第22話 桜庭結我、げに恐ろしき。

「――自分は貴様をぶっ殺しに来たんです」


 天真爛漫な悪逆非道。

 桜庭結我さくらばゆうがは清々しいまでの純粋な笑顔を浮かべていた。


「ハァ?」


 腕を組み、首を傾げ、どこぞのうさぎの様な語彙ごいを発する僕。


「いや、ちょっと待て。なんで僕が殺されなきゃならないんだ?」


 唐突な殺害予告にも僕は怯まない。

 百合宮からは無罪判決を受け、薔薇園や花車先輩による処刑を逃れたというのに、まさか当事者が直々に処刑しに来るとは誰が予想できただろう。

 いや、厳密に言えば結我は当事者では無いのだけれど。


「そんな簡単な事も理解できやがらないんですか、貴様は」


 わざとらしく、やれやれと言わんばかりに首を横に振る結我。


「貴様が殺される理由なんて一つです。崇高なる姉様の告白から逃げ出したからに決まってるでしょう」


 そう口にしながら此方に向かって距離を詰めてくる結我。

 一歩、また一歩と進むにつれて、彼女のポニーテールが左右に揺れ動く。


「告白って、性欲に塗れ切ったアレがか?」

「誰がどう聞いても奥ゆかしい乙女の告白だったでしょうが」

「結我ちゃんや、今すぐ奥ゆかしいという単語を辞書で引いてこい」


 こうした状況下であっても、僕のツッコミセンサーは正常に作動していた。


「あれだけ積極的なアプローチを仕掛けた姉様に対して一ミリもなびかないとか、貴様それでも男ですか?」

「何だよ、じゃあ結我ちゃんは僕があの時、桜庭とまぐわっておけば満足だったのか?」

「満足な訳ねぇでしょう。即、八つ裂きにしてやるところです」

「どっちにしろ詰んでるじゃねぇか!?」


 この処刑ルートを回避する手段は一つだ。

 僕があの手紙を受け取った後、視聴覚室に向かわない事。行った時点でこの処刑ルートへと分岐してしまう。

 だからあの手紙を見ても、僕は荷物を受け取る為に家へと帰らなければならなかった――。

 ……って、無理だろ!

 健全な男子高校生ならあんなの行くに決まってる。

 喜び勇んで行くに決まっているだろう。

 僕が脳内会議でそう結論付けた後、すぐ目の前まで迫った結我が口を開いた。


「ともかく、貴様はムカつくのでぶっ殺します」


 横暴すぎるその一言が開戦の合図だった。

 ほぼ予備動作無しで、彼女の拳が僕に向かって振り抜かれる。

 両腕で咄嗟とっさにガードはしたけれど、ほぼ意味を為していないレベルだ。


「っ痛ぇ……!」


 ――腕がもげるかと思った。

 体勢を崩したところに、右側面からの蹴りが迫る。

 僕の平凡な反応速度では回避が不可能。

 強烈な蹴りをもろに脇腹に喰らって、そのまま通路の壁に叩きつけられた。

 そしてずるずると、地面にへたり込む。

 不味い……。

 このままだと、割とマジで死ねる。


「軟弱ですねぇ、貴様は。まるでこんにゃくみたいにフニャフニャです。軟弱こんにゃくです」


 僕の右肩をぐりぐりと踏みつけて、結我は煽り立てる。


「人を……ドラえもんの秘密道具みたいに呼ぶな……」

「ほう、まだそんなツッコミをする元気がありやがりましたか」


 結我は僕の肩から足をどけ、そしてその場に屈み込んだ。

 ――黒のレース。

 主人格は桜庭優雅なのだろうから、その際どい下着は結我状態であっても同じだ。

 生意気なメスガキ人格である桜庭結我が、こんな淫らな下着の着用を強制されるとはこの姉妹、中々業が深い。


「……っ! 何処を見てやがるんです!?」


 僕の視線に気づいた結我が、アイアンクローを決める。

 めきめきと、頭蓋ずがいきしむ音が骨伝導で伝わってきて。

 頭が、割れる……!

 このままでは林檎の如く、或いは生卵の如く握り潰されてしまう!

 僕は生存本能の赴くままに、何とか口を開いた。

 そして鬱金香の異常を発生させる。


「……ぐっ、……眠ってくれ……!」


 僕の声を聞いた瞬間に、結我は電源を落とされた様に意識を失った。こちらに向かって倒れてきた彼女の身体を何とか受け止める。


「あっぶねぇ……」


 僕は心の奥底から安堵の溜息を吐く。

 後少し遅れていたら、本気で頭が割れていたかもしれない。

 桜庭結我、げに恐ろしき…………。

 腕の中で意識を失ったままの桜庭を見る。黙っていれば優美な顔つきをした愛らしい少女でしかなかい。

 これが優等生でド変態で、メスガキの人格まで有しているというのだから世界は不思議で満ち溢れている。

 僕は痛む体を休ませながら、ただ何となくそんな事を考えていた。





 ――贐公園。

 路地裏での襲撃を受けた後。

 未だに名前の読み方が分からないこの公園へと僕は赴いていた。

 隣のベンチには桜庭が横たわっている。

 残念ながら僕は桜庭や花車先輩の様に独自の情報網を有していないので、桜庭優雅を家まで送り届けるという事は出来ない。

 故にこうして、公園で彼女が目覚めるまで待つ他無かったのだ。

 現在時刻は十八時五十五分。

 少し帰りが遅くなるという旨のメッセージを眩へと送信したのと同じタイミングで、桜庭が目を覚ました。


「ん、此処は……?」


 上体を起こし、彼女は周囲をきょろきょろと見渡している。


「学校の近くにある公園だ。放課後、色々と起こった後でお前を此処まで運んだんだ」


 僕の簡易的な説明を受け、すぐに桜庭は大体の事情を把握した様で。


「どうやら、私は薫先輩にご迷惑を掛けてしまった様ですね……」


 一つに結った髪を解きながら、申し訳なさそうに目を伏せて呟く桜庭。

 そして彼女は靴を脱ぎ、ベンチの上で正座する。急にかしこまって一体何事だろうか。

 僕が黙って見つめていると――。


「この代償は身体で支払います!」


 案の定、普段通りの桜庭優雅だった。

 さっきの狂暴な結我状態の後だとこの変態性も安心感に変わる。


「別に、気にしなくていいよ。お前は特に何もしてないからな。僕に迷惑……というか、言いがかりを吹っ掛けてきたのはお前の妹だし」


 僕が淡々と告げると、桜庭はあからさまに気まずそうな表情を浮かべた。


「やっぱり、あの子が出てきていたんですね……。一つ結びになっていたので、大方そうだとは思ってましたけど……」


 手にしている桜色のリボンをきゅっと握り締める桜庭。

 苦悩を色濃く滲ませたその表情に、僕は何だか居た堪れなくなってしまって。


「お前さえ良ければ、僕に話してみろ。何か力になれるかもしれないぞ」


 気軽さを装って言うと、桜庭は逡巡する様に手でリボンを弄っていた。

 しかし意を決したのか、小さい頷きを見せた後に僕の顔を真っすぐに見据える。


「少しも面白味の無い過去のお話です。薫先輩はそれでも聞いてくれますか?」


 そう訊ねる彼女の瞳は微かに震えていて。

 問われた僕は鼻から軽く息を漏らして宣言する。


「愚問だ。僕は美少女の話であれば、金を払ってでも聞いてやる」


 その言葉を聞いて、桜の少女は曖昧に笑ってみせた。


「薫先輩らしいお言葉です」


 そして桜庭優雅は語り出す。

 彼女と彼女の中に存在する妹との過去を。

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