カフェ『フォゲット・ミー・ノット』

「おはよ。あの住所、なんかヒットした?」

「いや。地図で出したら住宅地のど真ん中だった。」

「ふぅん。」

 鈴乃は麦わら帽子を被った。白いワンピースがよく似合っている。

「まあいいや。行こ行こ。」

 鈴乃は碧依のスマホをのぞき込んだ。

「ね、経路だして。」

「はいはい。」

「お、意外と近い?」

「ま、ふつーに徒歩で行ける距離だな。住所からもわかるけど。」

 碧依と鈴乃はスマホを見ながら歩き始めた。

「ここ?」

 十五分ほど歩いてたどり着いたそこは、小さなカフェのようだった。

 店の扉の前に小さな庭があり、道路に看板が出ている。鈴乃が看板の文字を読み上げた。

「フォゲット・ミー・ノット?このお店の名前なのかな?」

「だから。わかんないことなんでも聞くなって。」

「あー、はいはい。じゃあ、入ってみようよ。」

 鈴乃は碧依の抗議を軽く受け流して庭をのぞき込んだ。興味津々だ。

「え?入んの?」

 碧依は驚いて聞き返した。

「そりゃそうでしょ。なんたって山上さんのおすすめだよ?てか、碧依はここまで来て引き返すつもりだったの?」

「……。」

 碧依は渋い顔をした。来るまでは特に何も考えていなかったが、ここがカフェならば…。

「俺、財布の中身ほぼないんだけど?」

 昨日鈴乃が勝手にかごに入れた菓子パンが地味に響いている。碧依は恨めしそうに鈴乃を見た。

「いいよ、そんなの。ほら、入るよ。」

(俺にとっては重要なんだよ!!てか反省しろ!)

 そんな碧依の心の内を知ってか知らずか、鈴乃が庭に足を踏み入れる。足元の砂利が小気味よい音を立てた。

 庭には碧依の膝くらいの丈の植物が植わっていた。碧依は少しの間その植物を眺めていた。

「植物ねぇ。料理に使うやつしかわかんないけど。」

 チリン、という軽やかな音を立てて鈴乃が扉を開く。

「なんか、異世界に紛れ込んじゃったみたいな感じがするね。」

 鈴乃が振り返ってささやいた。顔にワクワクしていると書いてある。碧依は小さくうなずくと鈴乃に続いて店内に足を踏み入れた。

「いらっしゃいませ。」

 店主と思われる男性が奥のカウンターから二人に声をかけた。白髪交じりの髪をきっちりと固め、豊かな口ひげを蓄えている。店主は磨いていたカップを置き、碧依と鈴乃を迎えてくれた。

「あの、私たち、山上さんに紹介されたんですけど。山上さんのこと、ご存知ですか。」

「ああ、山上様のご紹介ですか。もちろん存じあげますとも。」

 店主はそう言って懐かしそうに目を細めた。

「こちらにどうぞ。」

 店主は二人をテーブル席に案内した。木目調のテーブルと柔らかなソファタイプの椅子がある、カウンターのすぐそばの席だった。

「ありがとうございます。」

 碧依と鈴乃が向かい合って座ると、店長がメニューをテーブルに置く。

「メニューとはいっても当店にはコーヒー、ケーキ、クッキーの三種類しかございませんが。」

 メニューをちら、と見て鈴乃が店主を見上げた。

「じゃあ、その三種類全部注文してもいいですか?」

 碧依は目を見開く。

(こいつ…。値段も確認せずに!)

「かしこまりました。お二人分、ご用意してよろしいですか?」

「はい。お願いします。」

 碧依はため息を飲み込んでうなずいた。

 店主はメニューを持ってカウンターに戻っていく。鈴乃が店内を見渡して碧依にささやいた。碧依の諦めには気づいていない。

「ねえ。ここ、地図には載ってなかったんだよね?」

「ふつーに住宅街の真ん中だったよ。」

「こんなに素敵なカフェなら話題になりそうなのに。」

「いや、まだ何も食べてないじゃん。」

「まーね。雰囲気だけね。」

 碧依と鈴乃は苦笑した。

「こちら、当店自慢のコーヒーです。」

 店主が二人の前に湯気の立つコーヒーカップを置く。

「どうぞお召し上がりください。」

「いただきます。」

 二人はコーヒーを口に含んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る