あれからかなりたって、もう夜が明けようとしている。

 ひどく寝いし、ずっと剣を握っているので腕が痛い。隣で男もうとうとしながら歩いている。

 まさかこんなにかかるとは思わなかった。一体何処に向かっているんだ。


「なーーまだつかないのか」

「あと一時間ぐらいかかるかと」


 男の返答に思わず深い溜息を零した。

 あーあ。昔は二.三キロ歩くのなんて余裕だったんだが、流石に体力落ちてるな。



 結局着く頃には朝になって、強い日差しが照っていた。

 辺りは静かで、森のせせらぎと小鳥の鳴き声が聞こえる。

 目の前には急な古びた石段があり、その上には厳かに佇む立派な二本の柱。もしかしてあれは鳥居か?

 たしか鳥居は、十年ほど前に崩壊した、太陽神を崇める日輪教特有の建造物だったな。打ち壊されたやつを三年ぐらい前に見たことがある。

 あの先には寺院でもあるのだろうか。

 男に声をかけようと後ろを振り返る。すると男の下衆な笑みと、今にも脳天に振り下ろされそうなモーニングスターが目についた。

 しまった油断していた。

 驚きはしたが、負けはしない。

 瞬時に後退して回避、そして剣を胸へと突く。だが返すモーニングスターで弾き飛ばされた。

 金属だけで作られたモーニングスターを、あんなに素早く振るとは。


「やるな」

「わしゃ覇羅流中許し。シャラと申します」


と、男は急に改まって頭を深々と下げた。

 なんなんだと困惑しつつも、一応軽くを頭を下げた。

 男はモーニングスターを上段に構え、そして硬い表情を崩してニカッと下衆な笑みを浮かべた。


「初めて聞く流派だな。てかなんでモーニングスターなんだよ」

「我が流派は多様なんでねぇ」

「まあいい。お前に付き合ってる暇はない」


 剣を薙ぎ払って風を起こして、男を怯ませようとする。だがその風は男の一振りでかき消されてしまった。

 

「チッ、同じ風魔法か」 

 

 さてどうするか。潮凪を失って力が半減した今、颶風螺旋斬の様な殺傷性の高い技はできない。

 だが。

 ふうと深呼吸をし、右足を下げ、そしてそれと同時に剣の先を男に向けた。

 しっかりと狙いを定め、そして剣へと意識を最大限に集中させ、

突く!!


「鈍風・嵐石子!!」

「うっ」

 

 すると男は苦悶して右膝をついた。ゲホゲホと苦しそうに咳き込んでいる。

 圧縮されて鈍器とかした風が、男の喉を殴ったのだ。

 かなり痛いだろうが、骨が折れるほどの威力はない。せいぜい親父の拳骨、いやもう少しはあるかな。

 しかし威力にしては神経を削る技だ。まあ俺が苦手ってだけだろうけど。

 後ろを向いて階段へと走る。


「テメェなめてんのか!!待ちやがれ!! 」


 すると男が怒号を浴びせてきたが、どこ吹く風と無視して階段を駆け上がる。

 悪いがせっかちなんでな。獲物はお前じゃないんだ。

 神速……神速か。

 いいぞこの感じ。あの頃の様に腕がそわそわしてきた。


 階段を上がりきると、奥にある大きな木造の寺院、そして同じく木造の古臭い塔が視界の端に映った。

 その塔へと歩調を更に速めて走り、扉を乱暴に蹴り飛ばして開けた。

 埃とカビが鼻をつく。

 暗くて見えづらいので、目をよく凝らして辺りを伺う。すると正面に人影の様なものがある事に気づいた。

 恐る恐る近づいてみると、その正体が首のない木像であることがわかった。

 切られた首の上になにか置かれて......


 次の瞬間、ラースの双眸が狼の如く開いた。


 何という事だ。切られた首の上にあるのは、己の生首ではないか。しかしその首は、瞬きをすると髑髏となっていた。

 幻影か.....。

 なにかが胸の中でぐつぐつと沸るのを感じて、直様塔から出た。

 なんだ今のは......。まあいい。悩んでいる暇はない。あの男に追いつかれてしまう。

 恐れを捨てて、更に奥にある寺院へと走りだした。

 

 あれからほど無くして、寺院についた。

 屋根の瓦が草だらけで古ぼけているが、かなり立派な寺院だ。恐らく二階もあるし、少無くとも十人程住むのには困らないだろう。

 この中に獲物がいるのか。さてどう狩るかな。

 なにかちゃんとした策を考えたいところだが、そうしてる暇はないし、攫われた人が建物にいる可能性があるから、あまり手荒な真似はできないからな。

 ならば。

 弾き飛ばれた様に走り出し、剣を振るって風を起こして扉を吹き倒した。

 玄関に並べられた草履を蹴飛ばし、床へと上がる。

 眼前には本を読んでいる、黒い長髪にオールバックの男が一人。その男は此方を仰天した表情で見ている。

 まずはこの男を仰天している隙に。

 剣を振り上げて男の脳天へと振るう。

 男は腰に携えた刀を一秒に遥か満たぬ間に抜いて、一振りを鎬で塞いだ。

 あまりの神技を前に肌が湿る。

 どうにか相手を押そうと腕に全力をこめるが、男は平然としていて微動だにしない。

 男はガラスの破片の様な視線でこちらを睨む。


「何奴」


 あまりの気迫に気押されて、跳ねる様に退いた。


「なに、ただの浮浪者さ。無一文のね。」 


 こいつが神速か。確かに尋常ではない抜刀だった。

 しかし打刀か。珍しいな。確か何処ぞの国で発祥した、変態が作る様な武器だとか。この国では剣が主流なんだがな。


「お前が神速か」

「私は極伝を授かりし者。神速とは呼ばれておりませぬが、当流の技を極めし、神技といわれてはおります」 

「そうか。ではその神技とやらが、眉唾物でないか味わってやるよ」


と、にたつきながら男を煽った。すると男は


「頭にのるなよ。貴様の如き下民が一級品を味わえるとでも?」


と、こちらを鼻で笑い返してみせた。

 笑みとは裏腹にとてつもない殺意を感じたが、下がりはしない。


「庶民だって偶には味わえるんだぜ」


 そう言うと男の笑みは消えて、眉間に深い皺が浮かんだ。

 辺りを緊張が包み、時間の流れが緩やかになる。


「下郎めが。皆ぬ者!!此奴に分相応という物を解らせてやれ!!」


 辺りに視線を向けて見ると、数人の男達がもう既に武器を持って構えている事に気づいた。

 速い....瞬きする間に....。ん?

 部屋の中央に他人事かの様に座禅をしている、灰色の短髪だが妙に女に見える青年が。まあどうでもいいか。

 槍、長巻、金棒、鎖鎌、剣。多種多様で実に厄介だ。それに実力も相当。


「やっと追いついたぞ!!若造が!!」


 突然、あのシャラとか言う男の激昂した声が聞こえた。


「クソきたか!!」


 しまったハサミうちだ。

 振り返ってみると、男はもう既に床に上がって、こちらまで数歩、歩けばと言ったところだ。

 状況は最悪。だからこそ燃えるもんだ。

 強い緊張とは裏腹に、口角が上がる。


「今だ!!かかれ!!」

「どんと、きや」

「キェェェェ!!」


 男が突然、猿の様なトチ狂った奇声を上げた。それが耳をつんざき、此方も発狂したくなる様な不快感に襲われる。

 思わず武器を手から落として、膝をつき、耳を塞いた。

 だがまだ耳に響く。これでは何もできない。


「クソ………」

「馬鹿野郎!!これじゃあ俺達も動けねえじゃねえか!!」


 顔を上げてみると、あの男がこちらを見下ろしながら口を大きく開いて、金切り声をはっしている。

 クソッタレが!!間抜けな面しやがって。

 男は嘲る様な表情でモーニングスターを振りかざした。

 防御しようと思っても、手で耳を塞がなければ頭がどうにかなってしまう。

 こうなったら避けるしか、あっ………。

 遂に振り下ろされたモーニングスターはやはり速く、身をかわしてももう間に合わない。

 予想はしていた。きっとこうなるんじゃないかと。というかそもそも、これを求めていたんじゃないか。

 脳裏に仲間の顔が映り、その面々に「すまない」と軽く詫びた。

 しかし次の瞬間、銀色の閃光にモーニングスターが弾き飛ばされた。

 思わぬ今際の際からの生還に思考が止まる。


「し、師匠!!」


 男の焦燥のこもった声が部屋に響いた。

 呆気に取られながらも、後ろを振り返ってみると、座禅をしていた青年が立ち上がって、刀を抜いているではないか。

 こいつがもしかして神速。いやそんな事よりこんな二十歳ほどの若者がこいつ等の師匠なのか?


「何事だ」


 青年は、壮年の男を鉄の様な表情で見つめている。

 

「いやその、ゲホッ、侵入者を………」


 男は表情をもっと無様にして、血痰を吐きながら答えた。どうやら先ほどの奇声で喉を痛めた様だ。

 もう男はこちらを気にすらしていない。


「で、あれはどうした?」

「あれとは……なんですか?」

「たわけ!!浮浪者共を攫ってきたんじゃろうが!!」


 青年はその年に見合わない、鬼の様な形相で叫んだ。すると男の顔は遂に幽鬼の如く青くなった。


「実はその………」

「もうよい……」

 

 青年の眼光がこちらに向いた。

 あまりの気迫に戦慄し、剣を拾い上げて構えた。

 なんだ。何をする気だ。

 

「そうか……お前が神速か」

「無礼者!!そのかたは覇羅流開祖。セラ・ククリであるぞ!!」


 俺と同年齢くらいの青年が開祖?なに言ってるんだこいつ。正気か?

 凄まじい違和感。もはや異様だ。


「知るかよそんなこと……」

「師匠!!どうかそいつを私に切らせて下さい!!」


 神技の男が平伏して懇願した。

 だが青年は


「ならぬ.....」


と目もくれずに両断した。

 いやお前の方が年上だろと、神技の男につっこみたくなったが、今はやめとこう。


「わかりました……。ご無礼申し訳ございません」


 神技の男は平伏したまま謝り、そして顔を上げるその刹那、俺を鋭い殺意で射抜いた。

 軽くビビりながらも、青年に視線を向ける。すると俺は困惑してしまった。


「小僧かまえろ」


 青年は片手を伸ばしてこちらに切先を向けた。しかし目には殺意ではなく、なにか神妙な感情が映っているではないか。

 何だその目は?会ったこともない俺になんの感慨があるんだ?まあいい。俺はただ戦う為だけに此処に来たんだ。闘志と殺意以外無用だ。

 剣を上段に構え、そして頭の中で魔唱文字を並べた。あの青年が本当に神速なら、まともに戦かえば秒殺されると判断したのだ。


「懐かしいの………」


 青年はぎこちない笑みを浮かべて、切先を向けたまま、ゆっくりと間合いを詰める。

 なにが懐かしい。俺達は初対面だろうが。

 決断したつもりだったが、またも動揺してしまった。どうにか気を引き締めようと青年の顔から視線を逸らす。

 それよりもこれは構えなのか?とてもそうは見えない。これでは技も、守りもしにくいだろう。

 やっと青年は間合いに入った。

 脈と拍動が速まり、額と手には汗。遂に瞬きすら忘れて、目が潤む。

 どんな技もしにくい。だからこそ何がくるか全く予想がつかない所為で、酷く緊張する。


「懐かしき…………あの日の記憶が……」


 ギリ…………。

 青年の歯軋りが静かに響くのを聞いた瞬間、胸がドクンと強く脈打った。

 でたあの表情だ。とても二十代ほどとは……

 

「屈辱が!!」


 青年は遂に鬼神とかし、悲痛な思いに泣いた。


 何もかも忘れて、ただ呆然と阿保の様にその鬼神を拝むラースに異変が起きていた。

 なんとラースのあの異質な腕の筋肉が、なんの因果か復活を果たしていたのだ。


 突然鬼神の姿が上へと急加速するのと同じに、刀が消え、そして右手にある筈の汐凪も消えた。

 視線を上げてみると、そこには天井に突き刺さった汐凪と、二メートルほど跳躍した鬼神の姿。

 鬼神は急速降下して着地し、ニの太刀を振るう。

 まずい。そう思ったが、もう手遅れ。切先が上から斜めに額を切りつけた。


「うっ、」


 痛みで少々怯んだが、直様青年に視線を向けた。

 溢れる血が目に入らないよう額を押さえ、親の仇かの様に青年を睨む。

 額を切られた恨みではない。

 奴は殺せる状況だったのに俺を殺さなかった。これではまるで独りよがりの戦いではないか。


「見えたか?」

「全く見えなかったよ。やっぱりお前が神速だな。

 それより何故殺さない?」

「つまらぬ………今の貴様では切るには値せんのだ………」


 青年は冷酷にそう告げた。


「そうですか。そうですか………」


 ここまできてこれか。

 拳を握りしめて歯を食い縛る。

 あの時と一緒だ。まるで子供の様に軽くあしらわれている。分かっているさ。俺が所詮は二十歳にもなってないガキだって。

 でも納得できない。納得できるわけがない。男として舐められたら終わりだ。

 垂直に飛んで天井に刺さった剣を抜き取り、着地した。

 

「阿保が」

「なんだと貴様!!」


 神技の男が怒鳴ったが、目もくれずに剣を振りかぶる。


「お前は鬼神でも何でもない。お前はただの青年なんだ!!」


 そうだ。お前は俺と同じ、ただのちょっと背の高いガキだ。なにも変わらない。変わりはしない。だから俺は絶対に勝たねばならない。そうだ勝つんだ!!

 そして地面へと剣を振り下ろして、


「空高く!!」


と叫ぶと上昇気流が発生した。

 上昇気流は天井、そして屋根を突き破って俺をまたたくまに寺院の上へと飛ばした。

 俺はもう止まらない。何処までも進んでいつかあいつ等と…………いややっぱり顔向けできないな。

 潤んだ目で狙いを定め、腕を下げて剣に風を集める。

 そして


「猛鳥・自尽降下!!」


と叫び、天井へと剣を投げる。

 すると集められた風に回転を与えられながら急速落下していった。

 自分も落下していくと、突然腕に痛みが走った。

 もしかして刃が欠けたのか。

 屋根の穴、そして一階の天井の穴を落ちていって背中を床に強打し、思わず言葉にならない声が溢れた。

 しまった痛みに気を取られた所為で。

 顔を苦悶で歪ませながらも、どうにか体を起こそうとするが、無理そうだ。

 仕方なく顔を横にして状況を確認してみると、皆愕然と血に濡れた青年を見ているではないか。

 もしかして俺が殺ったのか?いやでも死ぬ程にしては少々血が少ないような。

 やはり程なくして青年は立ち上がった。


「「し、師匠!!ご無事で!!」」

「なに.....大事無い少し刃こぼれしただけじゃ」

「師匠の愛刀が刃こぼれ……」


 神技の男が呆けた様に言った。

 自分もかなり驚愕している。なんせ隻腕の俺が、両腕の時でさえ及ばない相手に傷をつけたのだからな。

 青年の視線がこちらに向いた。やはり目には怒りではなく、神妙な感情が映っている。


「やってくれた喃。アミカよ此奴に麻痺れ薬を飲ませておけ。あと金創薬を」

「御意」


と神技の男は返事をし、直ぐ立ち去っていった。

 やはり殺してはくれないか。まあいい今度こそ殺せばいいのだ。

 しっかしまた負けちまったな。

 天井に顔を向け、穴から差し込む眩い光に目を細める。そしてふうと息を吐いた。

 そういえばクシャナはどうしてるんだろ。まああいつは天才だし、心配ないか。

 問題はギギとバザールか。いや一番の問題は……俺か。

 



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