第24話 僕様ゲーム
花咲高校の体育館にて。
僕は桜庭結我と対峙していた。
「全く……余計な真似してくれやがりましたねぇ、貴様は」
ポニーテールに結われた髪が揺れる。
――
桜庭優雅の妹で、天真爛漫な悪逆非道。
崇高なる姉の為だけに存在する人格。
「別に、僕が用意した訳じゃない。この状況を作ったのは花車先輩だよ」
「ああ、あの奇人ですか。あれは本当に厄介極まりやがってますねぇ……」
実に忌々し気に結我は呟いた。
「それで、軟弱で貧弱で惰弱極まる貴様はどうするつもりでやがるんですか? 一度、痛めつけてやった事をわすれやがりましたか?」
――挑発。
他者の神経を逆撫でる様な笑みだ。
「一度痛めつけられた位で僕が音を上げると思うな」
「……へぇ、なら無様に音を上げやがるまで痛めつけてやりますよ!」
体育館の床を蹴り、結我は僕に襲い掛かってきた。
時間は少し遡り――。
保健室にて、花車先輩が僕に対して
「どういう事ですか。結我ちゃんと僕じゃあ、竹やりと戦車位の戦力差がありますけど」
「それは肉弾戦においてのみの話でしょう。開花症候群込みであれば、また話が変わってきます」
確かに、鬱金香の異常はとても強大な力だ。
けれどそれを凌駕し得るレベルで、桜庭結我の身体能力は凄まじい。
我が園芸同好会の戦闘担当である薔薇園にも引けを取らないはずだ。
「そもそもこの戦いの目的は結我さんに勝利する事ではありません。達成すべき目的とは桜庭さんと結我さんを対話させる事です」
――対話。
姉と妹の対話。
姉妹喧嘩とでも言うべきだろうか。
「そこで、後輩君と桜庭さんの出番という訳です」
先輩は僕と桜庭の両方へ順に視線を送る。
「まず、後輩君は結我さんを精神的に動揺させてください」
「いきなりハイレベルな指示ですね」
「まぁ法律の範囲内であれば手段は問いません。取り敢えず結我さんの動揺を誘えればそれで大丈夫です」
「注意されなくても違法行為には走りませんよ」
僕は
「私は何をすれば……?」
おずおずと桜庭が尋ねる。
「桜庭さんは結我さんの説得ですね。後輩君が結我さんに対して精神的な揺さぶりをかける事で、その人格の境界が曖昧になると考えられます。ですので、そのタイミングで結我さんの説得を行って下さい」
「説得ですか……」
桜庭は不安そうに視線を床へと落とす。
「まぁそう気負うな。姉妹喧嘩とでも捉えればいいさ」
「そういう事です。桜庭さんの思っている事を結我さんにしっかりと伝えてあげてください。仮に失敗してしまったとしても、その時はまた別の方策を探せばいいだけですから」
僕が努めて明るく言うと、花車先輩もそれに続いて桜庭を安心させるための言葉を掛けた。
「そうですね……! 私、頑張ります!」
両の手を握り、桜庭はそう元気よく意気込んだのだった。
――そして時は戻り、現在。
目にも留まらぬ速度で迫って来る結我。
しかし僕は完全に落ち着き払っていて。
僕の役目は結我を動揺させる事だ。彼女に戦闘で勝つ事ではない。
ならばやりようは幾らでもある。
「結我ちゃん、ストップだ!」
棒立ちのまま僕は宣告した。
すると、少女の体は凍り付いた様に動きを止める。
「これはっ……!」
驚きにより、彼女の目が見開かれて。
「ははっ、これ受けるのは二回目だろ結我ちゃん。一回で学びやがらないとは実に愚かしいですねぇ、貴様は」
僕は生き生きとして結我を煽った。
彼女の口調を真似ての煽りは、本人にはかなり効いてしまった様で。
「……良い度胸してやがりますねぇ、貴様はぁ……!」
桜庭結我はこれまでにない
うん、幸先は良い感じだ。
此処から更にもう一押しってところだろう。
「さて、じゃあ結我ちゃん。もう一つ僕の命令を聞いてもらおうかな」
「聞く訳ねぇでしょう! 貴様の命令なんて!」
今にも噛みつきそうな勢いで彼女は反駁する。
「言い方が悪かったな。結我ちゃんは命令に従ってもらう以外に選択肢は無い。僕の命令は絶対だ」
僕は口の端を吊り上げる。
凶悪な笑みを張り付ける。
「――自分の手で、スカートをたくし上げろ」
男として、というかまぁ人として最低な命令だった。
――違うよ? 此処からちょっと長い言い訳になるけど聞いて? 良いから聞いて?
僕の持論では人が最も乱れる時というのは、怒りや恥辱を味わっている時だと考えている。
だから初手で僕は結我ちゃんを怒らせた。
であればトドメは辱める事だ。
そうした論理的な理由に基づいて、僕はこの命令をしたのである。間違っても、ただ下劣な欲望のままに命令を下した訳じゃない。
「くっ……、最低ですね貴様は……!」
「おいおい、何を言ってんだよ結我ちゃん。お前の崇高なる姉様なら、喜んでこの指示に従うぞ」
「今それを引き合いに出しやがるのは狡いでしょう!」
反論も空しく、少女の身体が鬱金香の異常を受けて動き出す。
制服のスカートの端を摘まみ、緩慢とした動作でそれを引き上げていく。
白い柔肌が次第に露わとなっていき、黒のレースの下着が再び僕と
「はい、解除」
――僕は手を一つ叩き、異常を解除した。
彼女の身体は自由となっているはずだが、結我はその場から動かない。
「姉様、なんでっ……!?」
代わりに、戸惑いに満ちた声が彼女の口から漏れ出る。
これが花車先輩の言っていた、人格の境界が曖昧な状態か。
二つの人格が表出している状態。
「もうやめて、結我。もう、大丈夫だから」
その口調や声の調子は桜庭のもので。
「私はもう、中学生の時の私とは違うよ。ただ優秀である事を義務付けられていた時の私とは違う。ただ守られていただけの私じゃない。だからこれからは結我にも、自分の人生を生きて欲しい」
それは愚かしいまでに実直で、残酷なまでに優しい願いだった。
「何を言ってやがるんです……? 自分は機械ですよ。姉様の為だけに動く機械。優しい姉様には人を殴ったりできないでしょう? だから代わりに自分が姉様の障害となる奴を殴ってやるんです。自分はただ、それだけの為に存在しているんです。それが自分の人生ですから……」
しかし桜庭は首を横に振る。
「違うよ……。だって、それなら何で結我は薫先輩を襲ったりなんかしたの? 私がいつそんな事を望んだの? 告白した人を傷つけて欲しいなんて、いつ結我にお願いしたの?」
次に現れた結我の人格は、明らかな困惑を見せていた。
「それは……。姉様の、告白から逃げ出したから……」
妹は口ごもる。
「違うよね。結我が本当に私の為だけに動いてるなら、薫先輩を傷つけようなんて事は絶対にしない。あの時、結我は本当は自分の為に動いたんじゃないの?」
姉は追及する。
「違う、自分はただ姉様の為に……!」
「違う。結我は自分の為に薫先輩を殴った」
「違う!」
「違わない」
それはただの姉妹喧嘩。
体を共有しているだけの、姉と妹の言い合いだった。
「結我、お願いだからお姉ちゃんに教えて? 何で薫先輩を襲ったりなんかしたの?」
姉からの問いに妹は渋々、本当に渋々といった様子で口を開く。
「姉様を……取られると、思ったからです……」
俯きがちに結我は言った。
取られる。僕が、桜庭優雅を奪い取る。
そんな事は出来ないし、あり得ないはずなのだけれど、結我はそう考えてしまったのか。
「もし……姉様に彼氏なんて出来てしまったら、自分は用済みになってしまいます。姉様が自分以外に頼れる存在が出来てしまったら、自分はただ邪魔な存在になる。それが、嫌だったんです……」
結我は呟くようにそう言葉を連ねた。
しかし次に現れた桜庭はゆるゆると首を横に振って。
「そんな事ある訳ないでしょ。私にとって結我はヒーローだったけど、それ以前に大事な妹だもん。邪魔だなんて思うはず無い」
桜庭は優しい声音で続ける。
「自分に対して、そんなに役割ばかりを求めないで良いんだよ。結我は私の妹。それだけで充分。だからさ、これからはちゃんと妹として、姉妹として生きていこう?」
また、人格は切り替わって。
桜庭結我はその場に頽れる。
広い体育館に、一人の少女の
「お前はずっとこの手で桜庭の為に戦って来た。それは本当に凄い事だ。けどお前が人を殴れば殴る程、結我ちゃんが一番守りたかったはずの人の手が傷ついちまう。そんな事を結我ちゃんは望んでないだろ?」
ただ、僕は語り掛ける。
中学生の妹を持つ一人の兄として。
「自分は姉様の歪みから生まれたバグです……。そんな物が、普通の人間として生きていいんですか……?」
――普通。
普通なんてものは、異常な人間が自分たちを正当化する為に創った言葉だ。
人は須らく異常である。
そこに大小の差があるだけ。
「許可が欲しいなら僕がしてやるよ。お前は完全無欠な優等生で、超絶怒涛のド変態である桜庭優雅の最愛の妹として生きろ。それでお前ら姉妹は有り得ない位に幸せな日々を送れ。僕がそれを見届けてやる」
結我の視線に合わせ、僕はそう告げた。
「随分と傲岸不遜な物言いをしやがりますね、一体何様のつもりですか……」
「俺様ならぬ僕様のつもりだ」
真面目な顔で僕が答えると――。
「ふふっ、何ですかそれ」
桜庭結我はその言葉に対して、少女らしく、愛らしい微笑みを浮かべたのだった。
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