ベッドから起き上がると何故か真っ先に自分の腹を見たくなった。

 服をたくし上げて見ると、そこにはまだ割れた腹筋がある。だがやはり己の腹だと認めたくないほど華奢だ。それに全身の肌が病的な白さになっている。

 こんな身体で戦えるのだろうか。いったい俺は何日間食っちゃ寝の生活をおくっていたんだ。

 まあいい。悩んだ所で意味は無い。とりあえずあれを忘れてないか、簡単に知らべよう。

 目を瞑って、頭の中で魔唱文字を永遠と並べていく。そして知ってる限りの文字を全て並べ終えて目を開けた。

 問題なしか………。

 溜息を零してベッドから降りる。そして扉へと向かった。



 俺はその後、隣接する酒屋に行って、軽く食事を取った。そして宿賃を店主に長期間泊めてくれた礼と共に渡し、店を出ていった。



 

 

 あれからかなりたって、夜になった。

 俺はある事に参加する為に、とある曰く付きの酒屋に居る。

 辺りはランプの灯りしかないので、とても暗い。

 部屋の中央にある、テーブルを端に寄せて作った即席のリングでは、屈強な男二人が死に物狂いで殴りあっており、それを酒を片手に眺める観衆の熱も相まって、えもいわれぬ狂気が満ちている。

 だがそれを他所に、ローブを纏って息を潜めながら地べたに座っている。

 このローブは拾った物だ。ボロいし地味に臭いので、恐らく浮浪者の物だろう。

 前の一件で表彰された所為で、絵ではあるが国中で面が割れている。だからローブで身を隠しているのだ。

 此処まで来るのにかなり苦労した。なにしろ国が規制している違法な賭博だからな。

 だが酔っ払って理性を無くしているおっさんに話しかけたら、直ぐに教えてもらえた。でも教えて貰えたのはいいんだが、あんなんじゃいつかバレるんじゃ無いかと心配になる。まあどうせ賄賂とか払ってんだろうけど。


「では次。ラクリスーー!!そしてランス!!」


 と進行兼審判員の男が、相手の名前と俺の偽名を叫んだ。

 立ち上がってリングへと行く。そして相手の男と相対した。

 目の前に立つ男は、一八〇センチほどある俺の身長をゆうに越している偉丈夫だ。

 その男は舐めた顔でこちらを見下ろしながら口を開いた。


「あんた浮浪者か?大丈夫なのかげっそりとした頬してっけど」


 だが返事もせずに男の四肢を凝視して品定めをする。

 丸太の様に太い足と腕。こいつはかなりきたいできそうだ。


「チッ、なんだよ。口も聞けねえのか?せっかく親切で言ってやったのによー」

「では両者下がってください」


 二人は後ろを向いてその場から少し下がり、また向かい合った。

 男は相変わらず舐めた表情でいる。

 だが怒りは湧かない。舐められてもしょうがない風貌だと自覚しているからな。

 審判は「それでは」と言って片手を挙げ、二人の準備をほんの数秒待つ。だがラースとラクリスは全く構えようとしない。

 審判は遂に「初め!!」と挙げた腕を振り下ろした。

 するとその瞬間、脳にフェイと腕ずもうをした時の記憶が浮かんだ。そしてその記憶があの地獄の様な惨禍の情景を連れてきてしまった。


 ラースは体も思考も硬直して、指一本動かせなくなった。

 相手の男はそんな事情は知る筈もないし、知った所で意に介したりはしない。

 男は素早く近づいて、豪快にラースの頬を殴った。

 体重七十キロを超えるラースの体が後ろへと少し飛び、床に倒れた。ラースはその衝撃で意識を取り戻し、困惑した表情で男を見る。

 観客はその無様なラースの姿を大いに嘲けた。


 一発くらってしまったのか。まあいい、この程度の打撲など蚊に刺されたも同然だ。

 平静を取り戻して立ち上がり、男を見据える。


「なんだいがいと固いじゃん。じゃあ手加減しなくていいな」


 男は前進し、下から顎を狙って拳をくりだす。

 後退して避けようとするが間に合わず、思いっきり顎に拳を喰らった。

 脳が揺れて意識が朦朧とし、視界がぼやける。

 頭を抱えてどうにか意識を保つが、そこに男は無慈悲な蹴りの一撃。当然避ける事も防ぐこともできない。

 男のつま先が腹にめり込んで、言葉にならない声がこぼれた。

 床に両手をついて、無様に咳き込む。


「また耐えやがった。お前もしかして鉄でできてんじゃねーの」


 咳き込むのをやめて、相変わらず舐めた表情の男を歯痒そうに睨みながら体を起こした。

 男は、今度は右拳を振るった。

 体を傾けて攻撃を避けるのと同時に、前へと進んで下から顎をねらう。見事拳は命中したが、男は怯む事なく蹴りの反撃をくりだした。

 どうにか腕で守り、後ろへ距離をとって歯痒そうに男をまた睨む。すると男の舐めた表情は一転して真剣な眼差しに変わった。


「お前何しに来たんだ此処に?」

「何が言いたい?」

「なんだよ喋れんのかよ。だから何しに来たんだよお前は此処に?」


 返事はしないが、男の問いについて思考に浸る。

 正直、明確な理由はない。恐らく体を動かしたくなったんだろう。


「なんとなくなんだろ。だからお前の拳には熱がない」


 熱と言う言葉にラースは情動し、目はギラリと男の姿を捉えた。


 熱。それは長らく忘れていた俺の動力源。そうだ俺はそれを取り戻したかったんだ。

 でもやはり湧かない。胸は冷め切ったままで、筋肉は躍動ではなく、安静を求めている。

 男はニカッと笑みを浮かべて、大声で話し始めた。


「俺は昇るために、クソみてえな単調な人生とおさらばする為に己の拳に全てを賭けにきた。

 お前のなんとなくの拳で、俺の必死な拳に勝てるわけねえだろーーがよ」 


 そう言い放った男の姿が以前の己に見えた。

 額は汗をかき、胸の奥で何かが焦げるのを感じると、身震いしたくなるほどの高揚が押し寄せてきた。


「しかたねえ。このままじゃこっちまで冷めちまう」

 

 そういうと男は服を大胆に破って、筋骨隆々の鍛えあげられた肉体を表にした。


「俺が熱くしてやるよ」


 愕然として男を眺める。

 幻ではない。男の日に焼けた体と生気に溢れた目、恐れなど全く知らない剛毅な言動。あいつは以前の俺だ。腹立たしい程に。

 衝動的にローブを掴み、脱ごうとするが、理性がそれを阻む。

 此処で脱いだら………


「よろしく………」


 理性を振り解いてローブを脱ぎ捨てる。


「お願いします」


 そして服を破り捨てて、笑みを浮かべた。

 すると男もニヤリと笑みを浮かべて、


「いいぜその顔。お前から来いよ!!」


 と興奮して言った。まるで隻腕に気づいていないかの様に。


「おいあいつ腕ねえぞ……」「うわーマジじゃん」「てか若えな」


 観衆が驚愕しているが、それを無視して前へと進んだ。

 まずは下から拳を腹に打ちこんで、しっかりとめりこませる。男はどうにか堪えようとしたが、途中で苦悶が溢れた。

 怯んだ隙に足払いで転倒させ、その間に顔面へと拳をぶち込む。拳は顔にめり込んで鼻をへし折り、後頭部を床に強打させた。

 拳を離して体制を戻し、男の様子を伺う。それと同時に審判がカウントを始めた。

 この試合は十秒以内に立ち上がらなければ負けとなるのだ

 男は目を瞑っている。一見死んでいる様にもみえるが、目立った外傷は特に無さそうなので生きているだろう。

 加減してよかった。もし本気で殴っていたなら、男の頭は熟れたいちじくの様になっていただろう。

 しっかしもう決着か。少し胸が高鳴ったが、白けてしまったな。

 ふぅと息を吐いて肩を落とし、その場から立ち去る。


「クソいってえなー」


 声に驚いて振り返ってみると、男が意識を取り戻して体を起こしているではないか。


「騙されたな。本当は気絶してねえよ」

「よせ。きっとさっきの一撃で脳にかなりのダメージが入った筈だ。それに頭蓋骨にひびがはいってる可能性がある」

「うっせえ。男ってのは往生際がわりいんだよ」


と男は笑みを浮かべてみせた。


「…………そうだな」


と目を細めて呟いた。

 どうやらこの男も俺と同じ、救いようの無い馬鹿の様だ。


「言っとくが、テメェは俺に勝てねえぜ」


 そう言われたが、負ける気はしない。でもなんだかこの男ならやってくれそうだ。


「何故か分かるか?分かんねえならおれが拳で分からせてやるよ!!」


 男は顔面を狙って右拳を振るった。

 だが胸に火が灯った俺にそれはもう当たらない。

 軽やかに避けて腹に拳をぶち込もうとする。だが男が吐いてきた唾が体にかかった瞬間、硬い感触と共に体が痺れた。

 こいつ口内にしこませた帯電質の物体に魔法で電気を纏わせたのか。

 どうにか後退して避けようとするが、男の蹴りが腹にめり込んで鈍痛が走った。

 思わず俯いて腹を押さえる。

 脳内麻薬が分泌されているが、流石に臓器に響くな。

 まずいと思って視線を上げると、そこには男の殺意たっぷりの笑み。

 そして次の瞬間、男に頭を掴まれて、一気に体重をかけられた。

 どうにか踏ん張ろうとするが、なすすべなく倒れて後頭部を強打した。

 意識が朦朧としている。とにかく早く立ち上がらなければ、負けてしまう。

 どうにかよたよたと体を起こして、男を見据えた。


 二人は鋭い視線を交えながら荒い呼吸をしている。その様はまさに相対した虎と狼であった。

 

「どうだわかったか?」

「わかったよ」


 拳に全てを賭けてるとか言いった癖に、勝てないと気づいたらどんな手でも使う。まるでハンターじゃねえか。


「そうかならよかった」


 あの笑みを見た時気づいた。あいつの拳にはあって俺の拳には無いものがある。

 それは………

 

「いくぞ!!」

「おう!!」


 叫びと共に走り出し、腕を後ろに下げて手刀の形にした。

 貫く。あの分厚い腹筋を、槍の様に………。

 俺は脇腹へと刺突を繰り出し、男は横から顎を狙う。しかし途中で急停止した。


 いや槍ならば、あの分厚い胸板を貫ける筈だ!!


 体を捌いて、肘を目前の拳へと当てる。すると拳はぐしゃりと砕けて指が数本飛んだ。


「イテェェェ」


 男は苦悶と驚愕を顔に浮かべながら叫んだ。

 今だ。

 再び拳を手刀の形にして、胸へと振るう。突き立てた指が反発する胸にめり込むと、ゴキっと骨が折れる音がするのと同時に指の骨から激痛が走った。

 そして手を離すと、男は膝をついて胸に手を当てた。

 苦しそうに咳き込みはじめた男を、泰然と見下ろす。

 やがて男は血を吐いた。そしてこちらに視線を向けて、


「やってくれたな………」


と恨めしそうに言った。


「………」


 だが情動はない。俺に恨まれる道理はないからな。


「ふっ、おっかねぇな………」


 男は最後に落とす様な笑みを浮かべると、事きれて倒れた。

 男の表情は最後まで清いままだった。俺もあの時いっそ死ねていれば、心に影をつくらずに済んだのかもな。

 辺りに視線を向けると、皆愕然とした様子でこちらを見据えている。

 不味い事になったか?いや武器や魔法は使って無いからなにも問題はない筈だ。

 ローブを取りに行くと、近くに居た観衆はそそくさとその場から逃げた。

 仕方ないか。人を殺したんだからな。

 ローブを拾って纏う、そして足速に店を出ていく。

 本当はまだ次の試合に出なければいけない筈なのに、誰も引き止めようとはしない。それどころか皆早く出でいけと言わんばかりの、まるで猛獣を見るような怯えた目をこちらに向けている。

 最後に、あの胸を貫きたかったなと思い残して店を出ていった。





 

 

 暗い湿っぽい路地で朝目覚めた。

 気怠いし、節々が痛い。あーあこんな所で寝るもんじゃねえなと、目を擦った。

 立ち上がり、よたよたと歩いて表の通りへとでると、瞳孔に突き刺さる様な光が差した。

 目をパチパチして明順応させるのと同時に、眠気が覚めて感覚が鋭くなっていった。

 通りにはまだ朝だと言うのに人がちらほら居る。流石は都会だ。

 しっかりとした足取りで道を進みだしたが、行く場所がこれと言ってない。でも歩いてたらその内なにかあるだろうと信じてすすむ。

 街行く人々の視線はやはり冷たく、何処となく皆避けてる様な気がする。

 側から見たら完全に浮浪者だよな俺。てか無職で無銭とか完全に浮浪者じゃねえか。

 自分はそこまで落ちてしまったのかと溜息が零れた。

 金、金がいる。とりあえず金だ。金。

 やる事がとりあえず決まった。しかしこんな薄汚い奴だれも雇わないだろう。

 ていうか金貯めてそっからどうする?ダイアダには帰れねえしな……………。

 なんだか急に惨めになってきた。自分が誤った選択をしてしまった事を身にしみて感じる。

 あーあ。あーあ。どーするガチで。クシャナでも探すか?いやあいつが王都にいるかわからんしな。それにもしかしたらもう仲間の所に帰って


「おいそこの暇そうな人」

「ん?」


 声に足を止めて振り返ってみると、一人の壮年の男と目があった。

 誰だこのおっさんと思いつつも、


「俺?」


と顔に疑問符を浮かべて尋ねた。 


「あんた暇だろ。人手が足りないから手伝ってほしいんだ。勿論報酬もやる大した額じゃないけどな」

「ありがたい。丁度仕事を探してたんだ。こう見えても意外と筋力あるから力仕事でもできるぞ」


 ローブをまくって腹筋をチラ見せすると、男は驚いて笑った。

 気の良さそうなおっさんだ。まあなにかあったとしても俺ならどうにかなるだろ多分。


「こりゃ頼もしい。丁度倉庫の仕事だから頑張ってくれや」

「ああ」

「ついて来い場所へ案内してやる」


 そういうと男は踵を返して歩きだしたので、俺も足を進めだした。




 男について行くと商店の裏に着いた。

 辺りは昼だというのに薄暗く、表の通りと全く違う空気が流れている。

 麻袋を担いでいる男が前から来て、横を通り過ぎて行った。

 

「さあこっちだ」


 男に案内されて倉庫にはいると、なにか詰まった麻袋が山の様に積み重ねられている。


「さあこれを運んでくれ」


 麻袋を持ち上げてみると、やけに重いし硬い。まるで鉄の塊の様だ。

 だが訳わない。颶風螺旋斬をする時と比べたら、こんなものただの紙屑みたいなものだ。

 肩に乗せてただただ黙々と表にある馬車へと運んでいった。



 

「今日はありがとな」


 作業を終えて、倉庫の影で休んでいると、仕事を持ちかけてきた男が酒瓶を持ってこちらにきた。


「はい報酬。後ついでにこれも」


 男から数枚の銀貨と酒を貰った。

 丁度喉が乾いていた。ありがたく頂くとしよう。


「あざます。早速飲ませて貰います」

「どうぞお構いなく」


 栓を開けて酒を口にすると、麦の香りと苦味が口に広がった。

 かなり苦いがそんな事気にならないくらい気分がいい。やはり汗の流した後の酒は、粗悪な味でも大体美味しく感じる。

 そういえば。ハンターはじめて直ぐの頃は、何処で作ったか分からない様な安酒を、悪酔いしながらあいつ等と良く飲んでいたな。

 

「そいやーなんでそんな鍛えてんのに見窄らしい格好してんだ?力仕事なんていくらでもあるだろ」

「いやーーその……」


 言葉を返そうとするが、頭が回らない。もしかして昨日のが結構きてるのか。


「どうかしたか」

「いや何でもないです………」


 酒を口にしようとすると、瓶がするりと手から落ちて割れた。

 地面に散らばった瓶の破片を呆然と眺める。

 なんだ....どんどん体の力が抜けて.....。

 どうにか背を壁に擦らせながら腰を下ろした。

 頭に靄がかかった様な感じがして、体が動かないし、思考も回らない。

 助けを求めようと横目を向けると、男が同一人物とは思えない程の、下衆な笑みを浮かべているではないか。

 それを見て自分が嵌められた事にやっと気づいた。

 

 

 ガタガタという音で目が覚めたが、暗くて何も見えない。もしかして今は夜なのか。

 だが揺れと音からどうなったのか予想はついた。

 どうやら俺は馬車で何処かに連れて行かれている様だ。

 手足は拘束されて動かないし、口が塞がれているので助けも呼べない。

 辺りをキョロキョロと見渡すと、微かに幌から漏れる光と、数人の人影が目についた。

 どうやら連れさられたのは俺だけじゃない様だ。

 まあいい。幸な事に手足を拘束してるのは、恐らく鎖でなくて紐だ。

 炎魔法は得意ではないが、この程度の物なら焼き切れる。

 魔法を発動して腕の縄を焼くと、程なくして焼き切れた。そして今度は足の縄も焼き切った。

 鼻腔を焦げ臭い匂いがくすぐる。

 切れたのはいいが少し臭うな。

 猿轡を力任せに外して、すぅと息を吸った。

 立ち上がって光の方へと進もうとするが、馬車が急に停止したので足を止めた。

 しまった異臭を気づかれたか。

 右腕に汐凪を呼びだして、馬車の奥へと視線を向けた。

 鼓動が速まり、手が汗で湿る。

 いい緊張感だ。敵は強者か、すくたれ者か。

 幌に人影が映った。そしてその影は馬車を覆っている幌をまくった。

 

「テメェなにしてやがる!!」

 

 影の正体は俺を仕事に誘ってきたあの壮年の男だ。その男は驚いて血相を変えている。

 武器を持ってない事を瞬時に確認し、前へと走る。そして男がモーニングスターを右手に呼び出した所で、剣を首に突き立てた。

 どうやらなまったとは言え、俺の実力はシルバーに行くかいかないかくらいはあるらしい。


「早え………テメェもしかしてハンターか」


 男は顔を真っ青にしてそう言った。 


「元ハンターだ」

「で要求はなんだ?」


 男は多少動揺しているが。案外冷静だ。

 普通だったらもっと狼狽えたりするだろ。


「お前の雇い主の所へ案内しろ」


と命令すると、拒否してくると思ったが、


「わかりやした」


と秒で男は従った。

 あまりの呆気なさに眉を顰めそうになるが、平然を装って


「話が速くて助かるよ」


と言った。

 なんだか腑に落ちないがまあいいか。

 胸に蟠りが残っているが不意に高揚してきた。頭を妄想が駆け巡る。

 こんな事を計画的にやっている組織だ。きっと只者では無いだろう。


 ラースは無意識の内に溢れそうになる笑みを、そっと秘めた。


 とりあえずこの男の武器を取り上げ……。

 男は武器を体にちゃっかりもどし、そしてこちらに向けてニタッと笑みを浮かべた。

 その腹立たしい笑みに思わず舌打ちをし、そして顔面に思いっきり蹴りをかました。


「ぐはっ!!」


と男は苦悶し、地面に転がる。そしてこちらに恨めしそうな視線を向けた。

 その視線に眉を顰めて、

 

「たくっ、えらく従順だと思ったがやっぱりなにか企んでるな」

 

と溜息混じりに言った。

 まあいい。何を企んでいようと知ったことではない。俺は久々に戦う相手がほしいだけだしな。


「妙な真似はしない事だ。あんたと俺の実力差は歴然としている」

「へい。わかりやした」



 馬車にいた者達はあの男に拘束を解かせて逃した。

 皆頭を下げ、そしてこちらに好意の視線を向けてきた。

 その視線が嫌に痛く、なんだか恐ろしくなっきたので、適当に何か言ってその場から逃げた。

 俺は友を裏切り、人を殺めた下賎な人間だ。

 やった事に後悔はないが、流石に善人だと思われるのは中々辛い物があるのだろう。

 




 辺りを照らすのは弱い月光だけなので、俺の目前を歩いてるあの男の姿と、足元の草や横手にある木の影くらいしかみえない。

 まるで先の見えない旅をしているみたいだ。てか実際ほぼそうだしな。


「なああんた」

「ん?」


男が声かけと共に足を止めたので、こちらも足を止めた。

 暗くてよく見えないが男の顔がこちらに向いた事がわかる。


「あんた炎魔法とか使えねえのか」

「まあ使えるには使えるが豆粒ぐらいの火の玉しか出来ねえぞ」

「光は?」

「光はもっと無理。俺結構不器用なんだよ」

「チッ」


と男は悪態をついてまた前へと進み始めた。

 あまりの太々しさに思わず苛立ちを覚えたが、


「テメェ舌打ちしやがったな......」


と呟くだけに済ませて、また俺も歩み始めた。

 

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