一度きりの出会い

 口にバターの風味が広がる。鼻から抜けるその感覚に、碧依はうっとりと目を閉じた。このクッキーが話題になるのも当然だろう。

 目を開けると、立っている碧依と鈴乃の目の前のテーブル席につばの広い黒い帽子を被った女性が長い足を組んで座っていた。

 カフェの中はもう、碧依と鈴乃が訪れたそこと全く同じだった。

 女性は上品にクッキー一口をかじる。そして、目を丸くした。

「このクッキー、おいしい。」

「ありがとうございます。」

 女性の隣に緊張した面持ちで立っている男性が頭を下げた。店主だろうか。

「じゃあ、約束していた通り、あなたの願い、一つだけかなえましょう。」

「ありがとうございます。」

 女性客は組んでいた足を解いて優雅に立ち上がった。

「おいしいものをごちそうしてくれたら願いを一つだけかなえる。私がこの店に入ってきた時から、願いは決めてあったようね。」

「有名な魔女様ですから。もしもこの店に参られた時にと、前々から決めておりました。」

「聞かせてちょうだい。」

「魔女…。」

 碧依は思わずつぶやいた。

「こういう経験するとさ、ちょっとした不思議には納得しちゃうよね。私も。」

 そんな碧依に鈴乃が苦笑する。

「この店を、一度訪れたらもう二度と訪れられない、そんな店にしてください。また、入店できるお客様は以前来店したことのある人の紹介した人のみに。」

 魔女はもともと大きな目をさらに大きく見開いた。

「本当にいいの?」

「はい。一度きりの、店とお客様との忘れられない出会い。きっと、初代の願いにも当てはまるはずです。」

「そう、わかったわ。それなら、この店を今後、一度訪れたら二度と訪れられず、誰かの紹介がないと出会えない特別な場所にしましょう。」

「ありがとうございます。」

「でも、惜しいわね。こんなに素敵なお店の客が減ってしまうなんて。」

 魔女は顎に手を当てて少しの間考える仕草をした。

「こんなのはどうかしら。この店、私たちの町で開いてみたら?どうせ通りかかっても気づけないようにしてしまうのだから、普段は異世界でお店をやるのはどう?」

「異世界で、ですか…。」

「ええ。でも、これではあなたの願いと食い違ってしまうわね。」

 店主は少しの間考えていたが、決意した表情で顔を上げた。

「そちらでも同じルールということでしたら、ぜひ。」

「わかったわ。あなたの願いはかなえられました。ところで、コーヒーを一杯いただける?もうこの店に来られないのなら、たっぷり堪能しなくちゃ。」

「かしこまりました。」

 店主は微笑んでコーヒーカップとコーヒーポットを持ち、女性のテーブルに置いた。


 場面が切り替わって、碧依と鈴乃は元のカフェに戻った。何とも言えない表情で互いを見つめる。隣に立っていた店主が尋ねる。

「どうかされましたか?」

「今まで私たちが見てきたものは、すべて本当のことですか?」

「はい。この店の歴史でございます。」

「じゃあ、俺たちはもうここには来られないんですね。」

 店主はゆったりとうなずいた。

「そうなりますね。しかし、この店での記憶、よろしければお持ち帰りください。きっと、この店もそれを望んでいますから。」

 碧依と鈴乃はうなずいた。忘れられない記憶、この体験はきっとそうなるはずだ。

「では、最後にこのカフェの店名、『フォゲット・ミー・ノット』について説明させていただいてもよろしいですか?」

「はい。」

 店主はふたりのカップにコーヒーを注いだ。

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