肆
まだ肌寒い早朝。
人気の無い草木ばかりの森の中に、かなり古びた急な石段があり、それを眺める女と男がいる。
女と男は身長がほぼ同じで、服も同じ様な黒色のシンプルな物を着ており、肌も同じ白磁の様な色、目も同じ切れ長、髪も同じ黒である。だが二人の印象は全く相違する。
女は黒い艶やかな長髪と真っ直ぐな背筋が相まって凄く凛としている。だが男の方は猫背と、荒れた髪の所為で凄く貧相だ。
女の名はサンガラ、男の名はガラン。二人とも中央国家事務所南部支部所属の職員である。
「ここが奴等の....」
とサンガラが訊くと、
「ああ......じゃあかえりますか」
と、ガランは頓狂な返事をした。
サンガラは驚いてガランへと視線を向ける。
「はぁ?なんですか急に………」
とサンガラが訊いたが、ガランは目も合わせずに沈黙している。
「........」
「もしかしてまだ報告書かいてないんですか?」
サンガラが視線を冷たくすると、ガランは遂に観念して気怠そうな溜息と共に口を開き、
「........だってさーー今日やろうと思ってたんだもん。そしたらあの薄らハゲが急に捜査に迎えとかさーーマジありねえだろ。公安に任せろよ公安に」
と心底腹立たしそうに文句を垂れた。
サンガラは呆れた口調で宥める。
「まあ今回は部長も許してくれるでしょ......」
だが性懲りもなくグチグチとまた何か言い始めた。
「あのハゲが?ないないだってハゲたよ。ハゲが何故ああなってるか知らねえのか?
あいつ等は心が荒んでいるから禿げるのさ」
「まあどっちにしろ部長に怒られるんだから、うじうじしないでさっさと行きましょう」
「へい....わかりやしたよ。おい弱卒ども。さっさと行くぞ」
ガランは振り返って、男二人に女一人の三人組に声をかけた。
髪でほぼ目が隠れた陰気そうな男がザキ。チンピラ集団の三下の様な風体の、金髪の男がネクロ。短髪のボーイッシュな女がマカラだ。
その三人組はガランに冷めた視線を浴びせている。
「なんだよ。何か言いたい事でもあんのか?」
「「「いえなにも」」」
「あっ、そう」
ガランは前を向き直して、視線を上に向ける。すると階段の頂点に、一人の男がいるではないか。
「チッ!!なんでいんだよ!!」
とガランは悪態をついた。
男は五芒星が描かれた二対の魔法陣を展開した。
マカラも瞬時に前へと出て、片手を伸ばし、その掌に魔法陣を展開する。
五芒星の魔法陣から雨の様に光の弾が放たれる。
「重閃光!!」
そうマカラが叫ぶと、魔法陣から目が潰れる程眩い光が放たれた。それは光の弾を打ち消して、更には男を怯ませる。
その隙にサンガラは強く跳躍し、飛蝗の様にひとっ飛びで階段の上へと着地した。
「御命頂戴」
サンガラの右手にバチバチと放電が起き、ファルカタという刃が下向きに湾曲した片手剣が生成された。
敵の男は腰の刀を抜いて薙ぎ払う。サンガラは跳躍して回避し、男の頭に蹴りをかまして見事に首を折った。
サンガラは着地して辺りを警戒しようとするが、突如槍が目にも止まらぬ速さで飛来してきて、腹部を貫かれた。
油断があった訳ではない。純粋に対応できる速度ではなかったのだ。
「キャーーー!!」
マカラの甲高い悲鳴が響き渡る。
い、痛い。
苦悶に目を潤ませて腹部に視線をやる。
槍は体を斜めに貫通している。脊髄の損傷は恐らくあまりないが、膵臓、腎臓、肝臓、十二指腸に大腸や小腸などの多くの臓器を損傷している可能性が高い。生還するには三〇分以内に魔法による治療をする必要があるだろう。いやでも治療したところで余命は限りなく少ないか。
視線を上げて空を見てみるが、やはり目が潤むのは痛みの所為だ。
私死ぬのか。案外呆気ないけど悔いは無い。空っぽな私が王の為に死ねるのだから。でもちょっとその前に。
サンガラは苦悶に歪む顔を自然と緩める。そしてよたよたと後ろを振り返り、呆然としているガランへと視線を向ける。
「ガラン....実わね。気づいてたんだよ」
サンガラはそう言い残すと事切れる様に倒れ、そして階段を転げていく。
それと同時に
「サンガラさん!!」
とザキが叫んで駆け寄った。
ネクロとガランはただ呆然と、マカラは口を手で隠してその光景を見ている。
「まだ生きてますよ!!」
ザキが涙ぐみながら後ろを振り返って叫んだ。
「本当か!」
ネクロが嬉しそうにサンガラに駆け寄った。そして体に触れてみると確かに息がある。
「本当だ。よかった」
と安堵した。だが直ぐに緊張が増す。
サンガラは虫の息だ。尽力したとしても間に合う可能性はかなり低いだろう。
「副長。撤退しましょう」
とマカラが意見する。
「そうだなそうしよう。まだ間に合うかもしれないし、これ以上任務を遂行するのは危険だ」
とネクロが同意した。たが
「いや.....もうこいつは助からない。それにまだ撤退はできない」
とガランが否定する。すると皆の視線がガランに向いた。それはほんのりと怒りを孕んでいる。
「何言ってんですか。まだ間に合いますよきっと」
とネクロが意見すると、
「そうですよ」
とマカラが同調し、そして
「そうだ。サンガラさんを此処で失う訳には」
とザキも同調した。
するとガランは俯きながら拳を握りしめて
「黙れ!!ビーチクバーチク五月蝿えんだよ!!今指揮権を持つのは誰だ!!マカラ!!ネクロ!!ザキ!!」
と激昂して叫んだ。
三人は絶句している。
ガランは俯いたまま、
「分かったならさっさと先に行け....俺は後から来るから」
と弱々しく言った。
三人は「はい」とだけ言って、静かに立ち去っていく。
ガランはふぅと深呼吸をして後ろを振り返る。するとそこには、熊と見間違える程がたいのいい中年の男が、一人泰然と構えて立っている。
「よく気づいていたな」
と何故か嬉しそうに男は言った。
「臭うな.....」
とガランは不快そうに鼻に触れる。しかし辺りは無臭である。
男は不思議そうに顔を傾げた。
ガランは
「いや阿保臭くてしかたがなくてね」
と真顔で煽った。
すると男は「ふっ」と鼻で笑った。
男の右手に自身の身長より長い棒状の炎が現れ、そしてその炎が黒煙と共に消えると、見事な大太刀が現れた。
刃文は皆焼。竜の書かれた鉄鍔に、黒皮の柄。飾り気の無い太刀だな。
「妖刀。撫丸。かつてこの大太刀で千の兵を皆切った強者がいると言うが、夢では無い」
男は太刀を担ぐ様に構えた。その姿は武神像の様であるがガランは平然としている。
「我は炎神カグツチ」
そう男が言うと、太刀は燃え盛る炎を纏った。
男の得意気な顔を見てガランは思わず静かに笑う。
「神......あまんりにも小さいからって自分を大きく見せようと必死になるなよ。滑稽だぜ」
ガランは笑みを隠してそう言った。
「俺が小さいだと!!」
と男は激怒する。
「ああ俺は雲の上からお前を見下げてるぜ」
とガランは心底見下した口調で煽って、男の堪忍袋の尾にとどめを刺した。
男の顔が徐々に赤く染まり、遂に熟した林檎の様になった。
「舐めるな!!」
と叫び、太刀を振るう。それと同時にガランはフッと鋭く息を吐く。
男は微動だにしないガランを見て、勝利を確信した。しかし次の瞬間、首を刎ねる寸前で太刀と腕が凍結して停止した。
否、凍結したのはそれだけでは無い。首から下の体が凍りついているではないか。
「き、貴様はいったい....」
男は心底怯えてそう言った。男に以前の様な気迫は無く、そこらの童よりも弱々しい。
「臭えから黙んな」
と無表情でガランが言うと、遂に男は完全に凍結して、雪像の様になった。
ガランは
「やっぱり滑稽だな」
と鼻で笑い、後ろを向いて階段へと歩み出した。
あいつらくたばってないといいけどな。でも弱いからなー。
弱卒三人組は、ガランの予想を遥か上回るほど、非常に不味い事態に陥っていた。
三人が相対した敵は、おそらく造りの脇差と、両刃造りの短刀を持っている、男ただ一人。
男は長い黒髪にオールバックで、目はガラスの破片の様に鋭く、神秘的、荘厳、神妙といったなにかおぞましく、それでいて心酔したくなる様な雰囲気を纏っている。
三人組は武器を持って構えているだけで、仕掛けようとしない。
一見恐怖で怯えて硬直している様に見えるが、そうではない。弱卒とは言えど、戦いへの覚悟はとうの昔に出来ている。
なら何故動かないのか。動かないのではない、動けないのだ。
なんと三人組は通常の何倍もの重力をうけており、それに耐える事しかできないのだ。
「クソッ………」
とネクロが悪態をついた。
なにもされてねえのに近づいた途端に体が重くなりやがった。恐らく呪鎖の刻印の力か。
「こんなのきいてねえよ....マカラ、慣光であいつをい抜けないのか?」
とザキが尋ねると
「できる訳ないでしょう!!重閃光がどんだけ魔力消費すると思ってんの!!」
とヒステリックに言った。
「取り乱すとは....国の手配した連中だから少しは骨があると思ったのだがな」
男は厳かな表情で、こちらへと一歩一歩踏み締める様に進んでいく。
三人は男を睨みながら、来るな来るなと願うことしかできない。
そして男があと数歩程の所で、マカラが遂に精神の限界に達した。
マカラは病を患ったかのようにハアハアと息をし、なにか途切れ途切れにぼやいている。
「マカラッ……しっかり………」
ゴキ、ゴキ、ゴキ。
突然マカラが凄惨な音を鳴らしながら潰れ始め、折れた骨が次々と突き出てくる。
そしてマカラの頭が熟れた無花果の様に割れた。
あまりの凄惨さに男二人は言葉を失って、恐怖に脅かされる。
遂にマカラが人かどうかもおぼつかない唯の肉塊とかした頃、ザキが呻めきを上げた。
「もうやだ!!許してくれ!!悪か……」
ゴキ、ゴキ、ゴキ。
ああまたあの音だとうんざりして目を瞑った。
しかしネクロの戦意は辛うじて保たれている。
わかったぞ。この魔法は戦意を完全に喪失すると、途端に強くなるのか。
そっと目を開いて眼前の男を見据える。
とにかく気を保て、目の前の男だけを見よう。あの人が来るまで....
「待たせたな………」
と精気の無い声が後ろから聞こえた。その声は凄く頼りないが、神のお告げよりも尊く聞こえた。
横に視線を向けてみると、やはりそこにはガランが居る。
「ガランッ!!」
ネクロは希望を前に涙目になりながらそう叫んだ。
「叫ぶなうるせえ」
男は現れたガランを見て少し表情を強張せた。
ガランは無表情で男を見つめる。
アミカは頭を下げて
「お初にお目にかかります。私は覇羅流の極伝を授かりし者。神技のアミカと申します」
と慇懃に言った。
ネクロは突然体が軽くなって驚き、「う、動ける」と呟いた。
「なんだ、畏まって」
「私は強きを尊敬する。それがいかなる人間でもだ」
「そういう教えか」
「いえこれは私個人の思想です」
「ネクロ……先にいけ。戦わなくてもいいから、敵の顔覚えてこい」
「えっ!!」
無情な宣告に驚いてネクロはガランに視線を向けた。
「え、じゃねえよ。俺に慈悲があるとでも?見れなかったらそれで良いから頑張ってこい」
「しかしこれ...通れるんで?」
とネクロが指をさして尋ねると、ガランは懐からナイフを取り出して自身の手の平を切った。
「殺る」
ガランの目に虚無な冷徹さが宿る。
掌から滴れる血がボタボタと時を刻む。
辺りを緊張が包む。アミカはその空気感を心地よく感んじ、笑みを浮かべた。
「ほら行けネクロ。全力で走れよ」
「はい!!」
ネクロは走り、アミカの横を通って奥の寺院へと行った。
アミカはずっと此方を見つめている。
「先に来いよ。どっからでも」
と飄々とした態度でガランは言った。
「では、お言葉に甘えて」
とアミカは言うと、肉食獣の様に素早く前進した。
ネクロは寺院の前に着いていた。
眼前には武器を持った数人の男達。そいつ等は此方を驚いた表情で見ている。
まっ、取り敢えず。
ネクロは頭の中で魔唱文字を並べ、そして腰を落として地に手をつけた。
「戦術高等魔法陣〈地雷〉」
そう言うと巨大な青い魔法陣が展開された。
男達は慄きながらもネクロに斬りかかろうと一歩踏み出す。するとその瞬間、男達の足元で爆発の様な激しい放電が起こった。
男達は苦悶し、そして次々と倒れて行った。
ネクロは寺院の開きっぱなしの扉を目掛けて走る。
そして玄関に上がり足を止めた。
辺りをよく見てみるが、白髪の若い男と、灰色の髪の同じく若い男?しかいない。
そいつ等は黙々と何故か飯を食っている。片方は偉く筋肉質で、もう片方は妙に女っぽい。
白髪の男がチラリと此方を一瞥した。何か仕掛けてくると身構えるが、男は依然として飯を食らっている。
何だこいつ。俺は蠅か何か?まあいい。退散するか。
踵を返し、寺院を後にしてガランの元へと向かった。
ガランとアミカの戦闘は未だに続いていた。
ガランは腕を振るってひたすら血を撒き散らす。アミカはそれを剣を振るって風魔法を起こして防ぐことしかできない。
アミカは焦りがダダ漏れで気迫がどんどん薄れて行っている。
阿呆か気狂いにしか見えないが、踏み込む訳にはいかない。あの血から何か嫌な物を感じるからな。恐らく呪鎖の刻印の力で血に特殊な魔法をかけているのだろう。それにしても細かい粒が飛んできて非常に厄介だ。遠距離から使える魔法を扱えたらどうにかなるのだが。
「ほらどうした。そろそろ五分立つぞ」
とガランが嘲ると、
「チッ」
とアミカは悪態をついた。
アミカは一度距離を置いて一呼吸する。
「おっと残念。時間切れ」
とガランは言って肩の力を抜いた。
「その様だな.....」
とアミカも力を抜く。
「ネクロよしとけ。死ぬぞ」
ネクロはアミカの背後にナイフを持って立っている。そのナイフを掴んでいる手が小刻みに震えている事から、逸る感情を抑えている事が伺える。
「こいつは殺したんすよ。二人も仲間を!!」
ネクロが怨念を込めて叫ぶが、
「いや二人じゃねえかもよ」
とガランは意味不明な事を言った。
「は?」
「ええ。あの美しい女性を殺したのは私です」
アミカは平然と告白した。
ネクロは顔を憎悪に歪ませて叫ぶ。
「尚更殺してえよ!!」
だがやはりガランは
「いやだからお前が死ぬって。いいから帰るぞ。ほら」
とネクロを軽く遇らう。
遂にネクロはその軽さに毒気を抜かれてナイフをしまった。そして少し怒りを表にしてガランの元へと行き、
「ほんと薄情っすね」
と言った。
ガランは踵を返し、そして
「すまねえな.....」
と暗然とした声で呟いた。
ネクロはそれに驚愕して呆然とガランを見る。
少しは悲しみを表にしていると思ったが、やはりガランの表情は虚無だ。
ネクロはガランを見透かし、情け無い奴だなと、無意識の内に見下してしまっていた。
二人は階段を降りた。そして直に生き絶えるであろうサンガラの体を、ネクロが悔しさを噛み締めながら担ぐ。
ガランはその光景から目を逸らすかの様に真っ直ぐと正面を向いている。
「担いだか。行くぞ」
ガランはそう言って前へと進みだすのと同時に、指をパチンと鳴らした。
「なにか、したんですか?」
「いいから早く行くぞ。たらっとしてると上から溶岩が押し寄せてくるぜ」
「まさか!!」
ネクロは悪寒を感じて、怯えたネズミの様に素早く走り出した。
ガランも走ってその場から退散する。
二人は死に物狂いで走り、五〇〇メートル程離れたところで足を止めた。
二人は貪る様に呼吸をする。ネクロに至ってはサンガラを担いでいたので疲労困憊し、目が白目を剥いている。
ネクロは踵を返す。すると目の前には赤い焼けた鉄の様な流体。
その流体から放出される熱を微かに感じる。
暑くなった肌を嫌な汗が撫ぜた。
よ、溶岩だ!?
「こんな所まで来やがったか」
ネクロは恐怖で足がすくんでいるが、ガランは平然としている。
ガランは溶岩に近づいてフッと鋭く息をかける。すると溶岩はあっという間に冷え固まり、面影の無い黒い岩石となった。
「悪いな」
とガランは目もくれずに誠意の無い謝罪をした。
ネクロは思わず
「なんてことしてんだ!!」
と本気で怒鳴った。
「まあ落ち着け。ここからが正念場だぜ」
とガランはお馴染みの意味不明な事を言った。
ネクロは嫌な予感を感じ、
「は?」
と呆然と呟いた。
「二次災害ってやつだよ」
固唾を飲み、森の奥へと視線をやるが、どす黒い煙の所為で先が見えない。
辺りの木も火がついて煙を出し始めている。
ネクロは遂に意気消沈し、
「もうヤダ」
と絶望の言葉を漏らした。
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