第31話 鳩の爆弾魔

 土曜日の朝。

 学校の無い日であっても早起きな僕は、朝からリビングのソファでぐったりしながらニュースを見ていた。

 昨日見た白い大蛇。

 あれは一体何だったのだろうか。違法なドラッグなどは一切やっていないのだが、疲弊による幻覚という線もあり得る。

 まぁ、幻覚にしてはあの蛇が放っていたプレッシャーは妙に生々しかったのだけれども。


 ピンポーン。


 と、唐突にチャイムが鳴った。

 インターホンを確認すると、そこにはキャスケット帽を被ったぱっつん前髪の少女が立っていた。

 少女はにこやかな笑みを浮かべていて。


「はい」

『鬱金さんのお宅でらっしゃいますよねぇ? 後5秒以内に出て来て頂けなければこの家を爆破する事も辞さない構えなんですけれどもぉ』

「おいおいおい、そんな間延びした口調で爆破予告とかすんなよ!?」


 僕は大慌てで玄関へと向かった。

 そして勢いよく玄関の扉を開ける。


「4・92秒。危なかったですねぇ」

「危ないのは朝っぱらから爆破予告をかましてくるお前の思考回路だ」


 こちらの苦言を少女は全く以て意に介さず、そのまま自己紹介を始める。


「私は花咲高校一年生、鳩渠落葉はとみぞおちばと言いますぅ。花車様からのお手紙をお届けに参りましたぁ」

「……お前、働き蜂か」

「そうですぅ。まだ新参者ですが有難い事に伝言役を任されましたぁ」


 花車ゆいという人間はこの令和という時代にありながらスマートフォンやパソコンといった通信機器の類を所持していない。

 だからこそ、彼女はこうした古典的な方法でコミュニケーションを取る。

 今までは鴉羽からすば小鳥遊たかなし辺りがその伝言役も担っていたはずだが、今年度からは新入生の鳩渠がその任に着いているらしい。

 さしずめ伝書鳩とでも言った所だろう。


「こちら、そのお手紙になりますぅ」


 肩にげていたバッグから一通の手紙を取り出して僕に差し出す鳩渠。

 僕は封筒を開封して内容を確認する。


『愛しき後輩君へ。このお手紙を後輩君が読んでいるという事は、私はもうこの世の全てを支配しているという事でしょう』

「何だこの始まり方」

『何だこの始まり方だなんてそんなつまらない反応はやめて下さい』

「手紙越しで会話してくるなよ!?」


 彼女の先読み能力は此処まで進化していたのか。


『冗談はさておき、本題に入ります。今回お手紙を出させて頂いたのは竜胆輪廻さんにストーカー行為を働いた不届き者についてです。

 鴨池裕司かもいけゆうじ、三十八歳。大手電機メーカーの人事部に勤めており、小学生のお子さんが二人いるようです。

 妻子持ちでありながら女子高校生をつけまわすという度し難い行為。更にそれが我が花咲高校の生徒ともなれば言語道断。

 人の形を保てない程の罰を与えたい所ですが、残念ながら我が国は法治国家。刑罰は司法に委ねるしかありません。ですが出来るだけの対策は講じておくべきだと考えています。そこで、後輩君には竜胆さんの安全確保の為に働いてもらいたいのです』


 危ない。人が一人、法を介さないで闇に葬り去られるところだった。

 花車先輩のなけなしの倫理観が残っていて助かった。


『本日十六時、鴨池を駅前のファミレスに呼び出します。後輩君が竜胆さんと立ち寄ったあのファミレスです。そこからは後輩君に全て任せます。法を順守じゅんしゅしていれば何をしても構いません。彼を竜胆さんから遠ざけて下さい』


 そういう事か。僕は得心する。

 彼女の情報収集能力は言わずもがな。更に犯人を呼び出すまでに至るとは、一体どんな手段を用いたのだろうか。


「まぁ、取り敢えず僕がやる事は単純明快っぽいな」

「はい。花車様の為に粉骨砕身の心意気で望んで下さいねぇ。粉々に砕け散っちゃって下さいねぇ」

「穏やかな口調で物騒な事を言うな。情緒がバグるだろ」

「情緒なんてバグってなんぼですよぉ。それじゃ、お手紙は確かにお届けしましたので私はこれでぇ」


 天真爛漫な笑みを浮かべ、鳩渠は早々に去っていった。

 花車先輩、また変な奴を手駒にしたみたいだな……。僕はそう思いながら家の中へと入る。



 僕がリビングまで戻ると、丁度くらむが起きてきた所だった。


「おはよー、お兄ちゃん」

「おはよう眩ちゃん。休日なのに早いな」

「お兄ちゃんが何かドタバタしてたからそれで起きたんですぅ~」

「ああ……、それはごめん。早朝から爆弾魔が家にやって来たんだ」

「やば、朝から一家全滅の危機じゃん」

「それを命からがら防いだ僕への感謝は?」

「はいはい、ありがとう」

「本当に僕が爆弾魔を追い払ってた場合、そんな反応しちゃ駄目だぞ眩ちゃん」


 僕はソファにぐでっと横たわっている眩を端に追いやる。


「お兄ちゃん、午後暇? ってか暇だよね? 暇に決まってるよね?」

「高圧的だな。残念ながら僕は今日ちょっとした用事がある」

「何それ。お兄ちゃんの癖に生意気だね」

「兄に用事がある事を生意気だなんて言うな。人付き合いが皆無だった僕の成長を素直に喜べ」

「で、何があるの?」

「夕方十六時、ファミレスで待ち合わせをしてる」

「誰と?」

「成人男性と」

「え……」

「三十八歳の妻子持ち」

「禁断の関係性過ぎるよ!?」


 だらしなく寝そべっていた眩が勢いよく起き上がり、そして僕の両肩を掴む。


「駄目だよ、お兄ちゃん。確かに人間なんて好きな人同士で愛し合えばいいと思うけどさ、既婚は不味いって。しかも子持ち!? 子持ちで純粋に嬉しくなるのなんてししゃもくらいだよ!」

「言い過ぎだろ」


 顔を真っ赤にしてヒートアップしている眩。

 この妹、何か激しい勘違いをしているな。


「僕は別に成人男性とお付き合いしてる訳じゃない。ただちょっとした問題があってな。その人と軽くお話するだけだ」


 僕が淡々と説明すると、彼女は脱力した様にへなへなと座り込む。


「何だ……お兄ちゃんが妻子持ちの成人男性と不倫してるのかと思ってたよ……」

「自分の兄をそこまでアンモラルなキャラクターに仕立てあげるな」

「アンモラル芽吹市代表じゃなかったっけ?」

「芽吹市にはアンモラル日本代表が二人位いるぞ。主に性的な部門と洗脳的な部門で」

「芽吹市って意外とアンダーグラウンド?」


 おののいた表情を浮かべる眩。

 僕はそれを明確に否定する事が出来なかった。





 ――夕方。

 徐々に混み始めたファミレスで、僕は鴨池が来るのを待っていた。


「君かい、私を呼び出したのは」


 暇なのでメニューを眺めていた所へ唐突に声を掛けられる。

 声の主へと視線を向けると、そこには眼鏡を掛けた男が立っていた。

 容姿はごく一般的な成人男性で、むしろその表情からは温和な雰囲気すら感じられる。


「それで、話があると言われて来たんだけど……。ごめんね、今家族で出かけている途中で抜けて来ているんだ。出来れば短めに終わらせてくれると助かるよ」


 鴨池は僕の向かいの席に座った。


「大丈夫です。そんなにお時間は頂きません。何なら一言で済みますから」

「そうかい? なら、先に注文した方が良さそうだね。何でも好きな物を頼みなさい。私が奢ってあげるよ」


 鴨池は親切にもそう告げた。


「じゃあお言葉に甘えて」


 僕は店員を呼び、メニューの左端のパフェを指差す。

 そしてその指をゆっくりと右端までスライドさせる。


「ここからここまで全部下さい」

「え」


 驚愕の表情を向ける鴨池。

 しかし僕はそれを一切気にも留めず。これは軽い仕返しだ。竜胆輪廻に恐怖を与えたという事に対する仕返し。

 児戯じぎに等しい報復だけれど、僕は別に正義の執行人ではない。

 ただ庭の手入れをする園芸部の一員としてはこれ位で丁度いいだろう。

 店員が去った後で、僕は鬱金香うこんこうの異常を発生させる。


「僕が貴方にお伝えしたい事はたった一つです。金輪際、竜胆輪廻には近づかないで下さい」


 そう、僕が告げに来た言葉はたったこれだけ。

 この一言を告げた時点で今日の僕の業務は終了となる。

 必要な事は伝え終えた為、さっさと席を立つ。


「あ、注文したデザートは全部残さず食べてくださいね」


 満面の笑みでそんな捨てセリフを吐いて、僕はファミレスを後にした。

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