-19 タイムカプセルは掘り起こされた。

 ──ブツン。


 暗転、視界が真っ暗となる。

 瞼の裏に見えていた景色は消えてなくなり、頭の中に響いていた声や風のさざめきも、それっきし聞こえてくることはなかった。


 多分、“終わった”のだろう。

 そう思って、ぼくはそこでようやく瞼を持ち上げた。

 暗闇から明るい景色へ移り変わるその瞬間、その明暗の差にたえかねたのか目の奥でじいんと鈍い痛みが僅かに走った。


 結局目を開け切れずに俯いたぼくは、眉間を摘まんでそれを労る。

 痛みはほんの些細なもので、痛みも直ぐに止んでくれたのだけれども……どうにもそこから顔を上げることが出来なかった。


 触れた眉間……と言うより、額には冷たい雫が這い落ちていた。

 肌に触れた感触も、血の気が引いているのか嫌に冷たい。

 その手も今は眉間を摘まんで誤魔化しているけれども、少しでも気を抜いしまえば震えているのがわかってしまうような有り様だった。


 落ち着かなきゃ…。


 そう思って、ぼくは深く息を吸い込んだ。

 それからゆっくりと息を吐いてく。

 深呼吸を数度繰り返して、少しずつ落ち着きを取り戻しながら、ぼくは思考を巡らせていった。


 今のは一体何だったのだろう……?

 先程の景色に、いたたまれない妙な心地を感じながらもぼくは疑問を胸に抱く。


 見たことのない場所で、今と変わらない姿のグリモアがボロボロになるまで酷い目に遇わされている……そんな光景をぼくは観た。

 

 先程の景色がグリモアの過去であることには多分間違いないのだろう。

 あのポットは“自分の記憶を観せる”ものだと、グリモアからの説明を受けた時にもそう聞いたのだ。

 自分の記憶を相手へと伝達する道具であるのならば、グリモアがあの景色の中にいたことと、自分には全く身に覚えがないことで自然とそう考え至るのは必然だ。


 そして今と比べて随分と印象の違うあのグリモアの様子からしても、何となくに「あれはずっと昔の出来事なのではないのだろうか?」とも、ぼくは思ってしまう。

 何せ、緑豊かなぼくらの住むこの星に、あの風景にあったあらゆる生命が息絶えたかのような廃れた土地があるだなんて聞いたことがない。

 それもそのハズ、この星には森、海底、空に砂漠だって、至る所に“魔物”が息ずいているからだ。

 優れた生命力を持つ八百万の彼らが生きていけない地など、この世界どこへ行ってたってあるハズもないのであった。


 それならばと考えて至るものはと言えば、精々グリモアがここへ来る前にいたと言う異邦の星たる故郷くらいだろう。

 だとすればやはり、あれがうんと昔の出来事だと不思議と思ってしまうのもより納得がいく。

 ただそこに、グリモアを唆して何かを奪い取っていった誰かがいたのが気になって仕方がないのだけれども……それ以上に、どうして彼はあの記憶をぼくに観せてくれたのかが、今のぼくには不思議でならなかった。


 ……何にせよ、先程のあの景色は見ていて決して気持ちの良いものではないのは確かだ。

 滅入った気分からくらりと来る少々の頭痛に、軽い眩暈も相まってつい顔をしかめる。

 その不快感をどうにかやり過ごそうと、眉間を摘まむ指に強弱を付けて揉み解していると、それを数度繰り返したところでぼくの耳に声が届いた。


「どうだった?」


 ぼくは顔を上げた。

 まだ少しの眩しさを感じる目を細めながら、ぼくはその声が聞こえた方へと視線を向ける。

 そこには、穏やかに微笑むグリモアの姿があった。


「上手く観えたかい?」


 グリモアは少しだけ前のめりになって、身を屈めながらにぼくへとそう訊ねる。

 その眼差しは興味津々と言った様子で、ぼくの返答を今か今かと待っているのが目に見えてわかった。


 そんなグリモアの様子に、思わず目頭に熱を感じてしまうぼく。

 衝動的に何かを口にしかけてしまうけれども、何とかそれを抑えて開きかけた口をつぐむ。

 そしてぎこちなくもこくんと頭を上下させれば、そんなぼくを見てパッと顔を明るめたグリモアが「そうかそうか、上手くいってくれたか!」と言って、嬉しげに両の掌を合わせて笑顔を見せるのだった。


「良かった。初対面の相手にこれを使うのは初めてだから、正直上手く効果が出るか不安だったのだよ。何せ、接点の薄い相手だと観せられるものも限られてくるからね。」


 言いながらに頬杖をつくグリモア。

 そのままテーブルへと凭れかかり、立てた人差し指でテーブル上のティーポットをつんと突つく。


「観せるにしたって、私もお前もこれと言って互いに特別な感情がある訳でもない。その上、観せたいと思ったものが起きてから余り時間が経っていない出来事だったからか、抽出に少々手間取ってしまったんだ。これは主にぼやけたものを鮮明化させるのが目的のものだからね、古すぎるものや長い記憶でなくても、新しく鮮明な記録だって抽出が難しくなってしまうのだよ。偉く時間が掛かってしまったのは恐らくそのせいなのだろう。………あ、時間が掛かると言うのは泡になってから届くまでのラグの事でね──」


 そう言って、グリモアは自身の扱った道具の説明にどうやら熱が入ってしまったのか、ぼくが何を言わずとも延々と語り始めた。

 やれ「泡が漂っている間に映像の復元を──」だの、「記録に損壊や穴、改変などがあると修復に時間が掛かって──」だのと、グリモアはペラペラと喋り続けているけれども、生憎今のぼくはそれどころでなかった。


 どう言うワケか、あの白昼夢のようなものを観てから妙に頭がぼうっとしてしまうのだ。

 耳が彼の声を拾っていたとしても、話が頭に入ってこなかった。


 ふと微弱な吐き気を感じた。

 ぼくは咄嗟に口元を手で覆った。

 思わずえずきそうになるそれを堪えながら、ぼくは小さく身を屈め肩を竦めていった。


 どうしたものか……全然調子が戻らない。

 頭を強く揺すぶられたかのようなくらくらとした感覚に、気持ち悪さがずっと残っている。

 次第に顔を上げているのも辛くなってしまい、徐々に背中を丸めて俯いていくぼく。

 身動ぎすらも億劫で仕方がない。

 他にどうすることも出来ず、やむを得ずそうして身体の不調が落ち着くのを大人しく待つことにした。


 すると、直ぐ傍から椅子を引く音が聞こえた。

 どうやらグリモアが椅子ごとぼくの傍へと近寄ってきたようだ。

 背後へと伸ばされた彼の掌がぼくの背中へと触れた。


「どうやら酔ってしまったようだね。脳に直接作用するものと言うのは道具にしろ、魔法にしろ、どうしても精神的な負荷が掛かり易い。頭は生物に置いてとてもデリケートなパーツだからね。それを半ば強引に弄ろうとすれば、大なり小なり不具合が起きてしまうのは当然だろう。使い慣れていないのであれば、殊更ね。」


 背に触れた手が緩やかな速度でスライドしていく。

 服越しに伝わってくるその手の温もりは、思わず涙が溢れてしまいそうは程に優しくて、温かくて、酷く心地の好いものであった。


「どうやら、お前はあのポットと相性が良過ぎたみたいだ。過ぎた感情移入でポットの効果が強まってしまっていたらしい。……ふむ、感覚も過敏になってしまってもいるようだ。確かに、実際に使ってみれば解るだろうとは言ったが……いやはや、まさか此処まで深く浸透してしまうとはな………まあ、幸いにも今お前に観せたものが大したもので無いことが幸いと言った所か。」


 グリモアはそんなことを口にしつつ、ぼくの様子を伺いながらに背中を擦りぼくを労ってくれていた。

 でもぼくは、頭上から降ってくるそんな声を聞いて、彼から見えないところで俯いたままにくしゃりと顔を歪ませてしまうだった。


 大したものじゃない? あれが?


 彼の言葉に思わず耳を疑ってしまう。


「これが過激な記録であったらきっと、強い感情に感化されて精神面によりもっと影響が………いや、今はこれ以上考えるのはよそう。お前も、今観た事に何も深く考える必要はないよ。何せお前は、ついさっき・・・・・の出来事を追体験しただけに過ぎないのだから。」


 只それだけの話さ。

 そう言うとグリモアは席を立った。

 身を翻し長い髪を波打たせながらに「酔いが酷いのであれば別の飲み物を持ってこようか」と言って、ぼくの傍から離れようていこうとするグリモア。

 それを足元に映った影越しに気付いたぼくは、咄嗟にグリモアの口の広い袖を掴み取った。


「……? どうかしたのかい?」


 袖を引っ張られたグリモアは直ぐ様に足を止めてくれた。

 振り返った彼の極彩色の瞳と視線が合う。

 その瞳には、不安そうな顔をした頼りなさげなぼくの姿がぼんやりと小さく映り込んでいた。


「グリモア……。」


 心臓がばくばくと脈打つ。

 得も言われぬ違和感から、ぼくは殆ど衝動的に彼の名前を口にしていた。

 微笑みを湛えたままのグリモアが、こてんと首を傾けてぼくの言葉の続きを待っている。


「さっきのは……何だって?」


 ぐるぐる、ぐるぐる。

 巡りに巡らせた思考から、その違和感の正体を探るべくようやく口を衝いたのはそんな言葉。


 するとグリモアは不思議そうな顔をぼくへと見せた。

 何故そんなことを聞くのだろうか?

 ……あの顔は多分、そう考えているのだろう。


 それでもグリモアは、そんなぼくの問い掛けに快く答えてくれるのだった。




「何って……私達はまだ会って間もない間柄。互いに共通する想い出なんて、精々初めて出逢った・・・・・・・時の出来事くらいしかないだろう? だから私が観せたのは、お前も見て解る通り“ついさっき”に起きたばかりの記憶だよ。」





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