始まりをいくつ数えた頃に

鍵崎佐吉

恋の弾丸

 天気は晴れ、風は南西に向けて風速1.2メートルほど、ほぼ無風だ。現在地は二十階建てのビルの屋上、時刻は午後二時十三分。あと三十分ほどで歩道からこちらを見上げた時に、私たちの背後にちょうど太陽が来ることになる。まさに狙撃をするにはベストの条件だった。

 私は眼下に広がる街並みを見下ろして一つ息を吐く。そろそろ新人観測手という肩書を捨てられそうな頃合いではあるが、こうしてターゲットを待っている時間はどうにも落ち着かない。予定では三十分後に歩道を通過するターゲットを狙撃することになっているが、数分の誤差というのは当然生じうるものだ。私の隣から銃声が聞こえるその瞬間まで、緊張の糸が解けることはない。それでも私にとってこの時間はとても大切なものでもあるのだった。

「落ちんなよ、スー」

 不意に背後から気だるげな声が聞こえてくる。一瞬ドキリとして、すぐに何事もなかったかのように振り返って返事をする。

「起きてたんですね、センリさん。っていうか、さすがに落ちたりはしないですよ」

「はいはい、いいから目を離すな。道を見てろ」

「もう……」

 この人はいつもこんな調子だ。覇気がなくて、不愛想で、そのくせ狙撃の腕は抜群で、なんだかんだ言って私のことを気にかけてくれている。認めたくはないけど、私の憧れの先輩だった。


 私たちの仕事は人間に恋をさせること、彼らの言葉で言えば「恋のキューピッド」というところだ。気まぐれで奔放な愛の女神様のおっしゃるままに、人間の心臓ハートを撃ち抜いて恋に堕とす。百年ほど前までは人間のイメージ通り、弓矢を使っていたらしい。

 だが時代はもう2023年、人間の生活は高度化高速化が進み、狙撃をするのも簡単ではなくなってきている。射程が短く精度も低い弓矢なんて代物はとっくに廃れて、今では「恋の矢」ならぬ「恋の弾丸」を装填したスナイパーライフルを用いるのが一般的だ。これなら数百メートル離れた場所からでも狙撃が可能だし、精度が上がった分誤射も少ない。そしてほとんどの場合、狙撃手と観測手のバディが組まれることになっている。

 私がセンリさんと組むことになったのは今から三年前のことだ。まだ実地経験のなかった私は必然的に一番の腕利きであるセンリさんと組まされ、恋の狙撃の神髄を目の当たりにすることになった。私はセンリさんに千回以上同行していることになるが、一度も弾をはずしたところを見た事がない。百発百中どころか千発千中、まさに神業と呼ぶほかなかった。ある時は時速60キロ近くで走行する自動車に乗っているターゲット(つまりドライブデートだ)を撃ち抜いたことすらあった。しかしセンリさんは勤勉とは程遠い人で、狙撃の十分前まで居眠りをしているなんてこともざらだった。私は観測手というよりは彼の世話係だったわけだ。

 そうして数多の恋の始まりを見届けて、私も少しずつ成長していった。それと同時に、いつしか心のどこかでセンリさんのことを意識するようになっていた。こういうの、ギャップ萌えって言うんだろうか。もともと年上好きだったのもあるが、普段は素っ気ない彼が時折見せる優しさや、引き金を引く瞬間に見せる真剣な表情がたまらなく好きだった。


 時刻は午後二時四十二分。すでにセンリさんは銃を構えてスコープを覗いている。その横顔をちらりと見やってから、私も双眼鏡越しに歩道に目を向ける。

「……ターゲット捕捉。スーツを着たツーブロックの若い男です」

「了解。一人か?」

「はい。……どういうシチュエーションなんでしょうね?」

 私たちの上司である女神さまは大変おおらかで大雑把な性格をしていらっしゃるので、事前に詳細な情報が得られることはほとんどない。

「道でばったり昔の知り合いに会って一目ぼれ、ってとこだろうな。あの人はそういうのが好きだから」

「へぇ、なんかいいですね。ドラマチックで」

「そうか? さすがにちょっと出来すぎだろ」

「でも少し憧れたりしません? そういうの」

「ないない。いきなり好きだとか言われても何も思わねえよ」

「ええ? でも……」

「ほら、いいからターゲットを見てろ。もう来るぞ」

 狙撃手としては一流のくせに、センリさん自身は恋愛に対してかなりドライな態度を取り続けている。いっそセンリさんの銃を奪って心臓に一発撃ち込んでやろうかとも思うが、さすがにそこまでの暴挙はできない。だからその代わりに私は小声でつぶやいた。

「……私はセンリさんのこと、好きですけどね」

 冗談のオブラートに包みこんで、ようやく吐き出せた言葉だった。


 響き渡る銃声。


 ターゲットの後ろでスマホをいじりながら歩いていた女が不意に顔を上げる。まるで恋する乙女のような表情をしたその女は、遠ざかっていくターゲットの背を眺めて茫然と立ち尽くしていた。


 ぼそりとセンリさんがつぶやいた。

「スー」

「はい?」

「……はずした」

「え!?」

「今日は調子が悪い。先に帰るぞ」

「あ、ちょっと、待ってくださいよ!」

 ライフルを無造作に担いでそのまま歩き去ろうとするセンリさんを私は追いかけていく。また一つ、恋の始まる音がした。

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始まりをいくつ数えた頃に 鍵崎佐吉 @gizagiza

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