フォゲット・ミー・ノット
駒月紗璃
序章
畳の上に敷かれた布団。その中で眠っているのは小柄な少女だ。碧依は少しの間少女の寝顔を見つめる。
(寝てるか。)
と、少女がぱちり、と目を開けて碧依を見上げた。
「なんだ、起きてたのか。」
碧依はお盆を持ち上げて少女の枕元においた。
「おかゆ。つくったけど食べる?」
聞きながら後ろ手にふすまを閉める。
「お兄様。鈴はアイスクリームが食べとうございます。」
少女が口を開いてゆっくりとした口調で言った。
碧依は驚いて少女を凝視し、目を
「
「冗談、冗談。おかゆ食べる、食べる。」
「お前…。ついに熱で頭がおかしくなったと思っただろ。」
「ひどーい。碧依ってば本当は私のことが心配で見に来てるはずなのに。」
「……。」
碧依はおし黙った。
古木宅は増森宅の隣にある。昔から病弱だが共働きの両親を持つ鈴乃の様子を見に碧依が定期的に鈴乃を訪ねているのは事実だ。
「まったく。素直じゃないんだから。」
鈴乃はそう言って体を起こした。
「それにね、碧依が私のお兄さんって設定、私気に入ってるんだ。」
「どうせなら双子にすればいいのに。同じ高二なんだから。」
「だって。碧依のほうが私よりも誕生日早いでしょ?双子っていうよりもお兄さんって方がしっくり来るんだもん。性格とかも。」
鈴乃はころころと笑ってから少し咳き込んだ。
碧依は眉をひそめて鈴乃の枕元に膝をついた。
「大丈夫?」
「うん。大丈夫。そうやってエプロンしてると、お兄さんっていうよりもお姉さんってかんじだな、って思ったら笑っちゃった。」
碧依はため息をついた。
「ったく。心配して損しただろ。」
「あ、心配してくれてるの?」
鈴乃は碧依をからかうように楽しそうに笑った。碧依は無言でお盆からお椀を取って鈴乃に渡した。
「…黙ってかゆでも食べとけ。」
「はーい。」
鈴乃はおとなしく碧依に渡されたお椀を持つ。
碧依はふぅふぅと冷ましながらおかゆを食べ始めた鈴乃を見てキッチンに戻った。
季節は夏。夏休みが始まったばかりだ。熱を出して寝ていると鈴乃から連絡をもらった碧依は様子を見がてら食事を作りに来た。
小さい頃から料理が好きな碧依にとってはいつも通りのことだ。鈴乃が寝込むことも、その度に自分が料理を作ることも。
エプロンを外して、使った食器を洗う。昔は増森宅の食器を勝手に使うことに対して少なからず抵抗があったものの、今では慣れてしまった。さすがにエプロンは自分のものだが。
「ごちそうさま。いつも通りおいしかったよ。ところで碧依。私、茶碗蒸しが食べたい。」
食べ終わったかゆのお椀をお盆に乗せて運んできた鈴乃はそう言った。さっきまではおろしていた髪をひとつにまとめている。
「は?食べたいってお前…」
「いいでしょ?熱下がったら元気だし。」
「いや、熱があるから寝てるんだろ。」
碧依は器を洗いながら苦笑した。昔から鈴乃はよく無茶なことを言う。
「妹には優しくしなくちゃだめですよ、お兄ちゃん。」
「俺はお前の兄じゃないってば。」
いつも通りのやり取りをして、碧依は鈴乃に向き直った。とりあえず確認する。
「で?どうすんの?」
鈴乃は目を輝かせた。
「食べたいって言ったら作ってくれる?」
「材料ないから買いに行かないと行けないけど。」
「買い物、ついてっていい?」
「いいけど。俺は責任取らないよ?てか、どうせなら夕食俺ん家で食べる?」
「ほんと?いいの?」
鈴乃は嬉しそうな声で聞いて笑顔になった。
家が隣同士というだけでなく、母親同士の仲がいいため昔からお互いの家をよく行き来していた。碧依の母、
「いいよ。お母さんも喜ぶだろうし。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ねえ、買い物は?なに買うの?」
鈴乃は楽しそうに尋ねた。碧依は苦笑する。女子の精神年齢の方が上だなんてよく聞くけれど、鈴乃と自分に関しては当てはまらない気がする。
「たまごがないから買わないと。あとは…牛乳でも買うかな。」
碧依は鈴乃と共に隣の古木宅に戻った。鈴乃は玄関の扉に鍵をかけて家に帰らない意思を示し、碧依に鍵を預けてしまった。
「なんで俺?」
「私なくしちゃいそうだから。持ってて。」
(いや、鍵なくすなよ。)
鈴乃といるとツッコミの技術が上がりそうな碧依だった。
「ただいま。」
「おじゃましまーす。」
玄関を開けると友香が走って迎えた。
「鈴乃ちゃん!いらっしゃい。体調は大丈夫なの?」
「すみません。心配かけて…。でも、大丈夫です!」
「それなら良かった。そういえばこの前ね、……」
友香と鈴乃が玄関先で楽しげに話している間に碧依は財布とカバンを取って戻ってきた。(自分が無視されることに関してはもはや何も感じなくなっている。)
「お母さん、ちょっと俺買い物行ってくるね。」
「あ、私もついていっていいですか?」
「ぜひぜひ。碧依がなにかしないようにちゃんと見張っておいてね。」
「任されました!!」
古木宅の玄関に明るい笑い声が響いた。
「行くぞ…。」
ひとり不機嫌な碧依はため息を飲み込んで家をあとにした。
「ねえ碧依。怒ってるの?」
「別に。いつものことだし。」
「なら良かった。あ、これ美味しいよね。」
鈴乃は碧依の後について買い物を楽しんでいる。買う予定のないものをいろいろと手に取るのはやめてほしいが。
「あんまりはしゃいでまた熱出すなよ。」
「ありがとね、お兄ちゃん。」
「だ、か、ら!俺はお前の兄じゃないって!一日何度も言われるとさすがに嫌になってくるんだけど?」
「相変わらず
後ろから声をかけられて碧依と鈴乃は振り返った。
「山上さん?」
声をかけてきた男性は山上、二人の家の前に住んでいる初老の男性だった。
「お久しぶりです。」
「本当に久しぶりだね、碧依君、鈴乃さん。ところで、二人とも明日の予定はあるかい?」
「いえ。とくにはないですけど。」
碧依は鈴乃と顔を見合わせた。
「それなら、ここに行くといいよ。」
山上はそう言って一枚のメモ用紙を碧依に渡した。
「楽しいところだからぜひ、訪ねてみるといい。」
山上はそれだけ言うと二人に微笑んで歩いて行った。
碧依は渡されたメモ用紙に視線を落とす。
「ねえ、何が書いてあるの?」
鈴乃が碧依の手の中をのぞき込もうと必死で背伸びをしている。
頭一つ分身長が違うため、なかなか大変だ。
「なんか、住所?」
「住所って、どこの?」
「……なんで鈴乃にわかんないことを俺が知ってると思ったの?」
「お兄ちゃんだから?」
「何度も言わせるな。俺はお前の兄じゃない。」
その後二人は買い物を済ませ、(かごの中に入れた覚えのない商品を発見し碧依と鈴乃の間に微妙な空気が流れた。)鈴乃は楽しそうに、碧依はやや疲れをにじませて、スーパーマーケットを後にした。
「ただいま。」
「ただいま帰りました、おじゃましまーす。」
「おかえりなさい。碧依、鈴乃ちゃんもいるんだし、早めに夕食つくちゃってくれる?」
「……(なぜ鈴乃中心で我が家の予定が立つのか?)。」
ダイニングテーブルに座って楽しそうに会話を始めた鈴乃と母を半ばあきらめにも似た心境で眺めながら碧依はキッチンに立つ。
料理を始めるといつもと変わらない心地よさが碧依を包んだ。
「ごちそうさまでした。じゃあ、私帰りますね。」
碧依の作った夕食と友香との会話をたっぷり堪能した鈴乃は立ち上がった。
「泊っていけばいいのに。」
友香は心底残念そうに言った。鈴乃は思わず苦笑する。
「一応両親が心配するので…。」
「お母さん、鈴乃困らせんなよ。」
碧依はため息をついた。わが母ながらときどきいやになる。もっとも、ここに鈴乃を連れてきたのは自分だが。
「それもそうね。じゃあ碧依、鈴乃ちゃん家まで送ってあげて。」
碧依は鈴乃に鍵を渡そうとしていた手を止めた。
「いや、送るも何も家すぐそこだけど?」
「……。」
友香の無言の圧に負け、碧依は玄関の扉を開けた。
「おじゃましました!また遊びに来ますね。」
「うん。楽しみにしてる。」
すっかり暗くなった道を歩いて碧依と鈴乃は増森宅の玄関に向かった。
「じゃあな。」
「うん、また明日ね。」
「は?」
今は夏休み。鈴乃と会う予定はない。
「あの住所、調べてみようよ。」
「ああ、あれ…。」
碧依はポケットの中の紙に触れた。
「うん。そういうのは早いほうがいいでしょ?なんとなくだけど。」
「わかったよ。じゃ、また明日。」
鈴乃は嬉しそうに笑って家に入っていた。
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