第32話 蛇と対話せよ

 ――週末が明けて。

 僕は朝から保健室におもむいていた。

 これは最早ルーティーンと化している行動なのだけれど、今回はちゃんと明確な理由がある。

 先日頼まれていたお使いについての報告をしに行くのだ。

 鴨池裕司かもいけゆうじに対して、鬱金香うこんこうの異常を用いて竜胆と接触させないようにした事を報告する。

 きっと、彼女は働き蜂によってその情報すら既に獲得しているのだろうけれど一応ね。


「おはようございまーす」


 と、気楽な挨拶と共に部屋へ入ると――。


「おはようございます、後輩君。突然ですが、今日は軽妙なやり取りをしている暇もありません」


 出会い頭、花車先輩は酷く深刻そうな顔をしてそう言った。

 僕はただならぬ空気を察知して、そのままベッドの傍のパイプ椅子に腰かける。

 ベッドに座った状態の花車先輩。

 深い漆黒を湛えた瞳が僕を見据え、そして彼女は早々に話を切り出す。


「――先日、鴨池裕司が行方不明となりました」


 殴られた様な衝撃が脳内に走った。

 何か言葉を発しようとするが、考えが上手くまとまらない。


「後輩君にファミレスでの対処をお任せした後、鴨池の動向を鴉羽君に監視させていたのですが、彼が忽然こつぜんと姿を消したとの報告を受けました。そして鴨池を見失った地点で白い大蛇を目撃したと……」


 脳内に刻み込まれたあの大蛇の姿が鮮明に蘇って。

 平凡な僕の思考回路が音を鳴らして回り出す。

 この芽吹市内で頻発している失踪事件。そしてあの謎の白い大蛇。この二つの点を繋げるのは、もしや竜胆輪廻りんどうりんねなのではないか。


「後輩君の予測している通り、一連の失踪事件と白い大蛇は竜胆輪廻さんによって結び付くと思われます。その証拠に、一件目から三件目の事件の被害者について今一度洗い直した所、それぞれに竜胆さんとの関係性を見出す事が出来ました」


 少女はただ言葉を繋いでいく。


「男子大学生の一団はナンパ目的で竜胆さんへと直接的な接触を行っていました。二件目の女子高生は図書館で、三件目の男性とは喫茶店でそれぞれ同じ時間帯に居合わせていたという情報が得られています」


 ……なるほど。

 花車先輩からの情報を鑑みるに、この失踪事件に竜胆輪廻は何かしらの形で関わっていると見て間違いない。

 考慮すべきはあの大蛇。


 ――異形にして異常の存在。


 仮にもし、竜胆輪廻が開花症候群を患っているとしたなら……。

 そしてあの蛇が竜胆の開花症候群が生み出した怪物だとすれば、一連の流れの辻褄が合う。

 失踪した被害者達が何かしらの影響を竜胆へと与えた。それに呼応して竜胆の開花症候群である蛇が竜胆を守る為、或いは竜胆の害となる存在を排除する為に動いた。

 その結果としてもたらされたのがこの連続失踪事件なのではないか。

 僕が発熱しそうな位に頭を回していると、至って冷静な態度を貫いている花車先輩が言葉を発する。


「今回の失踪事件の発端は竜胆輪廻さんの開花症候群でしょう。恐らく蛇は竜胆さんの防衛機能として働いているのだと考えられます。そして竜胆さん自身はその蛇の存在を認知していない――制御下にはないのでしょう。蛇を使役していたのなら、鴨池はとうに消されていたはずですからね」


 さらっと恐ろしい事を宣う花車先輩。


「蛇が制御下に無いのであれば、当然暴走するリスクを孕んでいるという事になります」

「つまり、早めに対処しないとこれからもっと失踪者が増えるって事ですね」

「ええ。冗談抜きで、この芽吹市から人が一人もいなくなる可能性があります」


 アンダーグラウンド芽吹市がゴーストタウン芽吹市となってしまう。

 それだけは避けなければならない。


「開花症候群の対処法として、強制的な閉花は得策ではありません。一番の最善手は竜胆さんが蛇と対話して和解を行う事です」

「竜胆ってパーセルタングを話せるんですか?」

「竜胆さんはサラザール・スリザリンの子孫ですからね」

「遂に別世界にまで干渉を!?」


 僕の反応を見た後で、花車先輩はこほんと咳ばらいを一つしてから真面目な表情へと切り替わる。


「ともかく、事態は急を要します。蛇の出現条件が不明な以上、今後どんな展開になるかは私でも読み辛い状況です。後輩君にも危害が及ぶ可能性もあります……」


 心配そうな視線を向ける花車先輩。

 僕はそれに笑って言葉を返す。


「先輩の愛しき後輩は、そんな事で人助けを止める様な人間じゃないでしょう?」


 僕の返事を聞いて、先輩は小さく微笑んだ。


「そうですね。私の愛しき後輩君は、どんな時でも困っている美少女を優先します」


 僕は頷きを返し、そして宣言する。


「大丈夫です。今の僕には頼れる人がいますから」





 ――放課後。

 帰りのショートホームルームが終わり、学校に活気が戻る。

 騒がしい生徒たちの声が教室中に響く中。僕は早々に帰り支度をして、竜胆を探しに行こうとしていた。


「鬱金君、なんか後輩の子が来てるよ」


 クラスの女子が異様に緊張した様子で伝えてくれる。

 教室の入り口を見ると、そこには件の少女――竜胆輪廻が立っていた。


「ありがとう」


 僕は教えてくれた女子にお礼を言ってから竜胆の下へ向かった。


「ごめん、うつ先輩……。今日、お母さんが仕事で遅くなるらしくて……」


 申し訳なさそうに竜胆が告げる。


「分かった。じゃあ、僕が家まで送るよ」

「ごめんね……」

「謝るなよ。むしろ丁度良かった、話したい事もあったからな」


 僕は竜胆と共に学校を後にした。





「竜胆はハリーポッター見た事あるか?」

「唐突だね……?」


 帰り道。

 僕は竜胆へと話題を振る。


「今日の軽妙なトークノルマがまだ未達成だからな」

「そんなノルマを課されてるんだ……。達成できなかったらどうなるの……?」

「体が爆発四散する」

「ペナルティが全然軽妙じゃないね……」


 竜胆は曖昧な笑みを浮かべている。


「一応、全部見た事はあるけど……」

「一番好きなのは?」

「んー、結局賢者の石を初めて見た時のワクワク感が一番印象に残ってるかもね……。うつ先輩は……?」

「僕は一回も見た事無いな」

「嘘でしょ……?」

「あ、でもファンタスティックビーストは全部見た」

「本当に時系列順に見てる人初めて出会ったよ……」


 故に僕はハリーポッターで好きなキャラは誰かと問われれば、迷わずニュート・スキャマンダーと答える。

 僕と竜胆がささやかなハリポタトークを繰り広げながら帰路を辿っていると――。

 不意に車のクラクションが鳴り響いた。


「おい! 死にてぇのか!?」


 道の角から自転車で飛び出してきたらしい少年に向かって怒鳴る軽トラの運転手。

 少年は「すいませーん!」と言いながら自転車で走り去っていく。

 非日常なアクシデントは一瞬で過ぎ去り。

 何度か瞬きをすれば普段通りの日常が戻って来る。

 僕が竜胆へと視線を戻すと、彼女は両耳を押さえて小刻みに震えていた。


「ご、ごめんなさ、い……」


 呼吸が乱れている。

 それは以前、僕に助けを求めた時の様な怯えようで。


「落ち着け、竜胆。大丈夫だ。ゆっくり深呼吸しよう」


 どうにかして彼女を落ち着かせようと、僕は色々と考えを巡らせる。


「ごめんなさい、ごめんなさい……」


 譫言うわごとの様に呟きを繰り返す竜胆。

 取り敢えず、喧噪からは離れるべきだろう。

 僕は竜胆の手を握り、いつもの公園へと向かった。





 ――贐公園。

 この公園の名前が明かされるのは恐らく最終回とかになるんだと思う。


「落ち着いたか?」


 僕は公園のベンチで休んでいる竜胆へ自販機で買ってきた水を手渡す。

 閑静で穏やかな空気が流れている公園内。此処でなら少しは気分も休まるだろう。


「うん、ありがとう……」


 ただでさえ小柄な竜胆だが、申し訳なさそうに肩を竦めているのでより一層小さい様に感じられた。


「大きい音が苦手なのか?」


 人一人分の間隔を空けて、僕は竜胆の隣に腰かける。


「うん……。ちょっと、人の大声とかが苦手なんだ……」


 小さい声で少女は告げた。

 その表情には暗い影が差していて。


「怖いんだ……人の声が……」


 人の声。

 音。或いは騒音。

 静謐で、静寂で、静黙を湛えた少女。

 そんな彼女が恐れている物は――音。

 であれば、蛇の出現条件は音なのか。竜胆が恐れる様な音を発した者を、蛇が次々と消していっているのだろうか。


「なぁ、竜胆。お前が抱えてる問題について、もし良かったら話してくれないか?」


 僕は問う。

 蛇との和解を目標とするにあたって、竜胆輪廻という少女が抱える問題を把握しておく必要があった。


「何の面白味も無い話だよ……。それでもうつ先輩は聞いてくれるの……?」


 小首を傾げて少女は問う。


「愚問だな。僕はお前の話なら金を払ってでも聞くぞ」


 静謐を湛えた少女はその言葉に微笑んでみせて。


「うつ先輩は、やっぱり変な人だね……」


 音を嫌う理由を、竜胆輪廻は静かに語り出した。

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