-21 過去と原罪。①

「恩人を忘れた?」


 思わず反射的に聞き返してしまう程に、たった今耳にしたことに「信じられない」と非難を交えて口を衝くぼくのそんな言葉。



 その声に足元に転がった大きな“毛玉”がびくりと身体を揺らし、ぷるぷると震えながら肯定を現す情けない声をあげる。

 すんすんと鼻を鳴らしながら小さく零れる涙声が、その“毛玉”の存在をより惨めに映していた。


「たった今“恩義を忘れないように~”って言ってなかった?」

「うっ、ううっ……! 返す言葉もございませんん……!」


 トドメの如くぼくがそれの痛いところを突けば、膝を抱えて縮こまっていた肩がびゃっと跳ねて、そんな声を涙混じりに上げるのだった。


 背中を向けて自らの長い髪に収まって、べしょべしょと涙を流しているその“毛玉”は、何を隠そうグリモアである。

 つい先程までは真面目シリアスな顔をしてぼくに色んなことを教えてくれていたと言うのに、今ではすっかり地べたに横たわって膝を抱えぐずぐずと惨めに泣いてばかりの泣き虫だ。


 最早大きな子供が踞ってめそめそとしているとしか思えないそんな現状に、ぼくは呆れ返りながら彼を見下ろす。

 ぐすん、とまた鼻を鳴らしたグリモアが膝に埋めていた顔を少しだけ出した。


「最近……何だか物を忘れる事が度々あった事には、多少なれども自覚はあった………だが………だが、まさかこんな事まで忘れてしまっているとは、露程にも………。」


 そしてまたぐすんぐすんと鳴り響く泣き声。

 ぼくは溜め息と共に肩を竦めた。


「物忘れが度々あるって……そんなボケてるみたいなこと言わないでよ、年寄りじゃあるまいに。」


 そう言ってから、はたと言葉を止めたぼくは「そう言えば」と再び言葉を続けた。


「あなた、さっき長生きだって言ってたけど幾つなの?」


 見たところ、全然若そうに見えるけど……。

 脳裏に浮かんだ疑問を口にして、それからこてんと首を傾げるぼく。

 するとグリモアはべしょべしょの顔を上げた。

 目を丸くしたきょとんとした表情に、色鮮やかな瞳がくるりと丸を描く。


「んえっと………1……2………うーん?」


 ポツポツと何かを呟き始めるグリモア。

 その両手を出して指折る姿は、どう見たって数を数えているとしか思えない。


「まさか自分の年齢まで忘れたとか言わないよね?」

「いやいや、只単に今まで気にしたことがなかっただけだよ。長く生きてると数えるのも億劫になってしまうからねぇ。」


 そう言うとグリモアはようやく数え終わったのか、すっくと立ち上がりぼくに人差し指のみを立てた右手と、人差し指と中指を立てた左手を見せ付けてきた。


 思わずきょとんとグリモアの手を呆け見るぼく。

 しかし直ぐ様それが年齢の話から続く返答であることに気が付く。

 ぼくはその1と2を現すハンドサインをじぃっと見詰め、グリモアが言わんとしていることを推理し始めるのだった。


「120……じゃなくて、1200歳!」

「いいや? 12000歳だよ。」

「まっ……万!?」


 何だってーっ!?

 グリモアの口から告げられた予想外の答えに、ぼくは驚愕する。

 万超えとか………そんなの………。


「年寄り中の年寄りじゃん…! グリモア、そんな見た目でお爺ちゃんだったの?」

「お、おじっ……!? ち、違う! 幾ら長く存在していたとしても、老人と言う訳では………!!」


 慌てた様子でグリモアがぼくへと訴える。


「そもそも無機物にも等しい私達ガラテアに、経年劣化の概念はない! 生物として、成長と言う法則を持ち合わせていないのだから……!」

「あーはいはい、わかったわかった。……成る程ね。そんなに長く生きてたら、確かに数えるのも億劫になるワケだ。」


 尚もまだ物言いたげな眼差しを向けるグリモアを軽くあしらいつつ、ぼくはその話を聞いてようやく納得した。




 ぼくの生きた年数の12年ぽっちならば言わずもがな、20年、50年程度なら確かに数えるのも大して苦じゃないだろう。

 しかし、それが百や千を超えているならどうだろうか?


 大抵の人が50年やそこらで病気や老衰で命を落としてしまうこの世界。

 その年代を過ぎても生きている長寿な者がそういるとは思えない。

 何せこの世界自体、人が豊かに暮らすには少々難があるからだ。

 年を食ってまで生き延びれる程、この世界は人に優しくなかった。


 緑が溢れる土地あれど、水に満ちた土地あれど、そう言った土地は大抵驚異的な魔物の住処となっているのが常である。

 その為人が豊かに暮らせる土地を手に入れるには、先ずそこらに住まう魔物を排除しなければならない。

 しかし、幾ら束になって向かったところで、人が魔物に敵うハズもなく。

 結果人々の大半が痩せこけた土地に住むことを余儀なくされ、衣食住不十分な暮らしを送る他ない。


 そんな世界故なのだろう。

 弱者はいつだって強者に淘汰されてきた。


 女、子供、老人に、五感に五体も満足でない者達。

 必死になって畑を耕さねば飢えてしまうそんな瀬戸際に、まともに働けない者達に居場所など与えられるハズもなく。

 医者とて当然豊富にいるワケでもない。

 結果、弱者は排除されていくか、良くて日陰に追いやられるのが関の山。

 それでも身売りや盗みにと精を出し、必死に生きるのが世の理だった。


 まあ、それも昔の話。

 今は随分と暮らしも良くなった。

 まだまだ十分に豊かだとは言えないけれども、数十年前に比べて大きな町も増えたことだ。

 ……そんな話を、爺やから聞いた覚えがある。


 そんな長生きが叶わない世界でなくても、もしも自分が長く生きることが叶ったとしても、その時自分は何度と巡る月日を気にして、それを数えるだけの気力はあるのだろうか?


 恐らく、答えは“面倒臭い”に違いない。


 だってぼくの指は10本しかないのだ。

 50歳だって、5周も指折り数えないと辿り着けないのに、それが数をより増して百や千となってしまってはきっと、数えている内にも何周したのかもわからなくなってしまいそうだ。

 それを彼はそんな数字を軽く凌駕する程の、文字通りとても気が遠くなってしまいそうな程の長い長い時間を、こうして今まで過ごしてきているのだ。

 気にもならなくなってしまったって、しょうがない。


 経年劣化の概念がない、と言うのはまだ少しピンとは来ていないものの……恐らくそれは成長をしない、と言うよりは“ずっと時が止まったまま”と言うのが近いのかもしれない。

 その感覚にはただの人間でしかないぼくには良くわからないけれども、それならば確かに年数が経っても老いて姿が変わることがないのも理解出来る。


 何せ、彼等ガラテアは神様に造られた“人形”だと言っていたくらいだ。

 それが今目の前で至極普通の人間の如く喋り、動き、体温を持って飲食を嗜んでいるくらいであるのだから、そう言うことがあってもおかしくないのだろう。


 ………何だか、驚くことが多すぎて感覚が麻痺している感が否めないが。




「……で、そんな…“経年劣化”って言うの? が、ないハズのあなたに物忘れが起きているワケだけど、それは大丈夫なの?」


 ぼくは改めてそんな質問をグリモアに訊ねてみた。

 するとグリモア口の広い袖で顔を拭いつつ、こう返した。


「ん? ああ、それについては問題ないよ。元より私達には記憶全てを保持し続ける程の容量を持ち合わせていない。無駄な記憶は容量を圧迫してしまうものだから、元より破棄する他ないのだよ。」


 そこら辺は人間の頭とさして変わらないかな?

 グリモアはそう言って姿勢を正すと、改めてぼくの方へと向いた。

 相も変わらず綺麗だとしか言い表す他ない端正で形の整った顔には、目尻が少しだけ朱に腫れているのがぼくの目に見えた。


「只単に、新しい記憶との入れ変わりに、運悪く破棄されてしまったのが偶々忘れたくなかったものだっただけに過ぎない話さ。良くある事ではないのだが………勿論、有り得ない話でもない。仕方のない事なのだよ。」

「でも、それじゃあ………。」

「そんな時こそ、これが便利なのさ!」


 会話の最中、グリモアの口調が突如明るいものへ。

 ぼくが目を丸くしている最中、テーブル上へと手を伸ばすグリモア。

 そして手に取ったものを引き寄せると、それをぼくの目の前へと差し出したのだった。


「………ポット?」


 グリモアがぼくの目の前に差し出したものは、ついさっきまでテーブル周りを舞い踊っていた彼が手に持っていたティーポットだった。


 ふっくら丸々とした真っ白な陶器に、滑らかな曲線の上に宿り木の模様が桃色にて描かれたシックなデザインのそれは、見たところ何の変哲もない極ありふれたものにしか見えない。

 しかしそれを嬉々として見せ付けるグリモアはふふんと鼻を鳴らすと、自慢気にぼくへとこう言うのだった。


「これは“スーヴェニール・ポット”と言ってね、他人に記憶を観せる為の道具なのだよ。」

「記憶を……観せる?」


 にこやかなグリモアがこくりと頷く。


「ほら、お茶会と言えばやっぱり世間話や楽しいお話に興じたいものだろう? 親しい間柄の者との想い出話なんかは特にうってつけさ。これはそんな時の為にと私が造ったものなのだが……。」

「え、これグリモアが造ったの?」


 ぼくは驚いてグリモアを見上げた。

 少し照れ臭そうに頰を掻いたグリモアがはにかんで肯定を表した。


「私はこう言った物を造るのが得意だからね。他にも、対象者に口外禁止事項を厳守させる為の口止めや、鋏める物であればあらゆる物を断つ事の出来る“裁断鋏”。荒ぶる者が身に着ければ忽ちに気を沈ませる事が出来きて、それで全体を覆ったならば他者の認識から除外させる事も可能とする、隠蔽効果をも備えた“虚空の羽衣ヴェール”。それだけじゃあなく、時には剣を鍛える事だってある。後は……ああそうだ、彼が持っている認識阻害・・・・の為の“帳の眼鏡”だって──。」


 その時、ぼくらの話を遮るかのように「んん゛っ」と咳払いの音が響いてきた。

 思わず話を止めるグリモア、ぼくも揃ってそちらへと振り返る。

 二人が向けた視線の先には、一際機嫌を悪くしたらしい黒髪のあのヒトが、眉間に皺を寄せ、口許に拳を当ててじとりとこちらを睨む姿があった。


 ぼくはびくりと肩を揺らした。

 隣では罰が悪そうな顔をしたグリモアが「あー…」と気まずげな声を溢していた。


「ええと………話を戻そうか。」


 苦笑を浮かべるグリモアに、ぼくはこくこくと頷く。


「これは元々情報共有を目的とした物でね、使用者が選択した過去の記憶を復元・再現した上でそれを映像化し、対象者に可視化させる為の道具なのだよ。それでこのポットの使い方なんだが………ううむ。これは説明するより、実際に使って見せた方が早いかな。」


 そう言ってぼくが良く見える様にと持ち直すと、グリモアは「見てて」と言ってそのポットの腹に手を添えた。


 一見何の変哲もないそのティーポット。

 その陶器の膨らんだ腹を、グリモアの触れた手の指先がつつつ……と撫でていく。

 するとどうだろう。

 細く長く伸びたS字の口先から、ぷくりと透明な膜が現れた。


 薄くて澄んだ色のその膜は、針が通る程度の小さく狭いポットの口から空気を吹き込まれているかのように、ぷくーっとその面積を広げていく。

 やがてそれが掌サイズにまで膨らんでいくと、僅かな接地面でしかなかったポットの口からプツリと途切れ、真ん丸な泡となってポットを離れていった。


 浮かび上がるそのシャボン玉。

 それを見上げていると、グリモアが続けて語りかけてきた。


「…こうやって、相手に観せたいと思った事を頭に想像し浮かべながらポットに触れると、触れた場所から記憶を読み取ったポットが情報を泡に詰め込んで運んでいってくれるのさ。」


 グリモアの話を聞きながら、口を開けたままにシャボン玉を見上げるぼく。

 先程見たのと比べて目に見えて違うサイズのそれはふわりふわりと揺蕩いながら、非常にゆっくりとした速度でぼくの方へと向かってくる。

 それがぼくの頭上までやってくると、今度はくるりくるりとぼくの周りを周回しながら段々高度を落とし始めたのだった。


 くるり、くるり。

 螺旋階段を降るように。

 くるり、くるり。

 緩やかに廻るシャボン玉。


 遂にはそれが目の前までやって来くる。

 ぼくは好奇心からつい触れてみたくなってしまう。

 次第にうずうずとした感覚が募っていき、やがてそれに促されるがまま、ぼくは徐にそのシャボン玉へと手を伸ばしてみた。


「言っておくが、それに直接触るのはオススメしないよ。」


 爪先があと少しで触れそうだって時に、澄まし顔のグリモアがそんな事を口にした。


「それは限界まで情報を詰め込んだ、超圧縮データそのものだ。殆ど爆弾にも等しいものだと思ってくれたら良いだろう。そんな物に触れようものならば……元より非常に脆いものだ。触れた瞬間、忽ちに弾け飛ぶだろう。そしてその爆発に巻き込まれた者は、一体どうなるだろうね?」


 ごくりと喉から音が鳴る。

 グリモアの話を静かに聞いているだけなのに、どうしてだか背筋に冷たいものが走る感触がした。


「本来、ゆっくりと身体に馴染ませながら浸透させていくべきものを一気浴びてしまったならばきっと、膨大な量の情報が雪崩よりも強く、雷よりも激しく、その者の頭一点に襲い掛かる事だろう。そうなれば脆弱な人間の頭など、脳漿が吹き飛ぶよりも深刻なダメージを負ってしまうに違いない。………安全に、つつがなく、事を進めたいのであれば不用意に触るべきではない……私ならばそう思うのだが、お前はどうかな?」


 ぼくは直ぐ様シャボン玉から手を引いた。

 ぶるぶる震える身体、青ざめていく顔。

 尚もまだぼくの周りをくるくると回り降りていくシャボン玉に、ぼくはそこで初めてそれが危険なものであるのだと認識する。

 そして決してそれに触れてしまわないようにと、ぼくは背筋を伸ばしてピシッと身体を固く強張らせるのだった。


 くすくすくす。

 目の前でグリモアがおかしそうに笑った。


「そんなに怯えなくたって大丈夫だよ。万一それに触れようとした所で、そう簡単には触れられないのだから。……ほら、木から落ちてくる葉っぱだって、掴もうとしたって直ぐに逃げてしまうだろう? それと同じさ。」


 そう言ってまたくすくすと笑い出すグリモアに、カァッと顔を赤くしたぼくは拳を振り上げてその胸元に飛び付いた。


 そう言うことはもっと早く言ってよ!


 ポカポカ、ポカポカとグリモアの胸元を叩くぼく。

 情けないところを見せてしまったことに、それを笑われてしまったことに、怒りと羞恥で耳まで真っ赤にしながら無言にて拳を何度と打ち付けた。


 しかしぼくが繰り出す目一杯のその訴えなんて、グリモアには何のダメージもないらしい。

 胸をぽんぽこぽんぽこ叩くぼくを、にこにこと微笑ましげに見下ろしていた。




 ぼくらがそうこうしている内に、いつの間にかぼくの傍を離れていったシャボン玉がテーブル上にて漂っていた。

 ふわりふわりと振り子の如く揺れながら、向かっていくのはぼくの席にあるティーカップ。

 ようやくそこへ辿り着くと、カップの縁へとふわりと触れた。


 ぱちん。


 軽やかな音が響き渡り、カップの真上でシャボン玉が割れる。

 呆気なくも消え去る泡。

 ぼくはカップの中を覗き込んだ。

 そこには水滴一つとしてない、綺麗なカップの底がぼくの目に映り込んだ。

 ハンドルを摘まみ持ち上げたとしても、どう考えたってそこに中身のある重みはない。

 やはりカップの中身は空のままであった。


 眉を潜めてカップの底を見下ろすぼく。

 そこへグリモアが微笑みと共にこう言った。


「さ、召し上がれ。温かい内に飲み干すと良い。きっと身体も温まるだろうよ。」


 そうは言われても……とぼくは思った。

 困ったようにカップを見下ろし、沈黙のまま睨めっこ。

 どう見たって中身のない有り様に、何をどう飲めば良いのかわからない。


 やがて肩を竦めると共に溜め息を溢し、ぼくはカップをソーサーへと下ろそうとするのだった。


 多分、ぼくはからかわれているのだろう。

 だってカップの中身は空でしかないし、無いものは飲めるハズもない。


 そう思ってぼくはグリモアへ「飲めない」と口にしようとした、その時だった。




 ──無いと思うから、無い。有ると思えば、有る。




 不意にぼくの脳裏を過ったのは、黒髪のあのヒトからの言葉だった。


「(ないと思うから……?)」


 ぼくは再びカップの中身を見る。

 だが、どんなに見たところで中身が空である現実が変わるハズもない。

 しかし、それでも──。


 ごくり。

 喉から唾を飲み込む音が鳴る。

 ゆっくりとカップを持ち上げていく爪先。

 やがて顔を前までそれを運ぶと、ぼくは目を閉じてそのカップに口付けた。


 ひやりとしたカップの温もりが唇を通して伝わってくる。

 カップを手にした感覚には、やはりどう考えたって空でしかない。

 それでもゆっくり上向くように、口付けたカップを傾けていけば──。




 ふわり。




 ふと、心地好い香りが鼻腔を掠める。

 鼻を通って喉にまでスウッと冷たさを思わせる、清涼感のあるその香りは恐らくミントか何かだろう。

 それをどうして今感じたのか不思議に思うよりも先に、今度はぼくの唇に温かなものが触れた。


「………!」


 ぼくは驚いた。

 カップに口付けた唇に触れたのは、温かな湯気を伴った液体だったのだ。


 まさかそこに何かがあるとは思っていなくて、そのまま口の中へと流し込んでしまうぼく。

 それが何かもわからぬままに飲み込んでしまうなんてとんでもない。

 今すぐにでも口を離し、中身を確認しなくては……!


 ……そうは思ってもこくりと嚥下する喉、開かない瞼。

 それもそのハズ、ぼくの口の中では得も言われぬ美味なる甘美が舌の上を踊っていた。


「(……美味しい……。)」


 結局ぼくはそれを拒絶出来ないままに、口にしたカップをより上へ、上へと傾けていってしまう。


 染み入るように味わって、感じ入るように胃の中へと落としていく。

 そうしてハーブティーらしきその温もりに舌鼓を打ち、じんわりと浸っていると、不意に妙に響く何かの音が何処かから聞こえてくるのだった。


「……?」


 何だろう? 今の音。

 人の声のような……?


 そして、ぼくはまた驚くのだ。

 閉じているハズの瞼の裏に、不思議な景色が映し出されていた。




 荒廃した大地。

 塞ぎ混んだ曇り空。

 緑の一切は須く枯れ果てて、水の一滴すらもが絶え果てた死の焦土。

 そこにはあらゆる生命の気配が消え失せ、精々残されているのは生きとし生けぬ異形の者のみ。


 そんな風景だった。

 そんな、凄惨な世界がそこにあった。


 そしてその視界に映された荒野の中に、見知った顔が横たわっているのをぼくは見た。


「(グリモア……?)」


 それは今と変わらぬ姿のままの彼だった。

 しかし、その姿は酷く荒んでしまっていた。


 澄んだ色の長髪は泥や土に濡れて穢されて、滑らかで染みも黒子も一つとして見当たらない色白な頬は先程見た姿と比べ血の気を失っている。

 金の刺繍が施された白い衣服とて、解れ破れボロボロで何処も賢も薄汚れていた。


 そんな彼がただ一人、荒野の中で横たわっていた。

 泥のように、息もなく、ただただ静かに眠っていた。





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