第33話 最後の時間の話。
一週間なんてあっという間だ。
安本さんへのプレゼントはずっと持ち歩いているけれど、渡すタイミングがない。
最終日を迎えたのに、渡すことができずにカバンの中だ。
終業直前には、金森事業部長や間野部長、森村副部長からブーケをもらったり、湊さんからプレゼントを受けとったりしていた。
そのタイミングで渡せばよかったんだろうけれど、みんなの前で渡すのが恥ずかしくて、そのままになってしまった。
退社直前になって、オレはようやく重い腰をあげた。
「荷物、凄いですね。オレ持ちますから、駅まで一緒に帰りませんか?」
「あ……ありがとうございます」
いろいろ入った紙袋をあずかり、一緒に会社を出た。
「次の派遣先はもう決まったんですか?」
「はい。今度は割と自宅に近いあたりです」
「……そうなんですか」
確か自宅は隣県だったと聞いた気がする。
(遠いな……)
地下鉄の入り口まできたところで、オレは思いきってカフェに誘った。
「あの、時間まだ平気だったら、少しお茶していきませんか?」
「あ、はい。いいですよ」
席に着くと、オレはすぐにカバンから包みを出して安本さんに渡した。
「荷物、増やしちゃうんで申し訳ないんですけど……今までお世話になりました」
「えっ……ありがとうございます。なんか逆に気を遣わせてしまってすみません……あの、開けてみてもいいですか?」
「あっ、はい」
包みを開く安本さんの姿に、緊張して手が震える。ごまかすようにコーヒーを口にした。
気に入ってもらえるだろうか?
「わー……すごく奇麗……」
安本さんの色が明るい黄色に広がる。
オレが買ったのは透明なケースに入った、一輪のレインボーローズのプリザーブドフラワーだった。
選ぶときに、景子はやれ本数がどうの色がどうのと、あれこれ言ってきたけれど、オレはこの七色がいつも視ていた安本さんの色を思い出させて、いいと思ったから。
それに、一輪だけなら机の片隅にでも置いてもらって、いつでも目にすることができるんじゃあないかと思ったからだ。
「気に入ってもらえるといいんですけど……」
「気に入らないはずがないです。すごく嬉しい……ありがとうございます」
「オレ……前にも言いましたけど、安本さんが好きです」
安本さんはケースを手に、それを見つめたまま黙っている。オレは緊張のあまり両手でカップを握ったままで、うつむいていた。
「今日で最後なんて寂しすぎるし、また一緒に映画も観にいきたいし、できればオレと付き合ってほしいって思って……」
どんな色に変わっているのか、視るのが怖い。それでもどうにか顔を上げて安本さんをみた。
(――ちょっと待ってよ。またオマエか)
前のときと同じ、大仏だ。前のときは両手を組んだ足の上に置いていたけれど、今度のは右手のひらをこちらに向けて上げている。
「……木村さんはきっと、あの人と会って、私のことがかわいそうにみえちゃっただけですよ」
「そんなことないです。あんなことがなくても、オレは――」
「それに、私たち十歳も違うんですよ。きっと後悔します」
「後悔って……オレがですか? しませんよ、そんなの。むしろ言わないことのほうが後悔します」
安本さんは手にしていたプリザーブドフラワーのケースを包みなおして紙袋にしまうと、オレの目を見てほほ笑んだ。
「そんなふうに言ってもらえるのは、すごく嬉しいです。でも私は……あの人で懲りたっていうか……疲れちゃって。だから……すみません……」
頭を下げるその上には、大仏がドンと君臨している。
これはもしかすると、拒絶の意味なのかもしれない……。
「いや、いいんです。そんな……謝らないでください。急にこんなことを言いだしたオレが悪かったんで……」
「木村さんはなにも悪くないですよ。ただ、私が……本当にすみません」
互いに頭を下げ合って、周りから見たらなんだと思われるに違いない。
緊張が変なテンションに変わって、オレはつい笑ってしまった。
そんなオレを見つめる安本さんも笑っている。
「あまり遅くなると帰り道が危ないですよね。そろそろ行きましょうか」
「そうですね」
立ちあがって店を出ると、地下道へ入って駅へと向かう。他愛のない話しで場を繋いだ。
安本さんの次の仕事内容を聞いたり、オレが次にいく職場の話しをしたり、そんなことを。
改札をくぐり、階段を下りる。今日はまだ電車はこなくて、あわてる必要もない。
少し待つと、安本さんの乗る電車のほうが先にホームへ入ってきた。
「私、木村さんが映画に誘ってくれて、本当に楽しかったです。誰かと一緒に観るのも楽しいってことを思い出しました」
「オレも、楽しかったです。仕事でもいろいろ助けてもらったり……本当にありがとうございました」
「こちらこそ……これも、ありがとうございます。大切にします」
そういって紙袋を掲げてみせた。プリザーブドフラワーのことだろう。
オレは黙ったままうなずいた。
電車のドアが開く。
本当にこれが最後なんだ。ただ、安本さんをみた。もう大仏はいなくなっている。クリアなブルーの向こうに青い小花の花畑が視えた気がした。
なにか言わなければ、また映画に誘っていいか聞かなければ、そう思うのに言葉がでない。
「それじゃあ木村さん、お元気で。次のお仕事、頑張ってくださいね」
ドアが閉まり、手を振る安本さんが遠ざかってみえなくなった。
(人の縁って、こんなふうに簡単に途絶えていくんだな……)
これまでは人との別れなんて気にもとめなかった。匡史と萌美がいればそれでいい、そう思っていた。
『そういう相手ってね、縁があるのよ。なんかしらの縁がさ』
景子の言葉を思い出した。
縁ってなんなんだろう。途絶えそうになる縁を、どうやって繋ぎ止めたらよかったんだろう。
どうやったら繋げられたんだろう。
トンネルの向こうに消えていく電車を、オレはただ黙って見送った。
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