚はもうない。

 しかし、物思いに耽るぼくはそのまま顔も上げもしないで、そのままぐるぐると思考を回し続けていた。

 グリモアがさっき口にしていた事が、どうにも頭から離れてくれないのである。


「(……グリモアはきっと、何か勘違いしてるんだ。間違って別のものを観せていたことに気付いていないだけなんだ。でなければあんなこと言うハズがない。きっと……きっとそうに違いない……。)」


 そうやって、誰に向けてではない言い訳をつらつら胸の内に述べるぼく。

 胸元を握り締めると握った衣服に皺が波打つ。

 身体の奥では心臓がばくばくと鳴り響き、熱く痛いくらいに脈打っていた。

 これ程までに自身が生きている証明を表現するのものはないと言うのに、どうしてだか身体は血の気が引いているかのようで、寒い程に冷たく感じていた。




 カチャン。




 ふと、小さくも甲高い音が部屋の中に微かに響く。

 音に釣られてくるりと振り返れば、そこには丁度テーブル上のソーサーにカップを置いた手を引いていく黒髪の彼の姿が目に映った。


 斜め後ろに少し引いた椅子に腰掛けて、ふてぶてしく組んだ足。

 テーブルに付いた頬杖に凭れ掛かっている顔には、やはりいつも通り何を考えているのかわからない無表情。

 そんな彼は気怠げに溜め息を一つ溢すと、徐に開けた口からこんなことを呟いた。




「もう良いよ、ナイト。此方に来い。」




 その言葉を聞いた時、ぼくの口からは「えっ?」と声が溢れてしまった。

 思わず周りを見渡す。

 一体何処にナイトくんがいるのだろう?

 まさか彼もここにいるとは思わなくって、彼の姿を探すべくキョロキョロと見回していると、そう間を置かずに離れた場所から「はぁい」と聞き覚えのある幼い声が聞こえてきた。


 続けて、今度はこちらへ向かってくる足音が聞こえ始める。

 その足音はこの広く丸い部屋から続く、唯一の通路である廊下の方から聞こえているらしい。

 ぼくはそれに気が付くと、その廊下へと視線を向けるのだった。


 いよいよ足音が近付いてきたと言う頃合いで、その音は途端にピタリと止む。

 そして部屋と廊下の境界線である壁の角からは、突如ぴょこりと小さな影が現れた。


「やあ、アーサー! やっと追い付いたね!」


 そんな元気の良い声と共に、廊下側の物陰から顔を出したのはナイトくんだった。

 彼の顔を観た瞬間、ぼくは飛び上がるように彼の名前を口にした。


「ナイトくん!」


 思わぬ再会につい口元に笑みが浮かぶ。

 身体の不調なんて彼の顔を見たらふっ飛んでいって、また会えた嬉しさから一目散に彼の元へと駆け寄っていった。


「なんだ、きみもここに来てたんだね! 今まで一体どこにいたの?」

「たった今ココに着いたばっかさ! 誰もオレのコト呼んでくれないんだもん、もうずっと仲間外れのまんまなのかと思っちゃった。」


 ナイトくんはそう言って怒っているみたいに頬を膨らませる。

 しかしそれも直ぐに元に戻すと、いつもの人懐こい笑顔を見せてくれた。


「キミに会えない間、オレスッゴく寂しかったんだぁ。久し振りに会えたコトだしぃ、アーサーを充電したいなー?」

「久し振り? って言うか、充電って……。」


 ナイトくんの言葉に首を傾げるぼく。

 はて、彼と別れてから別段1日と経っていないハズだと言うのに、何故「久し振り」なのだろうか……?

 と考える間もなく、ぼくが戸惑いを見せていると、ナイトくんはパッと両腕を広げ、そのままぼくへと抱き着いてきた。


 思わず「うわぁ!」と声を上げるぼく。

 勢いに負けてついたたらを踏むぼくだけれども、ぼくの身体をガッチリとホールドしたナイトくんに支えられて転ぶことはなかった。


 ナイトくんに抱き締められ、身動きが取れなくなる。

 これと言って苦しくはないのだけれども、ぴったりと身体を密着させてくる彼の腕は、仰け反ろうにも離れられないくらいにびくともしないのだ。


 普段、爺や以外に周りには誰もいなかったぼくは、家族以外に親しい関係と言うものはいなければ、年の近い知り合いとていなかった。

 その為、人との触れ合いは精々爺やと手を繋いで歩く程度のことくらいしか経験がなく、こう言った踏み入った触れ合いは慣れておらず、幾ら友人のナイトくんが相手とは言え、こうも引っ付かれてしまうとどうしても気恥ずかしさが込み上がってきてしまうのであって……。


「(ち、近い……。)」


 ぼくは頬に熱が籠り始めるのを感じつつ、目の前でニコニコと嬉しそうに笑むナイトくんから顎を引く。


 幾らナイトくんが自分と似た顔をしているとは言え、その容姿は自分とは比べ物にならない程に美麗かつ整っているものだ。

 その為、ぼくにはナルシストの気なんて更々ないハズなのだけれども……それでも美化された自分とも言えるような、自分のようで自分ではないその姿で顔を近付けられてしまうと、思わず心臓がドキドキバクバクと早足で跳ね出してしまうのである。


 しかし、こうも満面笑顔のナイトくんの顔を間近に見ていたら、嬉しそうなその様子に羞恥を堪えていたハズのぼくまで思わず顔が綻んでしまう。

 だってぼくの友達がこんなにも楽しそうなのだ。

 彼が嬉しいのならばぼくも嬉しい。

 そんなナイトくんから寄せられた頬がぼくの頬にぴとりとつく。

 そして頬擦りうりうり、ぐりぐり。

 なでなで、すりすり。

 くんくん、すぅはぁ。


「ちょちょちょ、ナイトくん!? 何を嗅いで……何してるの!?」


 ぼくを抱き締めて離さないナイトくんが首元に顔を埋めたかと思えば、突然何やら匂いを嗅ぎ始めたのである。

 驚いたぼくは思わず彼の顔を突っぱねてそう声を上げた。

 なのにナイトくんはびくともしないくらいに離れなくって、ニコニコとご機嫌そうにこう言うのだった。


「んー? そりゃあモチロン、アーサーを充電して吸っているに決まって………んん?」


 ニコニコ笑顔のナイトくんが、ふと顔を離してぼくを見る。

 何やら訝しげな顔を一瞬だけ浮かべていたのだけども………。


「うーん………ま、いっか。」


 と言ってまたぼくをぎゅっと抱き締めたのだった。

 ………え? 今の何?

 そんな意味深な反応されたら、スッゴく気になっちゃうんだけど……!?


「な、ナイトくん?」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。キミには害はないから。」


 何が!?

 ぼくは思わずそう突っ込んでしまう。

 けれどもそれからのナイトくんはずっとニコニコ笑っているばかりで、それ以上何を聞いても答えてはくれなかった。

 先程の妙な反応をしたことなんてなかったみたいに、ぎゅ~っとぼくの身体を抱き締めて、夢中になってなでなでよしよしと頭に背中にと至るところを撫で繰り回すばかりとなるのであった。


 そんなナイトくんの様子はと言うと、それはもう何と幸せそうなものか。

 ふにゃりとふやけた顔がぼくに凭れ掛かってくる様は、まるでそれが一番の楽しみであるかのようだった。

 それで拒否をしようにも彼を邪険にするなんて出来ずつい気が引けてしまったぼくは、結局問い詰めるのを諦めることにするのだった。


 しかし、それにしてもナイトくんからのハグは何だか、ただの抱擁とは少し違うような気がする。

 彼のぼくに対するそのスキンシップは、友達相手にするものと言うよりは抱き締め甲斐のあるぬいぐるみとか、或いは犬や猫などの小動物を愛でているかのようなものに思えてならないのだ。

 如何せん友達と言う関係は彼が初めてなものだから、何がどう違うのかなんてぼんやりとしかわからないのだけれども……。

 それでも彼がぼくを抱き締める時に、何故だかぼくよりも彼の方がよっぽどとても嬉しそうなのだ。

 その為、ナイトくんが相手だとついついされるがままとなってしまうぼくなのであった。


 するとそこで、背後から声を掛けられた。


「ナイト。」


 ぼくに抱き着いている彼の名を呼んだのは、見ずともわかる黒髪の彼だ。

 ナイトくんと一緒に声が聞こえた方へと視線を向ければ、黒髪の彼がじとりとこちらに視線を向けていた。


「あれからどのくらい経った?」


 黒髪の彼がゆっくりと口を開き、そんなことをナイトくんへと訊ねる。


 一体何の話だろう?

 そう不思議に思って首を傾げていると、隣のナイトくんが人差し指を顎に当て、上目遣いで考える素振りを見せて小さく唸った。


「んーとぉ……10日は経ってないけど、一週間は過ぎたかなぁ? あ、でも多分今はもっと経ってるかも。」

「……随分と早いな。」

「少なくとも、あまり長居するのは良くないよー。それこそずっと出られなくなっちゃうからね。」

「なら、やはり奴の目的は足止めか。回りくどい事を……。」


 ナイトくんからそんな話を聞いて、黒髪の彼が表情の薄い顔を曇らせ小さく息を溢す。

 何かあったのだろうか?

 その割にはナイトくんの方は随分あっけらかんとしていて、これと言って危機感を感じられない。

 またもや一人話に付いていけないぼくはぽかんと二人を眺めていた。


「ねぇ、何の話をしてるの?」

「んー? それはねー、ココから脱出する為の算段。」

「脱出?」

「そ。実はね、アーサーがあの扉を潜ってから結構な時間が経ってるんだぁ。それこそ、何日も日を跨ぐくらいにね。」


 ぼくはそれを聞いて眉を潜めた。


 何日も日を跨ぐ? そんな馬鹿な。

 だってナイトくんと別れてからまだ一日も経っていないのに。


 そんなことを考えて訝しげな表情を浮かべるぼくに、ナイトくんはへらりとした笑みをこちらへと向けた。


「ここはね、時間なんて意味をなさない場所なんだよ。朝もなければ夜もなく、昼も真夜中だって関係ない。全てが同じでずっと変わらない、時が止まったも同然の空間なんだ。」

「……それって何か、おかしくない?」


 ナイトくんの話に訝しげな顔をしたぼくが首を傾げる。


「何日も経ってるのに時が止まってるって……そんなの、矛盾してるじゃないか。それって時間が止まってることにはならないんじゃないの?」


 そう言うと、ナイトくんが立てた人差し指を振りながら数度舌打った。


「本来ならばそうだろうねぇ。キミの言うコトは正しい。でも、ココじゃあそうはいかないんだ。」

「どうして?」

「それはね、ココが“そういう”空間だからさ。」


 そしてナイトくんは言った。




「ココは“ゼノンの間”。時間を超越した者だけが保有するコトを許された、の間に存在する境界線の狭間。それ即ち、あらゆる時間に内包しどんな時間にも属さない、卑しき“犬”の手だって届かない全知全能の玉座──大いなる旧き支配者の座する間だよ。」





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