第36話 聴こえる人の話。
決意をしたからといって、いきなり強くはなれないわけで、結局オレはそれからも何度か倒れる羽目におちいった。
ただ、この職場に限っては珍しいことではないらしく、みんなさして気にもとめていない。
「大丈夫、大丈夫。みんなも良くやるから」
なにかあるたびに、所長と八木さんだけでなく、同じ感覚をもつほかの四人がそう声をかけてくれる。
早く成果を出したくて焦ってばかりの気持ちがやわらぐ。本当にありがたい。
この日は社員のほとんどが外出をしていて、オレは二歳年上の
竜弥は四人のうちの一人で、オレとは少し違うタイプの人だった。兄と同じ歳だからか、なんとなく話しやすい。
見た目はV系バンドのボーカルのような人だ。
モノトーンのシュッとしたファッションでかっこいい。ただ、蹴られたら一撃で倒されそうな底の厚い靴をいつも履いている。
「弘樹、このあいだ倒れたらしいじゃん」
「うん。久しぶりにやられちゃって」
「でも少なくなったよな、回数」
「一応ね。所長にいろいろ教えてもらったし」
入社して一年が過ぎたオレは、やり過ごしかたや避けかたの意味が、少しだけわかるようになってきた。
自分の中にいくつかのルールを作って、実行するやりかただ。たまに失敗するけれど……。
竜弥は視えるんじゃあなく、聴こえる人だという。オレや景子とは違って、所長に近いタイプらしい。
最初のころに言われたのは『視覚でわかるってしんどくない?』だった。
『えっ? でも園部さんは聴こえる人なんですよね? そのほうが大変じゃあないですか?』
『竜弥でいいよ。あと、タメ口で』
『あ……はい』
ギロリと竜弥が睨む。
『タメ口。な?』
『……うん、わかった』
『で……俺は外に出たらヘッドフォンすれば聴こえなくなるけど、弘樹は目ぇ閉じるわけにはいかないじゃん? 大変じゃね?』
『確かに嫌でも目に入っちゃうけど、最近は所長のおかげで気にならなくなってきたかな』
『マジか。俺ももう少し真面目に取り組むかなぁ。最近は特に肩こり酷くて』
竜弥は聴力検査で使うような大きいヘッドフォンを首にかけていた。
それをつけることで、聴こえるのが薄れるそうだ。
その代わり、重さで首と肩が凝って困るという。
そのあと、たくさんのことを話しながら、聴こえるというのがどんな感じなのかを聞いて、オレはやっぱり聴こえるほうが大変だと思った。
だって延々と話しかけられるとか、寝入りばなにお経を唱えられ続けるとか、ゾッとするよ。
竜弥のほうは、変な色が視えるとか、色がまとわりつくように視えるというのが嫌だと、オレの話しを聞きながら身震いしている。
普通の人からしたら、どっちも嫌なんだろうけれど、オレたちからすると経験したことのないほうが、嫌だと感じた。
竜弥以外の
強いか弱いかの違いはあるようで、一番強いという川嶋さんは、良くなにもないところをみていたり……。
オレは怖くてなにが視えているのか聞いたことはないけれど、竜弥は一度聞いたことがあるという。
『俺はあいつらの話しはもう聞きたくねぇな。怖すぎて通勤できなくなる』
といっていた。
対処法に苦労しているという意味ではみんな同じだからか、困っていると手を差し伸べてくれるのもこの人たちだ。
似た感覚を持った人と話す安心感もあるんだと、ここで知った。
今では竜弥も聴こえる頻度が減ってきたようで、ヘッドフォンも小さくなった。
ただ、最近のお気に入りだとかで、ネコミミ付きだ。
ビジュアルがいいのにネコミミ付きとか、どうなってるんだか。
コレを付けたままで家から会社まで来るし、なんなら打ち合わせもこのままいく。
オレには到底、真似できない姿だよ。
「弘樹、明日は打ち合わせで外だろ? 大丈夫なのか?」
「うん。景子ちゃんと一緒だから。ちょっと遠い場所だから電車だけど、具合悪くなっても身内だから迷惑かけても心が痛まない」
「景子と一緒か~。俺はあいつ無理。すぐ肩越し視るし」
この職場も比較的みんな仲は良いほうだけれど、こんな感じで互いになんとなく避け合っている場合もある。
オレ自身も同じ歳の
なにも視えない人には、オレや竜弥はやっぱり少し気味が悪いようだから、嫌がられているのがうっすらわかった。
それでも、できるだけかかわるように心がけている。互いに嫌だと感じている相手がどんな色を視せるのかがわかるし、それにどう対応するかの練習にもなるから。
修行だと思えば、こんなことは苦でもない。
竜弥と並んで図面を引きながら、窓の外をみた。
大通りのけやき並木が陽の光をさえぎっている。ときおり風に揺らいでキラキラと光が通るだけで、外の音も聞こえてこない。
歩く人にもなにも視えない。この中にいるときだけは。
視えるのと視えないのとでは、どっちがいいんだろう。
最初から視えていなければ、そりゃあ視えないほうがいい。
(でも……)
視えるのが悪いことばかりじゃあないのも、わかるようになった。
タイクリップにそっと触れる。
揺れる枝と葉の向こうにみえる空の色をみて、ふと、そう思った。
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