クッキー

「このクッキーにまつわるお話をしてもよろしいでしょうか?」

 店主が碧依と鈴乃に尋ねた。碧依と鈴乃は姿勢を正して店主に体を向ける。

「こちらのクッキーは、当店のメニューの中ではもっとも新しいものです。考案したのは、私の3代前の店主です。」

 

 開業当時、このカフェのメニューはコーヒーのみだった。1度飲んだら忘れられない味、そんなキャッチフレーズが似合うカフェにしたいという初代の願いの元、店を継ぐ店主たちはそのコーヒーの味を引き継いでいく。

 やがて、新しくいちごのケーキが考案された。このケーキのレシピもまた、「1度食べたら忘れられない味」を追求して作られたそうだ。

 その後しばらく、いちごのケーキはカフェの看板メニューとなるほどの人気を誇った。

 

 しかし、第二次世界大戦中、当時の店主の判断でカフェは店を閉じる。

 その後、多くのファンの声により、カフェは生まれ変わった。店主も、場所も、外見も変えて新しいスタートを切ったのだ。それでも「一度飲んだら忘れられないコーヒー」と「一度食べたら忘れられないケーキ」は継承される。

 その際に考案されたのがこのクッキーだった。カフェが生まれ変わったのなら、メニューにも改良を加えようと、試行錯誤の末に生み出されたらしい。


 新しくなったカフェを引き継いだ店主は現在の店主を入れて五人。クッキーを完成させた三代前の店主はとにかくクッキーの味にこだわった。カフェを新しくし、クッキーを作ろうと思い立った先代店主の思いを継ぎ、クッキーを完成させようと奮闘したのだ。


「記憶に残る味。また食べたいと思ってもらえる味。家庭的且つ他では味わえない味。コーヒーやケーキとの相性がいい味。材料費の関係から、値段の抑えられる味。作りたてを出せるように、時間のかからないレシピ。これらすべてをクリアできるクッキーを作りたいんです。力を、貸していただけませんか?」

 そう言って頭を下げる店主に、ほとんどの人は苦笑した。

「ハードルが高すぎるよ。」

「少なくともどれか二つはあきらめないとね。」

「そもそもどうしてクッキーにこだわるの ?」

「クッキーくらいお店に売ってるでしょ?」

「あきらめたほうがいいよ。」

 しかし店主はそれらのことばにもくじけなかった。そんな店主に、ある人物が手を差し伸べる。洋菓子作りを得意としていた、現在の店主の二代前の店主となる人物である。


「じゃあ、一つずつ条件を増やしていきましょう。まず、絶対に譲れないものはどれですか?」

「記憶に残る味です。」

「じゃあ、最悪の場合諦められるのは?」

「……時間、ですかね。」

「わかりました。」

 こうして二人の試行錯誤の末、カフェの新メニュー、クッキーが誕生したのだった。材料を変え、大きさを変え、形を変え、ようやく三代前の店主は納得のいく味を作り上げた。


「おいしい。」

「このクッキーのためだけにここまで来られる。」

 クッキーは「一度食べたら忘れられない」「一生に一度は食べるべき」「一生の思い出」などとあちこちで話題になった。


 しかし、三代前の店主がどうしても達成できなかったことがある。

 それは、クッキーを出すお皿の模様だった。


「クッキーのお皿だけ、ほかのお皿と模様が違うんですね。」

「ええ。実は、どうしてもそのお皿だけは同じ模様のものが見つけられなかったんです。」

「そうなんですね…。よろしければ、私がおつくりしましょうか?」

 二代前の店主は女性客のことばに目を見開いた。

「同じ模様のお皿、私がおつくりします。」

 戦前からカフェのファンだったという女性は数週間後、宣言通り、ほかの食器と同じ、水色の花があしらわれたクッキー用のお皿を作って持ってきた。

 それから、そのお皿はこのカフェで使われている。

 こうして、初代店主の思いは継がれていくのだった。


「以上が、このクッキーとお皿の物語です。とは言いましても、ドラマティックな展開などはございませんから、なんだかあっさりとしていますよね。」

「そんなことないです。このお店は、いろんな人に愛されているんですね。」

「はい。かくいう私も魅了された人間の一人です。」

「そうなんですね。」

 碧依と鈴乃はクッキーのお皿に目をやった。

 様々な人の思いと努力の詰まったクッキー。そして、そのためだけに作られた皿。なんだか、このカフェのものすべてにたくさんの人の思いや願いがこもっている気がした。

「話が長くなりました。どうぞ、お召し上がりください。」

 店主に促されてクッキーを手に取った二人は、同時にクッキーをかじった。

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