桜の季節に

束白心吏

桜の季節に

 冬の名残を感じさせる冷たい朝の春風が、外に出た私を襲う。


「へっくしゅ!」


 噂されてか、はたまた花粉のせいか──外に出た途端なので確実に後者だが──盛大なくしゃみが出る。花粉は容赦がない。物心ついた頃からの付き合いだから慣れこそしたものの、薬を飲んでもくしゃみは抑えられない。鼻水は出ないし目のかゆみもないから抑えられているのは理解しているが、少しだけムッとしてしまう。

 新品の高校指定の肩掛け鞄を持ち直し、私は歩きなれない早朝の住宅街を駅に向かって歩き出す。新鮮な気分だ。私の通っていた小学校中学校はこの道とは真反対だったので少し落ち着かないのもあるだろう。

 心なしかくしゃみの回数もいつもより多い気がする。


「ヘックショイ! ん、桜か……」


 時折吹く強い風が、私がくしゃみをした瞬間に着けてるマスクとメガネの間に小さな物体を挟む。なんて偶然なのかと考えながら嫌な異物感に負けて取れば、手のひらには桜の花びらが乗っていた。それも風に乗って飛んでいってしまったが。

 ふと上を見上げれば、近所の桜が散り始めていた。まだ満開になったばかりだと思っていたけれど、もう散るのか。

 そういえば桜と言えば――私は鞄の中から一枚の封筒を取り出す。

 昨日の夕方届けられた、見慣れたシンプルな茶封筒。この中の便箋を通学路で読むのは小学校の頃から続けている習慣でもある。

 思えば手紙でのやり取りが始まったのはこの頃だったか。思い返すこと十年前……改めてよく続いたなぁと自分でも思う。


『──あっという間に冬が過ぎ、また桜の季節がやってきましたね。窓から見える桜が門出を祝福しているかのようです。

 この季節になると、貴方との思い出が昨日のことのように甦ります。

 覚えていますか? 卒園式の日、手紙のやり取りをしようと二人で約束した日を。

 あれから10年。貴方との手紙は私の心の大きな拠り所でした。出会った頃から、私は貴方には助けられてばかりですね。

 遂に高校生活が始まります。私は一人暮らしを始めるので、今から期待よりも不安でいっぱいです。貴方はどうですか? もしよければ聞かせてください。 

 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

 桜の季節に薺の言葉を添えて 夜宮櫻子』


 そういえば、彼女も今年度から高校生か。私と同学年なので当然のことだが、すっかり忘れていた。

 彼女とは保育園が一緒だった。小学校からは私立のなんか凄い所に行ったらしく会えていないが、彼女の名前は時折、新聞や町報で見かけることがあった。ローカル番組にも出ていたか。

 そういえば興味本位で彼女の学校について一度調べたことがある。あそこは確か寮生だったような? エスカレーター式とも聞いたが、一人暮らしということが彼女は別の高校に入った、ということだろうか。一緒の高校だといいなと夢を見てしまう自分に苦笑してしまう。

 駅に近づいてくると人の影がちらほら。私は別にそこまでメンタルが強いわけでもないので便箋を仕舞う。返事の文を考えることに思考を切り替えていく。いや、正確には何を添えるか、だが。

 返事の内容は読みながら大体決めていた。私もまた覚えていることを伝える旨と少しの訂正。近況まで書くかは実際に書いてみての文量と相談。

 しかしながら短歌とその後の文はいつも迷う。特に最後の文は花の名前を添えて、言葉に出来ない思いを送り合う……という、少し気恥ずかしい側面を持つのだ。まあそうしなければ彼女はお父さんの検閲――と私達は呼んでいる――を彼女が突破できなかったが為に使っているのだが。そういえばいつの間にか私まで最後の文を書くようになっていたな。

 彼女が今回言葉として添えたなずなはとてもストレートな表現だと思う。毎年、この時期は一度この花の花言葉で締めくくられるのだが、心臓に悪い。花言葉を知った時は驚いたものだ。同時に嬉しいと感じる自分もいるのだが。

 ならば私もストレートに返してみようか。あんまり得意ではないが――出来ない訳ではないのだ。彼女が今回使った百人一首には、そういう歌もあるのだから。


「由良の門を 渡る舟人 梶を絶え――」

「――行方も知らぬ 恋の通かな」


 歌の内容を思い返すべく上の句を読めば、下の句を詠み始めるより先に後ろから詠まれてしまった。

 足を止め振り返ってみれば、同じ高校の制服に身を包んだ女子生徒がいた。

 同年代で下の句を知っていたことに驚きを禁じ得ないが、それ以上に私は彼女の顔を見て驚いた。何せその顔は見知った、手紙のやり取りをした女の子の面影を持つ、いや彼女本人だったのだから。

 

 ――天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも


「……そういうことか」


 先程まで読んでいた手紙にあった歌の、本当のメッセージを理解して、私は思わず笑みを零す。


「久しぶりですね。伊雲いぐも君」

「お久しぶりです。櫻子さくらこさん」


 二人してそう言いあい、どちらからともなく噴き出してしまった。

 何とも不思議な感覚だ。実際十年ぶりの再会となるのに、まるで昨日会ったばかりのような感覚……櫻子さんもまたそうなのだろうか。懐かしむ様子は微塵もない。


「何時からつけてたんですか?」

「偶然です。伊雲君が、その便箋を読んでいたから、なんですけど……」


 と、少し照れた様子を見せながら櫻子さんは言う。殆ど最初からということじゃ……いや、人目がないからと大胆に読んでれば目撃する人はいるだろうけれども。そう考えると少し恥ずかしい気分になってくる。

 ん? ということは先の歌の意味も── 


「ところで伊雲君、先程の歌は……」


 ぐ、やはり追求はくるか……。

 この時私に答えをはぐらかすという選択肢はなかった。先の歌を聞かれているのなら、殆ど自分の気持ちは知られているのだ。そんな自棄になってる部分もあるが、櫻子さんのどこか真剣みのある目線と、先程までと比べるとどこか儚さを覚える声に、お茶を濁すという考えは消し飛んでいた。

 私は深呼吸する。流石に直接それを口にするのは恥ずかしい。しかしその気持ちを押し潰し、上手くできてるかわからない笑顔で口を開く。


「櫻子さんへの、返歌ですよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

桜の季節に 束白心吏 @ShiYu050766

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ